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夫婦神

岩戸閉めの始めはの時であるぞ
此の夫婦~が時巡り来てびきの岩戸を開かれて
あい抱き給う時節来たのであるぞ
同じ名の~が到る所に現はれて来るのざぞ
此の二つが揃うて三つとなるのぞ
三が道ぞと知らせてあろうがな
『碧玉の巻』 第十帖

目次


 伊邪那岐神と伊邪那美神の別離2013/ 3/16

1別天神 / 神世七代2013/ 3/22
2天神の神勅 / 修理固成2013/ 4/14
3国生み / 天の御柱2013/ 4/23
4島生み / 神生み2013/ 4/28
5黄泉国 / 千引の岩戸閉め2013/ 5/12
6数霊の五十 / 五十九柱の神2013/11/17
7百の神 / 病治しの神2013/ 5/29
8同じ名の神 / 二十マニ2013/ 7/ 4

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更新履歴

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伊邪那岐神と伊邪那美神の別離

 大本系統のしんには「岩戸を閉める」という言葉が繰り返し登場します。これは主に“間違った選択”の意味で使われており、現在の世界が神の心に沿わなくなった直接的な原因とされています。そして、それらの選択を正しい方向性で遣り直して神の心に沿う世界にすることが“岩戸開き”です。

 日月神示によると、一種の分岐点である“岩戸閉め”は大別して“五度”あったそうです。

「岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ」 『日の出の巻』 第一帖 [214]

「今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸しめざから見当とれん、臣民に判らんのは無理ないなれど、それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのざぞ」 『磐戸の巻』 第十八帖 [254]

「五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、生れ赤児の心で読めと申してあらうがな」 『岩の巻』 第五帖 [370]

「日本の上に立つ者に外国の教 伝へて外国魂に致したのは今に始まった事ではないぞ、外国の性根 入れたのが岩戸閉めであるぞ、五度ざぞ、判りたか。それを元に戻すのであるから今度の御用 中々であるぞ」 『梅の巻』 第十一帖 [438]

「日本のやり方 違って居たと云ふこと、五度違ったと云ふ事 判って来ねば、日本の光 出ないぞ。〔中略〕 これまでの日本のやり方 悪いから、神が時々、神がかりて知らしてやったであらうが、気付けてやったが気の付く臣民ほとんどないから、今度五度の岩戸一度に開いて びっくり箱開いて、天晴れ神々様に御目にかけ申すぞ、お喜び載くのぢゃ」 『梅の巻』 第二十四帖 [451]

「だました岩戸からは だました神が出て、ウソの世となったのぢゃ、この道理 判るであろう、ニセ神やら、だました神やら、次々に五度の岩戸閉めと申してあろが」 『海の巻』 第十一帖 [503]

「今度の岩戸びらきは五度の岩戸しめを一度にひらくのであるから、人民には中々に理解出来んことに、折り重なってくるから、何事も神の申す通りハイハイと素直にきくのが一等であるぞ」 『碧玉の巻』 第九帖 [873]

 この五度の岩戸閉めの中で最も言及が多く、実質的に“予言の眼目”になっているのが、一度目の岩戸閉めである【のかみのかみべつ】です。


 そして、日月神示では“岩戸の概念”の主要な部分が伊邪那岐神と伊邪那美神の“夫婦神の物語”として描写され、そこから神経綸への理解が進むことが、両神の別名でもあるかむのみことかむのみことの名を使って説かれています。

かむかむみこと 忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ」 『地つ巻』 第七帖 [144]

 上の記述は三元的な“統合と分離のはたらきの側面もありますが、伊邪那岐神と伊邪那美神の意味で受け止めても奥深い意味をいだすことができます。また、夫婦神が司るはたらきかずたまは、立替え立直しや岩戸開きや時節の“概念的な背景”であり、結果として、

時節論はの物語に集約されます。

 これらは一種のじつげつろんであり、夫婦神が司るものを詳細に検討すれば、神示の内容の多くは筋道を立てて読み解くことができます。

 こういった点から推察できるように、“神話”は単なるとぎばなしではありません。

神の計画こころ“神の物語”に示されているのです。

 それもあってか、日月神示は“神の智”を頼ることの大切さを繰り返しています。

「ミタマ磨きと申すのは、神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、肉体心すてて了ふて、神の申す通りそむかん様にすることぞ。学や智を力と頼むうちはミタマは磨けんのざ。学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智ざと云ふこと判らんか、今度の岩戸開きはミタマから、根本からかへてゆくのざから、中々であるぞ」 『磐戸の巻』 第十六帖 [252]

「神の智と学の智とは始は紙一重であるが、先に行く程ンプ出来て来て天地の差となるぞ」 『雨の巻』 第九帖 [343] 「ンプ」とは「運否うんぷ」のことです)

「科学科学と人民申してゐるが人民の科学では何も出来ん、乱すばかりぢゃ、神に尋ねて神の科学でないと何も成就せんぞ、分らなくなったら神に尋ねと申してあること忘れるなよ」 『梅の巻』 第十五帖 [442]

「人民の研究もよいなれど研究は神ぞ、道にひたすら仕へまつれよ、おろがめよ、研究では誠のことは分らんのぢゃ、我折りて判らんことは神の申すこと聞くのぢゃ、分らんでも聞いて下されよ、悪い様には致さんぞ。まつりまつりとくどう申してあらう、我捨てておろがめば神のキ通じて何でも分って来るのぢゃぞ」 『梅の巻』 第十六帖 [443]

「神から伸びた智と愛でないと、人民の智や学や愛はすぐペシャンコ。やりてみよれ。根なし草には実は結ばんぞ」 『黄金の巻』 第六十四帖 [575]

其方そなたは学に囚われて御座るぞ。科学を越えて神の学に生きて下されよ」 『月光の巻』 第三十四帖 [821]

 上記の内容は以下のように要約できます。

「神から考える」

 これは日月神示を学ぶ上での一つの指針となる考え方と言えます。何故なら、物事の本質は外や末ではなく、内や元にあるからです。それ故、“結果”である人間の世界を正しく見つめるためにも、“原因”である神霊の世界を見据えることが重視されています。

がよろこびであるぞ。またはムでもあるぞ。内から外に向って行くのがのやり方、外から内に向って行くのが、がいこくのやりかた。からに行くのは、マコトが逆であるから、マコトのことは判らん。外から行く宗教や哲学や科学が元を判らなくしてゐるのぢゃ。元わからんで生きのいのちの判る筈ないぞ。今の世は逆様ぢゃ。先祖から正せよ。原因から正して行かなならんぞ」 『夏の巻』 第二帖 [719]

「神が主であり人民が従であると申してあろう。これを逆にしたから世が乱れてゐるのぞ。結果あって原因あるのでないぞ」 『秋の巻』 第二十三帖 [764]

 その上で、天之日津久神様は原因と結果をで説いています。これは日月神示の三千世界論である“歓喜の宇宙観”にも通じる話です。

「人民は原因と結果と申してあるが その元はよろこびであるぞ。よろこびは目的ぞ。目的あつて原因つくり、原因出来て結果生れるのざ、何事もよろこびからぞ。結果から又よろこび生れるぞ、この道理わかれば何事もありやか」 『秋の巻』 第八帖 [749] 昭和二十七年版)

 上の帖ではげんいんとしての“目的”について言及されており、ここから以下の問い掛けに話が通じて行きます。

日月神示あめのひつくのかみの目的は何か?」

 無論、天之日津久神様の目的は宇宙の根本的な目的である“歓喜の増大”、いわゆるいやさかなのですが、それを踏まえた上で、結果から原因へ、原因から目的へ、目的から“神の歓喜こころへと迫ることにより、物事の本質や真相と呼び得る部分に近付くことができるはずです。日月神示の場合、そのためのみちしるべとして用意されているのが、夫婦神の物語であり“神話”と言えます。

 恐らく、神話の中の神々の姿から“神の意向こころを学ぼうとしてこそ、本当の意味で神々様に喜んで頂けるのではないでしょうか。本論では そういったことを見て行きたいと思います。

 第一章では伊邪那岐神と伊邪那美神に到るまでの【別天神】と【神世七代】の流れを追います。

 第二章では【天神の神勅】と【修理固成】の内容を“対なるもの”の概念と共に論じます。

 第三章では【国生み】と【天の御柱】の逸話から“三界の構造”や夫婦神の軌道うごきの意味を考察します。

 第四章では【島生み】や【神生み】で生まれた神々について取り上げます。

 第五章では【黄泉国】と【千引の岩戸閉め】の物語から“一度目の岩戸閉め”を詳述します。

 第六章では創世神話に隠された数霊を【数霊の五十】と【五十九柱の神】から浮き彫りにします。

 第七章では意富加牟豆美神の姿を【百の神】及び【病治しの神】としての側面から考えます。

 第八章では【同じ名の神】の概念が“岩戸開きの鍵”として【二十マニ】と絡み合っていることに触れます。

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別天神 / 神世七代

 古事記では、造化三神にのかみあめとこたちのかみを加えた五柱の神が【ことあまつかみ】と呼ばれており、非常に特別な神格に位置付けられています。また、その次に化生したくにとこたちのかみとよくものかみの二柱の神と、更に次に化生した五組十柱の神々が【かみなな】と呼ばれます。

 五柱の別天神と次の二柱の神ははいぐうとなる存在を持たないひとりがみです。逆に五組十柱の神々は配偶となる存在を持つたいぐうしんなので、古事記の注釈では一組で一柱として数えるように指示されています。そのため、国之常立神からの十二柱は合計で七代になります。そして、この神世七代の最後の一組が、日月神示の時節や数霊や神話の中核となるのかみのかみです。

 の別天神と神世七代は古事記の内容を踏襲しており、参考として以下に一覧を掲載します。

 この“十七柱の神霊”は日月神示で概念的な側面から言及されており、主に数霊的な説明が加えられています。ただし、国常立神と伊邪那岐神と伊邪那美神に限っては擬人化された逸話も多いです。また、古事記との呼称には“カミ”“ミコト”“尊称無し”の違いがありますが、その理由については第二章と第八章で天神あまつかみと一緒に解釈を試みます。

 それと、細かい話になりますが、日月神示の創世神話の“神霊の化生を描写する単語”は古事記と比べても表現が豊かであり、る、む、れる、いきるなどの言葉を明確に区別している模様です。

 なお、本章では造化三神の次から伊邪那岐神と伊邪那美神に至るまでの流れを追って行きますが、あくまでも幾つかの解釈の中で有力そうなものに過ぎないことに御注意ください。


 最初に、造化三神の次に化生したのかみを取り上げます。

つぎ~のかみ(4)みことりてたまひき」 『日月の巻』 第八帖 [181]

 古事記の一般的な解釈では、この御神名はいまだ天地が定まらない「とき」において、「何らかのきざしがあしかびの如く萌え出づる様子を神格化した御神名」とするのが通説です。ちなみに、葦牙とは植物の芽のことです。

 それと、日本書紀の研究書の一つには「日本の古伝承に葦牙が萌え出てものざねになったとある」とも書かれています。物実とはものたねという意味の古語で、現代風に言えばコアになります。

 しかし、日月神示では神名の言霊的な意味よりも“十音”であることが強調されています。

「ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨヘルであり、タテの動きがウマシアシカビヒコヂであるぞ、十と十と交わり和して百となり九十九とはたらくのぞ」 『紫金の巻』 第十二帖 [991] 第一仮訳の原文に準拠)

 ここでは神格化されていないクラゲナスタダヨヘルとウマシアシカビヒコヂが同列に扱われており、状態に変化が生じることよりも「対等なはたらきが掛け合わさる」という側面が強調されています。また、数霊の部分は“創世神話の神の総数”と関連する可能性があります。

 日月神示の創世神話の原文でカミの尊称で呼ばれているのは、伊邪那岐神と伊邪那美神の他には宇麻志阿斯訶備比古遅神だけなので、想像以上に重要な用を有する神霊かもしれません。

 古事記では造化三神と宇麻志阿斯訶備比古遅神と天之常立神がことあまつかみと呼ばれる別格的な神々です。そして、日月神示では造化三神が概念的な存在として描写されているように、別天神も数霊的な“五”の概念の方に重点が置かれており、岡本天明氏の「れいの中に五がある」という数霊論に関係します。

「根本の元の元の元の神は〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ、ことあまかみ五柱と申してあろうがな、五が天であるぞ。五は数であるぞ」 『至恩の巻』 第七帖 [954] この帖の後半部分は後で引用します)

「天は三であり、地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節 到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、ミトノマグハイして五となるのであるぞ、五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ」 『扶桑の巻』 第一帖 [850]

「神のおんのまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現れるのであるぞ、おおは百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、光の中に百億のぶつぢゃと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ、今迄は四のいきものと知らせてありたが、岩戸がひらけて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ」 『扶桑の巻』 第十四帖 [863]

「今迄は四本指八本指で物事をはかって誤りなかったのであるが、岩戸が明けたから親指が現れて五本十本となったのぢゃ、このことよくわきまへよ」 『星座の巻』 第十五帖 [898]

「元は5で固めたのぢゃ、天のあり方、天なる父は5であるぞ。それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰って世界の難ぢうであるぞ。手や足の指は何故に5本であるか、誰にも判るまいがな」 『極めの巻』 第八帖 [935]

「天の5を地にうつすと地の五則となるのぢゃ、天の大神は指を折りて数へ給ふたのであるぞ、天の大神の指も五本であるから、それを五度折りて二十五有法となされ、五十をもととされたのぢゃ、〔中略〕 その中に〇があるのぢゃ、大神がましますのぢゃ、人民の頭では中々に理解出来んなれど、理解して下されよ。これが妙であるぞ、奇であるぞ、天の父の教であり、地にうつした姿であるぞ」 『極めの巻』 第九帖 [936]

 これらの記述からは「がみが五柱だから宇宙の雛型である人間の指は五本なのである」という風に読み取れます。なお、人間の一本と四本の指の数は神経綸や日月神示の宇宙観とのですが、ここでは詳細を割愛します。

 それと、すぐ後で引用する『地震の巻』第十九帖には「総体の統治神はとして現れる」的なことが書かれているので、日本語の五つのいんも別天神の現れの一つなのかもしれません。似た内容の記述は他にもあります。

「アとオとウとは天人のコトバ、アとエとイは天使のコトバ、人民に与へられた元のコトバであるぞ、五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ十柱のみこと交わって五十神と現はれるのぢゃ。故に五十神の中の三十二神は新しく生れるのぢゃ、更に二十七神とはたらき又二十五有法とはたらくぞ」 『星座の巻』 第二十二帖 [905]

 この中の「五柱の元つ太神が十柱の夫婦神として現われる」という部分は幾つかの解釈が成り立つのですが、その一つを本章の後半で論じ、別の一つは第六章で“五十音”と一緒に論じます。

 次にあめとこたちのかみについてですが、日月神示の創世神話は古事記と違って、直後に化生した国常立神や豊雲野神の方とひとくくりにする書き方になっています。

つぎあめとこたちのみこと(5)つぎくにとこたちのみこと(6)つぎとよくものみこと(7)りてたまひ、みこと みきりたまひき」 『日月の巻』 第十帖 [183]

 一般的に天之常立神は「天が永遠であること」を表す御神名と言われます。ただ、個別的な逸話は特に伝わっていません。旧事本紀に天之御中主神と同神とする説が見られるくらいでしょうか。

 そのためなのか、天之常立神は大本系統のしんには余り登場しません。日月神示では『夜明けの巻』第三帖の補帖に「アメの十九千か三」と出て来る程度です。これは当時の信奉者へのまもりとして色々な御神名が自動書記されたふだのことであり、このことを述べているのが次の記述です。

「あめのひつ九のかミの御神名 書かすぞ、それを皆の者に分けてやれよ」 『日の出の巻』 第十帖 [223]

「書かしてある御神名は御神体として祭りてもよく、お肌守としてもよいぞ、皆に多く分けてやれよ。御神名いくらでも書かすぞ」 『水の巻』 第三帖 [277]

「守りは供へてから皆に下げて取らせよ」 『夜明けの巻』 第八帖 [328]

 ちなみに、天之常立神の御守の札は五枚書かれたそうです。

 次に天之常立神と名称的についになっているくにとこたちのかみについてですが、この神霊は語るべき内容が多過ぎて別個にまとめる必要があるので、本論では敢えて触れません。

 次にとよくものかみを説明します。この神霊は記紀では殆ど言及がありませんが、大本系統では国常立神の妻神であると言われ、方位学でのうらもんに鎮座するひつじさるこんじんと同一視されています。その辺りの詳細は出口王仁三郎に降りた『太古の神の因縁』に詳しいです。

 日月神示には大本神示のように“国常立神の妻神”と明言した箇所はありません。ですが、豊雲野神の名は全て国常立神と一緒に登場するので、基本的には大本神示の主張を受け継いでいるはずです。

「奥の富士に国常立大神、豊雲野大神 祀る日 近うなりたぞ」 『夜明けの巻』 第九帖 [329]

「愈々の大建替は国常立の大神様、豊雲野の大神様、金の神様、竜宮の乙姫様、先づ御活動ぞ。キリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒の神様なり、次に地震の神様となるのざぞ」 『風の巻』 第三帖 [354]

「ウシトラコンジンサマ、ヒツジサルのコンジンサマ 『春の巻』 第二十九帖 [686] 昭和二十七年版)

「──うしとらこんじん様、──ひつじさるこんじん様──」 『春の巻』 第六十帖 [717] 昭和二十七年版)

「身体中、がねに光ってゐるのが国常立大神の、ある活動の時の御姿ぞ、しろがねは豊雲野大神であるぞ」 『星座の巻』 第四帖 [887]

 なお、古事記では“男女”という“対偶性”を具備したのは神世七代の五組十柱の神霊からとしているので、豊雲野神を神とする大本系統の説とはがあります。また、日本書紀の「とよくむのみこと」も明確に男神であると述べられています。

 ちなみに、日月神示によれば「国常立神と豊雲野神が別天神と対偶神を繋ぐ役割を果たしている」とのことですが、これは本章の中で後述します。

 次に“別天神の定義”について触れてみます。以下の引用は、豊雲野神の化生と五組十柱の対偶神の化生の間に挿入された記述です。

はしらいつはしらななはしらことあまつ~かみ 『日月の巻』 第十二帖 [185] 「別天~」の原文は「九十アまつ」であり、基本的に全ての別天~はカミであるようです)

 日月神示では古事記にならって最初の五柱を別天神と呼ぶ記述もありますが、創世神話では豊雲野神までの七柱を別天神に数えるような書き方です。

 七柱の神霊は古事記で「かくれ」と表現されるのですが、日月神示では「みきり」の言葉が使われています。そのことから、造化三神のように“概念的な存在”としての側面が強い可能性も考えられます。ただし、宇麻志阿斯訶備比古遅神だけは隠身すみきりの描写がありません。これは何らかの意味があるのか、それとも省略されただけなのかは不明です。

 そして、引用した記述では“三柱/五柱/七柱”が強調されています。これらは造化神、別天神柱、隠身柱という括りで区切ったものです。ただし、七柱は隠身すみきりになった神々のことではなく、神世代を指す可能性もあります。

 ともあれ、この区切りは或る種の“天地の波長”“神の息吹”になっているらしく、日月神示では特定の祝詞を“三五七の韻律リズムるように指示しています。

祝詞のりとするときは、神の息に合はしてれよ、神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。しまひだけふし長くよめよ、それを三たびよみて宣りあげよ。天津祝詞の神ともこの方 申すぞ」 『下つ巻』 第七帖 [49]

「シメは当分造りめぐらしてもよいぞ。今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから、シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ。七五三は逆ざぞ。三五七ざぞ。天地のいぶきぞ。波の律ぞ。風の律ぞ。神々様のおんいぶきのなみざぞ」 『夜明けの巻』 第十帖 [330]

「又これら霊人の言葉は天的の韻律をもってゐる、則ち愛を主とするものは五七七律を、真を主とするものは三五七律を主としてゐるが、その補助律としては千変万化である。言葉の韻律は地上人が肉体の五体をもってゐる如く、その完全、弥栄を示すものであって、律の不安定、不完全なものは正しき力を発輝し得ず、生命力がないのである」 『地震の巻』 第十一帖 [388] 第一仮訳。「発輝」は誤記ではない可能性があるので訂正しませんでした)

「天国では このをスの神と敬称し歓喜の根元を為してゐる。スの神はアの神と現はれ給ひ、オとウとひらき給ひ、続いてエとイと動き現はれ給ふのである。これが総体の統治神である。三神であり二神であり一神である。又 オウは愛でありエイは真である。これら天国の組織は人体の組織と対応し、天国の一切の事象と運行とは人体のそれに対応してゐる。オ、ウなる愛は曲線であり、心臓である。エ、イなる真は直線であり、肺臓に対応して三五七と脈うち、呼吸してゐるのである」 『地震の巻』 第十九帖 [396] 第一仮訳)

〔前略〕 夜は同じ様にして ひふみ祝詞の代りに いろは祝詞のれよ。三五七に切りて手打ちながら ひふみ祝詞と同じ様にのりて結構ぞ」 『空の巻』 第十三帖 [468]

は三五七ぞ、三のから三五の、三五七のと、やがてはなるのであるぞ」 『黒鉄の巻』 第二十一帖 [639] 昭和二十六年版)

 それと、韻律リズムとは少し違うようですが、他にも三五七を語る記述があります。

「三五七々々々と申すが本来は二四六であるぞ、二四六は科学ぞ、三五七は宗教ぞ、火ぞ、科学に入れると宗教となるのぢや、は数、数字にすると一であるぞ」 『秋の巻』 第二十帖 [761] 昭和二十七年版)

 こういった記述によると、根元的な神々の姿を全体の活動を規定する一種の原則リズムとして盛り込むことによって、祝詞に更に強い力を与えられる模様です。これはことばではなくリズムの方が隠身すみきりの表現として相応ふさわしい」という意味合いがあるのかもしれません。

 次に“五組十柱の対偶神”を考察します。

つぎ(8)つぎいも(9)つぎつぬぐひ(10)つぎいもいくひぐ(11)つぎ(12)つぎいもおほ(13)つぎ(14)つぎいも(15)みことり、いきいきて いきたまひき。つぎ~のかみ(16)~のかみ(17)ましましき」 『日月の巻』 第十二帖 [185] 「妹活杙」の原文の「一百一九一九」は原文Uと原文Wに基づいており、訓み方も原文に準じました)

 この中で御神名の先頭に付いている「妹」は、男性側から見た妻や姉妹を意味する古語であり、直前の神の“配偶の存在”であることを示しています。しかし、日月神示では伊邪那美神にだけ「妹」が付いていません。その理由は第八章で解説しますが、別の箇所では伊邪那美神を「妹」と呼んでいるので、特に問題視する必要は無いと思われます。

 なお、四組八柱と違って、伊邪那岐神と伊邪那美神の間が「次」という言葉で区切られていないことには意図があるのかもしれません。それを論じるために、日月神示の“男女観”の一節を引用します。

「男から女は生れんぞ、奇数から偶数は生れんと申してあろうが、一つのものの表が男であるぞ、裏が女であるぞ、男から女をつくったと申すのは或る時期に於ける教ぢゃ、岩戸がひらけたのであるから教へではならん」 『碧玉の巻』 第七帖 [871]

 上の記述は旧約聖書の「アダムの肋骨からイブが生み出された」という逸話を念頭に置いて書かれています。逆に現在の生物学では「女から男が分化した」と唱える学説もありますが、天之日津久神様によれば、男と女はらしく、あとさきを論じることには意味が無いように見えます。その辺りの内容を表現するために、日月神示の創世神話ではイザナギイザナミの間に、区切りの言葉である「次」が挿入されていない可能性が考えられます。

 そして、男女という対偶性の先駆けに見える四組八柱の神霊は記紀に目立った逸話が無く、実体が極めて不明瞭です。それに関連しているのか、日月神示の創世神話でも「神」や「尊」の尊称がありません。一応、漢字の意味や言霊的な側面からの解釈が試みられていますが、定説と呼び得るものは出ていません。その他の話としては「対偶神ではあるが伊邪那岐神と伊邪那美神のような完成された域にまでは達しなかった」という説があります。

 そういった説と関係があるのかは判りませんが、日月神示では四組八柱の化生が「いきいきていき給ひき」と描写されています。これは熱くなる「いきる」や、力を込める「いきむ」と似た意味だと思われます。恐らくは「活力が高まる」「光や熱を帯びる」などの意味であり、伊邪那岐神と伊邪那美神という“完全体”が出現するためのいしずえになったと解釈することが可能です。

 この場合、四組八柱の神霊は伊邪那岐神と伊邪那美神を構成する不可欠の因子ファクターとして、今も夫婦神の中に息づいているのかもしれません。そう考えることにより、日月神示での四組八柱の御名に「神」や「尊」の尊称が付いていないことを、一応は説明できるでしょうか。

 以上の説と意味的に似たようなことは、岡本天明氏が『古事記数霊解序説』の中で述べています。

「更に尚 附記しておきたいことは、天之御中主と高御産巣日、神産巣日の場合は、他の神々の場合の如く「次にませる」のではなく、「」であります。故にこそ、「この三神」であり、三神一体のあり方を示してゐるものと云ふべきでありましょう。即ち三角の一線の如き関係と云ふべきものであります。又 次の二神は前にも一寸ふれた如く「成りませる」神であって、成るとは生むのではなくので、例へば子供が大人に、木に実がのナルでありまして、天之御中主と云ふ(神、用、ミコト)は このナルの動きにより弥栄し、ナリ、ナリてナリの果てに、イザナギ、イザナミの神となられて天神(れい神、数神)としての一応の完成をみたわけであります。このことは数霊的にも言霊的にも根本的なことであるから、重ねて申し述べたわけであります」 『古事記数霊解序説』 第五章 昭和三十七年版。昭和四十七年版では第六章)

 上記の内容を要約してみます。

「天之御中主神から伊邪那美神までは一柱の神のである」

 同様の見方は日月神示にもあります。

「人民の肉体も心も天地も皆同じものから同じ想念によって生れたのであるぞ。故に同じ型、同じさがをもっているぞ、そのかみの天津神はイザナギ、イザナミの神と現われまし、成り成りの成りのはてにイザナギ、イザナミの命となり給ひて、〔後略〕 『至恩の巻』 第五帖 [952]

 上の引用の「そのかみの天津神」は万物のに位置する存在であり、天之御中主神から伊邪那美神までの十七柱を指す可能性が高いと思われます。そのためなのか、造化三神から始まったの結晶的な存在として、夫婦神は“絶対的な存在”されています。

「絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が 〔後略〕 『碧玉の巻』 第十帖 [874]

 この点と、上述の三柱、五柱、七柱の区分が“重複した数え方”であることを考え合わせると、十七柱の神は「一つの存在として状態を段階的に変化させながら、各々の段階の状態でも活動する」という風に、物質世界の時間の観念では想像し難い形で活躍しているようです。これは“一神即多神即汎神”の神観にも通じる話です。

 また、成長や進化の視点で見れば、最後の段階が或る種の“完全体”とも言えます。日月神示や大本神示でミロクの大神であるつきの大神”と伊邪那美神であるつきの大神”を判別しにくい場合があるのは、その辺りにも理由を求められるかもしれません。

 更に、五組十柱の対偶神だけを抜き出して考えるならば、ナギナミ組目で完成したとも言えます。こういった「区切りの最後の存在を重視する」という考え方は、のかみなるのかみの位置付けにも見受けられます。

 余談ですが、以上の十七段階の考え方は日月神示の時節にも関連しています。それと言うのも、神経綸が進展する日付には“十七”の数字が深く関わるからです。恐らく、

時節の十七はあまつかみの十七段階”を模しているのでしょう。

 他にも、十七は“平面群の17種類パターンのような何らかの数理的な意味を持つ可能性が考えられます。平面群はまん絨毯じゅうたんの模様を例に挙げると判り易いです。平面上で対称性シンメトリーを備えた模様パターンは17が上限なのです。

 以上の考察を踏まえて、十七柱の神を一体と見る視点を少しだけ補完する内容を付記します。そのために、前出の“五柱の別天神”について解説された記述を、後半部分を加えて再び引用します。

「根本の元の元の元の神は〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ、ことあまかみ五柱と申してあろうがな、五が天であるぞ。五は数であるぞ、転じて十となるなれど、動き栄へるにはの神が現われねばならん、これが中を取り持つ二柱の神ぞ」 『至恩の巻』 第七帖 [954]

 詳細は岡本天明氏が『古事記数霊解序説』の第八章や第二十二章で幾つかの図を使って説明していますが、「別天神は国常立神と豊雲野神を通して対偶神として現れる」という意味であるそうです。より簡単に言うと「5×2=10」です。

 つまり、かくれとして別天神と同じ区分カテゴリーに属し、“神世七代”として対偶神と同じ区分カテゴリーに属する国常立神と豊雲野神は、双方を繋ぐはたらきを有するとのことです。

 この場合、表層的かつ直接的に現れるのは五組十柱の対偶神だけです。それで天之御中主神から豊雲野神までがすみきりなのかもしれませんし、日月神示で国常立神と豊雲野神が別天神に含まれるような数え方になっているとも考えられます。

 その上で「五組十柱の対偶神は別天神であり国常立神であり豊雲野神であり十七柱は一体の存在である」と伝えたいように見えるのです。

 なお、天之日津久神様や岡本天明氏は、国常立神と豊雲野神の役割を プラスマイナス を使って解説しているのですが、本章では便宜的にを当て嵌めています。その理由は、ムとウが“数霊のれいと深い関係にあるからであり、れいと五や十との関連性を論じるのに都合が良いからです。例えば、日月神示には以下の記述が見られます。

「一はいくら集めても一ぢゃ。二も三も四も五も同様ぞ。〇にかえり、〇によって結ばれるのぢゃ。〇がムスビぞ。弥栄ぞ。喜びぞ」 『月光の巻』 第十帖 [797]

 他にも、岡本天明氏がれいと翻訳した箇所があります。

「〇一二三四五六七八九十百千万歳万歳」 『紫金の巻』 第一帖 [980]

一二三曰五六七八九十百千バン 『紫金の巻』 第一帖 [980] 原文X)

 これは「国常立神と豊雲野神が別天神と対偶神を繋いでいる」という記述や、「れいの中に五がある」という天明氏の主張や、天之日津久神様が“ムの神”“ウの神”であることと繋がっています。

「アメのひつ九のか三とはアメの一二の神で御座るぞ、〔中略〕 元神で御座るぞ、ムの神ぞ、ウの神ぞ、〔後略〕 『雨の巻』 第七帖 [341]

 上述の話は「国常立神と豊雲野神が対偶神ではないのに対偶神に扱われる場合がある」という大本系統での主張の背景を説明するのに、多少なりとも役立つかもしれません。

 その上で、以上の十七柱の神霊の在り方は、の第一巻から第十二巻の“巻名と巻数の背景”らしいのです。それを解説するために、第十二巻までが“特別な区分”であることを明言した記述を引用します。

「此の巻 夜明けの巻とせよ。この十二の巻よく腹に入れておけば何でも判るぞ。無事に峠 越せるぞ」 『夜明けの巻』 第十三帖 [333]

「天の日津久の大神のおであるぞ、特にお許しもろて書きしらすぞ。十二の巻 説いて知らすのであるぞ、此の巻アメの巻と申せよ」 『雨の巻』 第一帖 [335]

「次は十二の巻の中からよきに抜きてとうしゃよいぞ」 『光の巻』 第一帖 [397]

「今にいろいろ身魂集まって来るから十二の巻も申し付けてある様にちゃんとしておいて下されよ」 『梅の巻』 第一帖 [428]

 この“十二巻”という区分に、上述の考察に基づく対応関係を当て嵌めてみます。

 無論、各巻の巻名や巻数の内容が、厳密な意味で それぞれの神霊と対応するわけではありませんが、少なからず十七柱の在り方を意識した構成であるように見えるのです。

 また、日月神示の第一巻から第十二巻までの巻名が“天地の開闢から完成までの物語”になっていることは、以前から複数の研究者によって指摘されています。そこで、せんだつの方々の考察を参考にして、第一巻から第十二巻の巻名を物語調の文章にして、順番に説明して行きます。

 何ものとも言えない不二ひとつであったところに、天地や日月が現れて世界の日の出は じ ま りになりましたが、やがて磐戸が閉じられて暗闇になってしまいました。しかし、いずれは火と水によって修理固成つくりかためが再び行われ、改めて松が生えて夜明けを迎えるでしょう。

 第一巻『上つ巻』と第二巻『下つ巻』は、世界が天や地として現れることを推し進める概念イデアエネルギーのようなものが、始まりの前の段階で既に存在していたことを示しています。

 第三巻『不二の巻』は、世界が始まる前は全てがの状態であったことを伝えています。

 第四巻『天つ巻』と第五巻『地つ巻』は、一つであったが天と地に分かれたことを描写しています。この内容と第一巻や第二巻の巻名との関係は、「軽いものがうえになり重いものがしたになった」という日本書紀の冒頭の一節などが参考になります。同様の見解は日月神示にも見られます。

〔前略〕 あめしたは重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして 〔後略〕 『碧玉の巻』 第十帖 [874]

 第六巻『日月ひつくの巻』は、天地と共にじつげつが顕現したことを意味すると思われますが、を指す可能性も考えられます。

 第七巻『日の出の巻』は、伊邪那岐神と伊邪那美神の修理固成つくりかためによって世界が本格的にひらけて来たことを、「光が射す」という意味でしょこうに譬えてあります。

 第八巻『磐戸の巻』は、間違った選択である岩戸閉めによって世界に暗雲が立ち込め、光が弱くなって闇に向かう様子を描写していると思われます。

 第九巻『キの巻』と第十巻『水の巻』は、岩戸を開いて世界に光を取り戻すための計画であるの仕組”みずの仕組”を指す意味が強いようです。これは大本系統で重視されている“富士と鳴門の仕組”のことであり、みつの仕組は岩戸開きにも深く関わっています。

「火と水で岩戸開くぞ」 『天つ巻』 第四帖 [111]

「富士とは火の仕組ぞ、渦海とは水の仕組ぞ、今に分りて来るのぞ」 『天つ巻』 第三十帖 [137]

 第十一巻『松の巻』の意味については次の記述が判り易いです。

「火と水と組み組みて地が出来たのであるぞ、つちまんじゅうの上に初めに生えたのがマツであったぞ。マツはもとのキざぞ、松 植へよ、松 供へよ、松ひもろぎとせよ、松 玉串とせよ、松おせよ、も変らん松心となりて下されよ。松から色々な物 生み出されたのぞ、松の国と申してあろが」 『松の巻』 第十六帖 [307]

 この記述から考えると、松は“創始と発展の象徴シンボルであるようです。本章の内容に沿った表現を使うならあしかびでしょうか。

 また、正月のかどまつに見られるように、松は“神のよりの代表格であり、一般的に“最上級”の意味を併せ持ちます。こういった背景に基づいて、大本系統ではミロクの世を“松の世”と呼びます。

「いよいよ松の世と成るぞ、まんごう変らぬ松の世と成るぞ。松の国 松の世 結構であるぞ」 『水の巻』 第五帖 [279]

「松の国 松の御代となるぞ」 『水の巻』 第九帖 [283]

「世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ」 『松の巻』 第一帖 [292]

「松 せよ、松おせば判らん病 直るのぢゃぞ、松心となれよ、も変らん松のみどりの松心、松の御国の御民 さちあれ」 『雨の巻』 第十四帖 [348]

 簡単に言うと、松の世とは「火と水で最上のに仕上げる」という意味なのでしょう。それは次の記述からも窺えます。

「火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、たたいたり、タテ、ヨコの洗礼なくてはめいとうは出来ん道理ぢゃ」 『黄金の巻』 第八十九帖 [600] 第一仮訳。「タテ、ヨコ」の原文は「十」です)

 そして、松の世への“仕上げ”が岩戸が閉じて闇になった世界の“夜明け”になります。これが第十二巻『夜明けの巻』の意味です。

 非常に簡単でしたが、日月神示の第一巻から第十二巻の巻名が“三千世界の生成化育の物語の要約ダイジェストであることが御理解いただけたと思います。

 余談ですが、上述の見方では十二の数が“六組十二柱の神霊”と対応します。これに関連する可能性がある“六組十二個の記号”が、第二十五巻『白銀の巻』第一帖に書かれています。以下の記号が根元的な神々と対応しているとまでは言えませんが、何らかの符合めいたものが感じられます。

「陰と陽、右と左、上と下、前と後、男と女と考へてゐるなれど、タカミムスヒとカミムスヒと考へてゐるなれど、別のミナカヌシ、現れるぞ。 よく見て下されよ、一であり、二であり、三であろうがな。三が道と申してあろう。陰陽二元でないぞ、三元ぞ、三つであるぞ」 『白銀の巻』 第一帖 [612] 原文U準拠。これらの記号は原文Uを基準にすると、昭和二十六年版、昭和三十八年版、第二仮訳の全てに誤植があります。記号は原書を謄写した原文Uの見た目に出来る限り合わせましたが、造形を概念的な部分から考えると、実際には“対称性”“組み合わせ”によって成り立つ記号群だと推測されます)

 話は変わりますが、以上の考察ができたのは、事前に論を進めて下さった先達の方々の労力にる部分が大きいです。この場を借りて改めて御礼を申し上げます。

 さて、本章では根元的な十七柱の神霊の姿と共に、三五七の韻律リズム、時節の節目、各巻の題名タイトルなどに触れましたが、こういった話から見えるように、

日月神示の内容は“神の物語すがた背景バックボーンとする例が非常に多いのです。

 で書かれていますが、その中でも特に神霊の姿から考えなければ、日月神示への理解を深めることは難しいと言えます。

 ただし、神から考えると言っても、は複数の解釈が並立する余地を残す書き方になっています。これは「どれだけの範囲をとして論じるかによって、個別的なは全く違う様相を呈する」という点に関わりがあります。日月神示の個々の記述は“前提となる範囲”が明言されておらず、ので、とにかく判りにくいのです。

 例えば、日月神示の“三柱/五柱/七柱”は造化神、別天神柱、神世代を指している可能性もありますし、伊邪那岐神と伊邪那美神より前の柱であるとの解釈も可能です。他にも“対偶性の始まり”はムとウ、高御産巣日神と神産巣日神、天之常立神と国常立神、国常立神と豊雲野神、四組八柱、伊邪那岐神と伊邪那美神など、更に多くの見方ができます。

 一柱の根元神が多くの神々として現れているように、あるいは一つの組織や一人の人間が幾つものを持つように、「神々の姿は常に多面的かつ重層的である」ということを念頭に置いて、以降の考察を読み進めて下さい。

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天神の神勅 / 修理固成

 造化三神、別天神、神世七代と続いた神々の化生は夫婦神の出現によって準備が整い、本格的に世界が形作られて行きます。その最初にあまつかみから伊邪那岐神と伊邪那美神に下されたのが【あまつかみしんちょく】です。これは“漂えるの【しゅせい】を命じる内容でした。

 一見すると、古事記と日月神示の天神の神勅は全く同じ内容に見えます。しかし、実際には非常に重大な意味を持つ差異があり、それが“予言の眼目”になっています。本章では その差異の内容をついなるもの”という概念や、フジナルトの仕組”と絡めながら考察します。


 日月神示の創世神話における“天神の神勅”は、古事記の言い回しを踏襲しつつも独自の内容が盛り込まれています。最大の特徴は伊邪那岐神と伊邪那美神に神勅が下された点です。

 まずは天神の神勅の“前半”を引用しますが、現在の訳文の誤植については本章の最後で言及します。

ここあまつかみ もろもろみこと もちて、のみこと イザナギノミコトに「これただよへるくに かたせ」とのりごちて、あめほこたまひてことさしたまひき」 『日月の巻』 第十七帖 [190] 沼矛の原文は「ヌほ」であり、伊邪那岐神も五組十柱の対偶神の番目です)

 今度は天神の神勅の“後半”を引用します。

つぎのみこと イザナミノミコトにあまほとたまひて、「ともただよへるくに かたせ」とことさしたまひき」 『日月の巻』 第十八帖 [191] 沼陰の原文は「ヌホ」であり、伊邪那美神も五組十柱の対偶神の番目です)

 そして、この天神の神勅こそが立替え立直しや岩戸開きのえんげんになっており、特に後半部分の神勅に極めて深い関連性が認められます。その内容を詳しく論じるために、天神の神勅に登場する重要な鍵言葉キーワードである、天神、漂える国、漂える九十国、修理固成、天の沼矛、天の沼陰を順に解説して行きます。

 最初にあまつかみについて説明しますが、ここでだけ夫婦神のの呼び方を区別します。

 伊邪那岐と伊邪那美に神勅を下した天神は、古事記の研究では五柱のことあまつかみと解釈される場合が最も多く、次に多いのが造化三神とする解釈です。

 一般的な日本語としてのあまつかみてんかみという非常に広い意味で使われる言葉であり、特定の神霊を指すことは殆ど無いです。日月神示でも同様なのですが、天神の神勅における天神と同じ意味で使われている箇所が一つだけあります。

