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「日月神示」の題名考察

平成十六年五月二十九日
2004/5/29
きんたん
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「日月神示」の題名考察

 戦前に降ろされた「ひつく神示」の第一巻〜第十二巻までの題名の意義を考察してみました。私には天地創成の神話と日と月の発生、更には岩戸を開くべき御用とは何かを暗示していると思えます。更には、第十二巻「夜明けの巻」では、言霊の働きに依り岩戸が開く事を示してると思います。

 ひつく神示は、日月神示とも呼ばれます。古事記の序文は、

『それ、昆元(こんげん)は、既に()り、気象(きしょう)いまだ(あつ)く無し、名も無く()して、誰が其の形を知らむ。然れども(けん)(こん)と初めて分かれて、参神(さんしん)が作る造化の(はじめ)。陰と陽とに、ここに開けて、二霊(にれい)(=イザナキ神・イザナミ神)は群品(ぐんぴん)()となりたまひき。所以(ゆえに)、幽と顕とに出で入りて、日と月と目を洗うにあらわれたまひき。』(複数の記紀神話から再構成)

 古事記は、序文でよく天地の成り立ちを説明してある為か、本文では簡単に省略されています。本文は『天地(あめつち)の初めて(ひら)けし時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名は、』で、書き出しが始ります。

 日本書紀の本文では、古事記にくらべて、やや長く天地の成り立ちを説明しています。

(いにしえ)天地(てんち)(いまだ)(わかれ)れず、陰陽(めお)(わか)かれざりしとき、混沌(まろか)れたる鶏子(とりのこ)(=卵)のごとくして、ほのかにして、きざしをふくめり、それ(きよ)(あきらか)なるものは、たなびきて、天となり、重く(にご)れるものは、つつぬいて、地となるにおよびて、精妙(くわしたえ)なるが合うは、むらがりやすく、重く濁れるが、凝りたるは、かたまりがたし、ゆえに天まず成りて、地あとにさだまる。然して後に、神聖(かみ)()の中に生まれます。』(同上)

 これらは、中国の古書『淮南子(わいなんし)』の第三章の天文訓や、『三五(さんご)歴紀(れきき)』等の盤古(ばんこ)大神(たいしん)の天地創世の神話からの引用です。

『宇宙の初めは、卵であり、中は、混沌(こんとん)としていたが、軽いものは、上に昇り、重いものは、下に降り、二つの動きに分かれ、不二となった。1万8千年の後、その中に巨人盤古(ばんこ)大神(たいしん)が生まれた。盤古大神は日々成長していき、それにあわせて混沌の中で明るいものと暗いものが分離していって、やがて明るく軽いものは、澄み易いので、先に上で、天となりました。暗く重たいものは、濁り固まりにくいので、後に下で、地となりました。盤古大神は、天と地が、合わさらないように支えて、成長していった。1万8千年の後、天地の高さは、九万尺となり、力尽きて盤古大神は、死んだ。そして、左目は太陽、右目は月となった。息は風となり、声は、雷になり、身体は、山となり、両手両足は、東西南北を支える柱となった。』

 ひつく神示においても第六巻 『日月の巻』には、古事記の天地創造とイザナキとイザナミ二神の国産み神話が、第六帖より書記されています。第六帖の書き出しは、『あめつちのとき』と簡略化されていて、ひじょうに短いのです。しかし、其の前のひつく神示の第一巻から第五巻までの巻名が、『あめつちのとき』(天地の時)の天地創造の象意を現していると思います。

 天地初発の混沌としている時期に、ほのかな、きざしが、あらわれました。

 第一巻 『上つ巻』(うへつまき)=軽いものは、「上」にのぼり、

 第二巻 『下つ巻』四百(シモ)つまき)=重いものは、「下」にくだり、

 第三巻 『富士(不二)の巻』二二(フジ)のまき)=二つの動きに分かれ、「不二」となった。

 第四巻 『天つ巻』(あ()つまき)=軽く澄み易いので、先に上方で、「天」と成りました。

 第五巻 『地つ巻』九二(クニ)つまき)=重く濁り固まりにくいので、後に下方で、「地」と成りました。

 第六巻 『日月の巻』(ひつ()のまキ)は、日の巻と月の巻を合わせたものです。すなわち、太陽と月の発生を示しています。昭和19年10月17日(旧暦9月1日●新月)よりはじまります。●新月は、旧暦の月の初日にあたり、日と月が合しています。

