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時節全文

時節よく気付けて取り違いせんように致してくれよ
時節ほど結構なものないが
また恐いものもないのであるぞ
丁度 呼吸のようなもので一定の順序あるのぞ
『月光の巻』 第五十八帖

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日月神示の時節


「外国の飛行機が来るとさわいでゐるが、まだまだ花道ぞ、九、十となりたらボツボツはっきりするぞ」 『上つ巻』 第六帖 [6]

「十月まで待て。それまでは、このままで居れよ」 『上つ巻』 第六帖 [6]

「秋が立ちたら、この道ひらくかた出て来るから、それまでは神の仕組書かして置くから、よく読んで腹の中によく入れて置いてくれよ」 『上つ巻』 第八帖 [8]

「九月になったら用意してくれよ」 『上つ巻』 第十五帖 [15]

「九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ」 『上つ巻』 第十八帖 [18]

「七の日はものの成る日ぞ」 『上つ巻』 第二十四帖 [24]

「六月の二十八日は因縁の日ざ」 『上つ巻』 第二十四帖 [24]

「秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたらたづねてござれ」 『上つ巻』 第二十七帖 [27]

「八月の十日には江戸に祭りてくれよ」 『下つ巻』 第十帖 [52]

「七から八から九から十から神烈しくなるぞ」 『下つ巻』 第十四帖 [56]

「この方祀るのは(あめ)のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の(しょう)(らい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ」 『下つ巻』 第二十三帖 [65]

「一が十にと申してありたが、一が百に、一が千に、一が万になるとき いよいよ近づいたぞ」 『下つ巻』 第二十四帖 [66]

「秋立ちたらスクリと厳しきことになるから、神の申すこと一分一厘ちがはんぞ」 『下つ巻』 第二十四帖 [66]

「江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀りてくれよ、中山九日、一の宮には十日に祀りてくれよ」 『下つ巻』 第二十七帖 [69]

「八のつく日に気つけてくれよ、だんだん近づいたから、(かのと)(とり)はよき日、よき年ぞ。冬に桜咲いたら気つけてくれよ」 『下つ巻』 第三十帖 [72]

「冬に桜咲いたら気つけてくれよ」 『下つ巻』 第三十帖 [72]

「一、二、三年が正念場ぞ。()()(いづ)の仕組と申してあろがな」 『下つ巻』 第三十四帖 [76]

「秋立ちたら神烈しくなるぞ」 『下つ巻』 第三十八帖 [80]

「八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけて置いてくれよ」 『富士の巻』 第六帖 [86]

「九十が大切ぞと知らしてあろがな、戦ばかりでないぞ、何もかも臣民では見当とれんことになりて来るから、上の臣民 九十に気つけてくれよ」 『富士の巻』 第十七帖 [97]

「神々様みなお揃ひなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、五柱、七柱、八柱、十柱の神々様がチャンとお心合はしなされて、今度の仕組の御役きまりてそれぞれに働きなされることになりたよき日ぞ。(かのと)(とり)はよき日と知らしてあろがな」 『富士の巻』 第十八帖 [98]

「八と十八と五月と九月と十月に気つけてくれよ」 『富士の巻』 第二十七帖 [107]

「一日のひのまにも天地引繰り返ると申してあろがな、ビックリ箱が近づいたぞ、九、十に気附けと、くどう申してあろがな、神の申すこと一分一厘ちがはんぞ、ちがふことなら こんなにくどうは申さんぞ」 『天つ巻』 第三帖 [110]

「八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様になるのざが、悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ」 『天つ巻』 第五帖 [112]

「かのととり、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ」 『天つ巻』 第八帖 [115]

「一日が一年になり百年になると目が廻りて真底からの改心でないとお役に立たんことになりて来るぞ」 『天つ巻』 第十一帖 [118]

「三月三日、五月五日は結構な日ぞ」 『地つ巻』 第五帖 [142]

「十月とは(かみ)の月ぞ、との組みた月ぞ」 『地つ巻』 第二十四帖 [161]

「この神示はアとヤとワのつく役員から出すのざぞ、おもてぞ。旧九月までにはその御方お揃ひぞ」 『地つ巻』 第二十九帖 [166]