「人民の肉体も心も天地も皆 同じものから同じ想念によって生れたのであるぞ。故に同じ型、同じさがをもっているぞ、そのかみの天津神はイザナギ、イザナミの神と現われまし、成り成りの成りのはてにイザナギ、イザナミの命となり給ひて、先づ国土をつくり固めんとして 〔後略〕 『至恩の巻』 第五帖 [952] 「そのの天津神」は文脈的に「そのの天津神」だと思われます)

 前章で触れたように、岡本天明氏は天之御中主神から伊邪那美の展開によって“天神の完成”が実現したと考えていました。上の帖も同様の認識を示しているように見えるので、日月神示の創世神話では伊邪那岐と伊邪那美も天神に含む可能性が高いです。

 この場合、完成した天神としての伊邪那岐と伊邪那美のは、以後に活躍する伊邪那岐と伊邪那美のとは別個の存在として区別されている可能性があり、上の引用でも そういった見方が成り立つ余地を残す書き方になっています。

 そして、古事記での伊邪那岐と伊邪那美は、天神の神勅からは基本的に伊邪那岐や伊邪那美と呼ばれます。古事記は日本書紀と違ってかみみことを明確に使い分けており、例外は僅かしかないと言われます。一貫してかみと呼ばれる天照大神のような例はあるものの、基本的には抽象的で観念的な存在をかみと呼び、擬人化された人格神的な存在をみことと呼んでいるそうです。なお、古事記の御神名の表記は一貫してであり、は使われていません。

 また、日本書紀は古事記と違って神とミコトは特に使い分けていない模様ですが、みことみことの使い分けに対する説明として、「特に貴いものはと呼び、他はと呼ぶ。これらは共にミコトと訓む」という注釈があります。それ故、日本書紀では根元的な神霊の多くがと表記されます。

 日月神示ではカミとミコトの使い分けは有っても、尊と命の使い分けは有るのか無いのか判りません。ただし、カミという独自の使い分けが見られます。の原文では巻が進むにつれて、はスやズの当て字として多用されて行きますが、初期の巻では「カミ」と訓ませる場合が大半であり、「」とは明確に使い分けられています。

 こういった点を踏まえた上で、古事記では一貫して“神”と称される天之御中主から阿夜訶志古泥までの存在が、日月神示の創世神話では“ミコト”と呼ばれる理由を考えてみます。そのために天神の神勅の冒頭部分を再び引用します。

ここあまつかみ もろもろみこと もち〔後略〕 『日月の巻』 第十七帖 [190] 古事記では「是に天神 諸の以て」ですが、ここでは後述の解釈によりの字を当てています。しかし、古事記にならうならの方が良いでしょう)

 上の部分のミコトは、古事記の研究でことみことのりとしての天神の言葉、つまり“上位者からの命令”と解釈されており、基本的には「天神一同の命令ことばにより」という意味です。

 日月神示も基本的に同じ意味なのでしょうが、少しだけ違った解釈をすることができます。簡単に言うと、「天神の神勅におけるミコトは命令ことばではなく、もちいられている」という可能性があるのです。この場合、天神の神勅は「天神がミコト一同の権能はたらきを用いて修理固成を進めるように命じた」の意味に解釈できます。

 逆に言えば、そのことを伝えるために、古事記ではと称される存在が、日月神示の創世神話ではと呼ばれているのかもしれません。

 次に、伊邪那岐神が修理固成すべき“漂える国”と、伊邪那美神が修理固成すべき“漂える国”について論じてみます。

 「漂える国」とは古事記に出て来る「くに」であり、一般的な解釈では世界が固定されていない状態を指します。この始源の状態を日月神示は“泥の海”“火と水”と表現しています。

「世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時から この世 初まってから生き通しの神々様の御働きでの世が来るのざぞ」 『地つ巻』 第七帖 [144]

「世の元と申すものは泥の海でありたぞ。その泥から神が色々のもの一二三で、いぶきで生みたのぞ。人の智ではわからぬ事ざぞ」 『日月の巻』 第二十七帖 [200]

「世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ」 『日月の巻』 第二十八帖 [201]

「世の元、〇の始めから一と現われるまでは〇を十回も百回も千回も万回も、くりかへしたのであるぞ、その時は、それはそれはでありたぞ、火と水のドロドロであったぞ」 『扶桑の巻』 第二帖 [851]

 そして、日月神示の天神の神勅が特異なのは、漂える国に対する「漂える国」が登場している点です。言うなれば、「天神は泥の海を二つのと認識していた」という話になります。これはが一の前のれい“ムとウ”“火と水”で表現するのと話が通底しています。

 では「九十国とは何か?」と問うなら、恐らくは「漂える国国」との答えになるのでしょう。いわゆることくにです。これは他国を意味する古い言葉であり、

 更に、日月神示の場合は“九と十の世界”という数霊的な意味をあわせ持つので、次のように言えます。

くにとは“伊邪那美神のである」

 伊邪那美神がらす国や数霊の九十については本論で詳細に考察して行きますが、日月神示におけるの本質的な意味はことなるもの”です。恐らく、天之日津久神様が漂える国と漂える九十国で伝えたい内容とは、“それ”という概念は“それではないもの”という反対の概念をだと思われます。これを「漂える」の言葉で表現しているのではないでしょうか。

 この内容の具体的な例を挙げるならば、上に対する“上ではないもの”、左に対する“左ではないもの”、内に対する“内ではないもの”、表に対する“表ではないもの”などが該当します。これらは下、右、外、裏を指しますが、単独の概念としては存在し得ず、常についと一組になっています。

 それ故、明確な対偶性や対称性を備えた“不可分の一体”という意味において、

コトなるもの同士はついなるもの”と表現するのが最も適切です。

 そして、重要なのは次の点です。

「日月神示はついなるものを対立軸とはしていない」

 天之日津久神様はしゅじゅの対なるものを対立軸として捉えるのは、平面的な限定された視点であると説いています。同様に、対なるものは立体的な視点では必ずしも対立軸ではなくなるとも説いておられ、重要性が何度も繰り返されています。

 この内容については、『地震の巻』で地上人の生き方の指針として提示されているぜんあくへいこうの記述が判り易いです。

「天国をうごかす力は地獄であり、光明を輝かす力は暗黒である。地獄は天国あるが故であり、やみは光明あるが故である。ここで云ふ力とは霊体、天地、陰陽、左右、上下、善悪、真偽の現はれと云ふことであって人間の云ふ力学的力ではない、本来は天国もなければ地獄もなく、只 歓喜と歓喜の因があるのみであって、これが総てである。因が果にうつり、呼が吸となり行く道程に於て、歓喜は更に歓喜を生ず。その一方が反抗すればするだけ他方が活動し、又 強力に制しようとする。呼が強くなれば吸も強くなり、吸が長くなれば呼も又 長くなる、ここに平衡が生れてくる。は常に動いて栄え、は常に動かずして栄え行く、その平衡が浄化、弥栄である。故に地獄的なものも天国的なものも同様に神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現はれであることを知らねばならない。天国に限りなき段階と無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階と無数の集団とがある、何故ならば、天国の如何なる状態にも対し得る同様のものが自らにして生み出されねばならぬからであって、それにより大いなる平衡が保たれ、呼吸の整調が行はれるからである、この平衡の上に立つ悪は悪でなく、偽は偽でなく、醜は醜でなく、憎は憎でなく又 地獄は地獄でない、地獄は本来ないのである。又この平衡の上におかれた場合は善も善でなく、真も真でなく、美も美でなく、愛も愛でなく、そこでは天国も天国ではない、只ひたすらなる大歓喜が弥栄ゆるのみである」 『地震の巻』 第三帖 [380] 第一仮訳)

「すべての善はより起り、にかえるのと同様、総ての悪もまたより起りにかえる。故に、神をはなれた善はなく、また神をはなれた悪のみの悪はあり得ないのである。殊に地上人はこの善悪の平衡の中にあるが故に、地上人たり得るのであって、悪をとり去るならば、地上人としての生命はなく、また善は無くなるのである。この悪を因縁により、また囚われたる感情が生み出す悪だ、と思ってはならない。この悪があればこそ、自由が存在し、生長し、弥栄するのである。悪のみの世界はなく、また善のみの世界はあり得ない。所謂、悪のみの世界と伝えられるような地獄は存在しないのである。地上人は、霊人との和合によって神と通ずる。地上人の肉体は悪的な事物に属し、その心は善的霊物に属する。その平衡するところに力を生じ、生命する。〔中略〕 神は、左手にての動きをなし、右手にての動きを為す。そこに、地上人としては割り切れない程の、神の大愛が秘められていることを知らねばならぬ。地上人は、絶えず、善、真に導かれると共に、また、悪、偽に導かれる。この場合、その平衡を破るようなことになってはならない。その平衡が、神の御旨である。平衡より大平衡に、大平衡より超平衡に、超平衡より超大平衡にと進み行くことを弥栄と云うのである。左手は右手によりて生き動き、栄える。左手なき右手はなく、右手なき左手はない。善、真なき悪、偽はなく、悪、偽なき善、真はあり得ない。神は善、真、悪、偽であるが、その新しき平衡が新しき神を生む。新しき神は、常に神の中に孕み、神の中に生れ、神の中に育てられつつある。始めなき始めより、終りなき終りに到る大歓喜の栄ゆる姿がそれである」 『地震の巻』 第十五帖 [392]

 恐らく、善悪の本質は正邪ではなく“相違”なのでしょう。そのため、地上からを無くそうとするのは、「異種の混在による変化の促進」という物質世界の存在理由レーゾンデートルに違反するらしく、基本的には上手く行かないようです。日月神示が“悪”である“異なるもの”を排さないのは、このような宇宙観が背景になっていると推測されます。それが更に判り易く書かれた記述もあります。

「邪はらふとは邪 無くすることではないぞ、邪を正しく導くことざぞ、追払ふでないぞ、まつろへよ。引寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ」 『マツリの巻』 第五帖 [409]

「今度は悪をのうにするのぢゃ、のうにするは善で抱き参らすことぢゃ、なくすることでないぞ、亡ぼすことでないぞ、このところが肝腎のところぢゃから、よく心にしめて居りて下されよ」 『海の巻』 第七帖 [499]

「悪を抱けよ。消化せよ。浄化せよ。何も彼も太神の許し給えるものなるが故に存在する」 『月光の巻』 第十二帖 [799]

「はらひは結構であるが、厄はらひのみでは結構とはならんぞ。それは丁度、悪をなくすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪をなくすることに努力した結果が、今日の大混乱をきたしたのと同じであるぞ。よく考えて下されよ。善と申すも悪と云うも、皆 ことごとく大神の肚の中であるぞ。大神が許し給へばこそ存在してゐるのであるぞ。この道理をよく会得せよ。はらふと申すのは無くすることではないぞ。調和することぞ。和して弥栄することぞ」 『月光の巻』 第二十七帖 [814]

「何ごとも清めて下されよ。清めるとは和すことであるぞ。同じもの同士では和ではない。違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ」 『月光の巻』 第五十二帖 [839]

「何事もはらい清めて下されよ、清めるとは和すことぞ、違ふもの同士 和すのがマコトの和であるぞ」 『極めの巻』 第五帖 [932]

 こういった宇宙観は、対なるものが結ばれて“新しき一”を生む1+1=3(1)のミチの概念”に通じます。この神の呼吸リズムは日月神示でと称されていますが、互いの違いを活かしてまつろい合う所にこそ、神の意向こころ歓喜よろこびがあるのでしょう。

 以上の内容を踏まえて日月神示を読むと、立替え立直しの計画、善悪観、三千世界論などが、共通の概念的な背景から流れ出る姿が見えて来ます。このように、の内容は天神の神勅や夫婦神の関係をぎんすれば、非常に多くの答えが得られるのです。

 次に、天神の神勅のしゅせいについて考えてみます。

 日月神示は世界の原初の状態を“泥の海”と表現していますが、これは意味を成す存在かたちが無い状態のことです。そして、何物でもない因子のみの状態に意味かたちを与えて行くことを、粘土細工にたとえて修理固成つくりかためと呼んでいるようです。

 この場合、単なるつちくれである泥の海が“根元的ななにかの元々の姿であると思われます。ただし、意味かたちを持った瞬間に意味かたちを持たない何か”ではなくなるので、日月神示では“無きが如き存在”と称されているのでしょう。

 そして、粘土細工では どのような意味かたちを与えても粘土であることに違いはないので、全ては根元的ななにかとも言えます。この辺りの内容が、日月神示の「神の中に宇宙を生んだ」のくだりや、前述の「を排さない」と話が通底しています。その大意は「一切万物は唯一者の無限の側面の一つである」という風に意訳することができます。

 こういった世界の元々の姿である泥の海は、伊邪那岐神と伊邪那美神によって修理固成が進められて行きます。ですが、記紀神話ではのちに訪れる両神の別離によって修理固成が未完で終わったことを伝えており、。記紀研究の通説ではおおくにぬしのかみによって修理固成が完了したと言われますが、

「何事も天地に二度とないことで、やり損ひしてならん修理固成かための終りの仕上げであるから、これが一番大切の役であるから、しくじられんから、神がくどう申してゐるのざ」 『上つ巻』 第三十四帖 [34]

「戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神々様にも分りては居らんのざぞ」 『天つ巻』 第二帖 [109]

「もとの昔に返すのざぞ、つくりかための終りの仕組ぞ」 『地つ巻』 第十一帖 [148]

「次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、地の世界は大国常立の大神様 御先祖様なり、天の御先祖様 此の世の始まりなり、お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、仕上げ見事成就致さすぞ、御安心致されよ。天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ」 『梅の巻』 第十七帖 [444]

「立替え、立直し、過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ」 『星座の巻』 第八帖 [891]

 上記の引用の“終わり”“仕上げ”の言葉からは以下の見解が読み取れます。

修理固成つくりかためは まだ終わっていない」

 つまり、世界は現在も漂える国のままであり、のです。そして、極論するなら、この未完成な世界を仕上げるための計画が“立替え立直し”であり“岩戸開き”です。故に、これから起きるとされる大変動は本質的に“世界を完成させる仕組”なのであって、。むしろ“天神の神勅の達成”という非常に肯定的な意味を持ち、積極的に手伝って成就させるべきものとして説かれています。

 また、『地震の巻』に「最後の審判に至るまでは三千世界の実相は判らない」と書いてあるように、今までの神界、幽界、現界は未完成の過渡的な状態に過ぎません。それを完成させるのが修理固成つくりかための仕上げ”であり、火と水の仕組や秘密の仕組と呼ばれる“富士と鳴門の仕組”なのです。

 ちなみに、日月神示での仕組が「末代仕組」と形容されるのは、修理固成の「つくり」から来ているようです。これはの仕組の「世界を固着する」という側面に基づくと思われます。

 次に、天神の神勅のあめほこあまほとについて述べてみます。

 古事記で修理固成のために天神から与えられたのが“天の沼矛”です。沼矛は日本書記にも言及があり、ほこの一種だと考えられていますが、古来から「沼矛は男性器の隠喩メタファーではないか」という指摘が絶えませんでした。日月神示では天の沼矛と一対の存在である“天の沼陰”を組み合わせることによって、沼矛が男性器であることを明言していると言えます。この論法が成り立つのは、沼陰が女性器を意味するほとと同じ意味の言葉だからです。

 記紀では沼矛が伊邪那岐神と伊邪那美神に与えられました。しかし、日月神示によると沼矛は伊邪那岐神にのみ与えられ、記紀に伝わっていない沼陰は伊邪那美神にのみ与えられたそうです。この内容に基づいて天神の神勅の内容を要約します。

男神イザナギを与え、女神イザナミを与えて、それぞれの修理固成つくりかためを命じた」

 そして、のちの伊邪那岐神と伊邪那美神の別離による岩戸閉めで、が失われてだけになった」というのが日月神示の主張です。それが次の記述の背景になっています。

「国土をつくり固める為に、根本大神が何故にヌホコのみを与へたまひしか?を知らねば、岩戸ひらきの秘密はとけんぞ」 『紫金の巻』 第十帖 [989]

 次章から本格的に解説しますが、日月神示は伊邪那岐神が一二三四五六七八をつかさどり、伊邪那美神が九十を司ると説いています。それを踏まえて、上の引用を数霊的に表現してみます。

「現在の世界は九十イザナミが欠けている」

 故に不完全な方世界にとどまっているので、「改めて九十ヌホトを与えて方世界として完成させる」というのが神の計画の基本路線です。この計画は日月神示でなるの仕組”と呼ばれており、岡本天明氏はナルの当て字で表現しました。

「ナルの仕組とは経綸しぐみであるぞ、八が十になる仕組、岩戸ひらく仕組、今迄は中々に判らなんだのであるが、時節が来て、岩戸がひらけて来たから、見当つくであろう、富士となるの仕組、結構致しくれよ」 『星座の巻』 第二帖 [885] 第一仮訳)

 こういった鳴門の仕組と沼矛と沼陰の関係について、もう少し詳しく解説してみます。

 記紀では伊邪那岐神と伊邪那美神があめうきはしから沼矛を垂らして漂える国をき混ぜ、矛の先からしたたり落ちた塩が固まって最初の大地になったと伝えています。この話は「男根から精液が垂れる様子の隠喩メタファーである」という説が根強く、日月神示で現在の世界がを主体にしている話を連想させます。

 その内容を土台にして語られたのが次の記述です。

「偶然と申すのは、宇宙世界、星の世界の必然からのものであって偶然ではないぞ、天に星のある如く地には塩があるのであるぞ、シホ、コオロコオロにかきならして大地を生みあげた如く、ホシをロオコロオコにかきならして天を生みあげたのであるぞ」 『星座の巻』 第一帖 [884] 第一仮訳)

 「コオロコオロ」及び「ロオコロオコ」は回転運動の擬音であり、シホホシや地と天では順律と逆律になります。また、回転運動を図形的に表現するとうずになりますが、この「ドロドロのものを掻き混ぜる」という行為がうずを描くのと同じ動作であることが、かみけいりんの重要な伏線になっています。

 そして、鳴門の仕組は日月神示でうずうみの仕組”とも呼ばれます。

「この方 祀るのは富士に三と所、海に三と所、江戸にも三と所ぞ、奥山、中山、一の宮ぞ。〔中略〕 海の仕組も急ぐなれどカイの仕組 早うさせるぞ」 『下つ巻』 第二十七帖 [69]

「富士とは火の仕組ぞ、渦うみとは水の仕組ぞ、今に分りて来るのぞ」 『天つ巻』 第三十帖 [137]

「今迄の事は皆 型でありたぞ、江戸の仕組も お山も甲斐の仕組も皆 型ぞ、鳴門と うづうみの仕組も型してくれよ。尾張の仕組も型 早よう出してくれよ。型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ」 『日月の巻』 第十二帖 [185]

うづうみの御用 結構」 『日月の巻』 第十七帖 [190]

海の御用とは海のなる海の諏訪と海のマアカタと三所へ祀りてくれよ。その前の御用、言葉で知らした事 済みたぞ、海マアカタとは印幡ぞ」 『日の出の巻』 第十八帖 [231]

海の御用 大切ざぞ」 『日の出の巻』 第二十二帖 [235]

「不二の仕組とは動かん真理、ウズウミのナルトの仕組とは弥栄の限りなき愛のことであるぞ」 『黄金の巻』 第七十七帖 [588]

「これと一応 信じたらまかせきれよ。かじをはなして鳴門の渦の中にまかせきれよ。まかせきるとひらけてくるのぢゃ」 『月光の巻』 第五十六帖 [843]

ナルの渦巻を渡る時はカヂをはなして、手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、カヂをとると同じ処をグルグルぢゃ。カヂをはなせる人民 少ないのう。何んでも彼んでもカヂをとって自分の思ふ通りに舟を進めようとするから大変が起るのぢゃ、渦にまかせる時はまかさなければならんぞ、ナルトの仕組の一面であるぞ、大切ごとぞ」 『五葉の巻』 第二帖 [965]

 上記の引用によると、鳴門の仕組と渦海の仕組は基本的に同じです。余談ですが、これが日月神示の原文で、五十音の行目であるラリルレロの大半が「」で表記される背景になっているようです。何故なら、神経綸の期間こそが八方世界が十方世界にせんするための“正念場”であり、の仕組の本番”だからです。

 こういった鳴門の仕組や神経綸九の期間が内包する本質的な意味は、ちょうたとえれば判り易いと思います。幼虫が蝶になるためには、一時的に身体をに溶かす必要があります。つまり、これから起きる“修理固成の仕上げ”は、幼虫が蝶として羽化するための過程であるさなぎの状態”と同じなのです。

〔前略〕 かく弥栄、進展するが故に、人類も霊人類も、各々その最後の審判的段階に入る迄は、真の三千世界の実相を十分に知り得ない。故に新天新地の来る迄、真の天国を体得し得ない、新天新地の新しき世界に生れ出づる自己を知り得ない。〔中略〕 新天新地新人はかくして生れ、呼吸し、弥栄える。しかし新人と生れ、新天新地に住むとも、その以前の自分の総ては失はない。只その位置を転換されるのみである。地上人が死後、物質的に濃厚なる部分をぬぎすてるが、その根本的なものは何一つとして失はず生活するのである。その状態よりも尚一層に、そのまゝであって何等の変化もないと思へる程である。さなぎが蝶になる如く弥栄へるものであって、それは大いなる喜びである」 『地震の巻』 第八帖 [385] 第一仮訳)

 そして、世界を一時的にドロドロに溶かして掻き混ぜることを、天之日津久神様は“泥の海”と表現しています。ただし、世界が泥の海の様相を呈するのは大難を小難にできなかったことを意味しており、神々にとっても出来る限り避けたい事態であるそうです。

「早くモトの神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト心になりてくれよ、神 頼むぞよ」 『上つ巻』 第二帖 [2]

「救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねば まだまだ痛い目をみせねばならん」 『上つ巻』 第二帖 [2]

「昔から生き通しの活神様のすることぞ、泥の海にする位 朝飯前のことざが、それでは臣民が可哀そうなから天の大神様に この方が詑びしてひと一日と延ばしてゐるのざぞ、その苦労も分らずに臣民勝手なことばかりしてゐると、神の堪忍袋 切れたら何んなことあるか分らんぞ」 『天つ巻』 第十七帖 [124]

「仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ。神も泥海は真っ平ぞ」 『地つ巻』 第三十二帖 [169]

「今度はうしても失敗しくじること出来んのざぞ。神の経綸しぐみには狂ひ無いなれど、臣民 愈々苦しまなならんのざぞ、泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、神も泥海にのたうつのざぞ、甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるなれど、泥海のたうちは臣民にはこばられんから、早う掃除して神の申す事 真すぐに肚に入れてくれよ」 『日の出の巻』 第十三帖 [226]

「今の人間 鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、神は日夜の苦労ぞ」 『日の出の巻』 第二十帖 [233]

「地の岩戸、人民 開かなならんぞ、人民の心次第で何時でも開けるのざぞ。泥の海になると、人民思ふところまで一時は落ち込むのぢゃぞ、覚悟はよいか」 『風の巻』 第九帖 [360]

「世界中を泥の海にせねばならんところまで、それより他に道のない所まで押しせまって来たのであるが、〔中略〕 大神様におわび申してすっかり心を改めて下されよ。神々さまも人民さまも心得ちがひ多いぞ。泥の海となる直前にグレンとひっくりかえし、びっくりの道あるぞ」 『月光の巻』 第四十八帖 [835]

「神は無理申さん、やればやれる時ぞ、ヘタをすると世界は泥の海、神々様も人民様も心の目ひらいて下されよ、新しき太陽は昇ってゐるでないか」 『五葉の巻』 第十二帖 [975]

 上の内容と似た意味ですりばちね廻す”“練り直す”“混ぜる”という表現も見られます。

いづの仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ」 『下つ巻』 第十四帖 [56]

「一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ」 『富士の巻』 第十九帖 [99]

「神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。こわすのでないぞ、練り直すのざぞ。世界をすりばちに入れてね廻し、練り直すのざぞ」 『日月の巻』 第一帖 [174]

「一度はどろどろにこね廻さなならんのざぞ」 『日月の巻』 第二十七帖 [200]

「すり鉢に入れてコネ廻してゐるのざから一人逃れ様とてのがれる事 出来んのざぞ、逃れようとするのは我れよしざぞ」 『キの巻』 第十七帖 [274]

「天地まぜこぜとなるぞ」 『水の巻』 第十二帖 [286]

「今迄は神国と外国と分れてゐたが、愈々一つに まぜまぜに致してクルクルかき廻して ねり直して世界一つにして自ら上下出来て、一つの王で治めるのぢゃぞ」 『光の巻』 第五帖 [401]

「取られたり取り返したり こねまわし、終りは神の手によみがへる」 『マツリの巻』 第六帖 [410]

「天地まぜまぜになったら、まだまだなるのである。彼れ是れ、何が何だか判らんことになると申してあらうが」 『黄金の巻』 第六帖 [517]

「下が上に、上が下にと申してあるが、一度で治まるのでないぞ。幾度も幾度も上下にひっくりかへり、又ひっくりかへりビックリぢゃ。ビックリこねまわしぢゃ」 『秋の巻』 第十六帖 [757]

「月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は血の色となるぞ、流れも血ぢゃ。人民 四つんひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、火の雨 降らしての大洗濯であるから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ」 『紫金の巻』 第五帖 [984]

 恐らく、鳴門の仕組がうずうみの仕組”と形容されるのは、泥の海をしゅせいする「固める」から来ているのでしょう。そこには「形を整える」という意味があるはずです。

 なお、日月神示の説く始まりと終わりは、共に“元の世”であるあめつち状態すがたですが、何も無かった頃の泥の海とは決してそうです。

「建直しとは元の世に、神の世に返す事ざぞ、元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、中々に大層な事であるのざぞ」 『キの巻』 第八帖 [265]

 このことは別の表現を使って強調されています。

「元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、神々様にも見当取れんのぢゃ、元の生神でないと、今度の御用 出来んぞ」 『風の巻』 第八帖 [359]

「三千年の昔に返すと申してあらうがな。〔中略〕 この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。愈々の建替ざから、もとの神代よりも、も一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。〔中略〕 この方等が天地自由にするのぢゃ。元のキの道にして、あたらしき、キの光の道つくるのぢゃ。あらたぬし世にするのぢゃと申してあること愈々ざ」 『岩の巻』 第二帖 [367]

 その上で、改めて泥の海を掻き混ぜて固めての世にするのは、修理固成を行ったや国常立神などのに連なる神霊とけんぞくでなければできないことが述べられています。

「天の御三体の大神様と ちのおつちの先祖様でないと今度の根本のお建替出来んのざぞ、判りても中々判らんであろがな。洗濯足らんのであるぞ」 『雨の巻』 第四帖 [338]

「今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、中津代からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ」 『風の巻』 第三帖 [354]

「元のキのことは、元のキの血統でないと判らんのぢゃ」 『マツリの巻』 第十二帖 [416]

「元の元のキの臣民 くにの日月の神ぢゃと申してあろがな」 『光の巻』 第三帖 [399]

 そして、立替え立直しや岩戸開きとしての修理固成の仕上げは、天の御先祖様と地の御先祖様、もしくは天神あまつかみ勅命みことであるが故に、と断言されています。

「天と地との親の大神様のミコトでする事ぞ、いくら悪神じたばたしたとて手も出せんぞ」 『キの巻』 第七帖 [264]

 以上の話から、天神の神勅で命じられた修理固成の仕上げが富士と鳴門の仕組であり、“新しき生み”を意味することが推し量れます。また、フジナルトの仕組が水で溶かして火で固める仕組」であることや、神の計画のえんげんが日本神話に示されており、その内容が“対なるもの”の概念に基づくことも御理解して頂けると思います。

 日月神示の天神の神勅と修理固成の考察は以上ですが、本章の最後に神勅の“誤植の問題”について付記します。

 天神の神勅の前半と後半では、伊邪那岐神と伊邪那美神の名が二度繰り返されています。この部分は昭和二十八年に製作された基本訳では片仮名で書かれており、それぞれ「イサナノミコト イサナノミコト」及び「イサナノミコト イサナノミコト」という風に、同じ名が繰り返されているのは書き間違いではないことを強調しています。

 それなのに、昭和二十九年の第一仮訳で神勅の前半は「イザナノミコト イザナノミコト」と誤植されました。ただし、これは原書の誤記として古事記の内容に意図的に合わせたのかもしれません。

 また、原文資料の一つである原典では「一三七ノ三九十 一三七ノ三九十」と書かれていますが、原典が底本にしたと推測される原文Uと原文Wが共に「一三七ノ三九十 一三七ノ三九十」であることを考えると、原典の製作時に古事記や昭和二十九年版の内容に合わせて変更した可能性が高いです。

 日月神示の訳文資料は昭和二十九年の第一仮訳を底本として製作されたものと、昭和二十九年版を底本とする第二仮訳を底本として製作されたものばかりなので、この誤植が訂正された訳文資料は現在に至るまでありません。

 そのため、神勅の後半部分は「イザナノミコト イザナノミコトの間違いではないか?」という疑問が呈されることがあります。しかし、実際に間違っているのは神勅の前半部分なので御注意ください。

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国生み / 天の御柱

 伊邪那岐神と伊邪那美神は天神から神勅を下された後、修理固成の最初の行動として【くにみ】を始めます。本章で主に考察するのは、日月神示の創世神話の独自の内容である“三界の国生み”と、記紀と共通している【あめはしら】の逸話です。

 これらの神話は日月神示の内容と密接に関係しており、神経綸を理解することを助けてくれます。例えば、で何度も言及される“八方世界”“十方世界”“富士と鳴門の仕組”の意味は、国生みや天の御柱の物語と絡める形で語られています。

 そこで、本章では日月神示でも使われる“記紀を典拠とする言葉”を細かく拾い上げて、それらの深層における繋がりを見つめて行きます。


 日月神示の創世神話では、伊邪那岐神と伊邪那美神がを組み合わせて“国生み”を行ったことが、記紀より更に直接的に描写されています。

ここのみこと のみことほこ ほと みて「くにみせな」とたまひき。のみこと のみこと いきはしたまひて「アウあう」とらせたまひてくにたまひき」 『日月の巻』 第二十四帖 [197]

 ここで両神がを合わせて発した言霊には何らかの意味があると思われます。アをはじめ、ウを“有”“現れ”とするなら、アウは「アと現れよ」という意味の“始まりを生み出す言霊”なのかもしれませんが、正確なところは判りません。

 そして、言霊の後にの誕生”が続きますが、この描写は記紀には無い独自の内容です。

はじひつくくに たまひき、くに たまひき、つきくに たまひき。つぎくに たまひき」 『日月の巻』 第二十五帖 [198]

ハジメ ヒツク  ツキ ツギ  『ひつ九のまキ』 第二十五帖 [198] 記号は原文Uと基本訳に準拠しています。なお、原典での「」の訓み方はヒツです)

 上の引用には同じ帖に注釈的な記述があり、ヒツクを混同しないように注意が促されています。

とは違ふのざぞ」 『日月の巻』 第二十五帖 [198] 第一仮訳と第二仮訳の「」の訓み方はヒツです)

 ひつくの国と日の国と月の国は「次」で区切られていないことから、必ずしも別々の世界というわけではなく、「二つの側面を持つ一つの世界」もしくは「一つの側面を持つ二つの世界」といった意味なのでしょう。その総体的な表現としての世界の如く描写されていると思われます。これらの世界が広義の意味での霊界でありてんになります。当然ながら「くに」とはのことです。

 その上で、おのおのの世界と同じ性質を司る神霊が“天の御先祖”及び“地の御先祖”と呼ばれているので、基本的な対応関係を一覧にしてみます。まずは一覧にする際に参考にした『冬の巻』の記述から引用しますが、点に注意して下さい。

「宇宙は霊の霊と霊と物質とからなつてゐるぞ、人間も又 同様であるぞ、宇宙にあるものは皆 人間にあり、人間にあるものは皆 宇宙にあるぞ、人間は小宇宙と申して、神のヒナカタと申してあらう。霊の世界は三つに分れて見えるぞ、霊の霊界は神界、それに霊界と幽界であるぞ、その他に半物質界、半霊界、半神界、半幽界と限りなく分け得るのであるぞ。人間には物質界を感知するために五官器があるぞ、霊界を感知するために超五官器あるぞ、神界は五官と超五官と和して知り得るのであるぞ。この点 誤るなよ、霊的自分を正守護神と申し、神的自分を本守護神と申すぞ、幽的自分が副守護神ぢや、本守護神は大神の歓喜であるぞ、神と霊は一であつて、幽と現 合せて三ぞ、この三は三にして一、一にして二、二にして三であるぞ、故に肉体のみの自分もなければ霊だけの自分もないのであるぞ。神界から真直ぐに感応する想念を正流と申すぞ、幽界を経て又 幽界より来る想念を外流と申すぞ、人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものであるから肉体的動きの以前に於て霊的動き、必ずあるのであるぞ、故に人間の肉体は霊のいれものと、くどう申してあるのぞ」 『冬の巻』 第一帖 [770] 昭和二十七年版の時点で脱字があるので原文Uの訳文を掲載しました)

 この内容を参考にした“三界の対応関係”は次の通りです。

 三界の誕生は記紀には伝わっておらず、日月神示の創世神話では「枠組の方が先に決まった」と告げているように見えます。

 そして、大本系統での“天の御三体の大神様”と言えば、日の大神、月の大神、つきの大神を指しますが、日の大神、月の大神、くにの大神を指して“御三体の大神様”と呼ぶ場合もあります。

「御三体の大神様 三日 此の世をかまひなさらぬと この世はクニャクニャとなるのざぞ」 『水の巻』 第十四帖 [288]

「月の大神様が水の御守護、日の大神様が火の御守護、お土つくり固めたのは、大国常立の大神様。この御三体の大神様、三日この世 構ひなさらねば、此の世、くにゃくにゃぞ」 『風の巻』 第十二帖 [363]

「天の教許りではならず、地の教許りでもならず、今迄はどちらかであったから、時が来なかったから、マコトがマコトと成らず、いづれもカタワとなってゐたのざぞ、カタワ悪ぞ、今度上下揃ふて夫婦和して、天と地と御三体まつりてあななひて、末代の生きた教と光り輝くのざぞ」 『青葉の巻』 第十九帖 [488] この記述の「御三体」は複数の解釈が可能です)

 他にも、日と月と地がひとくくりになった記述が見受けられます。

「天と地の御恩といふことが神の国の守護神に判りて居らんから難儀なことが、愈々どうにもならん事になるのぞ、バタバタとなるのぞ。臣民 生れおちたらウブの御水を火で暖めてウブ湯をあびせてもらふであろが、其の御水は お土から頂くのざぞ、たき火ともしは皆 日の大神様から頂くのざぞ、御水と御火と御土で この世の生きあるもの生きてゐるのざぞ、そんなこと位 誰でも知ってゐると申すであろが、其の御恩と云ふ事 知るまいがな」 『キの巻』 第九帖 [266]

「日の大神様、月の大神様、くにの大神様、おんすじ 弥栄々々ぞ」 『梅の巻』 第二十一帖 [448]

「月日様では世は正されん。日月様であるぞ。日月様が、日月地様となりなされて今度の岩戸びらき、あけるぞ」 『黄金の巻』 第四十九帖 [560] 第一仮訳)

ツキ ツキ ツキツキクニ  『九ネのキ』 第四十九帖 [560] 原文U)

「大日月地の大神と称へまつれ。総ての神々様を称へまつることであるぞ。日は父、月は母、地は自分であるぞ」 『黄金の巻』 第五十八帖 [569] 第一仮訳)

オーツキクニオーカミ カミガミ  ツキ クニ 『九ネのキ』 第五十八帖 [569] 原文U)

「人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食物 節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病 治るのぢゃ」 『冬の巻』 補帖 [787]

 これを見ると、修理固成の根幹を担った伊邪那岐神、伊邪那美神、国常立神を“天地の先祖”と見る視点もあるようです。そこから、天之日津久神様の御神名を“天にまします三界のおやがみとする説もあります。その内容を要約すると「ヒツクとはつきくにの頭の一字を取った名称である」です。

 この説には一定の説得力があると言えます。何故なら、御三体の大神様の関係に見える“天地の構造”が神経綸の背景の一つになっていることを、“御一体”という言葉で明かす記述があるからです。

「アメのひつ九のか三とはアメの一二の神で御座るぞ、アメのつきの神で御座るぞ、元神で御座るぞ、ムの神ぞ、ウの神ぞ、元のままの肉体持ちて御座る御神様ぞ、つちのひつ九のおん神様ぞ、つちのつきの御神様と今度は御一体となりなされて、今度の仕組 見事 成就なされるので御座るぞ、判りたか」 『雨の巻』 第七帖 [341]

「愈々天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ、王の王の神で末代治めるもといつくるぞ」 『梅の巻』 第二十二帖 [449]

「日の神ばかりでは世は持ちては行かれんなり、月の神ばかりでもならず、そこで月の神、日の神が御一体となりなされて「ミロク」様となりなされるなり、日月の神と現はれなさるなり。「みろく」様が日月の大神様なり、日月の大神様が「みろく」の大神様なり、の御先祖様 九二の御先祖様と御一体となりなされて大日月の大神様と現はれなさるなり、旧九月八日からは大日月の大神様とおろがみまつれよ」 『青葉の巻』 第十七帖 [486]

「地にたかあまはらが出来るのざぞ、天の神 地に降りなされ、くにの神と御一体と成りなされ大日月の神と現はれなさる日となった、結構であるぞ」 『海の巻』 第十二帖 [504]

 ここでは三千世界の大立替えや岩戸開きであるあめつちの実現”“三界の再編”を、神界、幽界、現界を司る“三界のおやがみの和合”という形で伝えています。

 このように、日月神示では宇宙観や計画を“神の物語”として語る手法が多用されているので、表層的には別々に見える事例が、深層では繋がりを持つ場合が非常に多いのです。

 以上の内容に関係する話として“訓み方の注意点”を付記します。

 日月神示の創世神話が収録された第六巻『日月ひつくの巻』は、『の巻』と『つきの巻』が一つの巻として扱われる特殊な巻です。そして、二つを合わせた場合は“ヒツク”と呼ぶように指示されています。

「この巻二つ合して日月の巻とせよ」 『日月の巻』 第四十帖 [213]

フタ 『ひつ九のまキ』 第四十帖 [213]

 それ故、本章などではツキを組み合わせた造形である「」をヒツクと訓み、字形から意味を類推し易い「明」を当て字に使用しています。ただし、先に述べたの説からも判るように、「ひつく」の表記は複数の解釈の一つに過ぎません。

 日月神示の創世神話では三界の誕生の次に、本格的な国生みを始めるまでの“過程”が描かれます。

くに り、くにりましてあめとのはしら たまひき」 『日月の巻』 第三十帖 [203]

 この部分は記紀の逸話が大幅に省略されています。しかし、記紀の内容を否定しているわけではありません。何故なら、日月神示には省略された逸話に基づく記述があるからです。そこで、ここからは記紀を参考に細かく補完しながら考察を進めて行きます。

 最初にじまについて説明します。

 記紀では漂える国を掻き混ぜた際に、沼矛からしたたり落ちた塩が積もって最初の大地になったと伝えています。その大地が淤能碁呂島です。

 一般的に、淤能碁呂島は天上界である高天原とついになる“地上界”と解釈されており、『五十黙示』に収録された祝詞でも二つの世界が一緒に登場しています。

「高天原、おのころにつまります、〔後略〕 『紫金の巻』 第一帖 [980]

 淤能碁呂島は大地や世界そのものであるが故に、夫婦神が生んだ子の数には含めないように指示する注釈が古事記にあります。

 また、発音的にもたかあまはらついになっています。岡本天明氏はタカアマハラの六音が音であるのに対し、オノゴロの四音が音であることに対応関係をいだしていました。

 他に注意すべき点としては、記紀の「淤能碁呂」が日月神示ではあくまでも「淤能碁呂」である点が挙げられます。その点が強調される形で、淤能碁呂島はおんしまと呼ばれています。

〔前略〕 オノコロの四音の島をならし 〔後略〕 『至恩の巻』 第五帖 [952]

 なお、タカアマハラの六音とオノゴロの四音が“数的な対応関係”を持つことは第八章でも触れているので、詳しくは そちらを御覧ください。

 次にひろ殿どのについて述べます。

 八尋殿は天の御柱の近くに建てられた殿でんしゃですが、日月神示の創世神話では省略されています。一般的な解釈では主に「とても広い住居」とされており、転じて“神殿”“聖域”の意味も有するようになりました。それに更に独自の意味を加えた記述が日月神示にあります。

社殿やしろは八方に開く時来たらひろ殿どの 建てて下されよ、マコトの八尋殿」 『海の巻』 第十一帖 [503]

ひろ殿どのの左と右に宮が建つ、奥にも一つ」 『紫金の巻』 第十四帖 [993]

 また、八尋殿という言葉は出て来ませんが、意味的に同じ内容の記述も引用してみます。

「西と東に宮 建てよ。建てる時 近づいたぞ」 『黄金の巻』 第二十六帖 [537]