 またこの日の始まりの午前0時は、甲申年、甲戌月、甲寅日、甲子刻があたります。(きのえ)は、十の天干の『(きのえ)(きのと)(ひのえ)(ひのと)(つちのえ)(つちのと)(かのえ)(かのと)(みずのえ)(みずのと)』の一番最初にあたります。新月と(きのえ)の重なりは、初発を示しています。(きのえ)の字の意味は、種の殻を付けたまま地面から出でくる植物の最初の発芽の型です。年月日時の四つの天干が、(きのえ)になりますのは、10年のうちに1年の中の1ヶ月間に3日間あります。さらにその3日間が、●新月の旧暦の月の初日(約29分の1)にあたるのは、(約29分の3)で約10パーセントです。100年に1日間が有るか無いかくらいの確率なのです。

 第六巻 『日月の巻』は、「盤古大神は、死んで、左目は太陽、右目は月と成った。」ということで、日と月の発生を示しています。日本の記紀の神話では、黄泉の国から帰って来たイザナキ大神が、橘之(たちばなの)小門(おどの)阿波岐原(あはきはら)で汚れを禊ぎ払いをした後に左目を洗い太陽(アマテラス大神)、右目を洗い月(ツクヨミノミコト)と成ったとしています。

 第七巻 『日の出の巻』()()のまき)は、昭和19年12月1日より始ります。旧暦では、10月16日であり、○満月の翌日に当たります。巻名どおり、昭和19年12月1日の『日の出』の時刻には、東には、昇りゆく太陽が見え、西には、沈み行くほぼ満月に近い丸い月が見えたはずです。つまり、○満月の翌日の朝の『日の出』の時刻には、太陽と月が地上を相照らす最も明るい状態なのです。

 第八巻 『磐戸の巻』(イ()トノまき)の伝達期間は、始めが昭和19年新暦12月30日から終りが昭和20年の旧暦11月30日までです。昭和19年12月30日の始まり午前0時は、○満月の月蝕始まりの翌日に当たり前日の夜から起きた月蝕が続いておりましたので、月が隠れたままの暗い状態です。昭和19年旧暦11月30日となっていますが、新暦では、昭和20年1月14日の事です。

 この日は、日本からは、見えませんでしたが、南半球では、日食が、観測されました。現行暦では旧暦11月30日は無く、旧暦11月29日までです。新暦で昭和20年1月14日の神示上の旧暦11月30日は、旧暦12月1日にあたります。あえて、神示上で旧暦11月30日と表記されたのは、太陽が隠れ暗い状態を示したかったのです。

 第八巻 『磐戸の巻』は、第七巻 『日の出の巻』とは対照的に、磐戸が閉じられて太陽と月が隠れた最も暗い状態を示していると思います。

 第九巻 『キの巻』(キノ()キ)キの御用。火にも通じます。キの御用とは、キ(気)とは精神を養う御用の事か。

 第十巻 『水の巻』(ミズ)()キ)ミの御用。水にも通じます。ミの御用とは、ミ(身)とは身体を養う御用の事か。

 第十一巻 『松の巻』()つの()キ)=松を木の(キミ)という。キミの御用。火水の御用。精神的キの御用と、身体的ミの御用の両方が調和した状態を松心と言うのだろうか。この三つの巻は、閉じた磐戸を開くためにキの御用、ミの御用、キミの御用、が必要であると解説したものであると思います。

 第十二巻 『夜明けの巻』()アけの()キ)=これは、磐戸が開けた状態です。天の岩戸開き。本文中にも、岩戸明けたりと何度も出てきます。夜明けの巻の最後の14帖の図形は、これを表現したものであると思います。

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参考文献

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