「旧九月になったら、いそがしくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。いざとなりて地団太ふんでも間に合はんぞ」 『地つ巻』 第三十一帖 [168]

「九十に気つけて用意してくれよ」 『地つ巻』 第三十五帖 [172]

(かのと)(とり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ」 『日月の巻』 第十帖 [183]

「この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ」 『日月の巻』 第十帖 [183]

「一二三が正念場ぞ」 『日月の巻』 第二十二帖 [195]

「春とならば萌え出づるのざぞ、草木ばかりでないぞ、何もかも萌え出づるのぞ、此の方の申す事譬えでないと申してあろが、少しは会得(わか)りたか」 『日の出の巻』 第一帖 [214]

「春とならば(もえ)出づるのざぞ、草木(ばか)りでないぞ、何もかも もえ出づるのぞ」 『日の出の巻』 第一帖 [214]

「九(とし)は神界の(もと)の年ぞ、神始めの年と申せよ。()()()()()(いづ)()()()ぞ、五の歳は子の歳ざぞよ。取違ひせん様にせよ」 『日の出の巻』 第二帖 [215]

「旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。其の時は()()()の世となるのざぞ。(さくら)(ばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、()(にち)毎日富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ」 『日の出の巻』 第四帖 [217]

「三、四月に気つけてくれよ、どえらい事出来るから何うしても磨いておいて下されよ、それまでに型しておいてくれよ」 『日の出の巻』 第六帖 [219]

「十月になったらぼつぼつ会得るぞと申してあろがな」 『日の出の巻』 第十帖 [223]

「悪の(ころも)着せられて節分に押込められし神々様御出でましぞ。此の節分からは愈々神の規則通りになるのざから気つけておくぞ、(よう)(しゃ)は無いのざぞ」 『日の出の巻』 第十六帖 [229]

「春になりたら何んな事あるか分らんから今年中に心の洗濯せよ、身辺(みのまわり)洗濯せよ」 『日の出の巻』 第十六帖 [229]

「十年先は、()()()の世ざぞ」 『日の出の巻』 第二十帖 [233]

「三四気つけてくれよ」 『日の出の巻』 第二十帖 [233]

「びっくりばこ いよいよとなりたぞ。春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。大峠となりたら どんな臣民もアフンとして もの云へんことになるのざぞ、なんとした取違ひでありたかと じだんだふんでも、其の時では間に合はんのざぞ」 『磐戸の巻』 第三帖 [239]

「辰の年はよき年となりてゐるのざぞ」 『磐戸の巻』 第九帖 [245]

「節分からは八回拍手うちて下されよ。神はげしくなるぞ」 『磐戸の巻』 第十帖 [246]

()の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは水と火とざぞ」 『磐戸の巻』 第十六帖 [252]

「ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ」 『磐戸の巻』 第十六帖 [252]

「節分からははげしくなりて、はげしき神示はかかせんぞ」 『磐戸の巻』 第二十一帖 [257]

「節分からは手打ち乍ら、ひふみ祝詞 ()りてくれよ」 『キの巻』 第一帖 [258]

「節分 境に何も彼も変りて来るぞ」 『キの巻』 第一帖 [258]

「三、四月気付けてくれよ」 『キの巻』 第四帖 [261]

「桜咲く所、桜と共に花咲くぞ、夏マケ、秋マケ、となったら冬マケで泣きあげてはならんぞ、戦すんでからが愈々のイクサぞ」 『キの巻』 第六帖 [263]

「九、十、気付けてくれよ」 『キの巻』 第六帖 [263]

「三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから更に用意して何んな事起ってもビクともせん様に心しておいてくれよ」 『キの巻』 第十四帖 [271]

「九月八日の仕組 近ふなったぞ」 『キの巻』 第十四帖 [271]

「江戸の仕組 旧五月五日迄に終りてくれよ。後はいよいよとなるぞ」 『水の巻』 第五帖 [279]

「旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「()()()のりとコト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ」 『水の巻』 第九帖 [283]

「旧九月八日とどめぞ」 『水の巻』 第九帖 [283]

「旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心 獣ぞ」 『松の巻』 第三帖 [294]

「釈迦祀れ。キリスト祀れ。マホメット祀れ。カイの奥山は五千の山に祀りくれよ。七月の十と二日に天晴れ祀りてくれよ」 『松の巻』 第十七帖 [308]