 ここでの八尋殿はたとえ”です。それと言うのも、上の記述に出て来る左と右と奥の“宮”が数霊の九と十とれい、いわゆるに対応することが明かされているからです。

「七は成り、八は開くと申してあろうが、八のくまからひらきかけるのであるぞ、ひらけると〇と九と十との三が出てくる、これを宮と申すのぞ、宮とはマコトのことであるぞ、西と東に宮 建てよと申すこと、これでよく判るであろうが」 『碧玉の巻』 第五帖 [869]

 そして、オノゴロが音であることや、淤能碁呂島に建てられた殿舎の名が尋殿であることには、極めて重要な“数霊的な意味”があると語られています。

「人民の肉体も心も天地も皆 同じものから同じ想念によって生れたのであるぞ。故に同じ型、同じさがをもっているぞ、そのかみの天津神はイザナギ、イザナミの神と現われまし、成り成りの成りのはてにイザナギ、イザナミの命となり給ひて、先づ国土をつくり固めんとしてオノコロの四音の島をならしひろ殿どのを見立てられたのであるぞ、これがこの世の元、人民の頭に、東西南北の四方があり八方と拡がるであろうが、八十となり、八百、八千と次々に拡がりてよろづとなりなるのであるぞ」 『至恩の巻』 第五帖 [952]

 この記述では、音の島と尋殿が現在の“八方世界”の成り立ちをで示すことが明かされています。こういった“四”“八”に関する同様の記述は他にもあります。

「四と八によってなされたのであるから、森羅万象のことごとくが その気をうけてゐるのであるぞ。原子の世界でもそうであろうが、これが今の行き詰りの原因であるぞ、八では足らん、十でなくてはならん、〇でなくてはならんぞ。岩戸ひらきの原因はこれで判ったであろうがな」 『至恩の巻』 第六帖 [953] 「原子の世界もそうなっている」とは電子殻に収容できる電子の数と形成過程、或いは八隅説はちぐうせつのことらしいです)

「死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ」 『至恩の巻』 第十三帖 [960]

「八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前から そら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきぢゃ」 『至恩の巻』 第十四帖 [961]

 上の内容は“十方世界”の意味を調べれば判ります。この言葉は元々仏教用語であり、東西南北の「ほう」にすみを加えた「はっぽう」に更に“天と地”を加えた世界のことです。意味的には四方に天と地を加えたりくごうと同じく“世界全体”を指します。そして、日本語のてん“上下”の意味を含むことを踏まえると、下記の結論が導き出されます。

「日月神示の説く八方世界とは“平面の世界”であり、十方世界とは“立体の世界”である」

 ここから、は平面的かつ有限であることを四と八で表現しています。逆に立体的かつ無限であることを五と十で表現しており、更にも説いています。それを考える際に重要になるのは次の点です。

「立体は複数の平面の組み合わせなので、

 角度で言えば、一つの平面に対して“九十度”で交わる もう一つの平面がなければ、どちらの平面も立体の状態には辿り着けないのです。そのため、立体的な一二三四五六七八九十の世界になるためには、平面的な一二三四五六七八の世界に“垂直軸”で交わる九十の世界が必要になります。

 そして、一→二→三→四→五→六→七→八の場合と九→十の場合がであるのに対し、八→九の場合はです。つまり、

八が九になる時に基軸の転換パラダイムシフトが起きるのです。

 故に、日月神示では八の世から九の世になる“旧九月八日”として、時節で最も重要な“岩戸開きの日”に位置付けています。

「八のつく日に気つけと申してあろう。八とはひらくことぞ。ものごとはひらく時が大切ぢゃ」 『月光の巻』 第四十七帖 [834]

「八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ」 『扶桑の巻』 第四帖 [853]

「八のつく日に気つけてあろうが、八とはひらくことぞ。今が八から九に入る時ぞ、天も地も大岩戸ひらき、人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時ぞ、天地の波にのればよいのぢゃ、楽し楽しで大峠 越せるぞ、神は無理 申さん、やればやれる時ぞ」 『五葉の巻』 第十二帖 [975]

 平面である八方をと、次は立体である十方に向かうしかなくなります。だから八は“開く”なのでしょう。世間でも言うように「八方の時は天が開く」のです。逆から見れば、天に意識を向けさせるために八方を塞ぐ場合もあるはずです。

 また、この解釈の裏付けとなる一二三四五六七八と九十の“性質の違い”を語った記述もあります。

「今迄は四のいきものと知らせてありたが、岩戸がひらけて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ」 『扶桑の巻』 第十四帖 [863]

「今迄は四本指八本指で物事をはかって誤りなかったのであるが、岩戸が明けたから親指が現れて五本十本となったのぢゃ、このことよくわきまへよ」 『星座の巻』 第十五帖 [898]

「8迄と9 10とはさがが違ふのぞ」 『極めの巻』 第五帖 [932]

「元は5で固めたのぢゃ、天のあり方、天なる父は5であるぞ。それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰って世界の難渋であるぞ。手や足の指は何故に5本であるか、誰にも判るまいがな」 『極めの巻』 第八帖 [935]

〔前略〕 一神のみで生む限度は七ない八である、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十方十全まで拡がるべきものである。ある時期迄は八方と九、十の二方に分れて それぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ」 『至恩の巻』 第九帖 [956] 第一仮訳)

 九と十は平面軸を基準とすればであり、そうであればこそ、日月神示ではという言葉でにされているように見えます。ちなみに、九と十がれいに通じる性質を有することは、岡本天明氏が『古事記数霊解序説』第十四章で指摘しています。

 なお、の各所で見受けられる「世界は円環している」という観点から見れば、基軸の転換パラダイムシフトあります。それは“十が新しき一に移る時”であり、数的にはれいが加わることを意味します。

 こういった内容を“数”で明かしているのが次の記述です。

「12345678の世界が12345678910の世となりなりて012345678910の世となるのぢゃ、012345678910がまことと申してあろうがな。裏表で二十二ぢゃ、二二の二の五ぢゃ、二二ぢゃ、は晴れたり日本晴れぞ、判りたか」 『至恩の巻』 第十五帖 [962] 第一仮訳)

 上の帖によると、三千世界の生成化育には大別して“三つの段階”があり、八方世界に九十及びれいを加える“二度の遷移”を経るようです。これが世界を立て替える“富士と鳴門の仕組の本質的な側面”であり、以下の記述の第一義的な意味であるはずです。

「同じこと二度くり返す仕組ざぞ、この事よく腹に入れておいて下されよ。同じこと二度」 『青葉の巻』 第七帖 [476]

「十くさ、十二くさのかむたから、〔後略〕 『月光の巻』 第五帖 [792]

「こんどは、八のくまではたらん。十のくま、十のかみをうまねばならんぞ。そのほかに、かくれた二つのかみ、二つのくまをうみて、そだてねばならんことになるぞ」 『月光の巻』 第三帖 [790] ここでの「隠れた二つの神」や「二つのくま」とはムとウのことであり、数霊のれいを指しています)

「ナルの仕組とは経綸しぐみであるぞ、八が十になる仕組、岩戸ひらく仕組、今迄は中々に判らなんだのであるが、時節が来て、岩戸がひらけて来たから、見当つくであろう、富士となるの仕組、結構致しくれよ」 『星座の巻』 第二帖 [885] 第一仮訳)

「十二人が一人欠けて十一人となるぞ、その守護神を加へて二十二柱、二十二が富士ぢゃ、真理ぢゃ、又三であるぞ」 『星座の巻』 第十五帖 [898]

「八では足らん、十でなくてはならん、〇でなくてはならんぞ。岩戸ひらきの原因は これで判ったであろうがな」 『至恩の巻』 第六帖 [953]

「太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変るのであるぞ、人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは天照大神殿のくさの神宝にを入れることであるぞ、〔中略〕 二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。富士と鳴門の仕組いよいよぞ、〔中略〕 なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士晴れるぞ、大真理 世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ」 『至恩の巻』 第十六帖 [963]

「四つの花が五つに咲くのであるぞ、女松の五葉、男松の五葉、合わせて十葉となりなりなりてみ栄ゆる仕組、十と一の実のり、と輝くぞ、日本晴れ近づいたぞ」 『紫金の巻』 第十帖 [989] 第一仮訳)

「愈々が来たぞ、いよいよとは一四一四ぞ、五と五ぞ。十であるぞ、十一であるぞ」 『紫金の巻』 第十一帖 [990]

 上記の引用では富士と鳴門の仕組が“数”で語られており、それらが方世界と方世界と の世界に対応することが読み取れます。ここから想像が付くように、

八方世界に“九十とれいを加える計画がナルの仕組です。

 この修理固成つくりかための仕上げの仕組”が どのようなとして現れるのかは本章では触れません。代わりに、地上界や地上人から見た立体が、“天”“神”“霊界”によって実現することが判る記述を抜粋して置きます。

「悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する」 『地震の巻』 第九帖 [386]

タテのつながりを忘れがちぢゃ。平面のことのみ考へるから平面のキのみ入るぞ。平面の気のみでは邪であるぞ」 『黄金の巻』 第七十一帖 [582]

「そなたが神つかめば、神はそなたを抱くぞ。神に抱かれたそなたは、平面から立体のそなたになるぞ。そなたが有限から無限になるぞ。神人となるのぢゃ。永遠の自分になるのであるぞ」 『黄金の巻』 第九十三帖 [604]

「平面の上でいくら働いても、もがいても平面行為で有限ぞ。立体に入らねばならん。無限に生命せねばならんぞ。立体から複立体、複々立体、立々体と進まねばならん。一から二に、二から三にと、次々に進めねばならん。進めば進む程、始めに帰るぞ。に到るぞ。立体に入るとは信仰に入ることぞ。無限に解け入ることざぞ」 『黄金の巻』 第百帖 [611] 第一仮訳)

「一聞いて十さとらねばならんぞ。今の人民には何事も平面的に説かねば判らんし、平面的では立体のこと、次元の違ふことは判らんし、ハラでさとりて下されよと申してあろう」 『春の巻』 第三十六帖 [693]

「平面的考え、平面生活から立体に入れと申してあろうがな。神人共にとけ合ふことぞ。外道でない善と悪ととけ合ふのぞ。善のみで善ならず。悪のみで悪ならず」 『春の巻』 第四十三帖 [700]

「現実的には不合理であっても、不合理にならぬ道をひらくのが、霊現交流の道であり、立体弥栄の道、行き詰りのない道、新しき世界への道である。平面のみでは どうにもならない時となってゐるのに、何して御座るのか」 『月光の巻』 第十八帖 [805]

「そなたは現実世界のことばかりより判らんから、現実のことばかり申して、一に一たす二だとのみ信じてゐるが、現実界では その通りであるが、それが平面の見方、考へ方と申すもの、いくら極めても進歩も弥栄もないのぢゃ。一に一たす一の世界、一に一たす無限の世界、超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを体得せねばならんぞ」 『月光の巻』 第六十二帖 [849]

「反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から復立体に、復々立体に、立立体にと申してあろう、ぜん 輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、それが岩戸ひらきぢゃ」 『碧玉の巻』 第一帖 [865]

「善では立ちて行かん、悪でも行かん、善悪でも行かん、悪善でも行かん。岩戸と申しても天の岩戸もあれば地の岩戸もあるぞ、今迄は平面の土俵の上での出来事であったが、今度は立体土俵の上ぢゃ、心をさっぱり洗濯して改心致せと申してあろう、悪い人のみ改心するのでない、善い人も改心せねば立体には入れん、このたびの岩戸は立体に入る門ぞ」 『五葉の巻』 第十一帖 [974] 第一仮訳)

 余談ですが、『もく』の第六巻『おんの巻』は国生み神話から見た八方世界と十方世界の解説になっており、その中でオノゴロを「四音の島」と呼んでいることから、「本来の巻名は『おんの巻』ではないか」という指摘があります。

 同様の考え方をすれば、四と八の世界からの世界への移行を主題メインテーマとするしんが『黙示』という名称であることにも、数霊的な意味が込められているのかもしれません。

 次に“天の御柱”について論じます。

 記紀では「天の御柱」ですが、日月神示では「天の御柱」なので、天と地を繋ぐ架け橋や経路のようなものだと思われます。天の御柱に関する話は日月神示の創世神話では省略されているので、まずは記紀が伝える“天の御柱の逸話”を要約します。

伊邪那岐神と伊邪那美神は淤能碁呂島に降り、天の御柱と八尋殿を見立てて言いました。

   夫神「貴女あなたの体は どのようにできていますか?」
   妻神「私の体には“成り合はざるところが一つあります」
   夫神「私の体には“成り余れる処”が一つあるので、
       私の成り余れる処で貴女の成り合はざる処を塞いで国を生みたいと思います」
   妻神「判りました」
   夫神「では貴女は御柱を右からまわってください。
       私は左から廻るので、出会ったら“ミトノマグワイ”をしましょう」

そして、夫婦神は天の御柱の周りを別れて廻り、出会った時に声を掛け合いました。

   妻神「何と素晴らしい男性でしょう」
   夫神「何と素晴らしい女性でしょう」

しかし、国生みは上手く行きませんでした。
その理由をあまつかみに問うと“フトマニ”に基づいて次のように言われました。

   天神「女が先に声を掛けたのが良くなかった。もう一度やり直しなさい」

今度は言われた通りに伊邪那岐神から声を掛けると、国生みは上手く行きました。

 この逸話に出て来る、成り余れる処、成り合はざる処、ミトノマグワイ、フトマニは日月神示でも言及されているので、順に考察して行きます。その後で、伊邪那岐神と伊邪那美神が天の御柱の周囲を廻った意味や、日月神示の夫婦観について論じます。

 伊邪那岐神と伊邪那美神の身体にある“成り余れるところ“成り合はざる処”とはを指します。つまり、上記の逸話は「互いの体のでこぼこの部分を組み合わせる」という夫婦のまじわりの話です。これは古事記で「」と書かれており、現代仮名遣いではミトノマグです。

 マグワイは“男女の交接”ですが、ミトはという“寝所”とする説と、ほとてんしてになったとする“陰部”の説が有力視されています。そこから「寝所で交わる」や「陰部を交わらせる」と解釈される場合が多いです。ちなみに、前者の場合の寝所とは八尋殿を指します。

 日月神示ではミトノマグワイが三箇所ほど出て来ますが、それぞれに特色があるので、関連する話と一緒に考察します。最初に引用するのは、ミトノマグワイをひとつの意味で説く記述です。

「なりなりて なりあまれるところもて、なりなりて なりあはざるところをふさぎて、くにうみせなならんぞ。このよのくにうみは一つおもてでしなければならん。みとのまぐはひでなくてはならんのに、おもてを一つにしてゐないではないか。それでは、こんどのことは、じょうじゅせんのであるぞ」 『月光の巻』 第一帖 [788]

 この中の「一つのおもて」や「おもてを一つにする」については、次の記述が参考になります。

「天は三であり、地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節 到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、ミトノマグハイして五となるのであるぞ、五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ」 『扶桑の巻』 第一帖 [850]

 上の帖ではヌホコヌホトを組み合わせるミトノマグワイによる結果が、“円の角度”である360で表現されています。これは円や玉の辺や面がひとつであることに掛けて、「余る処も足りない処も無い」という意味での“完全な状態”を説いていると思われます。

 ちなみに、216と144は360を3:2の比率で表現したものであり、ここでの3は2+1だと考えられます。これは数学で奇数を“2n+1”、偶数を“2n”と表記することを参考にしました。そして、この“+1”が真ん中や成り余れる処としてことにより、5や360が実現されるのでしょう。そこには「真ん中を含む方が含まない方より上位にある」といった意味があるらしく、日月神示は偶数より奇数を、陰より陽を、女より男を上位に置いています。

「きすうときすうをあはしても、ぐうすう、ぐうすうとぐうすうをあはしてもぐうすうであることをわすれてはならんぞ。きすうとぐうすうをあはしてはじめて、あたらしき、きすうがうまれるのであるぞ」 『月光の巻』 第二帖 [789]

「何ごとも清めて下されよ。清めるとは和すことであるぞ。同じもの同士では和ではない。違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ。奇数と偶数を合せて、新しき奇数を生み出すのであるぞ。それがまことの和であり清めであるぞ。善は悪と、陰は陽と和すことぢゃ。和すには同じあり方で、例へば五と五との立場で和すのであるが、位に於ては陽が中心であり、陰が外でなければならん。天が主であり地が従でなければならん。男が上で女が下ぢゃ、これが和の正しきあり方ぞ。さかさまならんぞ。これを公平と申すぞ」 『月光の巻』 第五十二帖 [839]

「和すには5と5でなくてはならんが、陽が中、陰が外であるぞ、天が主で地が従ぞ、男が上、女が下、これが正しき和ぞ、さかさまならん、これが公平と申すものぢゃ、陰と陰と、陽と陽と和しても陰ぢゃ、陽と陰と和して始めて新しき陽が生れる、陽が本質的なもの、この和し方が はらひきよめ」 『極めの巻』 第六帖 [933]

 ただし、真ん中はなので、あいかたが居なければ役に立ちません。大切なのは二つが結ばれてひとつになることであり、その状態が360や円や玉なのでしょう。

 そして、円や玉の“足らず余らず”の在り方が神のむねであり、世の中が治まるようていであるそうです。

「皆 何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心ぞ。みなまつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、これが神国の姿ぞ」 『富士の巻』 第八帖 [88]

「そなたは形や口先ばかりでものを拝んでゐるが、心と行と口と三つそろはねばならん。三つ揃ふて拝むならば、どんなものでも与へられるのぢゃ。拝む所へ ものは集まってくる。神も集まってくる。足らぬものなくなるぞ。余ることなくなって、満たされるのが まことの富ぢゃ。清富ぢゃ」 『月光の巻』 第六十帖 [847]

 しかし、本来は神聖な行為であるはずの男女の交接ミ ト ノ マ グ ワ イが神の心に沿わない形で行われるようになってしまい、そこから“世の乱れ”が始まったと指摘されています。

「二二の盗み合ひ、世の乱れ」 『黄金の巻』 第二十九帖 [540] 「二二」は「夫婦」の意味と思われます)

「出足の港は夫婦の道からぢゃと申してあろう。男女関係ぢゃと申してあろう。これが乱れると世が乱れるぞ。神界の乱れイロからぢゃと申してあろう。男女の道 正されん限り、世界はちっともよくはならんぞ。今の世のさま見て、早う改心、結構いたしくれよ。和は力ぞ」 『春の巻』 第二十五帖 [682] 第一仮訳)

 ここで述べられている「神界から乱れた」という記述は他にもあります。

「世は神界から乱れたのであるぞ、人間界から世 建直して、くにの岩戸 人間が開いて見せると云ふ程のはくなくてならんのざぞ、その気魄 さきはふのざぞ」 『梅の巻』 第十帖 [437]

「此の世を乱したのは神界から、此の世 乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、この道理 判るであろがな、建直しの御用に使ふ身魂は此の世 乱した神々様であるぞよ」 『海の巻』 第十三帖 [505]

 そして、神のむねに沿った男女の交接ミ ト ノ マ グ ワ イから“正しき秩序”が生まれることが強調されています。

「廻りくどいようなれどの道から改めなされよ、出舟の港は夫婦からぢゃと申してあろう、ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ」 『極めの巻』 第二十帖 [947] 日本語の「とつぎ」とは嫁入りのことですが、男女の交接を指す意味もあります)

 この帖では一組の夫婦の関係が、伊邪那岐神と伊邪那美神を通して、世の中の秩序の形成にまで関わることが語られているようです。

 結局の所、天之日津久神様が伝えたいミトノマグワイとは、夫婦の理想像に代表される“和合の精神”だと思われるのです。そして、そういったマツリの考え方が日月神示の全体を貫いています。

 次に“フトマニ”についてですが、や天明氏によれば「神ですら破ることのできない大宇宙の鉄則」とのことです。ただ、これに関してはと一緒に言及する方が判り易いので、第六章『数霊の五十/五十九柱の神』や第八章『同じ名の神/マニ』で述べます。

 次に、天の御柱と夫婦神の軌道うごきを考察してみます。

 記紀では伊邪那岐神と伊邪那美神が天の御柱の周囲を廻ったことが書かれていますが、ここで大切なのは「両神がミトノマグワイをする前に一時的に別れたこと」「両神の動きが対称性を備えていること」の二つです。そして、日月神示には天の御柱の逸話の“一時的な分離”“左廻りと右廻りの軌道”を念頭に置いた記述があります。

「神そのものも神の法則、秩序に逆らうことは出来ない。法則とは歓喜の法則である。神は歓喜によって地上人を弥栄せんとしている。これは、地上人として生れ出ずる生前から、また、死後に至るも止まざるものである。神は、左手にての動きをなし、右手にての動きを為す。そこに、地上人としては割り切れない程の、神の大愛が秘められていることを知らねばならぬ」 『地震の巻』 第十五帖 [392]

「世の元は〇であるぞ、世の末も〇であるぞ、〇から〇に弥栄するが、その動きは左廻りと右廻りであるぞ、と申してあろう、その中心に動かぬ動きあるぞ」 『星座の巻』 第十帖 [893] この帖の内容では「れい」なのか、それとも「えん」や「たま」や「まる」なのかは判別できません。意図的に複数の意味で読めるように書いてある可能性も高いです)

ある時期迄は八方と九、十の二方に分れて それぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ」 『至恩の巻』 第九帖 [956]

 そこで、伊邪那岐神と伊邪那美神の“二つの軌道”を簡単な図にしてみますが、夫婦神の動きが対称的であるが故に、“真ん中の軌道うごきが存在することも見えて来ます。

 この場合のは最初と最後にしか現れず、全体が二つに分離した状態では。しかし、実際には真ん中が対称的な二つの動きや全体の流れを統御していることを、先程の引用では「れい」や「動かぬ動き」と表現したのでしょう。これと同じ内容を語った記述もあります。

は常に動いて栄え、は常に動かずして栄え行く、その平衡が浄化、弥栄である」 『地震の巻』 第三帖 [380] 第一仮訳)

「中の中には中の道あるぞ。中の中のは無であるから動きないぞ。動きないから無限の動きぢゃ。そのの外の中は人民にも動きみゆるぞ。この道は中ゆく道ざと申してあろうが」 『春の巻』 第三十九帖 [696]

が無なればなる程は有となるであるぞ。このことよく判りて下されよ」 『夏の巻』 第十一帖 [728]

ナカイマと申すことは今と申すことであるが、は無であるぞ、動きなき動きであるぞ。真中うごくでないと申してあろう、うごくものは中心でないぞ、その周囲が動くのであるぞ、そのことよくわきまへよ」 『秋の巻』 第十九帖 [760] 昭和二十七年版)

「中は無、外は有であるぞ。中になる程 無の無となるのぢゃ」 『秋の巻』 第二十六帖 [767]

 ここからは「一つのものが二つに別れて再び一つになる」という神経綸の全体を貫く考え方が、天の御柱の逸話に示されていることが判ります。一時的な別離は“新しきミチを生むために必要な過程”なのであって、必ずしもすべきものではないと言えます。そこから読み取れるのは、

「統合するためには分離していなければならない」という“逆説的な必然性”です。

 そして、この話が“一度目の岩戸閉めの伏線”になっているのです。

 本章の最後に、日月神示に見られるしょうずいの男女観について考えてみます。

 記紀の天の御柱の話は、イザナミから声を掛けたら国生みが上手く行かず、イザナギから声を掛けたら上手く行ったことを伝えています。これは記紀の研究で「支那チャイナの男性上位の思想の影響を受けた」と言われており、必ずしも日本古来の考え方ではないとされます。

 ですが、日月神示では明らかに夫唱婦随が唱えられており、妻が前に出過ぎることを戒めています。

「家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気付けておくぞ、村も国々も同様ぞ。女のメグリはコワイのざぞ」 『磐戸の巻』 第十帖 [246]

「家の治まらんのは女が出るからぞ」 『黄金の巻』 第七十二帖 [583]

 こういった日月神示の女性への訓戒は言い方が優しい方です。引用はしませんが、の直接的な源流である大本神諭では、とにかく女性に対して手厳しいことが書かれています。

 無論、家の中が治まらないのは女性だけに原因があるわけではありません。

「家内和合できんようでは、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合できぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ」 『キの巻』 第十帖 [267]

 しかし、基本的には「夫を立てた方が一家は上手く行く」とのことです。

「家族 幾人居ても金いらぬであろが。主人あるぢどっしりと座りておれば治まっておろが。神国の型 残してあるのざぞ」 『水の巻』 第十三帖 [287]

「夫 立てると果報は女に来るぞ」 『黄金の巻』 第七十二帖 [583]

 上の帖の「神国の型」はと関係があります。それが最も判り易いのは、『地震の巻』の霊界論に記された、天国における“主人と家族”の姿や“中心”に対する考え方です。

「天国の政治は、歓喜の政治である。〔中略〕 天国に於ける政治の基本は、以上の如くであるが、更に各家庭に於ては、同一の形体をもつ政治が行なわれている。一家には、一家の中心たる主人、即ち統治者がおり、前記の如き原則を体している。またその家族たちは、主人の働きを助け、主人の意を意として働く。その働くことは、彼等にとって最大の歓喜であり、弥栄である。即ち、歓喜の政治であり、経済であり、生活であり、信仰である。天国に於ける天人、霊人たちは、常にその中心歓喜たる統治者を神として礼拝する。歓喜を礼拝することは、歓喜の流入を受け、より高き歓喜に進んで行くことである」 『地震の巻』 第十九帖 [396]

 ここで示された内容がを模していることは、次の記述からも判ります。

「同気同類の霊人は同一の情態で、同じ処に和し、弥栄え、然らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる。同類は相寄り、相集り、睦び栄ゆ。〔中略〕 各々の団体の中には又 特に相似た情動の霊人の数人によって一つの家庭的小集団が自らにして出来上ってゐる。そして又 各々の集団の中心には、その集団の中にて最も神に近い霊人が座を占め、その周囲に幾重にも、内分の神に近い霊人の順に座をとりかこみ運営されてゐる。しそこに、一人の場所、位置、順序の間違があってもその集団は呼吸しない。しかしてそれは一定の戒律によって定められたものではなく、惟神の流れ、則ち歓喜によって自ら定ってゐるのである。また これら集団と集団との交流は、地上人の如く自由ではない、総てはを中心としての姿を形成してゐるのである」 『地震の巻』 第四帖 [381] 第一仮訳)

「宇宙の総てはとなってゐるのざぞ、どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、悉く中心に統一せられてゐるのざぞ。マツリせる者を善と云ひ、それに反する者を悪と云ふのざぞ」 『青葉の巻』 第三帖 [472]

 このような天国の一家の在り方が、日月神示の男女観や夫婦観に反映されているようです。それと言うのも、妻が夫を軽んじるのは中心であるを無くさんとする行為に繋がり、が神や霊性を忘れた人間の象徴に掲げるの姿に通じてしまうからです。

 、或いはを掛け合わせてもにはなりません。が和合してになるように、互いの違いを活かして協力し合う“異なるもの同士の結び”にこそ、本当の男女の道があるのでしょう。そのことはイザナギが司る一二三四五六七八とイザナミが司る九十に譬えて語られています。

「何事もはらい清めて下されよ、清めるとは和すことぞ、違ふもの同士 和すのがマコトの和であるぞ。8迄と9 10とはさがが違ふのぞ」 『極めの巻』 第五帖 [932]

 同時に、夫婦の和合はまことの信仰”に通じるそうです。これは夫婦の理想の姿がの在り方”と同じであるからだと思われます。

「妻にまかせきった夫、夫にまかせきった妻の姿となれよ。信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。岩戸ひらけるぞ。不二晴れるぞ」 『黄金の巻』 第九十九帖 [610]

「あなたまかせ、よい妻と申してあろうがな、神まかせがよい人民であるぞ、この神とみとめたらマカセ切れよ、神さまにホレ参らせよ信仰の第一歩ぞ」 『春の巻』 第十六帖 [673] 第一仮訳)

「愛は養はねばならん。夫婦愛はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。生み出すのぢゃ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ」 『春の巻』 第二十六帖 [683] 昭和二十七年版)

 そして、日月神示はカミ意向こころに沿う“正しき秩序”が、夫婦の道を出発点として生まれることを強調しており、それこそが“フトマニ”であり“ミトノマグワイ”になるそうです。

「天国の礎、出足の地場は夫婦からぢや、夫婦の道は神示の道ぢや、和ぢや」 『黄金の巻』 第四十三帖 [554] 第一仮訳)

「出足の港は夫婦の道からぢゃと申してあろう。男女関係ぢゃと申してあろう。これが乱れると世が乱れるぞ」 『春の巻』 第二十五帖 [682] 第一仮訳)

「今の学者には今の学しか判らん、それでは今度の岩戸ひらきの役にはたたん、三千世界の岩戸ひらきであるから、少しでもフトマニに違ってはならんぞ。廻りくどいようなれどの道から改めなされよ、出舟の港は夫婦からぢゃと申してあろう、ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ」 『極めの巻』 第二十帖 [947]

 以上が、日月神示を軸にした“国生み”“天の御柱”に関する考察です。

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島生み / 神生み

 前章で考察した“三界の国生み”は、記紀には見られない日月神示の独自の内容です。そして、記紀神話における伊邪那岐神と伊邪那美神の国生みとは【島生み】と【神生み】を指します。

 日月神示での島生みと神生みの物語は、細部に多少の違いはあるものの古事記に準拠しています。とにかく登場する神々が多く、一柱づつ論じることはできないので、本章ではに個別的な言及がある神霊に絞って取り上げます。


 古事記で伊邪那岐神と伊邪那美神がミトノマグワイを行い、最初に生まれた子があわしまです。日本書紀の異伝にも同じような話が幾つかあり、二柱の島神はイザナミから声を掛けた際に生まれた不具の子だったと伝えられています。

ここのみこと のみこと しまたまひき。はじめに(18)あわしま(19)たまひき。 くにうちかくたまひければ、〔後略〕 『日月の巻』 第三十帖 [203]

 記紀の一般的な解釈では、水蛭子の名は「ひるのように手足が無く人の形を成していなかった」という意味です。淡嶋の名は「淡く儚い」や「泡の如く消えた」と解釈されており、どちらも表舞台に立つことなく去ってしまいました。

 こういった内容が「此の御子 国の内にければ」の背景です。残念ながら期待したような子ではなかったことが、別の箇所に書かれています。

「こんどのいわとひらきには ひるこうむでないぞ。あはしまうむでないぞ」 『月光の巻』 第二帖 [789]

 ここで注目に値するのは、点です。故に、岩戸が開く旧九月八日が“新しき生みが始まる日”であろうことが推察できます。

 他には、水蛭子と淡嶋を連想させる話として「世界は最初から上手く行ったわけではない」とあります。

「世の元、〇の始めから一と現われるまでは〇を十回も百回も千回も万回も、くりかへしたのであるぞ、その時は、それはそれはでありたぞ」 『扶桑の巻』 第二帖 [851]

 一の前に繰り返されたれい“胎児”や水蛭子や淡嶋に見立てるならば、みずであっても一つの存在いのちとして丁重に祀る方が、神意に適うと思われます。日月神示にも以下の記述が見られます。

「死産の子も祀らねばならん」 『黄金の巻』 第五十五帖 [566]

「宿った子 殺すことは、人民 殺すことぢゃ」 『春の巻』 第七帖 [664]

 ただし、古事記には「水蛭子と淡嶋は子の数に入れない」という注釈があります。

 古事記では水蛭子と淡嶋が生まれた後、改めてイザナギから声を掛けると国生みが上手く行ったことが書かれており、次々としまがみが生まれます。島神は神格を有するので御神名も併記されています。

つぎのりごちてのち たまへるあわわけしま(20)ふたしま(21)しま[1]いひより[2]おお[3]たてよりわけ[4]ふ。つぎみつのしま(22)あまおしわけ[5]つぎつくしま(23)しましらわけ[6]とよわけ[7]たけむかとよわけ[8]たてわけ[9]つぎのしま(24)あめばしら[10]つぎしま(25)あめより[11]つぎのしま(26)つぎおおやまとあきしま(27)あまつとよあきわけ[12]つぎのこじま(28)たてかたわけ[13]つぎ小豆あづきしま(29)おほ[14]つぎおおしま(30)おおわけ[15]つぎひめじま(31)あめひとつ[16]つぎのしま(32)あめおし[17]つぎふたしま(33)あめふた[18]ふたしまやつしまむつしまわせて十六島とおあまりむつしま たまひき。つぎまた たまひて、おおしま じま たまひき。アワヂシマ<1>、フタナシマ<2>、オキノシマ<3>、ツクシノシマ<4>、イキノシマ<5>、ツシマ<6>、サドノシマ<7>、オオヤマトシマ<8>、コジマ<9>、アヅキシマ<10>、オオシマ<11>、ヒメジマ<12>、チカノシマ<13>、フタゴシマ<14>十四島とおあまりよつしま しまみましき」 『日月の巻』 第三十帖 [203] 1 古事記の「建日向日豊久比泥別」はでは「建日向日豊久比泥別」です。 2 古事記の「大倭秋津島」は日月神示では「大倭秋津島」です。 3 「チカノシマ」は原文Uと原文Wと基本訳の「ちかのしま」と第一仮訳の「ちかの島」に基づいています。原典の「七かのしま」と第二仮訳の「なかの島」は誤植です。 4 「十四島 生み給ひき」は「十四島生み給ひき」かもしれません)

 日月神示の島神は名称に若干の差異が見られるものの、基本的には古事記と一緒です。違うのは同じ名が二度繰り返されている点と、水蛭子と淡嶋を数に入れる場合と入れない場合の“二つの数え方”が提示されている点です。

 別格的な神々であることあまつかみと、総称が総数を兼ねるくさいかづちがみを除けば、日月神示の創世神話で数を数えているのは島神だけです。ここで提示された十六島と十四島の数え方が、後で登場する“火の神”に特別な意味を持たせることになります。

 それと、上記の中のいひよりに関しては、日月神示に言及があるので簡単に説明します。

 あわわけしまの次に生まれたふたしまは、古事記で「一つの体に四つの顔がある」と書かれており、現在の“四国”を指します。飯依比古とはさぬのくにである香川県の名称です。そして、によると“飯依の御用”と呼ばれる神業があったそうです。

「イイヨリの御用 タニハの御用 御苦労であったぞ」 『キの巻』 第二帖 [259] タニハは丹波国たんばのくにのことです)

 上の記述によると、日月神示が降り始めた頃に香川県で何らかの神業が行われた模様です。もっとも、これはねぎらいの言葉ですから今後のことには関係ありません。小話の一つとして触れた次第です。

 島生みの次に“神生み”が始まって“御子神”が生まれて行きます。この部分も名が二度繰り返される神が登場する以外は古事記と同じです。ただし、伊邪那岐神と伊邪那美神から見た孫神は抜き出されて、後段で一まとめになっています。

つぎぶき きてがみ たまひき。おおことおしのかみ(34)、オホコトオシヲノカミ<15>いしつちのかみ(35)、イシツチビコノカミ<16>いしのかみ(36)、イシスヒメノカミ<17>おおわけのかみ(37)、オホトヒワケノカミ<18>あめふきのかみ(38)、アマノフキヲノカミ<19>おおのかみ(39)、オホヤビコノカミ<20>かざわけおしのかみ(40)、カザケツワケノオシオノカミ<21>わたのかみ(41)、ワタノカミ<22>おほ綿わたのかみ[19]みなのかみ(42)、ミナトノカミ<23>はやあきのかみ[20]はやあきのかみ(43)、ハヤアキツヒメノカミ<24>かぜのかみ(44)、カゼノカミ<25>のかみ[21]のかみ(45)、キノカミ<26>のかみ[22]やまのかみ(46)、ヤマノカミ<27>おほやまのかみ[23]のかみ(47)、ヌノカミ<28>鹿のかみ[24]づちのかみ[25]とりいわくすふねのかみ(48)あめのとりふねのかみ[26]おおのかみ(49)、オホゲツヒメノカミ<29>はやのかみ(50)Rかがのかみ[27]みましき」 『日月の巻』 第三十帖 [203] 原文の「十りの一八九すねノか三」は字形が似ている「フ」と「つ」が混同されたと思われます。原書で「つ」に見えても実際には「フ」として書かれたのではないでしょうか。そのため、訳文には「ふ」を採用しました)

 この中で個別の言及があるのははやあきのかみかぜのかみつちのかみの別名の方が有名なはやのかみです。火の神である迦具土神は後述するので、ここでは速秋津比売神と風神を簡単に説明します。

 伊邪那岐神と伊邪那美神の子であるはやあきのかみは、古事記に名が見受けられるだけで個別的な逸話は伝わっていません。しかし、有名な大 祓 詞おおはらえのことばに登場することから名が知られており、“四柱の女神”の一柱として日月神示の節分祝詞にも歌われています。

〔前略〕 瀬織津の、ヒメの大神、速秋の、秋津ヒメ神、伊吹戸の、主の大神、速々の、佐須良ヒメ神 〔中略〕 祓戸にます、祓戸の、大神達と、相共に 〔後略〕 『春の巻』 第三帖 [660]

 また、四柱の女神ははらえおおかみとして広く信仰されており、第十巻『水の巻』三帖のはらえ祝詞のりとにも「はらえと四はしらのかみたち」の言葉で登場します。それと、日月神示では次のように語られています。

「この方ははらへの神とも現はれるぞ」 『下つ巻』 第二十七帖 [69]

 “天之日津久神”は総称であり、多くの神々が共用する神名なので、国常立神と一緒に活動している神霊には祓戸の大神も含まれる模様です。

 伊邪那岐神と伊邪那美神の子として生まれたのかみは、神道や大本系統で“風の神”と呼ばれます。この神霊が日月神示の第十四巻『風の巻』の由来です。

「風の神とは しなどひこの神、しなどひめの神」 『水の巻』 第十帖 [284]

 記紀とは名称に若干の違いが見られますが、日本書紀でも風の神の名を「のみこと」及び「ひこのみこと」と伝えているので、異名同神と見て間違いありません。「しなどひめのかみ」は記紀に登場しませんが、神道では「のみこと」や「ひめのみこと」の名で志那都比古神の配偶神の扱いなので、こちらも異名同神と見て良いでしょう。

 風の神は「罪や穢れを吹き祓う神」と言われており、その風はしなかぜと美称されます。

「よきあしき 皆はらひませ しなの風に」 『竜音の巻』 第一帖 [909]

〔前略〕 かく聞し召してば、アメの国うつし国共につみと云ふつみはあらじと、しなの風の吹き放つことの如く、〔後略〕 『紫金の巻』 第一帖 [980]

 風の神は立替え立直しにおいて非常に重要な役割を果たすいつはしらあらがみの一柱なので、大本神諭の頃から何度も登場しています。当然ながら日月神示にも言及があります。

「神々様みな お揃ひなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、五柱、七柱、八柱、十柱の神々様がチャンと お心合はしなされて、今度の仕組の御役きまりて それぞれに働きなされることになりたよき日ぞ。〔後略〕 『富士の巻』 第十八帖 [98]

「雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神様に お祈りすれば、この世の地震、荒れ、のがらせて下さるぞ、皆の者に知らしてやりて下されよ」 『キの巻』 第三帖 [260]

「世界一平に泥の海であったのを、つくりかためたのは国常立尊であるぞ、親様を泥の海にお住まひ申さすはもったいないぞ、それで天に おのぼりなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、この神々様、御手伝ひで この世のかため致したのであるぞ、元からの竜体持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ」 『キの巻』 第九帖 [266]

「雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神様に祈りなされよ、世の元からの生き通しの生神様 おろがみなされよ」 『雨の巻』 第十帖 [344]

「愈々の大建替は国常立の大神様、豊雲野の大神様、金の神様、竜宮の乙姫様、先づ御活動ぞ。キリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒の神様なり、次に地震の神様となるのざぞ。今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ」 『風の巻』 第三帖 [354]

「我が名 呼びておすがりすれば、万里先に居ても云ふこときいてやるぞ、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、と申して お願ひすれば、万里先に居ても、この世の荒れ、地震のがらせてやるぞ、神々様に届く行で申せよ」 『風の巻』 第五帖 [356]

「愈々のまことの先祖の、世の元からの生神、生き通しの神々様、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神ぞ、スクリと現れなさりて、生き通しの荒神様 引連れて御活動に移ったのであるから、もうちともまたれん事になったぞ」 『風の巻』 第七帖 [358]

「雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、百々八百万の神々様 御活動 激しくなったぞ、人民 目 開けておれん事になるぞ」 『梅の巻』 第六帖 [433]

「いよがイヨとなるぞ、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、乙姫殿、大金神様 『春の巻』 第五十四帖 [711] 昭和二十七年版)

「竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の神殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり」 『紫金の巻』 第十二帖 [991]

 大本系統では五柱の荒神が国常立神の修理固成を手伝ったと言われており、現在も“竜体”を保持したままの“生き通しの神”として、これから大活躍するそうです。

 伊邪那岐神と伊邪那美神の子であるはやあきのかみはやあきのかみ及びおおやまのかみづちのかみは、それぞれに結ばれて子を生みました。日月神示では“孫神”の誕生が御子神の後にまとめて書かれていますが、内容に古事記との差異はありません。

 この入れ換えは「迦具土神が五十であること」を強調するための措置だと思われますが、詳細の解説には数霊論を展開する必要があるので、第六章第七章にて後述します。

 なお、迦具土神の誕生を境にして“神が物語”から“神が物語”に転じたことを考えると、孫神は火の神の前に生まれた可能性があります。

はやあきはやあき ふたはしらかみかわうみことけてませるかみあわのかみ(51)あわのかみ(52)つらのかみ(53)つらのかみ(54)あめみくまりのかみ(55)くにみくまりのかみ(56)あめのかみ(57)くにのかみ(58)つぎおおやまのかみづちのかみふたはしらかみやまけてことげてみませるかみあめづちのかみ(59)くにづちのかみ(60)あめぎりのかみ(61)くにぎりのかみ(62)あめくらのかみ(63)くにくらのかみ(64)おほまとひのかみ(65)おほまとひのかみ(66)、オオトマトヒコノカミ<30>、オオトマトヒメノカミ<31>みましき」 『日月の巻』 第三十帖 [203]

 上記の中でに個別的な言及があるのはあめみくまりのかみくにみくまりのかみです。二柱の神霊は大本系統で“雨の神”と呼ばれており、第十三巻『雨の巻』の由来になりました。

「雨の神とは あめのみくまりの神、くにのみくまりの神」 『水の巻』 第十帖 [284]

 日月神示では雨の神は風の神と一緒に登場する場合が多いです。これは共に農耕に深く関わる神霊だからでしょう。

「世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。盲つんぼの世の中ぞ。神のゐる場所 塞いで居りて お蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ」 『下つ巻』 第三十七帖 [79]

「今度の祭典まつり 御苦労でありたぞ、神界では神々様 大変の御喜びぞ、雨の神、風の神殿ことに御喜びになりたぞ」 『富士の巻』 第二帖 [82]

「雨の神どの風の神どのに とく御礼申せよ」 『天つ巻』 第二十三帖 [130]

「竜宮の乙姫様、雨の神様の御活動 激しきぞ」 『雨の巻』 第十五帖 [349]

 一般的に、天之水分神と国之水分神は“水の神”の例に挙げられる場合が多いので、大本系統での雨の神という呼び方は、神道の通説に準拠していると言えます。

 少し話は変わりますが、ここまでの神霊の合計は天之御中主神から数えて六十六柱であり、天神の十七柱、島神の十六柱、御子神の十七柱、孫神の十六柱という風に、十七と十六が交互もしくは二度繰り返されています。これが岡本天明氏の言う“天神の完成”たる伊邪那岐神と伊邪那美神を表す数だとすれば、生成化育には何らかの規則性があるのかもしれません。

 他にも「御子神と孫神を厳格に区別する」という意味や、「迦具土神の数に注意を向けさせる」などの意図があると思われます。

 また、島神と御子神と孫神の四十九柱には「男女の交接ミ ト ノ マ グ ワ イで生まれた」という共通点があります。そして、ここから先に登場する神々は神”ではなく神”であることに御注意ください。

 記紀では“火の神”である迦具土神を生んでを焼かれたことが、伊邪那美神がびょうに伏した原因であったと伝えています。その結果、病んだ伊邪那美神の身体から出た“排出物”に次々と神が成って行きます。日月神示での話の流れも同様です。

のかみ こやしまして、たぐりりませるかみかなやまのかみ(67)かなやまのかみ(68)くそりませるかみのかみ(69)のかみ(70)尿ゆまりりませるかみのかみ(71)のかみ(72)かみとよのかみ(73)もうす」 『日月の巻』 第三十帖 [203] 古事記の「弥都波売神」は日月神示では「弥都波売神」であり、原文Uと原文Wと原典が「三つ八めノか三」で、基本訳が「みつはめのかみ」です。なお、ここでは呼び方が「伊邪那美」に変わっていますが、その理由は不明です)

 神道ではかなやまのかみかなやまのかみかねの神”と認識されています。二柱の神霊は伊邪那美神のしゃぶつに成ったことから、鉱山や金属加工の守護神として祀られることが多いです。しかし、大本神諭では金の神に対して異なる見解が見られます。

〔前略〕 きんかつかねの神と申す大地の大金神の名を隠してしもふて、金神はかなやまひこのみことじゃといつわり、〔後略〕 『大本神諭/神霊界』 明治三十一年 旧七月十六日 この部分は以後に刊行された大本神諭では削除されています。前後を省略したので判らないと思いますが、全般的な文意は金光教の取次への批判であり、金山毘古神と金山毘売神が鉱物関連の守護神であることを否定しているわけではありません)

 ここに書かれているように、大本系統での金の神とはえにしを司るきんかつかねのかみを指します。ですが、詳しくは大国主神と一緒に解説する必要があるので、本章では割愛して他の神の話を先に進めます。

 伊邪那美神の尿ゆまりに成ったのかみは農産業の守護神の一柱と考えられており、天之日津久神社がある麻賀多神社の祭神です。

 和久産巣日神の子であるとよのかみは、伊勢神宮の外宮のとようけのおおかみとされています。この神霊は内宮の天照皇大神に食事を供する“食物神”であり、その通説に基づく記述が日月神示にあります。

「豊受の大神様お山の富士に祀り、はし 供へて お下げした箸、皆に分けやれよ。に難儀せん様 守り下さるぞ」 『松の巻』 第二十九帖 [320]

 とは食事や食物の意味であり、神への供物なども指します。それ故、豊受大神はかみとも呼ばれます。またという表現は他にも出て来ます。

にひもじくない様、身も魂も磨いておけよ」 『松の巻』 第二十帖 [311]

〔前略〕 御前 かしこみ、を、ささげまつりて、〔後略〕 『春の巻』 第三帖 [660]

 豊受大神については西暦804年(延暦二十三年)に朝廷に献上された『ぐうしきちょう』に由来が記されています。それによると、天照大御神が第二十一代 ゆうりゃく天皇の夢枕に立ち、「私だけでは安らかに食事をとれないのでたんのくにのかみであるのおおかみを呼び寄せなさい」と告げられました。その時から伊勢の地に鎮まることになったそうです。

 ちなみに、外宮神道やわたらい神道とも呼称される“伊勢神道”では、豊受大神を天之御中主神や国常立神と同一神であると説き、最高神に位置付けています。

 火の神を生んで病みせっていた伊邪那美神は、遂には根の国に去ってしまいます。この場面は古事記や日月神示でかみり”と呼ばれます。

ここのかみ かみ たまひて、ひつちたまひて、~かみなかくにかみたまひき」 『日月の巻』 第三十帖 [203] ここでの「火の神 生み給ひて」が「火の神を生んだことを原因として」という意味であることは古事記が参考になります。なお「伊邪那美」は古事記と同じです)

 伊邪那美神が向かった世界は原文で「ネのの九二」と書かれており、岡本天明氏が校閲した訳文では「根の神の中の国」と訳されています。単に「根の国」と書かなかったことには何らかの意図があるはずですが、詳細は判りません。ただ、一般的に死者がおもむく世界とされる黄泉よもつくにであることは確実なので、話の大筋の流れを把握していれば問題は無いでしょう。

 その上で、伊邪那美神が根の国へ去る原因となった“火の神の誕生”は、物語的にも日月神示の創世神話の転 換 点ターニングポイントになります。これは迦具土神が伊邪那岐神と伊邪那美神から“最後の御子神”であることに関係するのかもしれません。

 そして、日月神示は水蛭子と淡嶋を数に入れる場合と入れない場合の“二つの数え方”を提示していますが、前者は迦具土神が“五十柱目”になり、後者は“四十八柱目”になります。

 迦具土神の数を五十と見る場合は“五十音”との関係が想起されます。古事記の神々と五十音が対応するとの指摘は珍しくありませんが、日月神示の創世神話は その主張を裏付けると言えます。この関係を明確にするために、孫神の誕生を御子神の後にまとめたのでしょう。

 また、迦具土神の数を四十八と見る場合は“いろは四十八文字”との関連が思い浮かびます。その場合は四十八音の最後むすびことばである“ん”が火の神に対応することになり、迦具土神の別名のむす連想イメージさせます。この別名は日月神示でも歌に詠まれています。

火結神ほむすびの ミホト焼かへて 岩戸閉ざしき」 『極めの巻』 第一帖 [928]

 同様の意味を有するほとの歌は他にも見られます。

「岩隠れし のミホトは 焼かへ給ひて」 『扶桑の巻』 第七帖 [856]

 この二つの歌の意味は、日本語の「岩戸」がじょいんの隠語”であることを知っていれば判り易いです。つまり、火の神が伊邪那美神のを焼いてほとが正常な機能を発揮できなくなったことを、「岩戸ミホトを閉ざした」と表現しているのです。これは数霊的には「九十が失われた」という意味を持ちます。

 そして、ほとを焼かれた伊邪那美神はひつちになりました。この部分は記紀には見られない日月神示だけの内容です。の原文の性質上、ヒツチはヒヅチやヒツと訳すことも可能ですが、これらは共にひこばえの古語です。

 ひこえは草木の切り株や根に新しく生える“新芽”であり、そこから“新生”“生まれ変わり”を意味する表現であることが読み取れます。他にも、ヒコバエという表現には「根が同じなので別物ではない」や「必ずしも死んだとは言えない」といった意味を含ませてあるようです。

 ヒツチは根の国に去った後の“伊邪那美神の状態のたとえ”なのですが、これについては次章で詳述することにして、ここでは残された伊邪那岐神の話を先に進めます。

 伊邪那美神が根の国に去った後、妻神を失って嘆き悲しむ伊邪那岐神の“涙”に神が成ります。

ここのかみ たまひければ、そのなみだりませるかみなきさわのかみ(74) 『日月の巻』 第三十帖 [203] 古事記では「伊邪那岐」です)

 更に、夫神の悲しみは妻神を失う原因となった火の神への怒りになり、伊邪那岐神は迦具土神を斬殺します。すると“迦具土神の遺骸”からも多くの神が成りました。

ここつちのかみ たまへば、その いわに こびりて、いわさくのかみ(75)さくのかみ(76)いわつつのかみ(77)みかはやのかみ(78)はやのかみ(79)たけかづちのかみ(80)たけのかみ[28]とよのかみ[29]はかしかみくらのかみ(81)くらのかみ(82)ここころされしつちかしらりませるかみまさ鹿やまのかみ(83)むねやまのかみ(84)はらおくやまのかみ(85)ほとくらやまのかみ(86)ひだりやまのかみ(87)みぎりやまのかみ(88)ひだりあしはらやまのかみ(89)みぎりあしやまのかみ(90)りましき」 『日月の巻』 第三十帖 [203]

 ここで登場するたけかづちのかみは日本書紀で「たけみかづちのかみ」と表記されます。そして、日本書紀や古語拾遺にいわつつのかみの子として登場するぬしのかみと一緒に、神道や大本系統で“地震の神”と呼ばれます。この神霊が第十七巻『地震の巻』の由来です。

「地震の神とはたけみかづちのかみぬしのかみ々様のおんことで御座るぞ」 『水の巻』 第十帖 [284]

 武甕槌神は茨城県の鹿島神宮の祭神として有名です。経津主神も千葉県の香取神宮の祭神として有名であり、二社はおき神社を加えて東国三社と呼ばれ、古来から伊勢神宮や出雲大社に次ぐ格式を誇ります。また、二柱は出雲の国譲りや神武東征での活躍から“武の神”としても名高いです。

 この神霊が地震を鎮める存在になった経緯は判然としませんが、昔の日本には「地震はなまずが引き起こす」という俗説があったので、「魔物を征するのは武の神に違いない」といった形で印象イメージが結び付いて行ったのかもしれません。

 余談ですが、鹿島神宮と香取神宮には地底で地震を起こす大鯰を抑えるかなめいしなるものが存在していて、地下深くで繋がっているという伝説があります。西暦1684年(貞享元年)こうもんで有名なみつくにが、伝説の真偽を確かめるために要石の周りを七日七晩に渡って掘らせましたが、一向にたんが見えなかったので、遂に諦めたそうです。

 伊邪那岐神は迦具土神を斬り殺しましたが、その際に使った“刀剣”も一柱の神に数えられています。

ここたまへるはかしあめばり(91)ばり[30]ふ」 『日月の巻』 第三十帖 [203]

 之尾羽張の別名である之尾羽張の「」は、古語におけるいつの美称と同じ意味のようです。その上で、岡本天明氏はいつの言霊といつの数霊を同一視しています。

〔前略〕 古事記には この間の消息を「天(0)は五なり」と示して居ります。則ち「かれ斬りたまへる刀の名は之尾羽張と云ふ。またのな(5)之尾羽張と云ふ」云々と明示してあります。又、この伊豆(伊都)を言霊的に申しますと、「ミ清める」と云ふ意味となり、出雲国造神賀詞等 多くの祝詞に見られます。又このイツはイツのイツでもあって、天照大神が素尊をむかえる段には、「伊都のたけび踏み建び──」云々と示してありますが、要するに数霊的に見る5と同一内意をもつものと云へるようであります」 『古事記数霊解序説』 第六章 昭和三十七年版。昭和四十七年版では第七章。文中の「素尊」とは大本教での素盞嗚尊の略称です)

 上の内容を含む幾つかの根拠から、天明氏は五を“根本数”とする数霊論を展開していました。日月神示にも同様の記述が見られますが、それらは第一章“五柱のことあまつかみの解説を御覧ください。

 そして、妻神を忘れられない伊邪那岐神は自らも“根の国”に向かいます。

ここいもこいしましたまひてくにたまひき」 『日月の巻』 第三十帖 [203]

 ここから、日月神示の説く“一度目の岩戸閉め”が始まります。

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黄泉国 / 千引の岩戸閉め

 伊邪那岐神が妻神を追い掛けて向かった“根の国”には多くの異称が存在し、記紀と日月神示では死者がおもむを意味する【黄泉よもつくに】と呼ばれることが多いです。

 これから本章で何度も言及するので先に述べて置きますが、黄泉国は日月神示で“九と十の世界”と表現されています。そして、注意が必要なのは次の点です。

「伊邪那美神がらす九十の世界は

 その根拠は天神の神勅の時点で、伊邪那美神が修理固成すべき世界としてくにが挙げられているからです。これはことくにであるゆうかいがいこくについて考える際に重要になります。また、日月神示では明言されていませんが、黄泉国はが生み育てた世界なので“月の国”である可能性が極めて高く、時節における九月と十月が旧 暦つきのこよみであることの背景になっています。

 火の神にほとを焼かれた伊邪那美神は、こういった色々な異称や側面がある黄泉国へかみりましたが、それが“最初の岩戸閉めの原因”になったそうです。

「岩戸しめの始めはの命の時であるぞ、那美の神が火の神を生んで黄泉よもつくにに入られたのが、そもそもであるぞ、〔中略〕 妻神も同様、黄泉よもつおおかみとなられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ」 『碧玉の巻』 第十帖 [874]

「ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、火の神を生み給ひてナミの神は去りましたのであるぞ。物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、心得なされよ。ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神を訪れ給ひ、相談されたのであるなれど、話が途中からコヂレて遂に別々に住み給ふ事となり、コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ」 『至恩の巻』 第八帖 [955]

 本章では、伊邪那岐神が伊邪那美神を追って黄泉国に入ってからの「話が途中でこじれた」という部分と、夫婦神の別離を決定的にしたびきいわの場面までを考察します。

 そして、この千引岩を挟んでの別離が“一度目の岩戸閉め”であり“予言の眼目”になっています。何故なら、日月神示は三千世界の立替え立直しや“夫婦神の絶縁と復縁の物語”として語っているからです。

 そのため、【千引の岩戸閉め】は他の四度の岩戸閉めと比較しても圧倒的に言及が多く、日月神示の数霊論の中核になっています。また、時節論における“旧九月八日が最重要の日付である理由”も千引岩から答えを得ることができるのです。


 根の国に着いた伊邪那岐神は首尾よく伊邪那美神に出会えます。記紀では夫神から話し掛けていますが、日月神示では妻神から話し掛けており、内容も独特です。

ここ かたらひつらく。「あれ みましつくれるくに いまつくへねど、とき ちてつくよい ちてよ」とたまひき」 『日月の巻』 第四十帖 [213] 原文の「一またつ九おへね十」は訳文資料に共通する「未だ作り終へねど」を踏襲しましたが、他に適訳があるかもしれません)

 内容の主旨は「貴男あなたと行った修理固成つくりかためは終わっていませんが、いずれは再開するのでしばらく待って下さい」であり、「修理固成は終わっていない」男女の交接ミ ト ノ マ グ ワ イや国生みを再び行う意志がある」を前提にした発言になっています。

 原文の「四一四」は今までの訳文資料では「よいよ」と訳されていますが、どのような意味を持つのかは判然としません。ただ、「待ちて」と「待ちてよ」が対応すると仮定すれば、ときに関わる言葉である可能性が高そうなので「よい」の訳を採用しました。

 宵は夜になって間もない頃合いを指す言葉なので、男女のひめごとは暗くなってから本格的に始まることに掛けた表現と考えれば、男根ヌホコ女陰ヌホトを軸にした物語に意味が合うと思います。

 他には、宵夜と類似する表現に“日暮れ”があります。

れを気つけてくれよ、日暮れよくなるぞ、日暮れに始めたことは何でも成就するやうになるのざぞ、れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ。のくれのことを申すのざぞ」 『地つ巻』 第二十三帖 [160]

 ここでの「の暮れ」とはの世の終盤”であり、日月神示の数霊論では八が九になりつつある時代を指します。

 そして、「四一四」はから一を除いた“数的な表現”と見ることも可能です。これは、四一四を数として足した“九”と見ても文意が通るからです。その場合は「九のまで待って下さい」という意味になり、日暮れや旧九月八日が内包する意味に通じます。

 それと、本論だけの翻訳である「伊邪那美の」について補足します。これは今までの訳文と比べると非常に特殊な解釈なので、まずは既存の資料の該当個所を提示します。

原文U一三七三ノ九十昭和二十三年
基本訳いさなみのみこと昭和二十八年
第一仮訳伊邪那美命昭和二十九年
原文W一三七三ノ九十昭和三十五年
原典一三七三ノ三九十昭和五十一年
第二仮訳伊邪那美命昭和五十三年

 結論から述べると、上記の資料に無い「一三七三ノ九」が正しいようです。どうして断定できるのかと言えば、この部分は複製コピーの方の原書が遺っており、のを確認できるからです。

 原書はいちべつすると「一三七三ノ九」か「一三七三ノ九」ですが、「十」も「ナ」も横から縦の順で書くのに対し、問題の箇所は縦から横に書かれています。第一巻『上つ巻』第一帖の原書の複製コピーで確認すると「十」は書き順通りなので、上記の部分はと判断して「一三七三ノ九」と結論しました。また、「九メ」を「小女」と訳せば夫婦神の物語を筋道立てて説明できることも大きな理由です。

 日本語の古語の「」は主にどうじょを意味しており、いわゆる“成人前の女性”を指します。そこからは「伊邪那美神は肉体的にはので、この時点では童女の段階にある」という内容を導き出せます。即ちの状態”です。

 小女やヒツチは“交接や受精ができない状態”もしくはが使用できない状態”たとえと見れば、話の大筋の流れとしては間違っていないはずです。或いは、女性の肉体上の周期サイクルである月経つきのものなどにも関係しているのかもしれません。

 つまり、伊邪那美神の発言はくにを生める状態からだに戻っていないので男女の交接ミ ト ノ マ グ ワ イは暫く待って欲しい」という意味だと考えられるのです。そのため、復縁の意志があっても夫神からの国生みの再開の誘いを断らざるを得なかったのでしょう。

 そして、この解釈を後押しする内容は すぐ後にも出て来るので話を先へ進めます。

 日月神示の創世神話では、復縁を断られた伊邪那岐神が次のように答えています。

ここのみこと、「みまし つくらはねば つくらめ」とたまひて「かへらむ」とまおしき」 『日月の巻』 第四十帖 [213]

 上の部分は既存の訳文資料では「吾とくつくらめ」です。もしかしたら「吾と作らめ」か「吾と作らめ」なのかもしれませんが、本論では「 つくらめ」の漢字を当て嵌めました。その理由は「汝」と「吾」及び「作らはねば」と「作らめ」が対応すると考え、「吾作らめ」の部分に夫婦神の見解の相違を表す言葉が入ると推測したからです。

 多分、上記の言葉を意訳すれば「貴女あなた作りたくないようだが、私は作りたい。だから帰ろう」になるのではないでしょうか。そう解釈すれば、妻神が前段で「待って欲しい」と言った話と後段で怒った話が繋がると思います。

 いずれにせよ、夫神イザナギが国生みを再開するために妻神イザナミと一緒に帰ることを望んでいる」という点さえ把握していれば、物語の流れを追う分には問題ありません。

 しかし、上述のように伊邪那美神はミトノマグワイができない状態にあり、夫神と妻神の意向にれ違いが生じます。

 伊邪那岐神の言葉を、伊邪那美神の身体にくさいかづちがみが成ります。

ここのみこと たまひて、かしらおほゐかづち(92)、オヲイカヅチ<32>むねほのいかづち(93)、ホノヰカヅチ<33>はらにはくろいかづち(94)、クロヰカヅチ<34>かくれさくいかづち(95)、サクヰカヅチ<35>ひだりわきゐかづち(96)、ワキイカヅチ<36>みぎりつちいかづち(97)、ツチヰカヅチ<37>ひだりあしなるいかづち(98)、ナルヰカヅチ<38>みぎりあしふしゐかづち(99)、フシイカヅチ<39>たまひき」 『日月の巻』 第四十帖 [213]

 この辺りの話は記紀で幾つかの異伝があり、伊邪那美神は夫神の呼びかけに一度は応じようとしたそうです。しかし、黄泉国は暗いので伊邪那岐神が火を灯して妻神の姿を見ると、うじや雷神が腐乱した姿が明らかになって、話し合いは物別れに終わります。

 こういった腐乱の描写は日月神示にはありません。この時点での伊邪那美神が小女やヒツチと表現されていることから考えると、省略されたわけではなく記紀との相違点でしょうか。

 また、日月神示では伊邪那岐神の言葉を聞いた際に八種の雷神がと描写されています。前後の話の流れから考えると夫神イザナギの言葉を聞いた妻神イザナミの感情に呼応して雷神が発生した」という風に読めます。これは日本語で“怒り”を「雷が落ちる」と表現することに通じているようです。人間の男女の話に譬えるなら、成人前の女性や月経時の女性が交接を迫られて不快感を感じるようなものかもしれません。

 ここまでの経緯が、日月神示が「途中で話がこじれた」と評した部分です。しかし、多少の行き違いはあったにせよ、憎しみ合うまでに至ったわけではなく、そのことが後の復縁話の伏線になっています。

 そして、上記の引用の中に「」の翻訳を後押しする内容があります。

 八種の雷神が成った部位と順序は斬り殺された迦具土神と同じです。しかし、迦具土神は八つの部位の全てに接頭語である「」が付いているのに対し、伊邪那美神は六つの部位にしか付いていません。付いていないのはむねかくれであり、共に育児や出産に深く関わる“女体の象徴シンボルと言える部位です。

 つまり、伊邪那岐神が復縁を持ち掛けた時点では、伊邪那美神の肉体が成人した女性としての本来の機能を発揮できず、「ミトノマグワイや国生みの続きができる状態にない」ということを表現するために、胸部と陰部の接頭語がと考えられるのです。

 以上のように“小女”の解釈を採用することによって、ヒツチの譬え、復縁を断らざるを得なかった背景、雷神が発生した経緯、接頭語が付いていない部位がある理由などが一つに繋がり、夫婦神の遣り取りを筋道立てて説明できるようになるのです。

 話は変わりますが、伊邪那美神の頭と左手に成った大 雷おほいかづち若 雷わきいかづちは、大本系統であれかみと呼ばれており、第十六巻『荒の巻』の由来になっています。

「荒の神とはおおいかづちのをのかみ、わきいかづちおの神」 『水の巻』 第十帖 [284]

 ちなみに、記紀の研究では雷と雷の名称的な対応関係が指摘されていますが、この神霊を荒の神と呼ぶ習慣は神道にはありませんし、大本系統で荒の神と呼ばれるようになった経緯も不明です。

 なお、日月神示はあらぶる神をあらる神”として説いているので、荒の神はれの神”れの神”の側面を持つ可能性があります。

 雷神を身にまとう妻神の姿を見た伊邪那岐神は逃げ出し、伊邪那美神は黄泉国の軍勢と共に追い掛けます。

のみこと かしこみてかへたまへば、いものみこと黄泉よもつしこはしめき。ここのみこと くろかみかづら り、また ぐし きてたまひき。のみこと つきくさいかづちがみ黄泉よもついくさ へてたまひき」 『日月の巻』 第四十帖 [213]

 記紀では腐乱した姿を見られた伊邪那美神が「私に恥をかせた」と言って怒り出します。日月神示では理由が違いますが、軍勢を差し向けたことから怒っている点は同じであると思われます。

 それと、くろかみかづらぐしとは髪飾りのことです。上の引用では省略されていますが、これらを投げ捨てるとどうたけのこが生えて黄泉醜女がむさぼり、伊邪那岐神は何とか逃げられたそうです。

 最初に差し向けた軍勢が黒髪鬘と葡萄でかわされ、次も湯津津間櫛と筍でかわされ、最後に全軍を出陣させる“三段階の順序”は何らかの暗喩かもしれませんが、詳細は不明です。

 伊邪那美神の軍勢に追われる伊邪那岐神は、うつし世と黄泉国の狭間に位置するさかで迎え撃ち、ももによって危地を脱します。

ここのみこと つかつるぎ きてしりへきつつり、たび 黄泉よもつさかさかもといたたまひき。さかもとなるももりてたまひしかば、ことごとたまひき」 『日月の巻』 第四十帖 [213]

 逃走中の伊邪那岐神には全く余裕が無く、走りながら剣を後ろに向けて振っていました。この辺りの内容は古事記と同じです。

 そして、日月神示の独自の記述として黄泉津比良坂に到達したと書かれています。正確な意味は判りませんが「最初から正しい道を見付けられたわけではない」と語ったのかもしれませんし、上述した三段階の順序との対応も考えられます。

 この後、伊邪那岐神は黄泉津比良坂の坂本に生えていた桃の実を追手に投げつけます。そうすると黄泉国の軍勢は逃げ出してしまい、伊邪那岐神は無事に現し世に帰って来ることができました。

 注意する点があるとすれば、伊邪那岐神が手に取った桃の実が古事記では「三箇」であるのに対し、では「一二三」である点です。基本的な意味は変わらないのかもしれませんが、日月神示の宇宙観の表現であるが使われていることには意図があるはずですし、上述の「三度」と対応する可能性もあります。この辺りの話は全般的に何らかの暗喩でしょうから色々な解釈ができます。

 ここで登場した桃の実は神格を有しており、日月神示で非常に重要視されています。ただ、この神霊の話は長くなるので次々章に回します。

 黄泉国の軍勢を退散させた後、伊邪那岐神は黄泉津比良坂にあるびきいわを挟んで伊邪那美神とたいし、別離します。これが日月神示の説く“一度目の岩戸閉め”であり、神経綸を語る上で最も重要な場面として“予言の眼目”になっています。

ここのみこと たまひて、びきいわ黄泉よもつさかへて、そのいし なかにしてあひむかたしてつつしみままおたまひつらく。「うつくしきのみこととき めぐときあれば、びきいわ ともけなむ」とたまへり。ここのみことしかけむ」とたまひき」 『日月の巻』 第四十帖 [213] 原文の「つつ四三まお四たま一つら九」はえんかもしれませんが、祓祝詞の「恐み恐みもうす」と同じである可能性を考慮して、「謹みまおし給ひつらく」と訳しました)

 この部分は記紀に類似する話が無く、伊邪那美神が「時が来れば一緒に千引の岩戸を開けましょう」と語ったのに対し、伊邪那岐神が「そうしよう」と応じました。そのため、日月神示では夫婦神の別離は恒久的なものではなく、あくまでもであることが強調されています。

 また、記紀では黄泉津比良坂を千引岩で塞いだのは伊邪那岐神ですが、日月神示の創世神話で岩戸を閉ざしたのは伊邪那美神です。記紀の話の流れが“完全な拒絶”であるのに対し、の方は“希望”“愛慕”を感じさせるものになっています。

 そして、天神の神勅、漂える国、漂える九十国、修理固成、沼矛、沼陰、天の御柱、ミトノマグワイ、国生み、ヒツチなどを軸に繋がって来た物語は、全て この“千引の岩戸閉めの場面”に向かって収束しているので、その内容を詳述して行きます。

 最初に“千引岩の基本的な意味”について説明します。

 千引岩は古事記で「千引石」、日本書紀で「千引岩」と表記されていて、発音は共にチビキイワです。名称の意味は「千人で引かなければ動かせない大岩」です。実質的に“越えられない障害物”されており、「千引岩によって現し世と黄泉国が完全に隔てられた」という解釈が一般的です。

 また、日本語の岩戸には“女性器の隠語”の側面があり、これは岩の戸である千引岩にも当て嵌めることができます。つまり、まだ使用できないほとを「開かない」として「動かせないほど大きな岩の戸」に掛けてあります。

 なお、注意すべきは、岩“開閉するもの”であって永久に閉じているわけではない点です。ヒツチになった妻神イザナミの肉体は時を待てば本来の機能を回復します。それは状態になることであり、それに掛けた表現が岩戸なのです。

 逆から言えば、ほとが治って男女の交接ミトノマグワイを行える状態に戻れば、修理固成を中断する理由はなくなり、国生みが再開できます。そうであればこそ、では岩戸開きと国生みが同一視されているのでしょう。

 これが千引岩に込められた意味であり、夫婦神の復縁の約束の背景になっています。

 ここで少しだけ、千引岩に関係する“視点の問題”について述べます。

 日月神示が語る“千引の岩戸”の内容は多面的であり、特に数霊的な側面から論じる際には注意が必要になります。具体的な例は次の通りです。

「岩戸しめの始めはの命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものを お生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな」 『碧玉の巻』 第十帖 [874]

 引用の中に書かれている伊邪那美神が生んだ卵の数は、数霊の十とれいと九に対応しており、これからする“新しきの数的な表現になっています。ちなみに、ナルの仕組を意味する“五の卵”“十の卵”は判り易いのですが、二十二フ  ジの仕組を意味する“十二の卵”ひとひねりしてあります。そして、こういった数が奇妙に見えるのはからです。

 例えば、前々章で述べたの国生み”では、神界、霊界、幽界、現界のを、三界、二界、一界と見る複数の視点があることが『冬の巻』第一帖で語られていました。この場合、両端は大して変わらないのですが中間は変動します。そのため、視点によっては伊邪那美神が治らす“月の国”が、天や霊になったり地や体になるので注意が必要です。

 この他にも“順律”“逆律”という視点の問題があります。それが判るのは以下の記述です。

ここあまつかみ もろもろみこと もちのみこと イザナギノミコトに「これただよへるくに かたせ」とのりごちてあめほこたまひてことさしたまひき」 『日月の巻』 第十七帖 [190] 伊邪那岐神には神勅が下されたに沼矛が与えられています)

つぎのみこと イザナミノミコトにあまほとたまひて「ともただよへるくに かたせ」とことさしたまひき」 『日月の巻』 第十八帖 [191] 伊邪那美神には神勅が下されるに沼陰が与えられています)

くさとおあまりふたくさかむたからおきかがみかがみつかのつるぎここのつかのつるぎつかのつるぎいくたままがるがへしのたまたるたまがへしのたまおろちのひはちのひくさぐさのひであるぞ。ム、ひとふたいつななここたり、ウ、であるぞ。ウ、たりここなないつふたひと、ム、であるぞ。唱えよ。り上げよ」 『月光の巻』 第五帖 [792]

「空白とは九八九であるぞ、八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ、空白とは最も根本を為す最も力あることであるぞ」 『扶桑の巻』 第四帖 [853]

「フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、の誠であるぞ、合せて二十二、富士であるぞ。神示の始めに示してあろう。二二は晴れたり日本晴れぞ」 『至恩の巻』 第二帖 [949]

「マコトの道にかへれよ、マコトとは〇一二三四五六七八九十と申してあろう、そのうらは十九八七六五四三二一〇で、合せて二十二であるぞ、二二が真理と知らしてあろう、二二が富士と申してあろうが、まだ判らんか」 『紫金の巻』 第三帖 [982]

 具体的に言うと、日月神示の数霊論は基本的に伊邪那岐神を主体とする視点で書かれていますが、実際には“伊邪那美神を主体とする視点”も存在します。そして、鳴門の仕組は片方の視点だけでも論じられますが、富士の仕組を考えるためには“逆様の視点”もしくは“両方の視点”が必要なのです。

 例えば、これから本章で論じる数霊論では伊邪那岐神を一二三四五六七八、伊邪那美神を九十として考察しますが、伊邪那美神を主体とする視点では伊邪那岐神が九十になります。これは本論の第二章で述べたように、の本質的な意味がことなるもの”だからです。それ故、レンズを通した像が反転して映るように、は伊邪那美神の世界になります。

 この視点は見落とし易いのですが、を見据える際に必要になるので注意して下さい。

 上記の話を踏まえた上で、ここから改めて“千引岩の数霊的な意味”と、そこから見える“元の神の意向”について解説します。

 既に何度も述べていることですが、日月神示の数霊論の多くは、伊邪那岐神が司る“一二三四五六七八”と伊邪那美神が司る“九十”を主軸に語られています。

 そして、天神の神勅で伊邪那美神が“九十国”の修理固成を命じられたことからも判るように、日月神示は妻神イザナミが治らす国が“九と十の世界”であることを伝え、その世界との交流が制限されることを“コトド”と表現しています。

「ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、火の神を生み給ひてナミの神は去りましたのであるぞ。物質偏重の世は やがて去るべき宿命にあるぞ、心得なされよ。ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神を訪れ給ひ、相談されたのであるなれど、話が途中からコヂレて遂に別々に住み給ふ事となり、コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ」 『至恩の巻』 第八帖 [955]

 コトドは古事記では「事戸」、日本書紀では「絶妻之誓」です。記紀の研究では絶縁のじゅごんのようなものとされますが、日月神示の数霊論では「九と十」か「九十ど」が第一義的な意味になります。故に、コトドには“九十戸”の字を当てることが最も適切であることを、岡本天明氏が述べています。

「次にでありますが、数霊的にはであり、日本書紀では「」であり、旧事本紀では「」と書いてコトドと読ませ、ある一面の説明をしようとしてゐる。則ち、天地、陰陽、夫婦、霊体等と云った相反するものの交流を断って、10のところに戸をしめたわけで、必然的に八方世界が展開されたわけであります」 『古事記数霊解序説』 第十二章 昭和三十七年版。昭和四十七年版では第十四章)

 以上の内容から見えるように、

とは“千引岩の数霊的な表現”です。

 そして、九十戸である千引岩によって夫婦神の交流は中断してしまい、伊邪那岐神の世界と伊邪那美神の世界は“八方”“九十”に別れて成長して行くことになりました。

「千引岩をとざすに際して、〔中略〕 その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまへなされよ。此処に大きな神秘がかくされている、一神で生む限度は七乃至八である、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十方十全まで拡がるべきものである。ある時期迄は八方と九、十の二方に分れてそれぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ」 『至恩の巻』 第九帖 [956] 第一仮訳)

 ここでは妻神と別離した後の伊邪那岐神が、キリスト教での聖母マリアのしょじょかいたいのように一神で国生みを続けたことが語られています。同時に、その際に生まれた神々や世界は全て“七”“八”までの性質を受け継いでおり、十方十全の世界から見れば“九十”が欠けているそうです。

 これは「ミトノマグワイができなくなった」ということを意味しており、伊邪那岐神の視点から見れば、妻神イザナミとの別離によって九十ヌホトが失われた」もしくは八方ヌホコだけで国生みを続けた」と表現できます。それが次の記述の背景になっています。

「国土をつくり固める為に、根本大神が何故にヌホコのみを与へたまひしか?を知らねば、岩戸ひらきの秘密はとけんぞ。千引岩戸をひらくことに就いて神は今迄 何も申さないでゐたのであるなれど、時めぐり来て、その一端を この神示で知らすのであるぞ」 『紫金の巻』 第十帖 [989]

 この記述は沼陰イザナミが欠けて沼矛イザナギだけになる事態が“根元神の意向”であることを明かした上で、謎掛けのように問い掛けています。その答えは先程の引用の「或る時期までは八方と九十の二方に分かれて成長する」と「一神で生む限度は七か八である」が糸口ヒントになります。

 恐らく、一神での“生む”とは本質的に“成る”であり、基本的にのでしょう。それ故、“平面世界の上限”である方が限界だと考えられるのです。

 或いは、双方が未熟なままでは すぐに行き詰まることが目に見えていたので、「限界まで独力で励む」といった“自助の確立”のために、根元神は敢えて夫婦神を別れさせたのかもしれません。同時に、ここには互いに成熟してから結ばれる、つまり結果も大きくなる」という側面をかい見ることができます。いずれにせよ共通しているのは、

「最終的な結果よろこびを最大にする」というモトの神の意向こころです。

 そして、一時的な別離によって“対なるもの”が更に強く求め合い、以前より強固に結ばれて歓喜も大きくなることが“神律”であるそうです。

「愛の影には真があり、真の影には愛がはたらく。地上人の内的背後には霊人があり、霊人の外的足場として、地上人が存在する。地上人のみの地上人は存在せず、霊人のみの霊人は呼吸しない。地上人は常に霊界により弥栄する。弥栄は順序、法則、形式によりて成る。故に、順序を追わず、法則なく、形式なき所に弥栄なく、生れ出て呼吸するものはあり得ない。個の弥栄は、全体の弥栄である。個が、その個性を完全に弥栄すれば全体は益々その次を弥栄する。個と全体、愛と真との差が益々明らかになれば、その結合は益々強固となるのが神律である。霊界と物質界は、かくの如き関係におかれている。其処にこそ、大生命があり、大歓喜が生れ、栄えゆくのである」 『地震の巻』 第三帖 [380]

〔前略〕 太陽は太陰によりて弥栄へ、太陰は太陽によりて生命し、歓喜するのである。この二者は絶えず結ばれ、又 絶えず反してゐる、故に二は一となり、三を生み出すのである。これを愛と信の結合、又は結婚と呼び、霊人の結婚とも称えられてゐる、三を生むとは新しき生命を生み且つ歓喜することである。新しき生命とは新しき歓喜である」 『地震の巻』 第十八帖 [395] 第一仮訳)

 同様に、日に対する月、陽に対する陰、霊に対する体、天国に対する地獄、正道の善に対する正道の悪、一二三四五六七八に対する、漂える国に対する漂えるコト国などは、“歓喜を増すための方策”として生み出されたものであり、存在すること自体が“神のむねなのです。

〔前略〕 この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知らねばならぬ。しかし、天国や極楽があると思念することは既に無き地獄を自らつくり出し、生み出す因である。本来なきものをつくり出し、一を二にわける。だが、分けることによって力を生み弥栄する。地獄なきところに天国はない。天国を思念する処に地獄を生ずるのである。善を思念するが故に、悪を生み出すのである。一あり二と分け、はなれてまた、三と栄ゆるが故に歓喜が生れる。即ち、一は二にして、二は三である」 『地震の巻』 第五帖 [382]

〔前略〕 これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されてゐるのである。その秩序、法則、統一は一応完成してゐるのであるが、その完成から次の完成へと弥栄する、故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈拍し、歓喜するのである。これが生命の本体であって、限られたる智によって、このうごきを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感ずる場合もあるのであるが、これこそ善を生かして更に活力を与へ、悪を浄化して御用の悪とし、必然悪として生かすことであり、生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知り得るのである。〔後略〕 『地震の巻』 第七帖 [384] 第一仮訳)

 上記の内容をつまんで述べると、

全体ひとつを分割して個々ふたつを成長させてからひとつに戻せば、のです。

 つまり、伊邪那美神が治らす九十国との交流が断絶してが失われた状態、即ち、しか与えられない状態は、更に大きな結果よろこびに至るための“必要な手順”なのです。

 恐らくは、こういった内容が「根本大神が何故にヌホコのみを与へ給ひしか?」という問い掛けへの答えになるのでしょう。同時に、この点を示唆しているのが、ミトノマグワイをする前に夫婦神が分かれて行動した“天の御柱の逸話”と言えます。

 人の一生は短い上に日々の生活に追われるので、大局的な見地に立つことは中々に難しいですが、神々は常に“全体と永遠の視座”から物事の道理を説いておられるのです。

「全体と永遠を見ねば ものごとは判らんぞ。よく心得よ」 『春の巻』 第五十九帖 [716]