(よい)(みょう)(じょう)が東へ廻ってゐたら、愈々だぞ。天の異変 気付けと、くどう申してあろがな」 『松の巻』 第十九帖 [310]

「旧九月八日からの祝詞は初めに、ひとふたみ唱え、終りに(もも)()(よろず)()れよ」 『松の巻』 第二十一帖 [312]

「仕組 少し早よなったから、かねてみしてあった事 八月八日から始めくれよ」 『松の巻』 第二十九帖 [320]

「旧九月八日までに何もかも始末しておけよ。心引かれる事 残しておくと、詰らん事で詰らん事になるぞ」 『夜明けの巻』 第三帖 [323]

「今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ。申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年 目出度けれ」 『夜明けの巻』 第十二帖 [332]

「八九の次はであるぞよ」 『雨の巻』 第二帖 [336]

「三十年(ひと)(きり)ぞ」 『雨の巻』 第五帖 [339]

「二十二日の夜に実地が見せてあろうがな」 『雨の巻』 第十一帖 [345]

「三四月気付けよ、キきれるぞ」 『雨の巻』 第十五帖 [349]

「十六の八の四の二の一目出度や目出度やなあ。神の仕組の世に出でにけり、あなさやけ、あな面白や、五つの色の七変はり八変はり(ここ)(たり)(たり)(もも)()(よろず)の神の世弥栄。十二月十九日、ひつ九のかミ」 『雨の巻』 第十七帖 [351]

「三年のたてかへぞ」 『光の巻』 第八帖 [404]

「旧九月八日からの(ちかひ)の言葉知らすぞ。〔後略〕 『マツリの巻』 第三帖 [407]

「旧九月八日で一切りぢゃ」 『マツリの巻』 第八帖 [412]

「何事も人民に判りかけ致さな、物事遅れるぞ、十年おくれると申してあるが、おくれると益々苦しくなるから、おくれん様 結構したいなれど、〔後略〕 『マツリの巻』 第十二帖 [416]

「旧九月八日から、まつり、礼拝、すっくり変へさすぞ、神代までにはまだまだ変るのぢゃぞ」 『マツリの巻』 第十四帖 [418]

「旧九月八日からの当分の礼拝の仕方 書き知らすぞ、〔後略〕 『マツリの巻』 第十五帖 [419]

「建替が十年延びたと知らしてあろが、建替遅くなりて、それから建直しに掛かりたのでは人民丸潰れとなるから、建直し早うかかるからと聞かしてあろが、人民には中々判らんなれど、世界の動きよく見て御用結構ぞ」 『マツリの巻』 第二十一帖 [425]

「七月になると上の人民番頭殿、顔の色 悪うなって来るぞ、八九月となれば愈々変って来るぞ、秋の紅葉の色変るぞ」 『梅の巻』 第八帖 [435]

「これから三年の苦労ぢゃ、一年と半年と半年と一年ぢゃ」 『梅の巻』 第二十三帖 [450]

「旧五月五日からの礼拝の仕方書き知らすぞ。〔後略〕 『空の巻』 第十三帖 [468]

「八月ぐらぐら」 『青葉の巻』 第六帖 [475]

「旧九月八日からは大日月の大神様とおろがみまつれよ」 『青葉の巻』 第十七帖 [486]

「九月八日の九の仕組 近付いたぞ」 『青葉の巻』 第二十帖 [489]

「新しき神国が生れるまで めぐりばかりがうようよと、昔のしたことばかり恋しがってゐるが、そんなこと何時までもつづかんぞ。三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ」 『黄金の巻』 第十三帖 [524]

「天明九十六才七ヵ月、ひらく」 『黄金の巻』 第十五帖 [526]

「金の世すみて、キンの世来るぞ。三年目、五年目、七年目ぢゃ、心得なされよ」 『黄金の巻』 第二十三帖 [534]

「三年の大ぐれ」 『黄金の巻』 第二十九帖 [540]

「三千年 花咲くぞ。結構な花、三年、その後三年であるぞ。(ツギ)の三年めでたやなあ めでたやなあ」 『黄金の巻』 第二十八帖 [539]