 そして、伊邪那岐神の世界も伊邪那美神の世界も単独で成長できる上限に近付いたので、共に次の舞台に進めるが到来しました。八方を極めたなら次はに向かうしかありません。即ち、八方へいめん世界にが加わった十方りったい世界”です。

 以上が“千引の岩戸の概要です。そこで、ここからは上記の内容を踏まえて“千引の岩戸を概括して行きます。

 千引の岩戸が開いて別々に成長していた世界が出会う時期は、数で表現すれば“八の世の終わり頃”ですが、大別的な視点では“七の世”も含まれるようです。その根拠は十の仕組”が広義には始まることが明示されている点にあります。他にも「一神で生む限度は八」である点や、ナルトの原文の多くが「十」である点も理由に含めて良いでしょう。これらの例証となる記述は以下の通りです。

「七から八から九から十から神はげしくなるぞ」 『下つ巻』 第十四帖 [56]

「天に神の座あるように、地には人民の座があるぞ、天にも人民の座があるぞ、地に神の座があるぞ。七のしるしと申してあるぞ、七とはモノのなることぞ、〔中略〕 七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ」 『扶桑の巻』 第一帖 [850]

「七は成り、八は開くと申してあろうが、八のくまから ひらきかけるのであるぞ、ひらけると〇と九と十との三が出てくる」 『碧玉の巻』 第五帖 [869]

「ナルの仕組とはナル経綸しくみであるぞ、八が十になる仕組、岩戸ひらく仕組、今迄は中々に判らなんだのであるが、時節が来て、岩戸がひらけて来たから、見当つくであろう」 『星座の巻』 第二帖 [885]

「七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。富士と鳴門の仕組いよいよぞ、これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りはまっとう出来ん、九分九厘でぞ、〔中略〕 なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士晴れるぞ、大真理 世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ」 『至恩の巻』 第十六帖 [963]

 上の帖ではと明言されており、イザナギイザナミが揃う必要性”が強調されています。それが最も判り易いのは次の記述であり、父と母が“天と地”を象徴することも判ります。

「父のみおろがみ たたへただけでは足りない、母に抱かれねば、母の乳をいただかねば正しく生長 出来ないのであるぞ。一神として拝んでも足りぬ、二柱でも一方的、十万柱としても一方的ぞ、マイナスの神をおろがまねばならん、マイナスの神とは母のことぢゃ、天にまします父のみでは足りないぞ、天にあれば必ず地にもあるぞ、一即多即汎、地則天、天則地から表則裏である、マコトを行じて下されよ」 『星座の巻』 第十三帖 [896] 第一仮訳)

 その上で、夫婦神が揃って行われる修理固成つくりかためであり、改めて沼矛と沼陰を組んで一つになる“ミトノマグワイ”であることが、の記号を使って判り易く説明されています。

ばかりでもならぬ、ばかりでもならぬ。がまことの神の元の国の姿ぞ。元の神の国の臣民はでありたが、が神国に残りが外国で栄へて、どちらもかたとなったのぞ。も片輪、も片輪、と合はせてまことのかみの世に致すぞ。今の戦はとの戦ぞ、神の最後の仕組と申すのは入れることぞ。も五ぞも五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ」 『下つ巻』 第二十一帖 [63]

 この内容がミトノマグワイを指す意味を含んでいるのは、には男性イザナギ女性イザナミ象徴シンボルの側面があるからです。その理由は日月神示の古参の信奉者達が何度も指摘していました。簡単に言うと、

には精子と卵子と受精卵のとしての一面があるのです。

 そして、夫婦神が男女の交接ミ ト ノ マ グ ワ イを行ってを実現するためには、双方の世界の交流を妨げる千引の岩戸を開く必要があります。これは妻神イザナミほとが元に戻って九十戸が開く開き”を意味します。

 こうやって、一二三四五六七の世界は九十の世界と合流して、一二三四五六七八九の世界に生まれ変わります。即ち“新しき生み”です。

 同時に、一連の出来事は天地の新生でありなのですから、“三千世界の立替え立直し”であるわけです。

 千引の岩戸開きに秘められた内容からは、こういった多岐に渡る意味が見えて来ます。

 なお、ここまでの内容の大半は、岡本天明氏が既に述べていたことです。

〔前略〕 かくして前記の如き重大なる意義をもつ千引岩をひらいて、ナギ、ナミ夫婦神の交流、和合、合歓、大和と云ふ段取りとなり、されてゐる所の国を生み、万物を生み、天つ神が最初の御想念のままなる弥栄大和の世界が現出することとなるのであります。私が十数年 来叫びつづけて来た「人類歴史にない程の大異変」とは、この岩戸がひらかれることであって、私は「転位」と云ふ言葉で表現しようとしたのであります。多くの宗教書、予言書等に示された“人類さいの日”とは この岩戸ひらきのことであって、数霊的に申せばに移行することであります。しかし、これは頭初に述べました天つ神の最初のあり方、想念であり、発展たるものの成り鳴りて成りやまぬ進展を意味するもので、天つ神のただ一回の御神勅たる「コレノ、タダヨヘルクニヲツクリカタメナセ」の実現でありまして、一般に伝へられるものは二義的のものであります」 『古事記数霊解序説』 第十三章 昭和三十七年版。昭和四十七年版では第十五章)

 以上のように、立替え立直しの本質は修理固成つくりかための仕上げ”であり“漂える国の完成”です。

「何事も天地に二度とないことで、やり損ひしてならん修理固成か た めの終りの仕上げであるから、これが一番大切の役であるから、しくじられんから、神がくどう申してゐるのざ」 『上つ巻』 第三十四帖 [34]

 ここからは次の結論が導き出せます。

日月神示あめのひつくのかみの目的はあまつかみしんちょくの完遂”である」

 恐らく、のであり、世界の最後とどめ“世界の最初はじまり啓示ことばたる天神の神勅みこと、即ち“根本の目的”に立ち返ることになるのでしょう。それもあってか、三千世界の大立替えは“世の元からの仕組”と呼ばれます。

「この仕組 知らさなならず、知らしてならんし神もなかなかに苦しいぞ、世の元からの仕組ざから、いよいよ岩戸開く時来たぞ」 『下つ巻』 第四帖 [46]

「神には世の本からの神の仕組してあるぞ」 『富士の巻』 第十二帖 [92]

「世の元からの仕組であるから めったに間違ひないぞ、これから愈々臣民には わからなくなれど、仕上げ見て下されよ」 『磐戸の巻』 第六帖 [242]

「世の元からの仕組、中行く仕組、アッパレ三千世界 結構であるぞ、〔中略〕 世の元の神の仕組の現はれて三千世界光り輝く、あなさやけ」 『雨の巻』 第八帖 [342]

 そして、天神の神勅が“元の神の意向こころであり、世界の始まりに告げられた根本的な目的であればこそ、「全ての神々が協力し合う大目的として成立する」と言えます。

「今迄は神様も別れ別れで勝手にしてゐたのであるから、〔中略〕 今度は愈々一致和合して、大神様の仕組 結構が相判り来て、大日月の神となりなされて現はれなさるのぢゃ。判りたか」 『海の巻』 第三帖 [495]

「神の道は一本道であるから、多くに見へても終りは一つになるのぢゃ、今が終りの一本道に入るところ、この道に入れば新しき代は目の前、神も今迄はテンデンバラバラでありたなれど、今に一つにならねばならぬことに、天が命じてゐるのであるぞ」 『極めの巻』 第二帖 [929]

 そのため、千引の岩戸開きによって起こる大変動は、本質的に極めてものであり、日月神示でも歓喜よろこびの歌”として詠まれています。

「平坂の 岩戸ひらけむ 音のきこゆる」 『扶桑の巻』 第八帖 [857]

モモ不足タラズ クマ いまひらかんときぞ」 『扶桑の巻』 第十五帖 [864]

かど いつとひらき みてくらを」 『星座の巻』 第二十五帖 [908]

つなを ももつなとかけて ささし給はむ」 『星座の巻』 第二十五帖 [908]

隈手 行きにし神は 今かへります」 『竜音の巻』 第一帖 [909]

とものを もも足り足りて 仕へまつらむ」 『竜音の巻』 第一帖 [909]

「八重雲の 十重雲き 千別きりぬ」 『竜音の巻』 第一帖 [909]

つかの つかとこそ 実らせ給へ」 『竜音の巻』 第二帖 [910]

あまつ神の 寿ごとのままに 岩明けぬ」 『極めの巻』 第二帖 [929]

「千引岩 今ぞあけたり 爽し富士はも」 『紫金の巻』 第八帖 [987]

 それ故、記紀神話での伊邪那岐神と伊邪那美神の別離が“悲劇の物語”であるのに対し、

日月神示での伊邪那岐神と伊邪那美神の別離は“希望の物語”になっています。

 これが記紀と日月神示の最大の相違点であり、モトモトモトの大神の御神策”です。

「八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前から、そら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきぢゃ」 『至恩の巻』 第十四帖 [961]

「千引岩戸をひらくことに就いて神は今迄 何も申さないでゐたのであるなれど、時めぐり来て、その一端を この神示で知らすのであるぞ」 『紫金の巻』 第十帖 [989]

 故に、が来るまで明かされなかった千引の岩戸開きのことを、岡本天明氏はあまつかみさくと呼んでいました。こういった点からも、

千引岩の物語が“元の神の計画の要”であり“予言の眼目”であることは明白です。

 同時に、数霊から見た千引岩は“時節の核心”と言っても構いません。何故なら、八方世界から十方世界への遷移が本格的に始まる「八から九になる日」こそが“千引の岩戸が開く日”だからです。

「八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ」 『扶桑の巻』 第四帖 [853]

「八のつく日に気つけてあろうが、八とはひらくことぞ。今が八から九に入る時ぞ、天も地も大岩戸ひらき、人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時ぞ、天地の波にのればよいのぢゃ、楽し楽しで大峠 越せるぞ、神は無理 申さん、やればやれる時ぞ」 『五葉の巻』 第十二帖 [975]

 そうであればこそ、日月神示は旧九月八日を“時節の最重要の日付”に位置付けているのでしょう。この日は神話の時代から待ち望まれた伊邪那岐神と伊邪那美神が再び抱き合う日であり、天神の神勅を果たすための“元の神の御用が始まる日”なのですから。

 これにより、ことが見えて来ます。ですから極言すれば、

時節論とは論なのです。

 何度も読まなければ気付きにくいのですが、日月神示の内容の多くは「同じものを別の角度から見ている」のであり、“神の物語”を複合的な視点から見つめることによって、初めて“全体像”“実像”が浮かび上がるように構築されています。

 同様に、未来の予言というを本当の意味で見つめるためには、そのである神話と、そこに秘められた“神の目的こころについて考える必要があることにも得心が行くと思います。

 “岩戸開きの意味すがたを知るためには、多くの事柄を展開しなければならないのです。

 さて、ここまでは黄泉国や千引岩を多くの側面から見て来ましたが、それらは“岩戸開きの概念的な背 景バックボーンの考察であって“岩戸開きの現象面”には触れていません。

「国常立神も素盞鳴命も大国主命も、すべて地にゆかりのある神々は皆、九と十の世界に居られて、時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は地の神がらすのぞと知らしてあろうが、天運 正にめぐり来て、千引の岩戸はひらかれて、これら地にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ」 『至恩の巻』 第十帖 [957]

「新しき御代のはじめの辰の年、あれ出でましぬ隠れゐし神、かくり世もうつし御国の一筋の光の国と咲きそめにけり」 『紫金の巻』 第九帖 [988]

 これらは伊邪那美神が治らす黄泉よもつくにゆうかいがいこくとしての側面と深く関わっており、詳細の解説には多くの予備知識が必要になるので、ここでは割愛します。

 ただ、先に結論だけを述べるなら、“岩戸開きの現象面での意味”は次のように要約できます。

あのよこのよの往来を妨げるいわとが開かれる時が来た」

 そして、この“来たるべき世界”の世界としてあめつちと呼ばれており、それを実現するために用意された計画が“富士と鳴門の仕組”です。

「動かん富士の仕組、ひらけて渦巻く鳴門ぢゃ。新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所、この岩戸ひらき二度とない九十でひらく仕組」 『星座の巻』 第十一帖 [894] 第一仮訳)

 大本神示の頃から言われ続ける“天地の岩戸開き”は抽象的であり、具体的に何を意味するのかは判らない場合が殆どですが、実際には、

岩戸開きとはのです。

 少なくとも“一度目の岩戸閉め”に対応する岩戸開きに関しては そう言えます。日月神示を読めば、それを裏付ける記述は幾らでも見付かることでしょう。

 以上が“黄泉国”“千引の岩戸閉め”に関する考察になります。

 なお、記紀や日月神示の夫婦神の物語は もう少しだけ続いているのですが、それらは“数の比率”が主体の話になるので、次章と次々章で“数霊”“神の総数”を述べた後に取り上げます。

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数霊の五十 / 五十九柱の神

 前章までは日月神示の創世神話の物語的な側面を中心に考察して来ましたが、本章からは“数霊的な側面”を見て行きます。何故なら、伊邪那岐神と伊邪那美神による“創世神話の最後むすびの言葉”は数霊が主体になっているからです。そして、その詳細を論じるためには【数霊の五十】が予備知識として必要になります。これについては創世神話の以下の特徴が関連しています。

「物語の裏に数が隠れている」

 このことは岡本天明氏が力説しており、ことばで表現されることたまと数で表現されるかずたまが表裏一体の関係にある点は、日月神示にも書かれています。

「今の人民のは言葉でないぞ、日本の古語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組」 『星座の巻』 第十九帖 [902]

 そのため、言霊でつづられる御神名や物語を読むだけではなく、“隠れた数”も一緒に読み取ることによって、初めて“創世神話の全容”に迫ることができるのです。

 なお、日月神示の創世神話における“五十”は、伊邪那美神のを焼いて夫婦神の別離の原因を作ったつちのかみの数”なのですが、この辺りの話は次章で“百を司る神”と一緒に解説するので、本章では数霊の五十と“五十音”の関係を主軸に考察します。そして、では五十音が【五十九柱の神】として神格化されています。

「何故、五十音が五十九柱なのか?」

 この点を考えることにより、と数霊の関係が浮き彫りになります。同時に、そこからは日月神示の数霊論で“全てのはじめとされている“数霊のれいの姿が見えて来ます。

 以上の内容を、言葉、言霊、、五十九柱、父音、れい、神の呼吸、フトマニという風に論を進めることによって、“五十音の構造に秘められたもの”を考えてみます。


 日月神示の説く数霊の五十は日本語の五十音と深い関連を持っています。これは言霊学の分野で五十音が“一音一柱の神”として神格化されているからであり、その考え方を追認する記述も見受けられます。

「仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、仕まひには その仮名に頭下げて来ねばならんぞ、かなとはカミぞ、神の言葉ぞ」 『下つ巻』 第二十八帖 [70]

 また、次のように“イ列の十音”を抜き出して五十音を語る記述もあります。

「この方 イの神と現われるぞ、キの神と現われるぞ、シチニの神と現はれるぞ、ヒの神と現はれるぞ、ミの神と現はれるぞ、イリヰの神と現はれるぞ、五柱の神様 篤くおろがめよ、十柱の神 篤くおろがめよ」 『キの巻』 第三帖 [260]

 上の帖での五柱とはア列、オ列、ウ列、エ列、イ列の“五列”であり、十柱がア行、カ行、サ行、タ行、ナ行、ハ行、マ行、ヤ行、ラ行、ワ行の“十行”です。つまり、「5×10=50」として五列と十行が神格化されています。これと殆ど同じ意味であろう記述も引用してみます。

集団マドイは天国の組織同様にせよ。横にはウクスツヌフムユルウの十柱ぞ。縦にはアイウエオの五柱、結構ぢゃなあ。横だけでもかたわ、縦だけでもかたわ」 『黄金の巻』 第三十七帖 [548] ここでは第二仮訳を引用しましたが、第一仮訳の「横にはアとヤとワとの五柱ぞ」の方が原文に忠実です)

「母しらす御国の五のハタラキは何れも十のつばさを持ってゐるぞ、足は十本であるぞ、更に五十のつばさとなりなる仕組、五十の足がイツラぞ」 『扶桑の巻』 第十一帖 [860]

「アとオとウとは天人のコトバ、アとエとイは天使のコトバ、人民に与へられた元のコトバであるぞ、五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ十柱のみこと交わって五十神と現はれるのぢゃ」 『星座の巻』 第二十二帖 [905]

 このように、発音としての五十音、文字としての五十音、いてはのは言霊学の基本的な概念です。

 言葉を神聖視する認識は、『夜明けの巻』の最後に、とりうた、いろは歌、アオウエイ祝詞があることからも判りますし、同様の意味を持つ記述は他にも存在します。

「神は言葉ぞ、言葉とはまことぞ、いぶきぞ、道ぞ、まこととは まつり合はした息吹ぞ、言葉で天地にごるぞ、言葉で天地 澄むぞ、戦なくなるぞ、神国になるぞ、言葉ほど結構な恐いものないぞ」 『地つ巻』 第三十四帖 [171] 第一仮訳)

 こういった考え方は、日月神示の発祥以前から多くの人々によって語られており、日本に古代から存在することたましんこうと緊密に結び付いています。

 言霊とは「言葉には霊力エネルギーが宿る」という概念であり、「発した言葉の通りに現実が変容する」と考えられています。そして、日月神示によると「言霊と数霊の本質は同じである」とのことです。

「木にも草にも石にも道具にもそれぞれの霊が宿ってゐるのである。人間や動物ばかりでなく、総てのものに宿ってゐるのである。宿ってゐると云うよりは、霊と体とで一つのものが出来上がってゐるのである。一枚の紙の裏表のようなもの、表ばかりのものもない。裏ばかりのものもない道理。数字にも文字にも それぞれの霊が宿って居り、それぞれのハタラキをしてゐるのであるぞ」 『月光の巻』 第十三帖 [800] 第一仮訳)

 日月神示には他にも言霊の概念に基づく記述があるので、判り易いものを抜粋してみます。

「神の民の言葉は神たたえるものと思へ、天子様たたえるものと思へ、人ほめるものと思へ、それでことたま さきはふぞ、それが臣民の言葉ぞ。わるき言葉は言ってはならんぞ。言葉はよき事のために神が与へてゐるのざから忘れん様にな」 『下つ巻』 第五帖 [47]

〔前略〕 それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊が この国に満つ世になりたら神の力 現はすのぞ」 『富士の巻』 第二十帖 [100]

「言葉とくに磨きてくれよ。コトに気つけてくれとくどう申してあろが」 『日月の巻』 第十八帖 [191]

〔前略〕 懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマのれよ、コト高くあげよ、富士晴れる迄コト高くあげてくれよ、そのコトに神うつりて、何んな手柄でも立てさせて、万劫末代 名の残る様にしてやるぞ」 『磐戸の巻』 第十八帖 [254]

「此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ」 『雨の巻』 第十二帖 [346]

「霊人の言葉は、地上人の言葉に比して、その内蔵するものが極めて深く広いが故に、霊人の一語は地上人の数十語、数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増してくるのである。原因と結果とを一つにし、更に結果より生ずる新しい原因も、新しい結果をも同時に表現し、なお言葉そのものが一つの独立せる行為となり、且つ一つの独立せる生きものとなって現われ、行為し、生命するからである。言葉そのものが弥栄であり、生命である。また総てであるということは、地上人には理解できぬであろう」 『地震の巻』 第十一帖 [388]

「神は人間の想念の中に入って来るのぢゃ。想念が一致するから神の想念が人間に伝はるのであるぞ。人間の言葉となって人間には現はれるのぢゃ。言葉は神であるが言葉は人間であるぞ。自分が自分に語るのであるぞ。この道理、よく心得なされよ」 『黒鉄の巻』 第二十七帖 [645] 昭和二十六年版)

「ささげるもの、与へるものは、いくらでも無限にあるでないか、ささげよささげよ、与へよ与へよ、ことばこそは誰もがもてる そのささげものであるぞ、与へても与へても無くならんマコトの宝であるぞ」 『碧玉の巻』 第十二帖 [876]

「言葉は生れ出るものぢゃ。先づ言葉され、歌となり、文章となり、又 絵画となり、彫刻となり、建築となり、又 音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのであるぞ」 『星座の巻』 第二十一帖 [904]

 そして、現代の言霊学は江戸時代の国学者である山口志道が源流です。この人物は第百十九代 光格天皇や第百二十代 仁孝天皇のこうを務めたこともあり、岡本天明氏も山口志道の著作を自費出版していました。ちなみに、を根元神の象徴シンボルとする源流も山口志道にあります。

 その上で、山口志道は言霊学の中心的な概念としてを説いています。簡単に言うと、とは言霊学における“五十音の別名”です。

 そこで、この点について説明された部分を山口志道の著作から抜粋します。

「此 フミに云 形仮名は、古事記の御玉のかたちに、自然とソナハリありしことを図にアラハし、次に稲荷古伝の法則を伝へ、其 法則をもての言々を調シラベ、万葉 及 通俗のコトバまてもトキワクルの法則。〔後略〕 『水穂伝』 冒頭

クニは、モトより文字ちふものなく、コトタマタスクルクニにして、十行のカタは神代のフミなり。是をもて、天地 及 万物の初発ハジマリを知て、一として足はすといふことなし。〔中略〕 かゝるに、吾家にフルクよりツタハリて、タマと云伝るもの有て、小社ホコラの内に祭る。此 御の十行を記たるものにして、ことの心もワキカタかりけり。然はあれとも、イニシヘ 今の言葉をかき集、ヒロク 天地の万物に合て、キノカミの巻にテラシて見て、アマリにして、ツヒの御ツタヘにして、カタは神の御名ことよりアラハるゝことをさとりて 〔後略〕 『水穂伝』 附言

クニの学は、万物一にトトマルことをモトとす。故に、アメツチノ初発ハジマリに一のコリをなし、其 凝よりミツの二ツに別て、火を父と云、水を母といふ。其 父のタマと母のタマクミて、亦一ツのコリをなす。其 凝のオモク ニゴリたるは形となり、カルク スミたるものは息となり、其 息 タイを出てタカク アラハレたるをコヱと云。其 コヱなるを言といふ(五十連の音に有て活用を云)。其 言々にサキ有、タスケ有、ミツ有。是をクミて詞をなす。然はあれとも、詞はコヱのみにしてに見ることかたし。そを眼に見するものを形仮名といふ。其 形仮名をもて五十連の十行をしるすミツコト々をクミヒラキタイヨウ ケイチウ 清濁 等の法則をもて、詞の本を明にし、天地のと同一なることを知りて、家国の治の本はオノキフの息に在ことを知る。ヒロク 天地のことわりを知むと欲せば、近は己かを知にあり。是ぞ神国の教えなる」 『水穂伝』 附言

は、天地自然オノツカラコヱにして、神のレイなり。故に、儒仏は更なり、一天四海にわたりて、道といふ道にヒビかすといふことなし。則、の学なればなり」 『水穂伝』 凡例

この ふみは天地いまだわかれさる時、一の凝をなし、其 凝より火水 別、其 クミて天地をなし、其 與て万物をうむ。其 與て音をなし、に御カタチなし。水火に像なし。其 水火の像を見するものを、形仮名と云。形仮名は、天地のの形にして、人 つくるあらず。故に、神の御名ごとに現て、神 自 天地を指て、近は万物の産玉ことを伝給し御典なり」 『火水與伝』

「元来、吾国にはフミなく、文字なく、ただの外に教へなく、五列十行の形仮名は、すなはち 神代のふみにして、天地 及 万物の発り終りを知に、一として足さる事なし。〔中略〕 しかるに、時至る哉、此に安房国 杉庵志道、其 家に古くより伝はれる、の御と云 神宝 有て、古事記神代巻に是を照し、布斗麻邇のは天地のの御伝にして、形仮名は神の御名より顕はるゝ事を悟り、つら古今のコトを集め、アメツチよろづの物に対するに、彼にあひ、此にあはすと云ことなし」 『水穂伝重解誌一言法則上』

てんかいびゃくの初め、うごくに付て、音 発せざるはなし。其いき、うごくの形をしるせば、あり。うごくにしたがひて、亦 こへ 五十連あり。しかれども、音はこへのみにして、形なし。形なきおんを、今 目に見するが形仮字 也。故に、神代七世の中は、天地のいきのうごくの位故に、古事記神代の巻の神の名を解ときは、五十連五十音の形、不巧たくまずして自らあらはる。実に、人の所作なすところにあらず。天地の音のうごくのかたち、天地自然の形仮字なること可知しるべしくはしくは神代之伝へに述る。如是かくのごとく、五十連 形仮字、古事記 神代の神の御名よりあらはる」 『イロハ口伝』 山口志道の弟子の講演録)

 このように、山口志道の言霊学ではかたの表現を使って、次の内容を強調しています。

「五十音の本質はかたであり、

 そして、の概念”は日月神示にも登場します。

〔前略〕 皆の者に一二三唱へさせよ、五柱 御働きぞ、八柱 十柱 御働きぞ、らぞ、いろはぞ、判りたか」 『キの巻』 第十一帖 [268] 第一仮訳)

「ひふみがヨハネとなり、イツラとなりなって十二の流れとなるのざぞ」 『雨の巻』 第十五帖 [349] 第一仮訳)

「ひふみにもまに、いろはにもまに、よく心得なされよ」 『青葉の巻』 第七帖 [476] 第一仮訳では基本訳に基づいて「ひふみにも二通り五通り、いろはにも二通り五通り」と訳されています)

「イシもの言ふぞと申してありたが、イセにはモノ言ふイシがあると昔から知らしてあろうがな、五のイシがもの言ふのであるぞ、ひらけば五十となり、五百となり、五千となる。握れば元の五となる、五本の指のように一と四であるぞ、このほうを五千の山にまつれと申してあろうが、これがイチラ(五千連)ぞ、ぞ、判りたか、五十連 世に出るぞ」 『扶桑の巻』 第一帖 [850]

「母しらす御国の五のハタラキは何れも十のつばさを持ってゐるぞ、足は十本であるぞ、更に五十のつばさとなりなる仕組、五十の足がイツラぞ、イツラではうごきとれん。四十九として働いてくれよ」 『扶桑の巻』 第十一帖 [860]

 以上のように、日月神示は言霊学の流れにのっとってを神格化しています。それもあってか、実質的にを意味する“いろは四十八音”“ひふみ四十七音”についての記述も見られます。

「いろはに戻すぞ、に返すぞ、が元ぞ」 『雨の巻』 第三帖 [337]

「五十になっても六十になっても、いろは、から手習ひさすぞ。出来ねばお出直しぞ」 『風の巻』 第十二帖 [363]

「元は十と四十七と四十八とあはせて百と五ぞ、九十五ざぞ」 『岩の巻』 第四帖 [369] 第一仮訳)

「これまでは「いろは」でありたが、愈々の力 加はるぞ、「いろは」はやさしいが「一二三」はあらいから、あらごともするから その覚悟致されよ、その覚悟よいか」 『マツリの巻』 第二帖 [406] 第一仮訳は「一二三は荒いから、荒事もするから」です)

「四十七と四十八で世 新しく致すぞ」 『梅の巻』 第七帖 [434]

「四十七と四十八と四十九ぢゃ」 『梅の巻』 第十七帖 [444]

「いろはに泣く時 来るぞ、いろは四十八ぞ、四十九ぞ」 『空の巻』 第八帖 [463]

「何彼の事ひふみ、いろはでやり変へるのぢゃ」 『青葉の巻』 第七帖 [476]

「動かんふじの仕組のなるとの仕組。ことたま、かずたま、ひふみ、いろたま、いろは」 『黄金の巻』 第二十帖 [531]

 ただし、日月神示の場合は通常の言霊学とは違い、であることに注意を要します。そして、天之日津久神様が五十音に秘められたものを、数霊的な原理を包括して語る際の数が“五十九”“六十”らしいのです。

 日月神示における五十九と六十は“五十音にいんを加えた数”である可能性が極めて高いです。その辺りのことを解説するために、五十九と六十と五十音の関連を示す記述を順に引用して行きます。

にアエオイウざぞ。昔の世の元ぞ。、ヤ、ワあるぞ、世の元ぞ。サタナハマからあるぞ。一柱、二柱、三柱、五柱、九柱、八柱、九柱、十柱、と申してあろがな。五十九の神、七十五柱これで判りたか。ざぞ。には裏表上下あるのざぞ」 『日月の巻』 第二十六帖 [199] この帖は原文Uと基本訳に準拠しており、傍点もそのままにしてあります。なお、第二仮訳では五つ目の柱の数が誤植されています)

 ここでの「一柱、二柱、三柱、五柱、柱、八柱、九柱、十柱」の合計は“四十七”であり、恐らくは五十音から三つの重複音を除いた“ひふみ四十七音”を指します。また、七十五柱は言霊学における、五十音に二十の濁音と五つの半濁音を加えた“七十五音”を指すと思われ、この帖がことばについて語っていることが判ります。それにより、四十七柱や七十五柱とひとくくりに扱われる“五十九の神”が、五十音に関わる数であることが推察できます。

 また、五十や六十との関係を暗示すると思われる“いろは四十八音”の記述も見られます。

世に出るぞ、と現はれるぞ、用意なされよ」 『雨の巻』 第十五帖 [349] 第一仮訳では「ヨハネ世に出るぞ、イソネのムソネと現はれるぞ」です)

  ヨー 『アメのキ』 第十五帖 [349]

 他にも、数霊的な意味が込められているかもしれない“五十”“六十”の記述があります。

の川はムツの川、和合の川ぞ」 『海の巻』 第十一帖 [503]

ズノ ゴー 『三のキ』 第十一帖 [503] 天明氏による原文Uと基本訳は「五十のかわは六十のかわ」です)

 これに加えて、岡本天明氏も「日月神示は五十音を五十九音や六十音として説いている」という主旨のことを述べています。

「日月神示によると「組み組みて総てがうまれくるぞ」と云ふ意味のことが示して且つ「日本の正音五十も実は六〇で、アカサタナハマヤラワ(十音)とであり、最後の二つはかくされてゐる」ともあり、〔後略〕 『ユダヤの神宝は日本にかくされてゐる』 二、ダビデ神紋

 天明氏の認識からも推察できるように、五十九と六十と五十音は何らかの繋がりを持ちます。そこで、この関係を把握し易くするために、いんいんいんをローマ字で一覧にしてみます。

 この場合、K、S、T、N、H、M、Y、R、Wが音に相当しており、音であると組み合わさって音が生み出されます。これが五十音の総体であり、“異なるもの同士の組み合わせ”によって全体が成り立つことが判ります。こういった“日本語の特性”は次の記述が判り易いでしょう。

「母しらす御国の五のハタラキは何れも十のつばさを持ってゐるぞ、足は十本であるぞ、更に五十のつばさとなりなる仕組、五十の足がイツラぞ」 『扶桑の巻』 第十一帖 [860]

「神示に出したら天明に書かすのであるぞと知らしてあろう、〔中略〕 父と母との文字で書かすのであるぞ、天明は神示うつす役、書かす御役」 『極めの巻』 第十帖 [937]

 ただし、母音は単独でも発音できますが、父音は母音と組み合わせることでしか発音できません。それに加えて発音した時点で子音になるので、父音はのです。

 そして、日月神示は霊的な活動に属する、精神的、意識的、想念的な目に見えないものをと呼び、これを直接的に発音できない父音の性質に掛けて“父音の気”と表現しています。

「言葉の生命いのちは愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ」 『星座の巻』 第十九帖 [902]

 その上で、五十音と五十九の関係の有力な裏付けになり得るのが次の記述です。

「アイウエオ。。カキクケコ。サシスセソ。タチツテト。ナニヌネノ。ハヒフヘホ。マミムメモ。ヤイユエヨ。ラリルレロ。ワヰウヱヲ。五十九柱ぞ」 『夜明けの巻』 第十三帖 [333] 原書を謄写した原文Uで確認すると、二度目のヤ行とワ行の“十音”の方に傍点が振られています。また、この部分は五音ごと、直前のアオウエイ祝詞は十音毎に改行されているので、文章ではなく“図”として書記された模様です)

 ここでは傍点を振った九音が重複していますが、ので、こういった便べんてきな表記になったと思われます。当然ながら、ので、九つの父音は始まりの子音である「カ」の前の位置に挿入されているのでしょう。

 ちなみに、父音にヤ行とワ行が当てられたのは、山口志道がア行とヤ行とワ行を“君位”に位置付けていたからだと考えられます。それもあってか、には「アとヤとワ」という表現が登場します。

 他にも、上の引用と極めて似た表記の仕方で五十九柱について語られた帖があり、父音が直接的には発音できないことを踏まえて“隠れた九柱”という表現が使われています。

「五十九柱と申してあるが、その中の九柱はかくれた柱ぢゃ。ぞ。ぞ。この九柱は〇ぞ。心得なされよ。現われの五十柱のかげのかくれた九柱、心して大切申せよ」 『月光の巻』 第十六帖 [803]

 訳文での特殊な表記が原書の通りなら、上の帖にはが存在します。即ち、一二三四五六七八九とれいです。これは父音が“現れざるもの”“隠れたもの”としての性質を持つことを、の意味を有するれいの字で囲んで表現しているのかもしれません。

 同時に、ここからは「九柱を十柱と数えたり、十柱を九柱と数える場合がある」という複数の視点の存在をかい見ることができ、そのような数え方を暗示させる記述もあります。

「十柱の神様 奥山に祀りてくれよ、九柱でよいぞ、何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方 合はして十柱となるのざぞ」 『日の出の巻』 第十五帖 [228]

「竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の神殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり」 『紫金の巻』 第十二帖 [991]

 そして、九つの父音の性質や、仮名や数字をれいで囲む表記の仕方や、九柱と十柱の数え方から見えて来るのは、“父音の位置付け”です。

「父音は数霊のれいに含まれる」

 これは父音と数霊のれい“無きが如き存在”として通底する性質を持つからなのでしょう。

 その上で、五十音を五十九という視点で見た場合、。これは前出の一覧における空欄の位置、即ちゼロくらいに存在する“何か”のことであり、を加える場合は五十九が“六十”になります。

 このゼロの座標”に存在する“根元的な存在なにかは、日月神示でれい、無、ムとウ、アのアなどと表現されているので、五十音の展開の順序や父音の性質を解説するために、それらの中でも特に関連が深いものを論じて行きます。

 最初に「五つの母音の前にれいが在る」と読める記述を引用します。

「根本の元の元の元の神は〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ、ことあまかみ五柱と申してあろうがな、五が天であるぞ。五は数であるぞ」 『至恩の巻』 第七帖 [954]

 同様に「五柱の別天神は母音と対応関係にある」と語られた記述もあります。

「天国では このをスの神と敬称し歓喜の根元を為してゐる。スの神はアの神と現はれ給ひ、オとウとひらき給ひ、続いてエとイと動き現はれ給ふのである。これが総体の統治神である。三神であり二神であり一神である」 『地震の巻』 第十九帖 [396] 第一仮訳。『地震の巻』第十一帖に「霊界における母音は地上人には言葉として感得し得ない」との注意があります)

 上記の内容を踏まえて、五十音の一覧における考えると、父音と母音は“同じから展開されています。恐らく、

れいとは“父音と母音の前なるなのでしょう。

 そして、まえに向かって辿り続けて行くと、根元神お やであろう“総てのものの本体”に行き着くことになり、その存在は日月神示で“無”と表現されます。これは意味的にれいと同じです。

「何ものも それ自らは存在しない。弥栄しない。必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。また、総てのものの本体は無なるが故に永遠に存在する」 『地震の巻』 第一帖 [378]

 ただし、五十音の縦軸と横軸を形成する父音と母音は、最初から異なる方向性ベクトルで展開されており、母音を“現れのれいとするなら、父音は“隠れのれいと言えます。また、れいとしての性質は現れたよりも隠れたの方に色濃く受け継がれているはずです。

 こういった内容を前提にして、父音と母音の素因になった“根元的ななにかは、日月神示で“言葉のと呼ばれています。

「人民が正しく言霊すれば霊も同時に言霊するぞ、神も応へ給ふのであるぞ。始め言葉の元があるぞ、ヽヽヽヽヽアと現はれるぞ、神の現はれであるぞ、言葉は神をたたへるものぞ、マコトを伝へるものぞ、トモになり、倶に栄えるものぞ」 『星座の巻』 第二十帖 [903] 第一仮訳)

 ここでは言葉の“ム”“ウ”で表現されています。同時に、ムとウを囲むれいが徐々に小さくなって行きますが、これは「れいとしての性質が薄まって行く」や「少しづつ現れる」などの意味を表現していると思われます。

 そこで、れいの意味を“始まりの前にあるもの”として説明する記述を引用します。

「始めの日は始めの日に過ぎん、始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈に過ぎんぞ、マコトでないぞ、根から出たものではない、枝葉に過ぎん、〔中略〕 岩戸がひらけたのであるから教へではならん、道でなくてはならんと申してあるぞ、道は永遠ぢゃ、〇から出て〇に至るのぢゃ」 『碧玉の巻』 第七帖 [871]

 ここで注目されるのは「れいから出てれいに至る」という部分です。その意味は五十音の“配列”“順序”から考えれば判り易いはずです。

 五十音はゼロの位から父音と母音が展開し、両者が組み合わさって子音が生まれることによって全体が形成されています。ですが、ゼロの位や父音は隠れているので、基本的には「五十が五十音の最大の数になる」と考えられます。ただし、

 これは、流れや動きや活用などは最大を迎えた時点で反転するからであり、そういった“対称的な用”かえしを含む用”のことを、日月神示は“呼吸”に譬えています。

〔前略〕 因が果にうつり、呼が吸となり行く道程において、歓喜は更に歓喜を生ず。その一方が反抗すればするだけ他方が活動し、又 強力に制しようとする。呼が強くなれば吸も強くなり、吸が長くなれば呼も又 長くなる、ここに平衡が生まれてくる。は常に動いて栄え、は常に動かずして栄え行く、その平衡が浄化、弥栄である。故に地獄的なものも天国的なものも同様に神の呼吸に属し、神の脈打つ一面の現はれであることを知らねばならない」 『地震の巻』 第三帖 [380] 第一仮訳)

「霊、力、体の三つがよりよく調和する処に真実が生れ、生命する。これは根元からの存在であり用であるが、動き弥栄する道程に於て、復霊、復力、復体のうごきをなす。〔中略〕 動きがあるが故に、反動があり、そこに力が生れてくる。〔中略〕 常に、動き栄えゆく、大和のを中心とする上下、左右、前後に円を描き、中心をとする立体的うごきの中に呼吸しなければならない。それが正しきかんながらの歓喜である」 『地震の巻』 第九帖 [386]

「霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力する。秋は、陰であり、月と光り、且つ力する。この春秋のうごきを、また、歓喜と呼ぶのである。春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得る」 『地震の巻』 第十八帖 [395]

「春が来れば草木に芽が出る。花が咲く。秋になれば葉が枯れるのぢゃ。時節よく気付けて取違ひせんよういたしくれよ。時節ほど結構なものないが、又こわいものもないのであるぞ。丁度 呼吸のようなもので一定の順序あるのぞ。吸の極は呼となり、呼の極は吸となるぞ。これが神のハタラキであるから、神の現われの一面であるから、神も自由にならん」 『月光の巻』 第五十八帖 [845]

 つまり、呼吸は“往路”“復路”のようなものであり、折り返した後は来た道を逆に辿ることになります。これは順律おもてが展開されることを意味しており、

 ここまでの内容から考えると、れいから始まってれいに還って来るまでの過程的な段階は「50×2=100」になるようです。故に、

日月神示の数霊論では“百”が全体であり“一廻り”になります。

 同様の話は岡本天明氏が『古事記数霊解序説』で語っています。

「六、この天地を合せると云ふ事は神道の中心的指導原理であって、50と50と合せ100とすることが、50を完全に作用することであります。易経の大衍の数であります」 『古事記数霊解序説』 第十七章 昭和三十七年版。昭和四十七年版では第十九章。ここでの「天地」とは併記されている百ますの図表の「上半分と下半分」の意味です)

 そして、れいとはであり“現れのらちがいに在るもの”です。その意味では、

百という全体あらわれれいという番外かくれに内包されています。

 この点についても岡本天明氏の言及があります。

「自然数は123456789であるが、1の前には0があり9は∞(無限大の0)につながって、始めなき始めから終りなき終りに到って居ります。この0を究明しない限り数の神秘にふれ、数霊の鍵は得られないのであります。何故かなれば「秘められてゐる」からであります」 『古事記数霊解序説』 第四章 昭和三十七年版。昭和四十七年版では第五章)

 こういった意味合いの内容を“中心と対称的なはたらきの関係”として説く記述も見られます。

「世の元は〇であるぞ、世の末も〇であるぞ、〇から〇に弥栄するが、その動きは左廻りと右廻りであるぞ、と申してあろう、その中心に動かぬ動きあるぞ」 『星座の巻』 第十帖 [893] この帖の内容は天の御柱の逸話に通じており、順律と逆律には「同時に進行している」という側面もあるようです)