「節分から(オー)()()()(オー)(カミ)と現れるぞ。讃えまつれ。三年の大ぐれ」 『黄金の巻』 第二十九帖 [540]

「節分から朝も夜も何時でも、ひふみ、いろは、祝詞一回づつのり上げて、後で歌奉れよ、世替るのであるぞ」 『黄金の巻』 第四十帖 [551] 昭和二十六年版)

「節分から奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢや。大き声で読み上げよ。〔中略〕 節分から大神様には三拝、守護神様二拝、祖霊様一拝、昼の祈りは大神様のみ、大日月地太神弥栄ましませ、三回、五回、七回くりかへしてのり上げよ、信者の者はその時、その心に従つてするもよいぞ、せんのもよいぞ」 『黄金の巻』 第四十四帖 [555] 昭和二十六年版)

「五十二才 (ツキ)の世の始。五十六才七ヶ月 みろくの世」 『黄金の巻』 第五十四帖 [565]

「節分から何かと、今迄のこと変へさすやうに致してあるから、気ついたことから改めて下されよ」 『黒鉄の巻』 第六帖 [624] 昭和二十六年版)

「めでたさの九月八日の九のしぐみ、とけて流れて世界一つぢゃ」 『黒鉄の巻』 第三十八帖 [656]

「新しき御代の始めのタツの年。スメ大神の生れ出で給ひぬ」 『春の巻』 第一帖 [658]

〔前略〕 節分の祝詞であるぞ。太のりとせよ。いよいよの年立ちそめたぞ。うれしうれしの御代来るぞ」 『春の巻』 第三帖 [660]

「六月十日と九月八日はヒトカタ祓ひせよ」 『春の巻』 第四十九帖 [706] 昭和二十七年版)

「十二年おくれてゐるのを取り戻すのであるから、これからは目の廻る程 急しくなってくるぞ。神示よむ暇もなくなると申してある時来たぞ」 『春の巻』 第五十五帖 [712]

「いよ神政元年ぢや、進め進め、進むところひらけて来るのざぞ、進まねば後悔ぞ」 『春の巻』 第五十七帖 [714] 昭和二十七年版)

「まつり行事の起ち上る時は拍手して下されよ。終りも拍手ぢやぞ。地場、丘と山に神は満たん、八、九ぢやぞ。八の日にふでで知らすぞ二十二の夜に知らすぞ。あわてるでないぞ。神の仕組、間違ひないのぢやぞ。どしと運べよ」 『夏の巻』 第二十五帖 [741] 昭和二十七年版)

「三十年で世の立替いたすぞ。これからは一日ましに世界から出て来るから、如何に強情な人民でも往生いたすぞ」 『秋の巻』 第一帖 [742]

「神も世界も人民も(いず)れも生長しつつあるのざ。何時までも同じであってはならん。三千年一切りぢゃ」 『秋の巻』 第四帖 [745]

「マコトのことはトリの年」 『秋の巻』 第二十三帖 [764]

「食物節すればツキモノ改心するぞ。先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。病もなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア」 『冬の巻』 補帖 [787]

「三年と半年、半年と三年であるぞ、その間はクラヤミ時代、火をともしてもくらいのであるぞ、あかるい人民にはヤミでも明るい、日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年ぢゃ、五日と五日ぢゃ、このこと間違へるでないぞ」 『扶桑の巻』 第六帖 [855]

「天の理が地に現はれる時が岩戸あけぞ、日本の国が甘露台ぢゃ」 『星座の巻』 第二十三帖 [906]

「この白黒まだらな時は長くつづかん、最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ」 『至恩の巻』 第十二帖 [959]

「八のつく日に気つけと申してあろう。八とはひらくことぞ。ものごとはひらく時が大切ぢゃ」 『月光の巻』 第四十七帖 [834]

「八のつく日に気つけてあろうが、八とはひらくことぞ。今が八から九に入る時ぞ、天も地も大岩戸ひらき、人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時ぞ、天地の波にのればよいのぢゃ、楽し楽しで大峠越せるぞ」 『五葉の巻』 第十二帖 [975]

「新しき御代のはじめの()()の年、あれ出でましぬ かくれゐし神。かくり世も うつし御国の一筋の光りの国とさきそめにけり」 『紫金の巻』 第九帖 [988]

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