 ですから、れいは真の原因や真の結果として“始まりの前”“終わりの後”と表現する方が正確なのかもしれません。また、ここには「始点と終点が繋がって完成むすびになる」といった意味も内包されており、そうであるが故に、ゼロの位の空欄は百の呼吸の“基点”“中心”になっています。

は常に動いて栄え、は常に動かずして栄え行く、その平衡が浄化、弥栄である」 『地震の巻』 第三帖 [380] 第一仮訳。ここでのは周囲と中心の意味でも読めます)

「中の中には中の道あるぞ、中の中 は無であるから動きないぞ、動きないから無限の動きぢや」 『春の巻』 第三十九帖 [696] 昭和二十七年版)

ナカイマと申すことは今と申すことであるが、は無であるぞ、動きなき動きであるぞ、真中うごくでないと申してあろう、うごくものは中心でないぞ、その周囲が動くのであるぞ、そのことよくわきまへよ」 『秋の巻』 第十九帖 [760] 第一仮訳)

 余談ですが、れいに対応するこえはありませんが、敢えて当て嵌めるなら“ん”でしょうか。何故なら、見方によっては この最後むすびことばが始まりの前や終わりの後になるからです。

 そして、れいや父音は“現れざるもの”“隠れたもの”であるが故にので、多くの場合は「無いから無い」という風に認識されてしまいます。しかし、実際には「無くとも在る」のであり、そういった点を誤認しないようにするために、敢えて、

五十音あらわれたもの番 外かくれたものを入れた数が五十九や六十なのでしょう。

 以上の内容から、父音と数霊のれいに一体的な側面があることが窺えます。それが、父音が隠れた九柱として重視される理由であり、「神は言葉である」と明言する日月神示において、五十九が“世の元の神の数”と言われる背景だと思われるのです。

「元の人三人、その下に七人、その下に七七 四十九人、合して五十九の身魂あれば、この仕組は成就するのざ、この五十九の身魂は神が守ってゐるから、世の元の神かかりて大手柄をさすから、神の申すやう何事も、身魂みがいてくれよ、これが世の元の神の数ぞ」 『上つ巻』 第十三帖 [13]

 話は変わりますが、日月神示が降りた初期に神霊に命じられてとうしゃ版のが製作されました。その数は五十八であり、直筆オリジナルを含めれば五十九になります。

「神示はとうしゃよいぞ、初めは五十八、次は三百四十三ぞ、よいな」 『天つ巻』 第十二帖 [119]

「次の五の巻のとうしゃは四十九でよいぞ、十は神よきに使ふぞ、前のも十はよきに使ふたぞ、判りたか、皆に分けるぞよ」 『光の巻』 第一帖 [397]

 しかし、謄写版のは神前に奉納した際に十人分が霊化して消えてしまったそうです。それが上の帖の「前のも十はよきに使ふたぞ」の意味です。このことに関連するかもしれない話として、“十”を数える場合と数えない場合の“二通りの数え方”が提示された記述があります。

「元は十と四十七と四十八とあはせて百と五ぞ、九十五ざぞ」 『岩の巻』 第四帖 [369] 第一仮訳)

「ひふみ四十九柱、五十九柱、神代の元ざぞ。〔中略〕 アメツチのはじめ」 『空の巻』 第三帖 [458] 省略した部分には柱のムの神と柱のウの神の名があり、前出の「元の人人、その下に人」との対応が考えられます)

 もしかしたら、十人分の謄写版が霊化したのは、五十音に父音が隠れていることを示唆する、一種のひながただったのかもしれません。

 本章で詳しく見て来たように、日月神示での五十音の神格化には、言霊だけではなく“数霊的な原理”も含まれることが“五十音の構造”から見て取れます。また、は五十音に“神の型”としての側面があることを、大宇宙の鉄則である“フトマニ”との関係の中で説いています。

 そこで、五十音と数霊とフトマニの関係を考察することによって、本章の結びとします。

 最初に要約しますと、森羅万象は俳句の韻律のように、何らかのがあってこそ歓喜やエネルギーが流入するそうです。逆に、が無いものはので、大したものは生まれないとのことです。この話の本質を語ったと思われるのが次の記述です。

「悪は総てを自らつくり得、生み得るものと信じている。善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをも、つくり得ぬものと信じている。故に、悪には本来の力はなく、影にすぎない。善は無限の力をうけるが故に、益々弥栄する」 『地震の巻』 第五帖 [382]

 例えば、日月神示の中核的な概念であるや一二三は「これまでのものを組み合わせて生むこと」なので、その本質的な側面は“継承”であり、あくまでもです。

〔前略〕 地上には物質的形式があり、霊界には霊的形式がある、その形式は歓喜の交叉し、発する処によって自ら成るものである。形式なくしては合一なく、力なく、形式あるが故にものが総てに合一弥栄し力し大弥栄するのである。形式の中に和すことは、その個々が差別されてゐるからである。差別し区分せられることは、その各々に各々が共通する内質をもつからである。共通性なきものは差別し区分することが出来ない。霊界と現実界との関係はかかるものであるが故に常に相反し力し力を生じ、又 常に相通じて力を生み行く。これは平面的頭脳では中々に理解しかたいのであるが、この根本原理を体得、理解し得たならば神幽現三界に通じ、永遠に弥栄する大歓喜に住するのである」 『地震の巻』 第十帖 [387] 第一仮訳)

 こういった背景から、日月神示では“法則”“順序”“配列”“形式”などが非常に重要視されているので、判り易い記述を抜粋して行きます。

「何事も順 正しくやりて下されよ、神は順であるぞ、順 乱れた所には神のはたらき 現はれんぞ」 『雨の巻』 第九帖 [343]

〔前略〕 秩序、法則は、神そのものであるから、神自身も これを破ることは許されない。〔後略〕 『地震の巻』 第二帖 [379]

〔前略〕 弥栄は順序、法則、形式によりて成る。故に、順序を追わず、法則なく、形式なき所に弥栄なく、生れ出て呼吸するものはあり得ない。〔後略〕 『地震の巻』 第三帖 [380]

〔前略〕 これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。その秩序、法則、統一は、一応 完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄する。故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈拍し、歓喜するのである。〔後略〕 『地震の巻』 第七帖 [384]

〔前略〕 神そのものも神の法則、秩序に逆らうことは出来ない。法則とは歓喜の法則である」 『地震の巻』 第十五帖 [392]

「神から出る真、善、美、愛の用に奉仕するのが霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜である。〔中略〕 そして、その何れもが神の秩序、即ち大歓喜の秩序、法則によって相和し、相通じ、全般的には一つの大きな神の用をなしているのである」 『地震の巻』 第十八帖 [395]

「順 乱しては神の働きないと申してあろがな。〔中略〕 順 正しく礼儀 正しく神にも人にも仕へまつれよ」 『空の巻』 第二帖 [457]

「神は生命ぞ。秩序ぞ。秩序は法則ぞ」 『黄金の巻』 第二帖 [513]

「形式ないところに実体はうつらんぞ。道理ぢやなあ」 『黄金の巻』 第七帖 [518] 第一仮訳)

「神示読めずに順 乱して来るぞ。慾 出して下さるなよ。順 乱れる所に神のはたらきないぞ。人民 自由にせよと申して、悪自由してならん」 『黄金の巻』 第五十帖 [561] 第一仮訳)

「想念は形式をもって始めて力 出るぞ」 『黄金の巻』 第五十二帖 [563]

「それぞれの順 立てねば悪となるぞ」 『黄金の巻』 第六十三帖 [574]

「順 乱すと悪となるぞ」 『白銀の巻』 第一帖 [612]

「よろこびは形をとる、形なく順序なきもの無であるぞ」 『白銀の巻』 第二帖 [613] 昭和二十六年版)

「神は順であるぞ」 『春の巻』 第十九帖 [676]

「ものの順序わきまえねばならん。悪平等ならん」 『春の巻』 第二十帖 [677]

「門もくぐらず、玄関も通らずに奥座敷には行かれん道理ぢや。形式を馬鹿にしてはならんぞ、〔中略〕 川なければ水流れん道理、始はカタふんで行かなならんぞ」 『春の巻』 第二十三帖 [680] 第一仮訳)

「カタは形をもたねばならん」 『夏の巻』 第十一帖 [728]

「道とは三界に貫く道のことぞ、宇宙にみちみつのあり方ぞ、法則ぞ、秩序ぞ、神の息吹きぞ、弥栄ぞ、喜びぞ、判りたか」 『月光の巻』 第四十三帖 [830] 第一仮訳)

 他にも、数霊や言霊や色霊が“統一的な原理”から発生しているように読める記述があります。

「弥栄とは次々に限りなく喜びをふやして養って行くことざぞ、喜びとはお互ひに仲よくすることぞ、喜びは生きものぞ、形あるものぞ、色あるものぞ、声あるものぞ、判りたか」 『青葉の巻』 第二十一帖 [490] この帖の「形」は数霊の“型”“形式”としての側面を指すようです)

「世の中には順序あるぞ。それがカズタマ、動くと音出るぞ。それがコトタマ、音には色あるぞ。それがイロタマ 『黄金の巻』 第七十帖 [581] 昭和二十六年版)

「生命はコトぞ。コトはミコトぢゃ。ミコトは神の心であるぞ。喜びであるぞ。ミコトに生きよと申してあらう。コトあれば音あるぞ。音あれば色あるぞ。色あれば数あるぞ」 『黒鉄の巻』 第四帖 [622]

「マコトとはかずぢゃ、ことぢゃ、色ぢゃ、その配列、順序、方則ぞ」 『極めの巻』 第十四帖 [941]

 上の引用の中で、法則や配列や形式を指す意味を内包するであろうが数と同一的に語られていることから、言葉や色彩よりも数字の方が“元”に近いように見えます。これに類することは、岡本天明氏が『古事記数霊解序説』でせんだつの言葉を使って強調しています。

「数の神様とまで云われたピタゴラスは「数は実在の性質そのものであり、数は物の原型である故にである」と云い、神人スエーデンボルグは「天界には数のみによる文書がある。数字は全般的綜合的であり、極めて多くの秘義を含む」と云ふ意味のことを示してゐる。こう云う考へ方、見方は古事記の数霊解に通ずるようであります」 『古事記数霊解序説』 第二章 昭和三十七年版)

 こういった話は日月神示の原文がであることに関係しているはずなので、参考として“数”についての記述も引用します。

〔前略〕 但し、高度の霊人となれば文字はない。ただ文字の元をなすがあるのみ。また高度の霊界人の文字として、殆ど数字のみが使用されている場合もある。数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである。しかし これは不変のものではなく、地上人に近づくに従ってぜん変化し、地上人の文字に似てくるのである」 『地震の巻』 第十三帖 [390]

「天は数ぞと申してあろう」 『扶桑の巻』 第一帖 [850]

「太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ」 『扶桑の巻』 第八帖 [857]

「天人同士の文字は数字が多いぞ」 『星座の巻』 第十八帖 [901]

「世界の山も川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に、数でつくったのぢゃ」 『紫金の巻』 第十一帖 [990]

 ここまでの内容から、“数霊”“言霊”が明確なもとで一体的に展開される“神のことわりの表現”であることが見えて来ます。故に、

五十音は“フトマニの一端”と言えます。

 フトマニは日月神示で“大宇宙の鉄則”と語られており、法則や秩序や順序と同一視されています。

「総てが太神の中での動きであるから、喜びが方則となり秩序となって統一されて行くのであるぞ、それをフトマニと申すのぞ、太神の歓喜から生れたものであるが、太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則であるぞ、鉄則ではあるが、無限角度をもつ球であるから、ようにも変化して誤らない、マニ(摩邇)の球とも申すのであるぞ。その鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階にと、絶えず完成から超完成に向って弥栄するのであるぞ。弥栄すればこそ、呼吸し、脈搏し、進展して止まないのであるぞ」 『碧玉の巻』 第十八帖 [882]

〔前略〕 神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん、〔後略〕 『竜音の巻』 第三帖 [911]

「フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、の誠であるぞ、合せて二十二、富士であるぞ。神示の始めに示してあろう。二二は晴れたり日本晴れぞ」 『至恩の巻』 第二帖 [949]

 言霊学のせんべんをつけた山口志道もとフトマニの関係について言及していますが、恐らく、

五十は“フトマニの基本単位”なのでしょう。

 そのような意味合いを感じさせる“五十”の記述が日月神示にあります。

「イシもの言ふぞと申してありたが、イセにはモノ言ふイシがあると昔から知らしてあろうがな、五のがもの言ふのであるぞ、ひらけば五十となり、五百となり、五千となる。握れば元の五となる、五本の指のように一と四であるぞ、このほうを五千の山にまつれと申してあろうが、これがイチラ(五千連)ぞ、ぞ、判りたか、五十連 世に出るぞ」 『扶桑の巻』 第一帖 [850]

「天の声あるぞ、地の声あるぞ、和して十の日月地と現はれるぞ。五十人の仁人が出て来るぞ、仁人とはカミヒトのこと、この仁人が救世主であるぞ、救世主は一人でないぞ。各々の民族に現はれて五十人であるなれど、五十と言ふ数に囚われるなよ、五十人で一人であるぞ、数に囚われると、判らんことになり、岩戸しめとなるから気つけおくぞ」 『扶桑の巻』 第五帖 [854]

「母しらす御国の五のハタラキは何れも十のつばさを持ってゐるぞ、足は十本であるぞ、更に五十のつばさとなりなる仕組、五十の足がイツラぞ、イツラではうごきとれん。四十九として働いてくれよ、真中の一はうごいてはならん。真中うごくでないぞと申してあろうがな」 『扶桑の巻』 第十一帖 [860]

「神の御手に巻物があるぞ、その巻物の数は五十巻ぢゃ、〔中略〕 時節参りて誰の目にも黙示とうつるようになった、有り難いことであるぞ」 『扶桑の巻』 第十二帖 [861] 日月神示が全五十巻であることは岡本天明氏が『五十黙示』の後書きで述べています。ちなみに大本神諭にも「五十冊の筆先」の言葉が出て来ます)

「天の5を地にうつすと地の五則となるのぢゃ、天の大神は指を折りて数へ給ふたのであるぞ、天の大神の指も五本であるから、それを五度折りて二十五有法となされ、五十をもととされたのぢゃ、〔中略〕 それだけでは足りない、その中に〇があるのぢゃ、大神がましますのぢゃ、人民の頭では中々に理解出来んなれど、理解して下されよ。これが妙であるぞ、奇であるぞ、天の父の教であり、地にうつした姿であるぞ」 『極めの巻』 第九帖 [936]

 そして、五や五十を“根本の型”と表現する記述も見られます。

「マコトの数を合せると五と五十であるぞ。中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、であるぞ、五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな」 『碧玉の巻』 第五帖 [869]

 上の帖ではフトマニが“神の型”であることが明かされていますが、そうであればこそ、

五十音は表現あらわれとしてかたなのです。

 これは次のようにも言い換えられます。

元型ひながたである」

 ここに五十音が神格化される最大の理由があります。何故なら、五十音の原理に通じれば神やフトマニとことになり、“神のよろこびが流入して来るはずだからです。それが「言葉は神であり、神は言葉である」の一つの意味ではないでしょうか。

 こういった日月神示の内容や山口志道の主張を受け継ぐ形で、岡本天明氏があらわした『古事記数霊解序説』には、五や十や五十を中心として展開される図が幾つも掲載されています。

 また、晩年の天明氏がの地に移り住み、伊勢の中心である皇大神宮の別名がのみやであることにも因縁がありそうです。

 他にも、「数霊の奥義が書かれている」と言われ、最晩年の天明氏が直受したの名が『黙示』であることは、上記の内容に基づくのかもしれません。

 なお、五十と同じく“フトマニの基本単位”と呼び得る数霊は もう一つ存在します。それは“数霊の二十”です。この数霊は日月神示の創世神話に盛り込まれており、色々な数霊の関係が判明した浮かび上がりません。その具体的な内容については本論の第八章を御覧ください。

 以上が数霊の五十に関する考察ですが、本章の数霊のれいの解説で触れたように、五十は“百”と強い結び付きがあります。そのことはフトマニを意味するおおと一緒に明言されています。

「神のおんのまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現れるのであるぞ、大摩邇は百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、光の中に百億のぶつぢゃと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ」 『扶桑の巻』 第十四帖 [863]

 そこで、次章では百にまつわる話を展開しながら、ことを解説します。これにより、五十のつちのかみの数”としての意味が鮮明になります。

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百の神 / 病治しの神

 本章では日月神示の創世神話の“最後の神”であるのかみについて考察します。この神霊は伊邪那岐神の苦境を救ったももを神格化した存在です。

 そして、創世神話の“神の総数”は合計でひゃくです。ちなみに、天之御中主神から意富加牟豆美神までが百柱になるのはです。ただし、古事記では神霊の数え方が指定されているので、日月神示と同じ数にはならない点に御注意ください。

 また、日月神示の造化三神の化生から千引の岩戸閉めまでの物語は明確に古事記を踏襲していますが、細かい異同が幾つかあるのは前章までに述べた通りです。他の異同には、古事記では千引岩ががへしおおかみとして神格を有するのに対し、には その描写が無いことなどが挙げられます。

 意富加牟豆美神は大本神諭や伊都能売神諭には全く登場せず、霊界物語に記紀の内容に基づく言及が僅かにあるだけです。しかし、日月神示では“国常立神の現れの一つ”として大変に重視されます。

「この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りてくれよ、青人草のうきなほしてやるぞ」 『天つ巻』 第二十六帖 [133]

「この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。病あるかなきかは手廻して見れば直ぐ分かるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが」 『天つ巻』 第二十九帖 [136]

「何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、此の方 ノカミであるぞ。神の息と合はされると災難、病 無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命 助けてやるぞ」 『日の出の巻』 第十五帖 [228]

「人民のうきに悩むを救うのはオホカムツミの神であるぞ。このハタラキの神名 忘れてはならん。この方はオホカムツミの神とも現われるぞと知らしてあること忘れたのか」 『月光の巻』 第十九帖 [806]

 他にも、意富加牟豆美神を篤く祀るように指示した記述があります。

「一の宮は桜咲く所へつくれよ、わかりたか、天之日津久神奉賛会でよいぞ、オホカムツミの神と申しても祀りくれよ」 『キの巻』 第二帖 [259]

「奥山にはオホカムツミの神様もまつりくれよ」 『夜明けの巻』 第八帖 [328]

 古来から「百」はモモと訓み、転じて非常に数が多いことを指すようになり、場合によっては“全て”の意味も内包します。その上で、意富加牟豆美神が古事記と日月神示で百番目の存在であることを考え合わせると、ももかみよりも【ももかみ】と見る方が適切と言えます。

 同時に、百の神は岩戸を閉める原因になった火の神が五十番目の存在であることに関連しています。何故なら、意富加牟豆美神とつちのかみや百と五十は対応関係にあるからです。これにより、日月神示の創世神話はことが判って来ます。

 そういった内容を、意富加牟豆美神の【病治しの神】の側面と一緒に論じます。


 まずは、日月神示の創世神話で伊邪那岐神がももに助けられた場面を再掲します。

ここのみこと つかつるぎ きてしりへきつつり、たび 黄泉よもつさかさかもといたたまひき。さかもとなるもも りてたまひしかば、ことごとたまひき」 『日月の巻』 第四十帖 [213]

 前々章では先に夫婦神の別離を解説するために省略しましたが、桃の子は黄泉よもつくにの軍勢を撃退した功績により、伊邪那岐神から直々に名をたまわっています。

ここのみこと ももたまはく。「みまし たすけしごと、あらゆるあほひとくさうきなやことあらばたすけてよ」とたまひて、またあしはらなかつくにに あらゆるうつしきあほひとくさうきちてくるしまむときたすけてよ」とたまひて、みこと(100)、オホカムヅミノミコト<40>たまひき」 『日月の巻』 第四十帖 [213]

 この辺りの話は、伊邪那岐神の言葉が二度繰り返されている以外は古事記と殆ど同じなので、“桃の物語”の背景を含めて簡単に説明して行きます。

 伊邪那岐神の苦境を救ったももの名は古事記で「意富加牟豆美命」と表記されており、発音を重視した漢字が当てられています。

 大抵はオホカムミと訓みますが、オホカムミと訓む場合もあります。の原文では該当箇所が「つ」や「」なので、両方の訓み方に共通する“zu”の発音が優先されるように感じられます。

 ですが、どちらの発音であっても問題になるとは思えないので、基本的には好きな方で発音すれば良いでしょう。例えば、イザナとイザナなどのように、判断が難しい訓み方は多少の異同があっても神霊への非礼には当たらないはずです。

 意富加牟豆美神の名の由来には幾つかの説があります。主流なのは「おおかむ」という“神の果実”とする説であり、他にも「おおかむ」という“神の霊威”とする説も見られます。

 基本的には神の果実なのでしょうが、黄泉よもついくさである幽界がいこくの軍勢”を追い返した退たいれいとしての側面から、神の霊威も充分に有り得るはずです。同時に、伊邪那岐神の苦境を救った褒美として名を賜っていることから、“神のいさおしのような側面もあると思われます。

 恐らくは複合的な背景を持つ御神名なので、意味は一つだけではないと考えられます。

 桃の“退魔の力”は日本書紀にも記述があり、意富加牟豆美神の逸話が「桃で鬼を防ぐ始まりになった」と書かれています。とぎばなし“桃太郎の鬼退治”えんげんと見る向きもあるそうですし、鬼を追い払う実という意味ではまめとも関連するのかもしれません。

 こういった桃に関する話は大陸の思想の影響があります。支那チャイナの伝説では、仙界に三千年に一度だけ花が咲いて実を結ぶ桃の木があり、その実を食べることによって不老長寿の力が得られると伝わっています。そこから、非常に珍しくてめでたいものを“三千年の桃”と表現するようになりました。

 この場合の三千とは数が大きいことを意味しており、代表例としては「長い期間」を意味する“三千年”や、「多くの世界」や「広い世界」を意味する“三千世界”があります。例えば、戦前の日本人は日本の悠久の歴史を“三千年の歴史”と美称していたそうです。

 三千年は大本系統で“国常立神が押し込められていた期間”を指すので、日月神示でも馴染みが深い言葉です。参考として“三千年に一度”の記述を引用します。

「何も難しいこと申すのではない。自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ。内にあるものを浄化すれば、外から近づくものがかわって来る道理。内の自分を洗濯せずにゐて、きたないものが近づくとか、世の中がくらいとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。木でも草でも中から大きくなって行くのぢゃ。三千年に一度の時がめぐり来てゐるのであるぞ。為せば成る時が来てゐるのぢゃ。為さねば後悔ぞ。時すぎて種まいても、くたびれもうけ」 『月光の巻』 第五十帖 [837]

「木でも草でも皆、中から大きくなるのざと申してあろう、つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのでないぞ、三千年に一度と言ふ、又とない結構な時がめぐりて来てゐるのであるぞ、為せば成るぞ、難しいこと申してゐるのではない、自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、みがけば神と同列のミタマぞ、釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう。内にあるものを磨けば外からひびくものも磨かれた、けがれのないものとなるのぢゃ、中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、岩戸がひらけてゐても岩戸はひらけん」 『扶桑の巻』 第十三帖 [862]

 これらの記述は大本系統の「国常立神が三千年間も地に潜って計画を立てて来た」の逸話を背景に語られていますが、である意富加牟豆美神は「三千年間の積み重ねのとして“国常立神の力の顕現”を司る神霊なのかもしれません。実際に、日月神示にも「此の方は意富加牟豆美神とも現はれる」と書いてあります。

 余談ですが、上記の二つの引用には「木でも草でも中から大きくなる」と書かれており、人間の内面性、つまり“身魂磨きの重要性”を強調する内容になっています。その理由は、三千年に一度の大立替えの際はので、「神の御用に使われる好機チャンスを掴むためにも身魂を磨きなさい」と伝えたいのでしょう。

 伊邪那岐神の苦境を救った意富加牟豆美神は、一般的にはあおひとくさうきから救う神”として認識されており、日月神示でも基本的に同じです。

「この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りてくれよ、青人草のうきなほしてやるぞ」 『天つ巻』 第二十六帖 [133] 通常は「うき」と書きますが、古事記の意富加牟豆美神のくだりでは「苦瀬」と書いてウキセと訓むのが慣例です)

 “青人草”たみくさと同じように人間や民衆を意味する古語であり、他にも記述があります。

「草木さへ神の心に従ってゐるではないか、神のむねに それぞれに生きてゐるでないか、あの姿に早う返りてくれよ、青人草と申すのは草木の心の民のことぞ」 『下つ巻』 第十一帖 [53]

「臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足 地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみな お土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ」 『天つ巻』 第二十九帖 [136]

 また、意味的に青人草に通じる“草木”の記述も抜粋してみます。

「悪の世であるから、悪の臣民 世に出てござるぞ、善の世にグレンと引繰り返ると申すのは善の臣民の世になることぞ。今は悪が栄えてゐるのざが、この世では人間の世界が一番おくれてゐるのざぞ、草木は それぞれに神のみことのまにまになってゐるぞ」 『富士の巻』 第七帖 [87]

「草木の心になれと申してあろがな」 『日月の巻』 第十五帖 [188]

「キが到ればモノが到る、モノを求める前にキを求めよ、キがもとと知らしてあらうがな。めあてなしに歩いたとて、くたびれもうけばかり、人生のめあて、行く先の見当つけずに、その日暮しの、われよしの世となり下つてゐるぞ。めあてはでないか、に向かないでウロウロ、草木より、なり下つてゐるでないか」 『黒鉄の巻』 第三十五帖 [653] 昭和二十六年版)

 これによると、青人草には「大地に根を張る」の意味があるようです。恐らくは日本の大地が国常立神の御神体であることに掛けておやがみと繋がっていないから苦境におちいる」と言いたいのでしょう。

 それに関連して、これから人間の世界が“行き詰まり”を迎えることも書かれています。

「思ふようにならんのは、天地の弥栄、生成化育にあづかって働いていないからぢゃ。今の世界の行き詰りは、世界が世界の御用をしてないからぢゃ。よめよ。神示 世界にうつせよ。早う うつせよ」 『春の巻』 第十五帖 [672] 昭和三十八年版)

「メクラの人民がいくら集まって相談すればとて、すればする程ヤミとなるのぢゃ、行き詰ってあげもおろしも出来んことになるのぢゃぞ」 『碧玉の巻』 第十六帖 [880]

「人民がいよいよ お手上げと言うことに、世界が行き詰りて神のハタラキが現れるのであるぞ、日本人びっくりぢゃ、日本人はいくらでも生み出されるが日本の国は出来まいがな」 『星座の巻』 第四帖 [887]

 同時に、こういった行き詰まりの根本的な原因は、「八方的な平面世界の上限に近付いたから」という点にあるそうです。

「現実的には不合理であっても、不合理にならぬ道をひらくのが、霊現交流の道であり、立体弥栄の道、行き詰りのない道、新しき世界への道である。平面のみでは どうにもならない時となってゐるのに、何して御座るのか」 『月光の巻』 第十八帖 [805]

「元は5で固めたのぢゃ、天のあり方、天なる父は5であるぞ。それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰って世界のなんぢうであるぞ。手や足の指は何故に5本であるか、誰にも判るまいがな」 『極めの巻』 第八帖 [935]

「四と八によってなされたのであるから、森羅万象のことごとくが その気をうけてゐるのであるぞ。原子の世界でもそうであろうが、これが今の行き詰りの原因であるぞ、八では足らん、十でなくてはならん、〇でなくてはならんぞ。岩戸開きの原因はこれで判ったであろうがな」 『至恩の巻』 第六帖 [953]

 ここから考えると、伊邪那岐神が意富加牟豆美神に命じた「青人草が苦しむ時には助けてあげなさい」は個人的なことに留まらず、「世界の行き詰まりを打破して人間を救って欲しい」の意味が含まれているのかもしれません。

 日月神示での伊邪那岐神から意富加牟豆美神への言葉は二度繰り返されており、古事記の内容を分割した格好になっています。そこで、古事記とを並べて相違点を比較することによって、似た言葉が繰り返されている意味を考察してみます。

汝如助吾 於葦原中國汝 吾 助けし如葦原の中国に
所有 人草之あらゆる青人草の  あらゆる現しき青人草の  
落苦瀬而患惚時 可助苦瀬に悩む事あらば助けてよ苦瀬に落ちて苦しまむ時に助けてよ

 一行目は、伊邪那岐神を指す前半の「」が、後半で「あしはらなかつくに」という日本の古い美称に置き換えられています。二つが対応していると考えれば「伊邪那岐神や夫神イザナギは現実界での日本に相当する」と読み取れます。ちなみになかつくにの名称は、天であるたかあまはらと地である黄泉よもつくにに地上世界が在るとする見方に基づくそうです。

 二行目は、前半の「青人草」が、後半で「うつしき青人草」といううつを意識した表現に置き換えられており、同じ青人草でも後者が地上人に限定されているように見えます。逆の視点から見れば前者は霊界人でしょうか。

 三行目は、前半の「悩む事」が、後半で「落ちて苦しまむ時」に置き換えられています。「落ちて」は天上に対する地上や地下を意識した表現であるようです。これは地上の別名が天であり、地上世界と地下世界は天上世界から見れば、どちらもに位置することから来る表現かもしれません。

 こうやって比較すると、前半と後半の言葉は、天と地、霊と物質、隠れと現れの“表裏一体の関係”を伝えているように思われます。これは日月神示の宇宙観において、天と地の関係が“合わせ鏡”であることが背景になったと推測されます。

の国、霊の国と この世とは合せ鏡であるから、この世に映って来るのざぞ」 『地つ巻』 第二十四帖 [161]

「天にあるもの地にも必ずあるのざぞ、天地 合せ鏡と聞かしてあろがな」 『日の出の巻』 第十三帖 [226]

「天と地と合せ鏡ぞ、一人でしてはならんぞ」 『キの巻』 第六帖 [263]

「世を捨て、肉をはなれて天国近しとするは邪教であるぞ。合せ鏡であるから片輪となっては天国へ行かれん道理ぢゃ」 『黄金の巻』 第五十九帖 [570]

「喜びの本体は あの世、現はれは この世、あの世と この世 合せて真実の世となるのぞ。あの世ばかりでも片輪、この世ばかりでも片輪、まこと成就せんぞ。あの世と この世と合せ鏡ぞ。神は この世に足をつけ衣とし、人は あの世をとして、心として生命しているのぢや。かみひとと申してあろうがな。この道理よくわきまへよ。この世にあるものの生命は あの世のもの、あの世の生命の衣は この世のもの。くどいようなれど、このこと肚の中に、得心なされよ。これが得心 出来ねば、どんなによいことをしても、まこと申してもなにもならん、ウタカタぢやぞ。時節来たのぢやから、今迄のように一方だけの教ではならんぞよ」 『春の巻』 第六帖 [663] 昭和二十七年版)

 このため、日月神示は祓い清めることが重要である」と繰り返しています。そのことを説く記述は多いのですが、ここでは前出の“行き詰まり”に関連するものを引用します。

「顕斎のみでも迷信、幽斎のみでも迷信、二つ行っても迷信ぞ。二つ融け合って生れた一つの正斎を中として顕幽、両斎を外としてまつるのが大祭りであるぞ」 『黄金の巻』 第二十一帖 [532]

「人間の智のみでは世界はよくならん。裏側だけ清めても総体は清まらん。神にめざめねばならん」 『春の巻』 第十五帖 [672]

〔前略〕 今の世はひらけたひらけたと申しているが、それは半面だけのこと、半面がひらけると半面がとざされる世の中、開け放しの明るい世が目の前に来てゐるぞ。用意はよいか、〔後略〕 『碧玉の巻』 第十三帖 [877]

 こういった“天と地の一体性”“霊と体の一体性”を明示するために、伊邪那岐神の意富加牟豆美神への言葉は、ほぼ同じ内容が二度繰り返されているように見えます。

 以上の内容を勘案すると、単独での上限を迎えつつある天の世界と地の世界の行き詰まりを打破する力が、意富加牟豆美神にあるのかもしれません。その意味では、伊邪那岐神と桃の実の逸話には、千引岩の物語と同じようにとしての一面がありそうです。

 では、意富加牟豆美神が苦境に陥った人間を どのように助けるのかと言えば、日月神示ではやまいなおし”の手法が挙げられています。

「この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、今の国々の姿 見よ、手 届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。手は手の思ふ様に、足は足ぞ、これでは病 直らんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足 地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみな お土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土 踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足から お土の息がはいるのざぞ、へその緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、やしろに座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒 切れぬうちは、いつも お土の上を踏まして頂けよ、それほど大切な お土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足はだしで お土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざから あり難い仕組ざから喜んで お土 拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。神の申すやう素直に致されよ、この方 病 直してやるぞ、この神示よめば病 直る様になってゐるのざぞ、読んで神の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病 直るのぞ、国 逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除してくれよ。上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの改心してくれよ。いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役 忘れるでないぞ」 『天つ巻』 第二十九帖 [136]

「病あるかないか、災難 来るか来ないかは、手届くか届かないかで分ると申してあろがな。届くとはそそぐ事ぞ、手首の息と腹の息と首の息との息と頭の息と足の息と胸の息とへその息とくびの息と手の息と八所十所の息合ってゐれば病 無いのざぞ、災難 見ないのざから、毎朝 神 拝みてからく合はしてみよ、合ってゐたらそのには災難 無いのざぞ、ことに臍の息一番大切ざぞ、しも息合ってゐない時には唱へよ、唱へ唱へて息合ふ迄 ゐのれよ、んな難儀も災難も無くしてやるぞ、此の方 ノカミであるぞ。神の息と合はされると災難、病 無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命 助けてやるぞ、此の事は此の方 信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ」 『日の出の巻』 第十五帖 [228] 原典準拠。第一仮訳と第二仮訳の脱字である「一キ」を補いました)

 これらは“苦境の最たるもの”として“病気”と絡めてあるようです。ただし、「戦も病の一つである」と書かれていることからも判るように、日月神示の説く病には広範な意味が込められており、天之日津久神様も「一般的な意味での病治しはしない」と明言しています。

「この神は小さい病直しやあんの真似させんぞ、大き病を直すのぞ」 『上つ巻』 第七帖 [7]

 そこで、“意富加牟豆美神のはたらきを考えるために、やまいに関する記述を順に引用して行きます。それにより、伊邪那岐神が手に取った桃の実の数が古事記では「三箇」であるのに対し、日月神示では「一二三」と書かれている理由を一応は説明できるかもしれません。

 最初に「病気の原因は霊にある」という主旨の記述を引用します。いわゆる「から」です。

「みぐるしきたまには みぐるしきもの写るぞ、それが病の元ぞ、みぐるしき者に、みぐるしきタマあたるぞ、それで早う洗濯掃除と申して くどう気付けておいたのぞ」 『キの巻』 第十二帖 [269]

「病神が そこら一面にはびこって、すきさへあれば人民の肉体に飛び込んでしまう計画であるから、余程 気付けて居りて下されよ」 『光の巻』 第五帖 [401]

「何事に向っても先づ感謝せよ。ありがたいと思へ。始はマネごとでもよいぞ。結構と思へ。幸と思へ。そこに神の力 加はるぞ。道は感謝からぞ。不足申せば不足うつるぞ。心のままとくどう申してあろうが。病気でないと思へ。弥栄と思へ。病治るモト生れるぞ。キがもとぞ。何事くるとも何クソと思へ。神の力 加はるぞ。おそれはおそれ生むぞと申してあろうが」 『春の巻』 第三十六帖 [693]

「毎日、一生懸命に掃除してゐても、何処かにホコリ残るもんぢゃ。まして掃除せん心にホコリつもってゐること位、誰にでも判ってゐるであろうが。神示で掃除せよ。大病にかかると借金してでも名医にかかるのに、霊的大病は知らん顔でよいのか」 『夏の巻』 第九帖 [726]

「心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我のむしが生れてくるぞ。我の病になって来るぞ。その病は自分では判らんぞ。わけの判らん虫わくぞ。わけの判らん病はやるぞと申してあるが そのことぞ。肉体の病ばかりでないぞ。心の病はげしくなってゐるから気付けてくれよ。人々にも そのことを知らせて共に栄えてくれよ。この病を治すのは、今日までの教では治らん。病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならんぞ。病を浄化しなければならん。悪を殺すと云う教や、やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ」 『月光の巻』 第三十帖 [817]

流行はやりやまいは邪霊集団のしわざ、今に判らん病、世界中の病はげしくなるぞ」 『五葉の巻』 第十四帖 [977]

 上の「自分でも気付かない訳の判らない病がる」は他にも記述があります。

「今にやまいがみの仕組にかかりてゐる臣民 苦しむ時 近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりてゐても、人も分らねばわれも分らん病ぞ、今に重くなりて来ると分りて来るが、その時では間に合はん、手おくれぞ。この方のよく腹に入れて病 追ひ出せよ」 『地つ巻』 第十六帖 [153]

「皆 病気になりてゐること分らぬか。一二三のりとで直してやれよ。神示読みて直してやれよ。自分でも分らぬ病になってゐるぞ、早ふ直さぬと どうにもならんことになって来るぞ」 『水の巻』 第七帖 [281]

「松 せよ、松おせば判らん病 治るのぢゃぞ」 『雨の巻』 第十四帖 [348]

「世界に何とも云はれんことが、病も判らん病がはげしくなるぞ」 『黄金の巻』 第五十四帖 [565]

「顔まで変ってゐるのに未だ気づかんのか。病気に皆がなってゐるのに未だ気づかんのか。何事も早い改心結構」 『黒鉄の巻』 第二十二帖 [640]

 こういった変な病はを読めば治る」「神に向かえば治る」と明言されています。

「この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、さう云へば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ、必ず病も直るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民 何も分らんから、あわててゐるが、この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ」 『富士の巻』 第十三帖 [93]

「ひつくの神にひととき 拝せよ、神のめぐみ身にも受けよ、からだ甦るぞ、神の光を着よ、み光をいただけよ、食べよ、神ほど結構なものないぞ、今の臣民 日をいただかぬから病になるのざぞ、神の子は日の子と申してあらうがな」 『地つ巻』 第九帖 [146]

「この神示 心で読みてくれよ、声出して読みてくれよ、病も直るぞ、草木も この神示よみてやれば花咲くのざぞ」 『地つ巻』 第二十三帖 [160]

「礼拝の仕方 書き知らすぞ、〔中略〕 終りてから神々様のキ頂けよ、キの頂き方 前に知らしてあろがな、何よりの臣民人民のいきの命のかてであるぞ、病なくなる元の元のキであるぞ、〔後略〕 『雨の巻』 第十七帖 [351]

「拝むは拝まんよりはましであるぞ。しかし拝んでばかりでは病気は治らん。金はもうからん。拝むばかりで金もうけ出来たり病気治ったりすると思ふたら間違ひぞ。道にいそしめ。道ゆくところ喜びあるぞ。喜びあるから病気も治るのぢゃ」 『春の巻』 第五十六帖 [713] 第一仮訳)

 この他にも、『冬の巻』の補帖と『月光の巻』の第十一帖で“食物と病の関係”が説かれており、そこでは神から与えられた食物を神に捧げずにむさぼることが“病と不運の原因”とされています。ただ、基本的な意味は「神に向かえば病は治る」と同じなので、ここでは割愛します。

 病の記述の最後に「心の病と体の病は別物ではない」と明言された箇所を引用します。

たべものに病 無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方 頂き方ざぞ。神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、心も身も分け隔て無いのであるがる様に申して聞かしてゐるのざぞ、取り違い致すでないぞ」 『日の出の巻』 第八帖 [221]

 そして、日月神示では伊邪那美神がらす黄泉よもつくにゆうかいがいこくと表現しているのですが、それがじ曲がった想念の世界”として、気から起こる病の根本的な原因に挙げられています。

「人民の邪気がりて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。訳の判らん病ひどくなって来るのざから、〔後略〕 『夜明けの巻』 第三帖 [323]

「この世の人民の悪は幽界にうつり、幽界の悪が この世にうつる」 『黄金の巻』 第三十八帖 [549]

「心に凸凹あるから幽界のものに取りつかれて、つまらんことになるのぞ」 『黄金の巻』 第八十一帖 [592]

「曲って世界を見るから、大取り違ふから曲った世界つくり出して、自分で苦しむのぢゃ。に幽界 出来るのぢゃ」 『黄金の巻』 第九十四帖 [605]

「天から気が地に降って、ものが生命し、その地の生命の気が 又 天に反影するのであるが、まだまだ地にはでこぼこあるから、気が天にかへらずに横にそれることあるぞ。その横の気の世界を幽界と申すのぢゃ。幽界は地で曲げられた気のつくり出したところぢゃ」 『白銀の巻』 第一帖 [612]

「幽界と申すのは凸凹のうつしの国と申してあらうがな」 『白銀の巻』 第四帖 [615]

「幽界と申すのは道を外れた国のことざと知らしてあらうがな」 『白銀の巻』 第六帖 [617]

「神がうつらぬと申してゐるが、心をやはらかくしてマカセ切れば刻まれるぞ。平かにすれば正しく写り、デコボコすれば曲ってうつる」 『黒鉄の巻』 第三十三帖 [651]

「幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな」 『冬の巻』 第一帖 [770]

 ここに書かれた“心にでこぼこがある状態”を、「鏡が歪んで正確に映らない」「鏡がくもっている」と表現しています。

「臣民の心の鏡くぼんでゐるから、よきことわるく映り、わるきことよく映るぞ。〔中略〕 早う身魂 洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ」 『上つ巻』 第十八帖 [18]

「神主お祓ひの祝詞のりとあげても何にもならんぞ、お祓ひ祝詞はるのぞ、今の神主 ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。あなはち、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ」 『地つ巻』 第八帖 [145]

「掃除 早うせよ、己の戦まだすんでゐないであろが、洗濯掃除 早う結構ぞ、此の方の神示 元と判りながら他の教で此の道 開かうとて開けはせんのざぞ、鏡 曇ってゐるから曲って写るのざぞ」 『雨の巻』 第十五帖 [349]

「そなたは世の中が悪いとか人がよくないとか申してゐるが、すべては大神の肚の中にゐて、一応 大神が許しなされて居ればこそ存在し、いのちしてゐるのであるぞ。悪くうつるのは心のかがみがくもってゐるからぞ。悪い世の中、悪い人と申すことは、神を悪く申し、神界が悪いのぢゃと申すのと同じであるぞ」 『月光の巻』 第五十帖 [837]

 こういった心の歪みや曇りを正すために、日月神示は「幽界の気を断つこと」を推奨しています。

「神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、息とは初のキであるぞ、気であるぞ。悪神は如何様にでもへんるから、悪に玩具にされてゐる臣民人民 可哀想なから、此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ」 『雨の巻』 第十二帖 [346]

「慢心出るから神示読まんやうなことになるのぞ。肚の中に悪のキ這入るからぐらぐらと折角の屋台骨 動いて来るのぞ。人の心がまことにならんと、まことの神の力 現はれんぞ」 『黄金の巻』 第六十七帖 [578]

「心して神に祈り、心して幽界からのキ断ちて下されよ」 『黒鉄の巻』 第二十七帖 [645] 第一仮訳)

「思想と申すのは広い意味で、太神から出てゐるのではあるが、幽界からの力が強く加わってゐるのぢゃ。ネンと申すのは神界からの直々であるぞ。悪の気、断たねばネンとはならんぞ」 『春の巻』 第四十帖 [697]

「悪は悪にのみ働きかけ得るのであるぞ。善に向って働いても、善はビクともせんのぢゃ、ビクつくのは、悪に引込まれるのは、己に悪あるからぞ。合せ鏡と申してあらうが。悪の気 断ちて下されと申しておらう。心の鏡の凸凹なくなれば悪うつらないのざ」 『白銀の巻』 第四帖 [615]

 そして、病の原因である心の歪みや曇りを治すとはことであり、「神の心を知る」と同義です。これは神の姿こころを人間にことを意味しており、日月神示では「鏡を掃除する」と表現されています。ちなみに、この言葉は“身魂磨き”“洗濯”に掛かる表現です。

ごとは神、何も上下、下ひっくり返ってゐるから、分らんから、神の心になれば何事も分るから、鏡を掃除してくれよ」 『上つ巻』 第三帖 [3]

「愈々一二三が多くなるから、今までに出してゐた神示よく腹に入れておいてくれよ、知らせねばならず、知らしては仕組 成就せず、臣民 早よ洗濯して鏡に映る様にしてくれよ」 『日月の巻』 第二十七帖 [200]

とは外国の事ぞ、が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。大き心 持てよ、かがみ掃除せよ、上中下三段に分けてある違ふすじを段々に現すぞよ」 『雨の巻』 第二帖 [336]

「神がかりよくないぞ、やめて下されよ、迷ふ臣民 出来るぞ。程々にせよと申してあらうが。皆々心の鏡 掃除すれば、それぞれに神かかるのぢゃ。肉体心で知る事は皆 カスばかり、迷ひの種ばかりぢゃぞ、この道理 判りたであらうがな、くどう申さすでないぞ」 『風の巻』 第九帖 [360]

「上は上、中は中、下は下の道と定まってゐるのぢゃ、まぜこぜならん、ちゃんと礼儀作法 正しく致さな神の光 出ないぞ。世に落ちてゐた鏡 世に出るぞ」 『マツリの巻』 第九帖 [413] 「世に落ちてゐた鏡」は「貶められて来た神々」や、因縁の身魂を意味する「落ちぶれている民」を指す可能性が高いです)

「世界一目に見へるとは世界一度に見へる心に鏡 磨いて掃除せよと云ふ事ぢゃ、掃除結構ぞ」 『青葉の巻』 第十一帖 [480]

 恐らく、天と地の合わせ鏡の関係を前提に、地上人の意識かがみの歪みや曇りを取り払って正確にことが、病の気を断ってことになるのでしょう。これが前述の伊邪那岐神から意富加牟豆美神への言葉に秘された意味だと思われます。

 ここで話が意富加牟豆美神と病治しに繋がります。黄泉国で伊邪那岐神を追い掛けた黄泉よもついくさ黄泉よもつしこいかづちがみは、いわゆるまがつかみであり、心根が歪み曇った“不浄な存在”とされます。これらは日月神示の表現を使えば“曲がった想念の象徴”なのです。

 それ故、そういったものにおかされないようにすれば幽界の気を断つことになり、病の元を無くして健康を取り戻すことに繋がります。そうであればこそ、日月神示では黄泉国の軍勢を追い払った意富加牟豆美神を“病治しの神”として説いているのでしょう。

 そこから、伊邪那岐神が手に取った桃の実が古事記では「三箇」であるのに対し、日月神示では「一二三」と書かれている理由にも一応の説明が付けられます。何故なら、とは天之日津久神様が指定する表題タイトルであり、この点から広義には以下のように言い得る可能性があるからです。

日月神示ひ ふ みは意富加牟豆美神の現れである」

 こういった意味を示唆するために、伊邪那岐神が手に取った桃の実の数を、わざわざ「取りて」と形容しているのではないでしょうか。日月神示にも次のような記述があります。

「此の方 ノカミであるぞ。神の息と合はされると災難、病 無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命 助けてやるぞ、〔中略〕 飛行機の災難も地震 罪 けがれわざわいも、大きい災難ある時には息 乱れるのざぞ、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難 逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりてくれよ」 『日の出の巻』 第十五帖 [228]

 この帖では意富加牟豆美神が“神の息吹”されています。同じような記述は他にもあり、これらはです。

「臣民 喜ぶほど神うれしきことないのざぞ、曇りて居れど元は神の息 入れた臣民ぞ、うづであるのぞ」 『地つ巻』 第三十二帖 [169]

「世の元と申すものは泥の海でありたぞ。その泥から神が色々のもの一二三で、いぶきで生みたのぞ。人の智ではわからぬ事ざぞ」 『日月の巻』 第二十七帖 [200]

「早う神カカリになる様 掃除してくれよ、神の息吹に合ふと神カカリになれるのぞ。一二三唱へよ、祓えのれよ」 『日の出の巻』 第二十一帖 [234]

「病治してやるぞ、神息吹つくりてやれよ、神いぶきとは一二三書いた紙、神前に供へてから分けてやるもののことざぞ。〔中略〕 今度の岩戸開きは ちっとも間違ひない、まぢりけのない、マコトの神の息吹でひらくのざぞ」 『磐戸の巻』 第十五帖 [251]

とは限りなき神の弥栄であるぞ、は始めなき始であるぞ、ケは終りなき終りであるぞ、神のはたらきが一二三であるぞ、始なく終なく弥栄のなかいまぞ。一二三は神の息吹であるぞ、一二三唱えよ、神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三せよ、始め一二三あり、一二三は神ぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓ひ清めぞ、祓ひ清めとは弥栄ぞ、神の息ぞ、天子様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。〔後略〕 『キの巻』 第十一帖 [268]

「我 捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、神の息吹きにとけ入るのざぞ、「御みいづ」にとけ入るのざぞ、愈々神示となるぞ、一二三とは息吹ぞ、みみに知らすぞ、云はねばならぬから一二三として、息吹きとして知らすぞ。神示よく読めば分ることぞ、神示読めよ」 『キの巻』 第十七帖 [274]

「キが元と申してあるが、キがうえじにすると肉体 餓死するぞ、キ息吹けば肉 息吹くぞ、神の子は神のキ頂いてゐるのざから食ふ物 無くなっても死にはせんぞ、キ大きく持てよと申してあるが、キは幾らでも大きく結構に自由になる結構な神のキざぞ。臣民 こうなくなれば神のキ入るぞ、神の息 通ふぞ、凝りかたまると凝りになって動き取れんから苦しいのざぞ」 『雨の巻』 第十帖 [344]

 その上で、天之日津久神様は“神の息吹”“神の心”を同一視しています。

は神の息吹きぢゃ。心ぢゃ」 『梅の巻』 第二十四帖 [451]

 ここで以上の内容を要約してみます。

神の気 = 神の心 = 神の息吹 = = 一二三 ≒ 意富加牟豆美神 = 病治し

 そして、神の心を知るために与えられた神の気や神の息吹が、歪んだ姿すら映し出す“鏡”、即ちです。

「もう化けては居られん。化けの世はすんだのであるから、人民ウソしてはならんぞ。嘘 見分ける鏡 与へてあるぞ。早う改心なされ」 『黄金の巻』 第十帖 [521]

「キがもとと申してあろうがな。人民は総てのもののキいただいて成長してゐるのであるぞ。キ頂けよ。横には社会のキを、縦には神の気を、悪いキを吐き出せよ。よい気 養って行けよ。見分ける鏡 与へてあるでないか。道わからねば人にきくであろうが。判らんのに判った顔して歩き廻ってゐてはならん。人にたづねよ。これと信ずる人にたづねよ。天地にたづねよ。神示にたづねよ」 『夏の巻』 第十二帖 [729]

「何も彼も鏡にうつるのであるぞ。鏡が御神体であるぞ。何もうつらん御神体のカガミは何もならんぞ」 『扶桑の巻』 第一帖 [850] 「鏡が御神体であるぞ」は『空の巻』第十一帖の「教祖は神示ぢゃ」と意味が通じています。また「何も映らん御神体の鏡」は教祖の言葉を形骸化させた既存宗教を指すのでしょう)

「尻の毛まで抜かれた化物の姿、鏡にうつして見るがよい、鏡は神示ぢゃと早うから知らしてあろうがな」 『碧玉の巻』 第十四帖 [878]

 人間の意識こころ“地の鏡”とすれば神の境地こころ“天の鏡”であり、規範や基準や理想を意味するかがみとしての側面を有します。天の鏡を見て歪みや曇りを取り払って行けば、合わせ鏡である、二つの鏡に違いは無くなるのです。

 つまり、日月神示を熟読して身魂を磨いて神の心と同じになれば、国常立神を筆頭とすることになって神の気が入り、「病の元である幽界の気が追い出されて病気が治る」という話です。

「ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ」 『磐戸の巻』 第十六帖 [252]

「元の大神様に御無礼してゐるから病神にられてゐるのぢゃぞ、洗濯すれば治るぞ、病神は恐くてって来られんのぢゃぞ、家も国も同様ざぞ」 『梅の巻』 第二十六帖 [453]

 同様に、国家や世界の行き詰まりという病”も、根本的な原因は神の心から離れて真実マコトが歪んで映ることにあるようです。そこからは“正常ではない状態”病”と見做されていることが読み取れます。これを逆から見れば次のように言えます。

状態すがたに戻すことが病治しであり“意富加牟豆美神のはたらきである」

 そういった意味では、夫婦神が元のさやに納まることや、立替え立直し自体が“三千世界の病治し”と見ることができるので、意富加牟豆美神は想像以上に大きな力と役割を持つ神霊のようです。その姿はたらきは神の霊威ちからを凝縮したおおかむおおかむと呼ばれるのに相応ふさわしいのではないでしょうか。

 話は変わりますが、前々章までに論じたように千引の岩戸を開いて伊邪那美神の世界との和合を果たすことが元の神の計画ならば、黄泉国である幽界がいこくの気を断つのはおかしく見えるかもしれません。これについて日月神示の表現を使って説明すると「悪を抱き参らせねばならぬが、悪に抱き参らせられてはならぬ」になります。

 要するに、宇宙には神も人も善も悪も従わねばならない法則や秩序、いわゆる“フトマニ”が存在しており、それに沿うことがまことの和合なのであって、「相手の望み通りにすることだけが和合ではない」という話です。この点については判り易い記述があります。

「和が根本であるぞ、和がよろこびであるぞと申してあらう、和すには神を通じて和すのであるぞ、神を通さずに神をなくして通づるのが悪和合ぞ、判りたか、神から分れたのであるから神に帰つて、神の心に戻つて和さねばならん道理ぢやのう、神なくして和ないぞ、世界平和と申してゐるが、神にかへつて神に通じねば和平ないぞ。よろこびないぞ」 『秋の巻』 第二十一帖 [762] 昭和二十七年版)

 上の帖で語られる“神”とは、フトマニ、道理、ミチ、公益性と殆ど同義であり、おおやけの対象には地上界や地上人だけではなく、天界や神霊も含まれます。それもあってか、日月神示は方や方だけが利する和合は善であり、あくまでも方の和合が必要であることを強調しています。

 本章の最後に“意富加牟豆美神の数”である“数霊の百”について考察します。

 前述のように、伊邪那岐神が手に取った桃の実の数は日月神示で「一二三」と表現されており、一二三は“神の息吹”としても描かれています。そして、息吹は呼吸とも言えますが、意富加牟豆美神が“神のに深く関わることが“数霊の五十”とのによって見えて来ます。

 何故なら、日月神示の数霊論では五十が一つの“区切り”であり、そこにはである“百”も含まれるからです。こういった“五十と百の関係”を最も判り易く語っているのは以下の記述です。

「神のおんのまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現れるのであるぞ、おおは百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、光の中に百億のぶつぢゃと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ」 『扶桑の巻』 第十四帖 [863]

 ここでは「百は五十と五十である」という風に語られています。は吐き続けることも吸い続けることもできないように、全体の流れは どこかで必ず反転します。恐らく、日月神示の数霊論では百がかえしの五十”に位置付けられており、のです。

 この点について簡単に説明すると、五十と百は「転換する」や「反転する」という意味ではであっても、「本来とは異なる状態にする」と「本来の状態に戻す」という意味ではなのです。同じでありながら違い、違いながらも同じであり、五十までと百までが呼気と吸気のように“二つで一つのはたらきを形成していることは、前章の数霊の五十の解説でも述べた通りです。

 これに関連して「百が全体である」と読める記述があります。

「百は九十九によってハタラき、五十は四十九によって、二十は十九によってハタラくのであるぞ、この場合、百も五十も二十も、天であり、始めであるぞ、ハタラきは地の現れ方であるぞ」 『碧玉の巻』 第十九帖 [883]

「ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨヘルであり、タテの動きがウマシアシカビヒコヂであるぞ、十と十と交わり和して百となり九十九とはたらくのぞ」 『紫金の巻』 第十二帖 [991] 原文X準拠)

 前出の引用にも「おおは百宝を以って成就する」とありますが、宇宙の法則や秩序である“フトマニ”には、百や五十や二十の数が深く関わるようです。

 また、百はけたが繰り上がることから、完成、完全、上限、せんなどの“最後”の意味があり、次なる桁の始まりという意味では“最初”と見ることもできます。似たようなことは岡本天明氏が『古事記数霊解序説』で指摘しています。

「易経の「大衍之数50その用49]も、百の用が、九十九と言う極数で、百は一であるのも、右といつにするわけであります」 『古事記数霊解序説』 第九章

「モロモロは「百」であって、百を以って一つの頂点とし、かつ新しい出発点とすることであります。つまり、「百は一であり、始めであり、極数九十九の本体であり、終わり」であります」 『古事記数霊解序説』 第十章

 上の内容は、見方によっては「九十九と百のが強調されている」と読めますが、もしかしたら、

意富加牟豆美神とは“九十九を百にための一”かもしれないのです。

 同時に、日月神示の数霊論は百で完成ひとまわりになるので、ももは一から九十九までの結果や成果としての“果実”であり、次の呼吸ひとまわりを始める際の“新しきになります。その意味では、

意富加牟豆美神は“百柱の総代”と言えます。

 こういった視点において、ももの神たる意富加牟豆美神は“終わりと始まりの境に立つ神”として、世界が行き詰まった際の突破口のようなものを司る可能性がありそうです。そもそも、世界を行き詰まらせているる神霊なのですから。

 これはさかうつかくの狭間であり、双方を結ぶ接点や転換点たる“境界の領域”であることも関係しているはずです。

 そして、意富加牟豆美神が司る“百”は迦具土神が司る“五十”対応します。

 数から見れば五十でした流れは百でするはずですし、物語から見ればほと“成る”に変化した話は陰がことによって“生む”に戻るはずです。沼陰いわとのが迦具土神の用なら、沼陰いわとのは意富加牟豆美神の用ではないでしょうか。

 そのことは“岩戸開きの定義”“岩戸閉めの定義”からも読み取れます。

「逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、上にゐては足も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足はやはり下の方が気楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理 分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ」 『下つ巻』 第十三帖 [55]

「日本の上に立つ者に外国の教 伝へて外国魂に致したのは今に始まった事ではないぞ、外国の性根 入れたのが岩戸閉めであるぞ、五度ざぞ、判りたか。それを元に戻すのであるから今度の御用 中々であるぞ」 『梅の巻』 第十一帖 [438]

 ここからは幽界がいこくの気を断って「状態すがたに戻す」という意富加牟豆美神の“病治しの用”が、広義には“岩戸開きの用”ほうせつし得る可能性が推し量れます。これは立替え立直しが“三千世界をあめつちに戻す計画”であることにも掛かっているはずです。断定はできませんが、

意富加牟豆美神は“岩戸を開く神”なのかもしれません。

 また、あめつちや和合や一体の言葉には、でこぼこならして天の鏡と地の鏡に映る内容すがたにする」という側面や、ヌホコヌホトにする」の側面が含まれているのでしょう。それが、前出の引用の「の姿に返す」及び「の姿に返す」の意味の一面であると推察する次第です。

 こういった内容が、ももの神”ことによって導き出されるのです。そこからは、日月神示の創世神話の“数霊の物語的な表現”という側面も垣間見ることができます。

 恐らく、日月神示で意富加牟豆美神が岩戸開きの総指揮を執る“国常立神の現れの一つ”とされるのは、以上の話を背景とするのではないでしょうか。

「人民のうきに悩むを救うのはオホカムツミの神であるぞ。このハタラキの神名 忘れてはならん。この方はオホカムツミの神とも現われるぞと知らしてあること忘れたのか」 『月光の巻』 第十九帖 [806]

 それ故、この神霊を注視して心にとどめるのは、とても大切なことだと思われるのです。

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同じ名の神 / 二十マニ

 前章までの創世神話の引用には、神霊の数を判り易くするために一から百までの番号を付記しましたが、それとは別に一から三十までの番号と一から四十までの番号も付記してあります。これは“神霊の別名”“同じ名が繰り返されている神”に対しての番号です。

 あめなかぬしのかみからのかみまでの百柱の内訳は、同じ名が繰り返されて“六十柱”の神霊と、同じ名が繰り返されて“四十柱”の神霊であり、日月神示の創世神話では【同じ名の神】という独自の概念が展開されています。

「同じ名の神二つあるぞ。人民三つ四つにも おろがんで御座るぞ」 『光の巻』 第八帖 [404]

 あめのかみ様による創世神話は説明的な描写が少なく、神霊の御名に重点を置いた書き方なので、一見すると「ことたまとしての御神名を伝えること」が第一義であるように感じられます。しかし、同じ名の神を軸に神霊の“総数”“比率”に注目すると、次のように言い得る側面が浮かび上がります。

「日月神示の創世神話はである」

 そして、では同じ名の神が“神界の秘密”と称されています。

「同じ名の神二つあると申してあろ、同じ悪にもまた二つあるのぢゃ、この事 神界のみつぞ、この事 判ると仕組 段々とけて来るのざぞ、鍵ざぞ」 『青葉の巻』 第十三帖 [482]

 上の帖では同じ名の神というが、元の神の計画を考える上で大変に重要なヒントであることが明かされています。恐らくは そのことに関連するのでしょうが、

日月神示には同じ名の神が“千引の岩戸開きの核心”のように書かれています。

 この辺りの詳細を、の善悪観、伊邪那岐神の世界と伊邪那美神の世界の関係、神霊の比率などに注目しながら、夫婦神が最後に交わした総括むすびの言葉”と一緒に考えてみます。

 これにより、日月神示の創世神話が、天之日津久神様や岡本天明氏が“大宇宙の鉄則”と語る【マニ】に基づいて展開されていることが見えて来ます。百柱の神の物語は“神霊と数霊と言霊”を不可分の一体としての一面を知らしめる、非常に高度で精緻ななのです。

 そういったことを複合的な視点から考察します。なお、本章では同じ名の神を“千引の岩戸”に関連する部分に絞って論じているので、何らかの答えを導き出すと言うよりは、「答えのを推測する」といった内容であることを御了承ください。


 最初に、幾つかの“同じ名の神”の記述から引用してみます。これらは、同じ名の神、同じ神、二柱の神、二通り、二つづつ、といった表現で言及されています。

「二柱の神あると申してあろが、旗印も同様ぞ、かみの国の旗印と、もとつかみの国の旗印と同様であるぞ、であるぞと知らしてあろがな、にも二通りあるのざぞ、スメラの旗印とと申して知らしてあろがな、今は逆ざぞと申してあろがな、このことわからいでは、今度の仕組分らんぞ、分らんぞ、岩戸開けんぞ。よく旗印みてよと申してあろがな」 『風の巻』 第二帖 [353]

「釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ。同じ神二つあると申してあらうがな。なくなってゐるのざぞ、ないざぞ、でないと、まことできんのざぞ、わかりたか。なきもの悪ざぞ、は霊ぞ、火ぞ、はじめざぞ。くらがりの世となってゐるのも、ないからざぞ。この道理わかるであらうがな」 『岩の巻』 第一帖 [366]

「龍神と申してゐるが龍神にも二通りあるぞ、地からの龍神は進化して行くのであるぞ、進化をうそざと思ふは神様迷信ぞ。天からの龍神は退化して行くのであるぞ、この二つの龍神が結ばれて人間となるのであるぞ。人間は土でつくつて、神の気入れてつくつたのざと申してあらうがな。天地の御恩 忘れるでないぞ、神の子ぞ、岩戸しめと岩戸ひらきの二つの御用のミタマあると申してあらうがな、ミタマの因縁恐ろしいぞと申してあらうがな」 『白銀の巻』 第二帖 [613] 昭和二十六六年版)

がよろこびであるぞ、もよろこびであるぞ、よろこびにも三つあるぞ。は表、は裏、表、裏合せてぞ、は神であるぞ、神であるなれど現れの神であり、現れのよろこびであるぞ。のもとがであるぞ、キであるぞ、元の元の太元の神であるぞ。であるぞ、から生れ、から生れるぞ。同じ名の神二つあると申してあろうがな、よく判りたであろう」 『春の巻』 第四帖 [661] 昭和二十七年版)

「天に星のある如く地には塩があるのであるぞ、シホ、コオロコオロにかきならして大地を生みあげた如く、ホシをロオコロオコにかきならして天を生みあげたのであるぞ。天の水、地の水、水の中の天、水の中の地、空は天のみにあるのではないぞ、地の中にもあるのぞ、天にお日さまある如く地中にも火球があるぞと申してあろう、同じ名の神二つあるぞ、大切ことぢゃ」 『星座の巻』 第一帖 [884] 第一仮訳)

「根本の元の元の元の神は〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ、ことあまかみ五柱と申してあろうがな、五が天であるぞ。五は数であるぞ、転じて十となるなれど、動き栄へるにはの神が現われねばならん、これが中を取り持つ二柱の神ぞ」 『至恩の巻』 第七帖 [954] ここでの「二柱の神」は岡本天明氏の『古事記数霊解序説』によれば国常立神と豊雲野神のことです。しかし、同じ名の神に通じる可能性も考えられるので、念の為に引用しました)

 また、直接的な言葉ではないものの、同じ名の神に類する記述は複数あります。

 例えば、日月神示で名が現れた神”は第一巻『上つ巻』第四帖のこのはなさくひめのかみですが、この時点で既に同じ名が二度繰り返されています。

「二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りてくれよ。コハナサクヤ姫様も祀りてくれよ」 『上つ巻』 第四帖 [4] 「二三」は直訳すれば「そう」ですが、第一仮訳では文脈を重視した「富士」です)

 他にも、“世界の啓示ことばであるあまつかみしんちょくでは、夫神イザナギ妻神イザナミの名が二度繰り返されています。

ここあまつかみ もろもろみこと もちのみこと イザナギノミコトに「これただよへるくに かたせ」とのりごちてあめほこたまひてことさしたまひき」 『日月の巻』 第十七帖 [190]

つぎのみこと イザナミノミコトにあまほとたまひて「ともただよへるくに かたせ」とことさしたまひき」 『日月の巻』 第十八帖 [191]

 同様に、日月神示の神示”には、御神名ではないものの同じ言葉が二度繰り返されています。

「戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ」 『上つ巻』 第一帖 [1]

 また、夫婦神による“国生みのでも「アウあう」と同じ言葉が二度繰り返されています。

ここのみこと のみことほこ ほと みて「くにみせな」とたまひき。のみこと のみこと いきはしたまひて「アウあう」とらせたまひてくにたまひき」 『日月の巻』 第二十四帖 [197]

 こういった内容を見ると、“日月神示の神話”に同じ名が繰り返されている神霊が登場するのは、極めて暗示的なものが感じられます。

 恐らく、に「世の元からの仕組がある」や「こうなることは世の元から判っていた」とあるように、同じ名の神の概念は世界の成り立ちにのでしょう。これは、はじめの前のれい“二つ”で表現されることや、日月神示の天神の神勅で修理固成すべき対象が、“二つのとして認識されていることに繋がります。

 その上で、同じ名の神は、善と悪、表と裏、頭と尻などの表現で“千引岩との関係”が示されています。

「同じ名の神二柱あるのざぞ、善と悪ざぞ、この見分け なかなかざぞ、神示よめば見分けられるように、よく細かにいてあるのざぞ、善と悪と間違ひしてゐると、くどう気付けてあろがな、岩戸開く一つの鍵ざぞ、名 同じでも裏表ざぞ、裏表と思ふなよ、頭と尻 違ふのざぞ。びきの岩戸開けるぞ」 『風の巻』 第一帖 [352]

 別の箇所には「同じ名の神が二つ揃って三つになること」が“千引の岩戸開き”と書いてあります。

〔前略〕 この夫婦神が時めぐり来て、千引の岩戸を開かれてあい抱き給う時節来たのであるぞ、嬉し嬉しの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つが揃うて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時 来たりなば この千引の岩戸を倶に開かんと申してあろうがな」 『碧玉の巻』 第十帖 [874]

 他にも「夫婦神が呼吸を合わせて生む」という表現で、実質的に千引の岩戸開きを指す同じ名の神の記述が見られます。

〔前略〕 素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦 呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ」 『碧玉の巻』 第十帖 [874]

 これらの記述は、夫婦神が千引の岩戸を開いてミトノマグワイを再開することを前提に書かれており、そのことは「同じ名の神を一つにする」と表現されています。

「二つづつある神様を一つにするのであるから、うそいつわりちっともならんのぢゃ。少しでも嘘偽あったら、曇りあったら、神の国に住めんことになるのざぞ。途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。根本からの道でないと、今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな」 『岩の巻』 第二帖 [367]

 この内容は「二つが揃って三つになる」と同じであり、いわゆる1+1=3(1)というミチの概念”に通じます。ミチ意味すがたについては『地震の巻』第十八帖の中で、しゅんじゅうじつげつよういん“霊人の結婚”たとえて判り易く語られています。同時に「悪はではない」とのことです。

〔前略〕 生前は生後であり、死後は又 生前であって、春秋日月の用をくりかへしつつ弥栄へてゐる。従って霊界に住む霊人たちも両性に区別することが出来る、陽人と陰人とである、陽人は陰人のために存在し、陰人は陽人のめに存在する、太陽は太陰によりて弥栄へ、太陰は太陽によりて生命し、歓喜するのである。この二者は絶えず結ばれ、又 絶えず反してゐる、故に二は一となり、三を生み出すのである。これを愛と信の結合、又は結婚と呼び、霊人の結婚とも称えられてゐる、三を生むとは新しき生命を生み且つ歓喜することである。新しき生命とは新しき歓喜である。歓喜は物質的形体はないが、地上世界では物質の中心を為し、物質として現はれるものである。霊界に於ける春は陽であり、日と輝き且つ力する、秋は陰であり、月と光り且つ力する、この春秋のうごきを又 歓喜と呼ぶのである、春秋のうごきあって神は呼吸し、生命するとも云ひ得る、又 悪があればこそ生長し、弥栄し且つ救はれるのである、故に神は悪の中にも善の中にも、又 善悪の中にも悪善の中にも呼吸し給ふものである」 『地震の巻』 第十八帖 [395] 第一仮訳)

 大本系統では伊邪那岐神が“日の大神”、伊邪那美神が“月の大神”と呼ばれることからも判るように、上の帖の内容は夫婦神の関係に見立てても意味が通ります。つまり、イザナギイザナミの結婚をつき結合むすびとして、“ミトノマグワイ”なのです。

 こうして見てみると、「同じ名の神を一つにする」や「ミトノマグワイで生む」や「千引の岩戸を開く」といった内容は、日月神示の説く“一二三”もしくは“善悪のへいこうを語っているように感じられます。これは同じ名の神が、の宇宙観の多角的な表現の一つだからなのでしょう。

 そして、上述の内容と“千引の岩戸開きとの関連”については、同じ名の神の“善と悪”としての側面から考えれば実像に近付き易いはずです。ただ、日月神示の善悪観を本格的に論じると本章の題目テーマから逸脱するので、“夫婦神の世界の関係”に繋がる内容に絞って述べて行きます。

 最初に引用するのは「悪にも二つある」という記述です。

「同じ名の神二つあると申してあろ、同じ悪にもまた二つあるのぢゃ、この事 神界のみつぞ、この事 判ると仕組 段々とけて来るのざぞ、鍵ざぞ」 『青葉の巻』 第十三帖 [482]

 上の記述は日月神示の説く善と悪がであることに関わります。天之日津久神様によるとカミみちにはせいどうどうの二つがあり、正道と外道にも二つあるそうです。具体的には、正道の善、正道の悪、外道の善、外道の悪の四つを指しており、先に要点をまとめると、

存在はたらき“二面性と二重構造”を有します。

 そして、正道の善と正道の悪がきんこうした調和マツリの状態”が、新生を意味する三番目の状態、即ちミチです。この場合、正道の善と正道の悪が一般的な意味でのであり、である外道の善と外道の悪が一般的な意味でのになります。

 そのため、正道の悪は“御用の悪”と呼ばれておりではありません。同じように外道の善もではないらしく、「善も悪もない」「善も改心する必要がある」と語られています。

「神が この世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬ筈ぞと申す者 沢山あるが、神には人のいふ善も悪もないものぞ。よく心に考へて見よ、何もかも分りて来るぞ。表の裏は裏、裏の表は表ぞと申してあろうが、一枚の紙にも裏表、ちと誤まれば分らんことになるぞ、神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ」 『上つ巻』 第二十帖 [20]

「今度の岩戸開きはミタマから、根本からかへてゆくのざから、中々であるぞ、〔中略〕 悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本からつくりかへるよりはれだけ難しいか、大層な骨折りざぞよ」 『磐戸の巻』 第十六帖 [252]

「悪も御苦労の御役。此の方について御座れ。手引いて助けてやると申してあろが。悪の改心、善の改心、善悪ない世を光の世と申すぞ」 『松の巻』 第二十二帖 [313]

「悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。善も悪もないのざぞと申してあろがな」 『雨の巻』 第三帖 [337]

「悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂をつくりておかねば、善では動きとれんのざぞ、悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪 憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地にごりて来るぞ、世界一つに成った時は憎むこと先づさらりと捨てねばならんのぞ」 『空の巻』 第八帖 [463]

「此の方 悪が可愛いのぢゃ、御苦労ぢゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、悪の御用 結構であったぞ。早う善に返りて心安く善の御用 聞きくれよ」 『空の巻』 第十帖 [465]

「今度は悪をのうにするのぢゃ、のうにするは善で抱き参らすことぢゃ、なくすることでないぞ、亡ぼすことでないぞ、このところが肝腎のところぢゃから、よく心にしめて居りて下されよ」 『海の巻』 第七帖 [499]

「大神の道には正邪ないぞ。善悪ないぞ。人の世にうつりて正と見え邪と見えるのぢゃ。人の道へうつる時は曇りただけのレンズ通すのぢゃ。レンズ通してもの見ると逆立するぞ。神に善と悪あるやうに人の心にうつるのぢゃ。レンズ外せよ。レンズ外すとは神示読むことぞ。無き地獄、人が生むぞ。罪ぞ。曲ぞ」 『黄金の巻』 第三十帖 [541]

「何も彼も存在 許されてゐるものは、それだけの用あるからぞ。近目で見るから、善ぢゃ悪ぢゃと騒ぎ廻るのぞ」 『黄金の巻』 第六十九帖 [580]

「平面的考え、平面生活から立体に入れと申してあろうがな。神人共にとけ合ふことぞ。外道でない善と悪ととけ合ふのぞ。善のみで善ならず。悪のみで悪ならず」 『春の巻』 第四十三帖 [700]

「善では立ちて行かん、悪でも行かん、善悪でも行かん、悪善でも行かん。岩戸と申しても天の岩戸もあれば地の岩戸もあるぞ、今迄は平面の土俵の上での出来事であったが、今度は立体土俵の上ぢゃ、心をさっぱり洗濯して改心致せと申してあろう、悪い人のみ改心するのでない、善い人も改心せねば立体には入れん、このたびの岩戸は立体に入る門ぞ」 『五葉の巻』 第十一帖 [974] 第一仮訳)

 同様の見解に基づくの定義”らしき記述もあります。

「悪とは他を退ける事であるぞ、まつりまつりと くどう申してあること未だ判らんのか」 『雨の巻』 第十一帖 [345]

「悪とはわれよしのこと」 『青葉の巻』 第八帖 [477]

「悪とはカゲのことであるぞ、ななめに傾くから影 出来るのぢや、影が主人でないこと忘れるでないぞ」 『黒鉄の巻』 第二十四帖 [642] 昭和二十六年版)

 この辺りの日月神示の善悪観は、千引岩が開いた後の十方りったい世界の在り方”に関わって来る話であり、そういったの重要性を“一方”“一つ目”の言葉で言及した記述も見られます。

「一方的では何事も成就せん。もちつもたれつであると申してあろう」 『春の巻』 第三十帖 [687]

「何程 世界の為ぢゃ、人類の為ぢゃと申しても、その心が、我が強いから、一方しか見えんから、世界のためにならん。人類の為にならんぞ。洗濯ぢゃ洗濯ぢゃ」 『秋の巻』 第十五帖 [756]

「人間の目は一方しか見えん。表なら表、右なら右しか見えん。表には必ず裏があり、左があるから右があるのぢゃ。自分の目で見たのだから間違いないと、そなたは我を張って居るなれど、それは只一方的の真実であるぞ。独断は役に立たんぞと申してあろうが。見極めた上にも見極めねばならんぞ。霊の目も一方しか見えんぞ。霊人には何でも判ってゐると思ふと、大変な間違ひ起るぞ。一方と申しても霊界の一方と現界の一方とは、一方が違ふぞ」 『月光の巻』 第五十五帖 [842]

「今まで世に落ちてゐた神も、世に出てゐた神も皆一つ目ぢゃ、一方しか見へんから、世界のことは、逆の世界のことは判らんから、今度の岩戸開きの御用は中々ぢゃ、早う改心して この神について御座るのが一等であるぞ。外国の方が早う改心するぞ、外(幽)国人とは逆の世界の人民のことであるぞ。神の目からは世界の人民、皆わが子であるぞ。世界中 皆この神の肉体ぞ、この神には何一つ判らん、出来んと申すことないのぢゃ。どんなことでも致して見せるぞ」 『極めの巻』 第七帖 [934]

 四つ目の帖の「逆の世界」とは幽界がいこくのことであり、基本的には伊邪那美神の世界であるくにを指します。ただし、逆様の世界が決しての世界ではないことも強調されています。

「さかさまの世界と申しても悪の世界ではないぞ」 『扶桑の巻』 第三帖 [852]

 そして、このような「逆様のものへの認識や理解が欠けていること」を、現在までの人間や一部の神々が「善のとしての側面や悪のとしての側面しか見ない」や「同じものを別々のものとして認識する」というかたの見方”であったことに掛けて、片一方や一つ目の表現が使われているようです。

 また、そういった“千引の岩戸閉め”に関係することも明かされています。

「夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう」 『碧玉の巻』 第十帖 [874]

 具体的に述べると、これまでの世の中は“正道の悪たると断じて排除し、“外道の善たると信じて助長して来たので、の力が弱まっての力が強まり、結果的に“強い者勝ち”われし”の世に成り下がってしまったそうです。

 このような現状は、天や神や魂である“霊性”を忘れ、地や人や肉体である“物質性”を追い求めて来た八方へいめん世界での地上人の意識”として描写されており、それこそがであるとして手厳しく批判されています。

〔前略〕 善のみにては力として進展せず無と同じこととなり、悪のみにても また同様である。故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。何故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる」 『地震の巻』 第九帖 [386] 『地震の巻』の善悪論は“正道の善と正道の悪の平衡”を軸にしています)

 同時に、来たるべき新世界、即ちミロクの世である十方りったい世界”では「悪を悪として憎む想念は無くなる」と告げられており、岩戸開きと共に地上人の意識が刷新されるとのことです。

〔前略〕 限られたる智によって、このうごきを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感ずる場合もあるのであるが、これこそ善を生かして更に活力を与へ、悪を浄化して御用の悪とし、必然悪として生かすことであり、生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知り得るのである。本来 悪はなくやみはなく、地獄なきことを徹底的に知らねばならない、これは生前、生後、死後の区別なく、総てに通ずる歓喜である。〔中略〕 きたるべき新天新地には、悪を殺さんとし悪を悪として憎む思念はなくなる。しかし それが最高の理想郷ではない、更に弥栄して高く、深く、歓喜に満つ世界が訪れることを知り、努力しなければならぬ」 『地震の巻』 第七帖 [384] 第一仮訳)

 こういった内容が、立替え立直しの本質的な側面である“ミタマの立替え”“善悪の平衡バランスに話が繋がっています。つまり、反対さかさまは新しきミチを生み出すためのついはたらきなのであって、本質的にではなくに属するのでしょう。要するに、

互いに活かし合うことができるのです。

 言うなれば、正道の善と正道の悪は“互いの行き過ぎを是正し合う関係”にあり、われよし的な外道の善や外道の悪とは全くの別物なのです。それで「二つの善と二つの悪を混同してはならない」或いは「二つのと二つのを混同してはならない」と語られているようです。

 そして、この話は天と地、陽と陰、日と月、神と人、霊と肉、神国と外国などの関係にも話が通じており、同時に“伊邪那岐神の世界と伊邪那美神の世界の関係”でもあります。

 何故なら、ことなるものとはなるもの”を意味しており、物事の二面性や二重構造を排して一方的な見方に偏ることを数霊や神話で表現したのが、日月神示の「現在の世界はである沼陰イザナミが欠けている」という千引の岩戸閉めの物語だからです。

 故に、性質が逆様の世界との一体化、即ち、平面世界から立体世界へのせんである反対イザナミの世界との合流”が、夫婦神によるミトノマグワイの再開であり“岩戸開き”と呼ばれます。

「岩戸のひらけた、その当座は、不合理に思へることばかりでてくるぞ、逆様の世界が、この世界に入り交じるからであるぞ」 『扶桑の巻』 第三帖 [852]

「反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から複立体に、複々立体に、立立体にと申してあろう、ぜん 輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、それが岩戸ひらきぢゃ」 『碧玉の巻』 第一帖 [865]

「気の合う者のみで和して御座るなれど、それでは和にならんと知らしてあろうがな、今度は合わんものと合せるのぢゃ、岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、このぎょう、中々であるなれど、これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ」 『碧玉の巻』 第二帖 [866]

「いよいよ判らんことが更に判らんことになるぞと申してあるが、ナギの命の治らす国もナミの命の治らす国も、双方から お互に逆の力が押し寄せて交わりに交わるから、いよいよ判らんことになるのであるぞ」 『至恩の巻』 第十一帖 [958]

 これらの点について少し補足すると、伊邪那岐神の世界であるしんかいと伊邪那美神の世界であるゆうかいは、本来ならば正道の善と正道の悪として共にに属します。しかし、現在は岩戸閉めによって両神の交流が中断しており、どちらの世界も一方的になってミチを生み出せなくなっています。つまり、現状の二つの世界は共に外道的なの性格を帯びていると言えます。ここから推察できるように、

みちを外れると神界せいどう幽界げどうになります。

 単純な「だから無条件にだから無条件に」という話ではなく、善に陥り、ミチにまつろわぬならに転じるのです。

 それもあってか、や神界と幽界は、正道と外道というみちを基準に判断すべきものであることが窺えます。

「道に外れたものは誰れ彼れはないのざぞ」 『地つ巻』 第二帖 [139]

「天の道、地の道、天地の道あるぞ。人の道あるぞ。何も彼も道あるぞ。道に外れたもの外道ぢゃぞ」 『黄金の巻』 第二十九帖 [540]

「幽界と申すのは道を外れた国のことざと知らしてあらうがな」 『白銀の巻』 第六帖 [617]

「道は三つと申してあろう。三とは参であるぞ。スリーでないぞと申してあろう。無限であるぞ。平面的に申せば右と左とだけでないぞ。その右の外に、又 左の外に道でなき道あるぞ。それを善の外道、悪の外道と申す。外道 多いのう」 『春の巻』 第三十九帖 [696]

「悪にくむでないと申してあろう、悪にくむは外道の善であるぞ。外道とは上からの光が一度 人民界にうつり、人民界の自由の範囲に於ける凸凹にうつり、それが再び霊界にうつる、それが幽界と申してあろう、その幽界から更に人民界にうつったものが外道の善となり、外道の悪となるのざ、善にも外道あるぞ、心得よ」 『春の巻』 第四十一帖 [698] 昭和二十七年版)

「善にも外道の善あるぞ。心せよ」 『月光の巻』 第五十四帖 [841]

 結局の所、天神の神勅でように、にまつろえば どちらの世界もです。ただし、を外れるなら どちらの世界もであり、

つい存在はたらきを受け入れなければ、“逆様の存在はたらきに転じます。

 だから神”と呼ばれるのでしょう。互いに認め合うならに向かうはたらきですが、認めなければ やがてはから遠ざかるはたらきに すり替わるのです。その観点から ここまでの内容をまとめます。

 一見して判るように、日月神示の宇宙観で尊ばれているのは正道である調和マツリの方です。

「宇宙の総てはとなってゐるのざぞ、どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、悉く中心に統一せられてゐるのざぞ。マツリせる者を善と云ひ、それに反する者を悪と云ふのざぞ」 『青葉の巻』 第三帖 [472]

「善と悪と取違ひ申してあらうがな、悪も善もないと申してあらうがな、和すが善ざぞ、乱すが悪ざぞ、働くには乱すこともあるぞ、働かねば育てては行けんなり」 『青葉の巻』 第十一帖 [480]

 それ故、日月神示では逆様の世界や反対の世界や九十イザナミの国と称されるゆうかいは、抹殺するべき対象ではなく抱き参らせるべき対象として語られており、最終的に「幽界は神界の一部になる」と語られています。

〔前略〕 念の凸凹から出た幽界を抱き参らさねばならんのざ。中々の御苦労であるなれど、幽界を神界の一部に、力にまで引きよせねばならん」 『春の巻』 第四十六帖 [703]

 ここでのしんかいゆうかいは、神界せいどう幽界げどう及びとして読む方が文意を正確に把握できるはずです。他にも、同じ意味合いの記述を もう一つ引用してみます。

〔前略〕 外道なくして下されよ。外道はないのであるから、外道 抱き参らせて、正道に引き入れて下されよ。新しき霊界はカミヒト共でつくり出されるのざ。それは大いなる喜びであるからぞ。神のむねであるからぞ。〔後略〕 『春の巻』 第四十二帖 [699]

 これらは「正道のと正道の“新しきになる」ということであり、を意味しています。つまり、

ゆうかいは無くならずとも幽界げどうは無くなるのです。

 また、この点を考える上で非常に重要な指摘だと思われる幽界がいこくについての記述があります。ただ、この帖は昭和三十八年版と第二仮訳では一部の文章が欠落して文意が変わっているので、重要な箇所に傍点を振った上で昭和二十六年版を引用します。

「曲って世界を見るから、大取り違ふから曲った世界つくり出して、自分で苦しむのぢゃ、に幽界 出来るのぢゃ、有りてなき世界、有ってならん、、一番下の天国と この世と隣り合せの世界ぢゃぞよ」 『黄金の巻』 第九十四帖 [605] 昭和二十六年版)

 上の帖では「幽界は存在してはならない世界だが、でもある」と語られていますが、その意味は上述の正道と外道の考え方によって判ると思います。は無くさなければならずとも“正道のは必要なのです。

 そうであればこそ、日月神示では伊邪那岐神が治らすしんかいも伊邪那美神が治らすゆうかいも、共に新しきを生み出すための不可欠な因子とされています。それ故、あいれない関係であっても、“正道のと正道のは敵対的な対立軸の関係ではないのです。

 そして、ここまでに述べた“善と悪”への見方が、非常に簡素シンプルに表現された記述があるので、それを引用して、本章で要点のみに触れた“善悪のへいこうの締めにします。

「悪はあるが無いのざぞ、善はあるのざが無いのざぞ、この道理 分りたら それが善人だぞ」 『天つ巻』 第二十三帖 [130]

 以上の内容からは「名は同じでもはたらきは逆」とされる同じ名の神が、の善悪観や宇宙観に基づく概念であることが判ります。その内容は、「同じ名の神が一つになり三つになること」が“千引の岩戸開きの核心”のように書かれている背景なのです。

 ここで話が創世神話に繋がります。何故なら、「今までは同じ名の神が別々の存在と思われていたこと」や「これから同じ名の神が一つになること」をのが日月神示の創世神話だからです。

 そのことを解説するために、復縁を誓い合った上で千引の岩戸を閉めた直後に、伊邪那岐神と伊邪那美神が交わした言葉を引用します。これが“日月神示の創世神話の最後むすびです。

ここいものみことみましくにひとくさ ひと まけ」とまをたまひき。のみこと たまわく。「ひと まなむ」とまをたまひき」 『日月の巻』 第四十帖 [213]

 この部分は古事記で「がしら くびり殺す」と「うぶを建てる」となっていますが、基本的な意味は変わりません。また、古事記の表現を踏襲した記述も見受けられます。

「日に千人食い殺されたら千五百のうぶ建てよ。かむいざなぎの神のおん教ぞ」 『水の巻』 第六帖 [280]

 記紀には他にも“千五百”の数が登場します。例えば、伊邪那美神が率いた黄泉よもついくさの数、たかのかみが生んだ子の数、日本の古い美称などであり、修辞的な日本語としては“三千”に似た意味です。

 しかし、の数霊論によると、夫神イザナギの数である“千五百”妻神イザナミの数である“千”の本質は“3:2”というにあるそうです。同時に、この比率が“創世神話の総括”になっています。

 その理由は、創世神話の百柱の中で同じ名が繰り返されて神が“六十柱”であるのに対し、同じ名が繰り返されて神は“四十柱”であり、両者の比率も3:2だからです。

 この点を詳しく説明するために、日月神示で“3:2の比率”について書かれた部分を引用して、簡単な一覧にしてみます。

「天に神の座あるように、地には人民の座があるぞ、天にも人民の座があるぞ、地に神の座があるぞ。七のしるしと申してあるぞ、七とはモノのなることぞ、天は三であり、地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、ミトノマグハイして五となるのであるぞ、五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、天は数ぞと申してあろう、地はいろはであるぞ」 『扶桑の巻』 第一帖 [850]

「千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神のらす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百のうぶを建てると申されたのであるぞ。これが日本の国の、又 地上の別名であるぞ、数をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが」 『至恩の巻』 第九帖 [956]

伊邪那岐神1500数霊216
伊邪那美神1000言霊144
ミトノマグワイ────360

 日月神示の説く“天の数216”“地の数144”は、えんの角度である360を3:2の比率で表現したものであり、ヌホコヌホトを組んで姿えんに見立てています。

 ちなみに、天であるタカアマハラの音と地であるオノゴロの音の比率も3:2ですが、これらは基本的にプラスマイナスの比率”と考えられます。

 には「陽と陰と和して新しき陽が生まれる」や「奇数と偶数を合わせて新しき奇数が生まれる」などと書いてありますが、退歩マイナス進歩プラスによって初めて歩を得る」の意味でしょうか。この場合、二と三の差分でありである“一”には、実際はと見ることができ、数霊のれいやムとウの概念との関連も想起されます。

 同時に、日月神示では陽や奇数の方が“中心”“本質”として語られており、基本的には“それ”を活かしたり新生させるために、“反対のはたらきである陰や偶数といった“それではないもの”が存在すると言えます。こういった内容が、正道の悪や御用の悪というへの考え方や、同じ名の神の概念などに通じているのでしょう。

 その上で注目されるのは、前出の引用の中の「天はであり地はであると説かせてあった」と、「伊邪那岐神がとなり伊邪那美神がになってミトノマグワイをして五になる」です。この部分が創世神話の最後の言葉と直接的に関わっています。

 簡単に述べるなら、同じ名の神をと「40×2=80」で八十柱になります。この場合、60:80の比率は“3:4”であり、「今までは同じ名の神を別々に認識していた」と符合します。逆に同じ名の神をと四十柱であり、60:40の“3:2”の比率になり、「これから同じ名の神を一つにする」と符合するのです。ここからは次の内容が読み取れます。

「日月神示の創世神話には“神界の秘密”“岩戸開きの鍵”

 天之御中主神から意富加牟豆美神までの物語は、御神名という“言霊的な側面”が前面に出ているので気付きにくいのですが、実際には“数霊的な側面”も極めて重視した上で書記されています。

 このことは、前出の引用の「天は数であり地はイロハである」の解説として、岡本天明氏がけんと言って力説しています。

〔前略〕 古事記は大要 右の如きものであって開巻第一行から実に難解極まるもので、これを読解するには高度な智性と高度な霊性が必要とされます。為めに古来幾多の先覚者が それの立場から開明せんと努力したが、未だ決定的なものは見受けられない。その理由の一としては、殆んどの研究者が、未解決な点に「コトタマの鍵」をあてて開明せんとした為めではないかと思はれる。勿論、古事記を解く鍵の一つが言霊であることに異論はないが、それのみでは絶対に目的を達し得られない、と私は固く信じて居ります。古来、深く秘められてゐる「カズタマ」による古事記の解釈が不可欠なものとなって来る。別言すれば「」が忘れられ、判らなくなってゐるのであります。世界の各国語を通じて、言葉の裏には数があり、数の裏には必ず言葉がかくされてゐるのであります。〔中略〕 以上の如く世界の重要な古典は必ず「数と言」とによって示されてゐるのであります。前に述べた古事記が「邦家の経緯」と云ふのは、言(ヨコ)数(タテ)のことをも意味してゐるようで、日本語では父のことを数(カゾ)母のことを言(いろは)と申します。要するに古典を真解するには右の如き意味をもつ「数霊と言霊」の鍵が必要でありますが、この鍵は深く秘められて居り、ピタゴラス、釈迦、聖徳太子、天武天皇以降、その運営が判らなくなって 只 数のみが残されたと云った形のようであります」 『古事記数霊解序説』 第一章 昭和三十七年版)

「古事記は単なる伝記や神話ではなく、道の大源として限りなき神秘を内蔵し、宗教的にも科学的にも、更に超現実的にも、恐らく永遠に生命し、呼吸しつづけるであろう。われわれの先祖は この神秘を開明する一つの方法として前記の如く二つの秘鍵を残してゐる。一はカズタマであり、一はコトタマであります。古記を見ますと、父のことをカゾ(数)と云ひ、母のことをイロハ(言)又はイロと申して居ります。旧事本紀には「──カゾイロハの既に諸子もろもろのみこことよさして各々その境をたもたしたまふ──神祇本紀」と示されて居ります。古事記にはせつする如く、この意味に於ける父母、天地、陰陽、上下等のあり方を、そして そのハタラキの基本を示されてゐるのでありますが、表面的には言霊的な面が強く現われて居りますので、兎角 数霊面は忘られかちであります」 『古事記数霊解序説』 第四章 昭和三十七年版。昭和四十七年版では第五章)

 天明氏が語っているように、言霊だけではなく数霊からも考えることによって、あまつかみの秘策”と呼ばれる“千引の岩戸開きの真実”に迫ることができるのではないでしょうか。その内の一つが“同じ名の神”であり、そうであればこそ、日月神示の創世神話は言霊的な意味以上にとすら感じられるのです。

 上記の内容からは、「同じ名の神が二柱づつ存在し、これから一つになる」という“神界の計画の概略”が、ことに気付きます。同時に、一見すると唐突に感じられる夫婦神の会話が、実際には極めて正確な“創世神話の総括”であることも判ります。

 恐らく、数霊だけでは説けないものを言霊で説き、言霊だけでは説けないものを数霊で説くことによって、を伝えようとしているのが、日月神示の創世神話なのでしょう。

 以上のように、日月神示では物語と数が一体的に展開されていますが、創世神話に秘められた数霊は他にもあります。結論から言えば、これは“数霊の二十”でありを意味します。

 本論の第三章で簡単に触れましたが、伊邪那岐神と伊邪那美神が天の御柱の周囲を廻る際に、天神に伺いを立てて“規範”としたものがフトマニです。その結果、ミトノマグワイは滞りなく進んで国生みが上手く行きました。

 フトマニは鹿の肩の骨を焼いて入ったひびの形から吉凶を占う古代の祭儀であり、古事記では「布斗麻邇」、日本書紀では「太占」の表記です。日月神示では“大宇宙の鉄則”として説かれ、数霊と一緒に言及される場合が多いです。また、おおという独自の別称も使われています。

「ひふみにもまに、いろはにもまに、よく心得なされよ。何彼の事ひふみ、いろはでやり変へるのぢゃ、時節めぐりて上も下も花咲くのぢゃぞ」 『青葉の巻』 第七帖 [476] 第一仮訳では「ひふみにも二通り五通り、いろはにも二通り五通り」です)

「神のおんのまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現れるのであるぞ、おおは百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、光の中に百億のぶつぢゃと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ、今迄は四のいきものと知らせてありたが、岩戸がひらけて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ」 『扶桑の巻』 第十四帖 [863]

「マコトの数を合せると五と五十であるぞ。中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、であるぞ、五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな」 『碧玉の巻』 第五帖 [869] 」は仏教で「全ての願いが叶う宝」とされる宝珠”を意識した表現のようです)

「総てが太神の中での動きであるから、喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのであるぞ、それをフトマニと申すのぞ、太神の歓喜から生れたものであるが、太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則であるぞ、鉄則ではあるが、無限角度をもつ球であるから、ようにも変化して誤らない、マニ(摩邇)の球とも申すのであるぞ。その鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階にと、絶えず完成から超完成に向って弥栄するのであるぞ。弥栄すればこそ、呼吸し、脈拍し、進展して止まないのであるぞ。このこと判れば、次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのであるぞ」 『碧玉の巻』 第十八帖 [882] 玉には一つの面しかありませんが、見方を変えれば「無限の面を持つ」とも言えます。それを「無限角度」と表現しているのかもしれません)

〔前略〕 神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん、 〔後略〕 『竜音の巻』 第三帖 [911]

「三千世界の岩戸開きであるから、少しでもフトマニに違ってはならんぞ」 『極めの巻』 第二十帖 [947]

「フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、の誠であるぞ、合せて二十二、富士であるぞ。神示の始めに示してあろう。二二は晴れたり日本晴れぞ」 『至恩の巻』 第二帖 [949]

 こういった“フトマニ”については岡本天明氏が詳しく論じています。

「古事記──ここに二柱の神はかりたまひつらく、今 吾うめりし子ふさはず、猶 天神の御所に白すべしとのたまひて、即ち共に参上りて、天神の命を請ひたまひき、ここに(太占にあらず)て詔りたまひつらく、女を、言先だちしによりてふさわず……。この一節中 最も重大であり且つ古事記中の核的文字の一つであるフトマニとは果して如何なるものであろうか。この場合の天神とは全大宇宙の生みの親であり、中心であり、絶対神であります。従って全大宇宙は、天神そのものの現われであり、天神の御想念のままになされて いささかの間違ひもなく、且つ それが当然のことである。故にナギ、ナミ二神の御質問に対しては、御心のままに“かくかくせよ”と御命じになればよいわけであるのに、大神は左様になされず一応後、はじめて「女を言先だてたのが誤りである」と申されたのであります。別言するならば(霊的にも物的にも)と考へられるわけであります。果して然りとするならば、これは大変な事であって、その一端でも解明出来たならば、大宇宙の大法則の一端にふれるわけであって、われわれ人類にとってはこのうえなき大歓喜であり、古事記その他の古典解明の最貴、最高の目的は これでなくてはならないと信ずる次第であります。日本書記には このフトマニをと書き、祝詞中には大兆と書いたのもありますが、これはやはりでなくてはならぬと思います」 『古事記数霊解序説』 第十四章 昭和三十七年版。昭和四十七年版では第十六章)

 日月神示や天明氏によると、宇宙には神さえも従わねばならぬ鉄則があるそうです。そして、フトマニを数で表すなら“五十”“百”が適切であることは前々章や前章の数霊論で詳述した通りですが、もう一つだけ“フトマニの基本単位”と呼び得る数霊が存在します。それは“数霊の二十”です。

「百は九十九によってハタラき、五十は四十九によって、二十は十九によってハタラくのであるぞ、この場合、百も五十も二十も、天であり、始めであるぞ、ハタラきは地の現れ方であるぞ、フトマニとは二十の珠であり、十九は常立であるぞ、根本の宮は二十年毎に新しく致さねばならん、十九年過ぎて二十年目であるぞ。地上的考へ方で二十年を一まわりと考へてゐるが、十九年で一廻りするのであるぞ、いろは(母)の姿見よ」 『碧玉の巻』 第十九帖 [883] 「根本の宮は二十年毎に新しく致さねばならん」は伊勢神宮の“式年遷宮”のことです)

 一般的にフトマニのフトは美称とされますが、日月神示によると数霊的な意味があり、マニ”と表現するのが相応ふさわしいとのことです。また、“二十の活用はたらきである十九がタチ、即ち“国とこたち神”と一体的な関係にあるようです。その上で注目されるのは次の点です。

「日月神示の創世神話には“二十”が隠れている」

 これは、本章で述べた六十柱と四十柱の3:2の比率や、同じ名の神を別々に数えた際の六十柱と八十柱の3:4の比率から見えて来る内容です。つまり、「60÷3=20」、「40÷2=20」、「80÷4=20」ということであり、60と40及び60と80の差分も20です。また、六十柱と四十柱や3:2の総体は百や5ですが、こちらも「100÷5=20」です。

 ちなみに、岡本天明氏は「れいの中にがある」という数霊論を展開していましたが、その説にマニを掛け合わせて展開したものが日月神示の創世神話の一面である可能性もあります。何故なら「100=5×20」だからです。五十音図を前提に5を五つの母音と見るなら、20は十個の父音の順律と逆律でしょうか。案外と百には数に入らない二十が隠れているのかもしれず、れいの中に五と十と二が在るようにも見えます。

 その上で、マニ”の意味については、天明氏が『古事記数霊解序説』でせんだつの考察を参考にしながら論を進めています。

「このフトマニに対する古来の学説を総合すると、フトマニのフトとは太の義で、マニとは神の命のマニマニと云ふことである。太古は何事を為すにも先づ御神意を伺ってから行ったもので、その方法は、普通は牡鹿の肩骨を焼き、その割れ目の形によって判断したものである…と云ふことになり、神道の一部で用ひられてゐる形がマニの原形であると云ふ説もある。その中で最も優れてゐるのはばんのぶともの説であります。その説によると「はマチを現はしたもので、始めはマニとも云われた。元来形は田畠を区劃した。その畦道の形から出来上ったものだ」と云ふのであります。古来 田畠をかぞへるのに一マチ二マチと呼んでゐるのは、こうした所から出て来たものと思はれる。辞書を調べて見ると「町(マチ)とは畦(アゼ)であり区劃である」と書かれて居り、又 畦とはウネであり五十畝のことを云ふとも見へるが、要するに、マチ(マニ)の古義は区劃することであり、境界をつくることであります。更にフトとは太である半面、これを数霊的に見るならば、明かに(フト)であり、古事記にを用ひないでなる文字を用ひた理由の一面は この辺にあるようであります。尚 をはじめ、大祓祝詞中 最も重要なるのフトも始めて真義が解明されるのであります。以上、要するにフトマニとは「」ことであって、以下 順を追って詳述することと致しましょう」 『古事記数霊解序説』 第十五章 昭和三十七年版。昭和四十七年版では第十七章)

 ここには「フトマニとは二十にかくすること」と書いてありますが、実際に、創世神話の“神の比率”二十に区分されています。その意味では次のように言えます。

「同じ名の神はマニの一環”である」

 これは日月神示の創世神話、いては古事記の内容がである可能性を示しています。岡本天明氏が天武天皇による古事記のへんさん“千古の偉業”と讃え、「永久に生きて呼吸し続ける」と語ったのは、そのことを直感的に見抜いていたからなのかもしれません。

 そして、同じ名の神と二十の関係に気付くとので、ここからは日月神示の創世神話の神名の“最大数”とも言える“百七十”について追記します。

 百七十は六十柱と八十柱を合わせた百四十柱に、ふたしまからあめばりまでの二十二柱の神霊が有する“三十の別名”を加えた数です。

 なお、別名には本来の名称として扱われるものも混じっていますが、古事記や日月神示では通称に見える名の方が数える際の基準なので、ここでは便べん的にひとくくりにします。

 別名も古事記と殆ど同じですが、つちのかみの扱いには相違があります。では迦具土神という名が通称の位置付けであり、古事記と違ってはやのかみの正式な別名には含まれない模様です。従って、古事記の別名の合計が三十一であるのに対し、日月神示は三十になります。

 百、六十、四十、八十、二十に対して、三十というきりの良い数字”であることから推察できるように、別名も“比率”によって内包された意味が見えて来ます。結論を先に述べると、

日月神示の創世神話の百七十の名はあまつかみの十七段階”と対応する可能性が高いです。

 第一章と第二章で触れたように、岡本天明氏は天之御中主神から伊邪那美神までの化生を“天神の完成”と呼び、と認識していました。にも そのように読める記述があります。

「人民の肉体も心も天地も皆 同じものから同じ想念によって生れたのであるぞ。故に同じ型、同じさがをもっているぞ、そのかみの天津神はイザナギ、イザナミの神と現われまし、成り成りの成りのはてにイザナギ、イザナミの命となり給ひて、〔後略〕 『至恩の巻』 第五帖 [952]

 同時に、上の帖では“百七十と十七柱の関係”を考える上で、非常に重要な点が示唆されています。

「天地万有は同じに基づいて展開した」

 これらの詳細を解説するために、天之御中主から伊邪那美までの“十七柱の尊称”を一覧にしてみます。

 古事記での十七柱の尊称は全て「神」ですが、日月神示ではミコト、尊称無し、カミの三種類に区別されており、その内訳が創世神話の百七十の名と対応するらしいのです。

 具体的には、六柱のミコトと六十柱、八柱の尊称無しと八十柱、三柱のカミと三十の別名が対応しているので、内容を順に解説して行きます。

 十七柱の内の“ミコト”は正確には五柱であり、何故か高御産巣日に尊称がありません。しかし、同じように尊称が無い四組八柱の対偶神と同列の神格とは考えにくく、造化三神としての一体性から天御中主や神産巣日と一緒の集団グループに含まれるはずです。

 この場合、六柱と対応する六十柱は、実際には五十柱と十柱と見ることもでき、五十音と父音の関係性を連想させます。もしかしたら、尊称をにすることよって、父音のの性質を表現しているのかもしれません。

 次に“尊称無し”の八柱と八十柱の対応ですが、これは非常に判り易いです。古事記では対偶の二柱の神を一柱で数えるように指示しているので、同じ名の神を一柱として数えた場合の四十柱と尊称無しの四が対応し、別々に数えた場合の八十柱と尊称無しの八柱が対応します。

 また、ここで伊邪那美~に配偶神の接頭語である「いも」が無い点も極めて重要です。古事記の該当箇所は「伊邪那美~」なのですが、日月神示では「伊邪那美~」であり、他の四柱の配偶神と区別する意図が感じられます。

 当然ながら、残る“カミ”の三柱が三十の別名と対応することになります。

 以上のように比率から考えると、天神と創世神話の対応的な関係が読み取れます。恐らく、

日月神示の創世神話はかたどったなのでしょう。

 即ちあまつかみしょうけいです。これは次のように言い換えられます。

「三千世界はモトの神のである」

 そのことを前出の帖では「天地は同じもの同じ想念から生まれた故に同じ型や同じさがを持つ」と語っているようです。この点がの宇宙観の中核を成すの中に宇宙を生んだ」と話が通底します。

「歓喜は神であり、神は歓喜である。一から一を生み、二を生み、三を生み、無限を生みなすことも、みなこれ歓喜する歓喜の現われの一つである。生み出したものなればこそ、生んだものと同じ性をもって弥栄える」 『地震の巻』 第二帖 [379]

「全大宇宙は神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に宇宙そのものが神と同じ性を持ち、同じ質を持ち、神そのものの現われの一部である」 『地震の巻』 第五帖 [382]

〔前略〕 地上人が死後、物質的に濃厚なる部分を脱ぎ捨てるが、その根本的なものは何一つとして失はず生活するのである。〔中略〕 さなぎちょうになる如く弥栄へるのであって、それは大いなる喜びである。何故ならば大歓喜なる大神の中において、大神の その質と性とを受け継ぎ呼吸してゐるからである」 『地震の巻』 第八帖 [385] 第一仮訳)

「神も人間も同じであると申してあろう。同じであるが違ふと申してあろう。それは大神の中に神を生み、神の中に人民生んだためぞ。自分の中に自分新しく生むときは、自分と同じかたのものを生む」 『夏の巻』 第七帖 [724]

「人間は大神のウズの御子であるから、親の持つ、新しき、古きものが そのまま型として現れゐて、弥栄えてゐる道理ぢゃ」 『夏の巻』 第十五帖 [732]

「宇宙にあるものは 皆 人間にあり。人間にあるものは 皆 宇宙にあるぞ。人間は小宇宙と申して、神のひながたと申してあらう」 『冬の巻』 第一帖 [770] 昭和二十七年版)

 上のように宇宙が形成される様相を、同じもの、同じ想念、同じ型、同じさがなどの言葉で表現しているらしく、そこからは次の見解を導き出せます。

「天神をひらくとや三千世界になり、三千世界やを畳むと天神になる」

 この間柄は“親神とと世界の関係”と全く同じです。

「日本の国は世界の雛形であるぞ」 『地つ巻』 第十七帖 [154]

「日本の国は この方の肉体であるぞ」 『地つ巻』 第三十五帖 [172]

「日本の国は此の方の肉体と申してあろがな」 『日の出の巻』 第八帖 [221]

「神の国は神の肉体ぞと申してあるが、〔中略〕 それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、なかの国であるからぞ」 『夜明けの巻』 第二帖 [322]

「神の国は真中の国、土台の国、神の元の鎮まった国と申してあらうがな。神の国であるぞ」 『岩の巻』 第八帖 [373]

「日本つかむことは三千世界をつかむことぞ」 『黄金の巻』 第二帖 [513]

「日本が変って世界となったのぢゃ」 『春の巻』 第十四帖 [671]

「新しきカタは この中からぞ。日本からぞ。日本よくならねば世界はよくならん」 『春の巻』 第四十二帖 [699]

「国常立大神の この世の肉体の影が日本列島であるぞ」 『星座の巻』 第四帖 [887]

「日本は日本、世界は世界、日本は世界のカタ国、おのづから相違あるぞ」 『極めの巻』 第一帖 [928]

「日本が秘の本の国、ウシトラのかための国、出づる国、国常立大神がウシトラの扉をあけて出づる国と言うことが判りて来んと、今度の岩戸ひらきは判らんぞ」 『極めの巻』 第四帖 [931]

 断定はできませんが、“霊的な対応関係”において、

記紀や日月神示の創世神話は“日本そのもの”なのかもしれません。

 そこから岡本天明氏の言うけんを見付け出せば、“秘の本の国のいわとを開くことに繋がり、国常立神という“光”が世に出るようにも感じられます。それが三千世界の立替え立直しにおける出づる国の姿”の霊的な一面として、の冒頭の一節の意味になるのでしょうか。

「富士は晴れたり、日本晴れ。神の国のマコトの神の力をあらはす代となれる」 『上つ巻』 第一帖 [1]

 そして、元の神が万物を生む姿や、比率的な対応関係に見られる“移写拡大の様相”の一端は、日月神示で“数”を使って明示されています。これはナルの仕組に代表される“数を一つづつ進めるり方”に対する“数の遣り方”を指します。

「一が十にと申してありたが、一が百に、一が千に、一が万になるとき いよいよ近づいたぞ」 『下つ巻』 第二十四帖 [66]

「八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様になるのざが、悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ」 『天つ巻』 第五帖 [112]

「五つの色の七変はり八変はりここたりたりももよろずの神の世 弥栄」 『雨の巻』 第十七帖 [351]

「イシもの言ふぞと申してありたが、〔中略〕 五のがもの言ふのであるぞ、ひらけば五十となり、五百となり、五千となる。握れば元の五となる、五本の指のように一と四であるぞ、このほうを五千の山にまつれと申してあろうが」 『扶桑の巻』 第一帖 [850]

「大摩邇は百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、〔中略〕 光の中に百億のぶつぢゃと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ」 『扶桑の巻』 第十四帖 [863]

「五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな」 『碧玉の巻』 第五帖 [869]

「そのかみの天津神はイザナギ、イザナミの神と現われまし、成り成りの成りのはてにイザナギ、イザナミの命となり給ひて、先づ国土をつくり固めんとしてオノコロの四音の島をならひろ殿どのを見立てられたのであるぞ、これが この世の元、人民の頭に東西南北の四方があり八方と拡がるであろうが、八十となり、八百、八千と次々に拡がりてよろづとなりなるのであるぞ」 『至恩の巻』 第五帖 [952]

 ちなみに、この展開の方法はれいを加える遣り方”とも言い換えられ、その代表例が二十二フ  ジの仕組”になります。

 これらは実数に対する“比率”のように「どれだけ拡縮してもという特徴があり、日月神示では「神は宇宙を創り給わず」や「神の外には出られない」などの独特の表現で説明されています。

「神は宇宙を創り給はず。神の中に宇宙を生み給うたのであるぞ」 『黄金の巻』 第三帖 [514] 第一訳)

「地上人は肉体を衣とするが故に宇宙の総てを創られたものの如く考えるが、創造されたものではない。創造されたものならば永遠性はあり得ない。宇宙は神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生まれつつある」 『地震の巻』 第一帖 [378]

「宇宙は この方の中にあるのぢゃ。この方ぢゃ」 『春の巻』 第五十二帖 [709]

「人民いくら頑張っても神の外には出られんぞ。神いくら頑張っても大神の外には出られんぞ」 『夏の巻』 第七帖 [724]

「総ては大宇宙の中にあり、その大宇宙である大神の中に大神が生み給ふたのであるぞ」 『冬の巻』 第一帖 [770]

「総てが神の子ぢゃ。大神の中で弥栄ぞ」 『月光の巻』 第九帖 [796]

「そなたは神の中にゐるのであるから、いくらあばれ廻っても神の外には出られん。死んでも神の中にゐるのであるぞ」 『月光の巻』 第五十三帖 [840]

「人民は神の中にゐるのであるから、いくら頑張っても神の外には出られん。死んでも神の中にゐるのぞ」 『極めの巻』 第十三帖 [940]

 結局の所、日本の国土が世界の大陸の縮図ひながたであるように、全ての事象にはが存在します。そういった一種の規格フォーマットが全体を統括するになっており、そこからはのです。

「宇宙の総てはとなってゐるのざぞ、どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、ことごとく中心に統一せられてゐるのざぞ」 『青葉の巻』 第三帖 [472]

 その上で、は「たらしめているもの」として特性や原点や“本質”と呼び得ます。これは「常に展開うごきの中心軸に位置して総体を統御する」という観点から見れば原理やべるもの”であり、信仰的にはカミカミココロと表現できるです。

 そして、神の心や歓喜よろこびは、宇宙の秩序ことわり進展うごきと切り離せない関係にあり、たるあまつかみは大宇宙の鉄則としてのマニ”です。このことは“天神の移写うつしであろう創世神話に二十が隠れている点からも推察できます。

「総てが太神の中での動きであるから、喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのであるぞ、それをフトマニと申すのぞ、太神の歓喜から生れたものであるが、太神も その法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則であるぞ」 『碧玉の巻』 第十八帖 [882]

 恐らく、同じや同じ想念から生まれて同じ型や同じさがを有するという意味において、大宇宙の全ては天神なのであり、その生成化育の基軸となる波長ココロを明かしたもの”として、

日月神示の創世神話はの展開図”と呼び得るのでしょう。

 また、創世神話の百七十の名が、岡本天明氏の言う“天神の完成”たる十七柱と対応するなら、

日月神示の創世神話は“天神の神勅の完遂にかもしれません。

 千引の岩戸開きであり、新しき生みであり、三千世界の立て替え立直しであり、修理固成つくりかため完了しあげである今回の大変動を、天明氏が“天神の秘策”と呼称していたのは、この辺りの内容と霊的な繋がりを持つ可能性があります。

 そういったことを伝えるために、日月神示には古事記に準拠した創世神話が展開されているように感じられるのです。

 同時に、天之日津久神様は永年の歴史の中で古事記から失われた部分を現代に復活させるべく活動していらっしゃるように見えます。もしかして、

“古事記の真解”を伝えるための天啓が日月神示なのでしょうか。

 この説が正しいかは何とも言えませんが、創世神話の精緻な構成に触れると、仮説の裏付けの片鱗くらいは感じ取ることができるのです。

 以上が本章における“同じ名の神”“二十マニ”に関する考察ですが、日月神示の創世神話から見えて来るものは他にもたくさんあります。

 例えば、高御産巣日に尊称が無いことにより、百柱の内のカミ及びが六十柱、カミ以外が四十柱になり、ここでも3:2の比率が見られます。他にも、天明氏が神々の化生と“元素の周期表”の対応関係に注目するなど、日月神示の創世神話には まだまだ多くの意義が秘められているようです。

 ただ、それらを一つづつ取り上げるときりがないので、ここまでは言及しなかった創世神話の言霊的な側面、いわゆる祝詞のりととしての創世神話”に触れて本論を終えたいと思います。

 日月神示の第六巻『日月ひつくの巻』に収録された創世神話は、意図的に文体が変えられていることから判るように“特別なことばです。既に指摘している大本系統の研究者が居られますが、『日月の巻』の十一の帖に分散した創世神話は、全体を一つに繋げて奏上する“日月神示 最大の祝詞”として書記されています。そのことを考える上で参考になるのが“音読”の記述です。

「シッカリ神示読んで、スキリと腹に入れてくれよ、よむたびごとに神が気つける様に声出してよめば、よむだけ お蔭あるのぞ」 『下つ巻』 第二十七帖 [69]

「この神示 心で読みてくれよ、声出して読みてくれよ、病も直るぞ、草木も この神示よみてやれば花咲くのざぞ」 『地つ巻』 第二十三帖 [160]

「神示よんで聞かしてくれよ。声出して天地に響く様のれよ」 『日月の巻』 第二十一帖 [194]

「神示 声立てて読むのざと、申してあること忘れるなよ」 『キの巻』 第十七帖 [274]

「この神示 声出して読みあげてくれよ。くどう申してあろがな。ことたま高く読みてさえおれば結構が来るのざぞ」 『水の巻』 第五帖 [279]

「この神示読めよ、声高く。この神示 血とせよ、ますびととなるぞ」 『水の巻』 第十二帖 [286]

「悪神はようにでもへんるから、悪に玩具おもちゃにされてゐる臣民人民 可哀想なから、此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ」 『雨の巻』 第十二帖 [346]

 また、天之日津久神様は“元の神”に極めて近い存在らしく、多くの神々すら知らぬことを御存知だそうです。それ故、日月神示には「人間だけではなく神々や守護神にも伝えて欲しい」という記述があり、そこからも音読の重要性が判ります。

「この 皆に読みきかしてくれよ。一人も臣民 居らぬ時でも声出して読んでくれよ、まごころの声で読んでくれよ、臣民ばかりに聞かすのでないぞ、神々さまにも聞かすのざから、そのつもりで力ある誠の声で読んでくれよ」 『下つ巻』 第八帖 [50]

「臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、中々大層と申すのぞ」 『下つ巻』 第十四帖 [56]

「この神示 言波としてよみてくれよ、神々様にもきかせてくれよ、守護神どのにも聞かしてくれよ」 『天つ巻』 第十一帖 [118]

「此の神示 声立てて読みて下されと申してあろがな。臣民ばかりに聞かすのでないぞ。守護神殿、神々様にも聞かすのぞ、声出して読みてさへおればよくなるのざぞよ」 『日月の巻』 第三帖 [176]

「守護神も曇りてゐるから神々様にも早う この神示読んで聞かせてやれよ」 『キの巻』 第九帖 [266]

「この神示読みて神々様にも守護神殿にも聞かせてくれよ」 『水の巻』 第十四帖 [288]

「澄んだことたまで神示よみ上げてくれよ、三千世界に聞かすのぢゃ、そんな事で世がよくなるかと人民申すであらうなれど神の申す通り、判らいでも神の申す通りにやって下されよ、三千世界に響き渡って神々様も臣民人民様も心の中から改心する様になるのざぞ、世が迫って居ることは、どの神々様人民にもよく判ってゐて、誠 求めて御座るのぢゃ、誠 知らしてやれよ」 『梅の巻』 第八帖 [435]

 つまり、祝詞を奏上する本人が深い意味を知らずとも、その声を聞き届けた縁ある神霊には、日月神示の創世神話に秘められた“秘密”“鍵”が何なのか判るのかもしれず、霊的かつ大局的にはのです。

 ちなみに、日月神示には他にも“特別なことばがあり、その一つが三つの重複音を除いて五十音を奏上する祝詞のりとです。言うまでもなく、御神名には特別な意味と力があり、その名はことばである“カナ”によって構成されます。一般的にカナは「仮名」の字を当てますが、日月神示によると本来の意味はとのことです。

「仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、まひには その仮名に頭下げて来ねばならんぞ、かなとはカミぞ、神の言葉ぞ」 『下つ巻』 第二十八帖 [70]

 例えば、『水の巻』第二帖の一二三祝詞の原文はじんだいで書かれており、極めて特別な祝詞であることが強調されています。ここからも天之日津久神様が“神のことばを重視していることが判ります。

 古来より「たいを表す」と言いますが、神のことばは神のはたらきを凝縮したものです。故に“百柱のの物語”を広く天地に響き渡らせることは、必ずやよろずの神々に お喜び頂けるでしょう。何故なら、

日月神示の創世神話はあまつかみフト祝詞のりととでも称すべき神名かみのことばしんずいなのですから。

 もしかしたら、創世神話や日月神示ひ ふ みの音読には、伊邪那岐神がももの神”を投げ付けることと同じはたらきがあるのかもしれません。一種の雛型であり“浄化の神業”です。

 以上のように、の説く創世の物語は“神霊と数霊と言霊の集大成”及びとしての側面が見え隠れしています。恐らく、

日月神示の創世神話はしんかいせいなのでしょう。

 しかし、日月神示は予言的な部分に注目が集まりがちであり、神話は軽んじられる傾向があります。ですが、本論で見て来たように、立替え立直しや岩戸開きに関する内容は“神の物語”から答えを得られる場合が非常に多いのです。このことからも“神に向かう重要性”が判ります。

 そして、最初はつたなくとも少しづつで良いから神に向かい続けていれば、いずれは“神の気”“神の光”が頂けることを、天之日津久神様は力強く断言なさっています。

「神に向ってゐると いつの間にか神の気いただくぞ、神の光がいただけるのぢや」 『春の巻』 第三十帖 [687] 第一仮訳)

 これは「神の意向こころを知ること」と同義であり、そのための最も適切なみちしるべになり得るのが、日月神示ひ ふ みであるのと同時に、の夫婦神を軸にして織り成されるはじめの物語”なのです。

かむかむみこと 忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ」 『地つ巻』 第七帖 [144]

 そうであればこそ、「日月神示を理解するためには神から考える必要がある」と言えましょう。

 このように、日月神示の創世神話では“神霊と数霊と言霊”的に展開しています。そこからは千引の岩戸開きが、三千世界を根元から支える“三元”“一二三”の概念や、マニの一環であることが見えて来ます。

 無論、原理こころ全容すべては人間に理解できるものではないでしょうが、そのたんしょに触れ得る可能性は示されています。

であるのかはわかりません。ですが、にあります。

 そう感じさせるほどに、百柱の神々が織り成す創世の物語は、日月神示の中でも特別スペシャルなのです。


── 『 夫婦神 』 完 ──


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