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日月神示の資料

他で判らん根本のキの事 知らす此の方の神示ぢゃ
三千世界の事 一切の事
説いて聞かして得心さしてあげますぞや
『雨の巻』 第十三帖

目次

原書
【原書】
 
原文
【原文T】
【原文U】 ひつく神書研究資料
【原文V】
【原文W】
【原文X】 五十黙示録
【原典】  原典日月神示 (新日本研究所)
 
第一仮訳
【最初期訳】
【天明居仮訳】
 神示
 神示
【基本訳】
 日月神示
 地震の巻
 地震の巻
 月日霊示
 五十黙示録
 日月地聖典 (下篇)
 
第一仮訳の派生資料
 五十黙示録 〔私家本〕
 日月神示 (天地の会)
 五十黙示録 (天地の会/賀陽会)
 地震の巻 (天地の会)
【地震の巻】 (新日本研究所)
 日月神示 (世界文学資料館)
 日月神示 (日月神示刊行会)
 
第二仮訳
 日月地
【第二仮訳】
 一二三 (スペース・プレゼンツ)
 改訂版 ひふみ神示 (コスモ・テン・パブリケーション)
 新版 ひふみ神示 (コスモ・ビジョン)
 
第二仮訳の派生資料
 太神の布告 (コスモ・テン・パブリケーション)
 ひふみ新世紀 (コスモ・ビジョン)
 ひふみ神示データベース (ひふみ神示への道)
 完訳 日月神示 (ヒカルランド)
 
岡本天明の著作
 俳画講義
 ことたまの話
 すめら歌年鑑
 たたかへるくに
 富士は晴れたり
 すめら歌雑話
 霊界交流秘伝
 白紙の手紙
 天使との対話
 審神者秘伝
 神は約束を果し給ひぬ
 新しき霊界の創造
 立体生活とは?
 日本列島に世界政府を樹立せよ
 水穂伝
 霊現交流と審神者秘伝
 死者と語る
 天使との対話
 新しき太陽
 古事記数霊解序説
 日本民族とユダヤ民族
 ユダヤの神宝は日本にかくされてゐる
 伊勢大神宮御遷座と常立の数霊考
 日本通信 / 日本道と数霊 / 皇学序説
 八つの面をもつ自動書記
 天明画集
 霊界研究論集
 岡本天明画集 (第二集)
 岡本天明画集
 岡本天明画集 五十五枚の光跡
 
 日月神示は なぜ岡本天明に降りたか 〔岡本三典 著〕
 岡本天明伝 〔黒川柚月 著〕
 
岡本天明の機関誌
 すめら歌
 代々木
 
 霊界研究
 なると
 三千世界
 
 かた歌
 大奥山
 
 予言と霊界
 新世界
 新しき太陽
 大奥山
 
 至恩通信 〔岡本三典 主幹〕
 
岡本天明の主宰団体
 〔 一覧表記 〕

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更新履歴



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原書

【 原書 】


 天之日津久神様の言葉を自動書記したのは、岡山県出身の画家である岡本天明氏です。天明氏は大本教との関わりが深く、降霊実験の霊媒役や、機関誌の編集業務に携わっていました。

 天明氏には色々と霊的な現象が起きたそうですが、通常は昭和十九年六月十日から自動書記現象で記された書が日月神示と呼ばれます。

 参考として、当時の機関誌に掲載された日月神示の発祥の経緯を引用します。

「  世界大経論の書

   日月神示はかくして生れた

   修史協翼会の実験

 神かかりと云ふ現象が起るものかどうか?その高低正邪は別として起るものならば実験してみたい、神かかりの正体を或程度まで突きとめなければ日本の歴史をそのまゝ信ずるわけにはゆかぬ──と云ふ声が、歴史研究団体として発足した修史協翼会の内部に起つて来た。

 昭和十九年四月十八日、その声が具体化してその実験会をひらく事となつた。集つた人々は

 太洋興業社長    高井 邦丸氏
 夢幻科学社長    長谷川 一氏
 陸軍少将      小川 喜一氏
 古代神道研究家  法元 中心氏
 支那研究家     森崎 鉄男氏
 神代文学研究家  安西田鶴子氏
 千駄ケ谷八幡宮司 岡本 天明氏
 神道研究家     五十嵐あい氏

 その他七、八名であつた。

 実験は東京都渋谷区原宿の修史協翼会事務所であつたが、その後戦災の為め重要な記録を失つたことは残念である。

 実験方法としては古来支那で行はれているフーチの形式をとることとした。現在は各地でこの形式を採用してゐるが当時としては珍らしいやり方であつた。これは霊媒二人によつて、三尺あまりの丁字形のチボクの両端をもち、下に砂盤(三尺平方位の砂を入れた箱様のもの)をおき、その砂上に自動書記する方法である。

 当日は立会の人々を、その場で霊媒として使用し、専門の霊媒は使用しなかつた。これならば立会の人々も満足出来る良心的なやり方だと思われたからで、司会(サニワ)の役は千駄ケ谷八幡神社宮司岡本天明氏であつた。

 先づ最初の霊媒は前記高井、五十嵐両氏であつたが、五、六分間も経過すると霊感情態に入りチボクの先がびくと振動を起し、立会の人々は相当に緊張の色をみせはじめた。

 サニワは先づ常識的に「あなたはどなた様ですか」と云ふ質問を発した、所がそれに応ずる如くチボクの先端が大きく円を描きはじめ数分の後、

天のひつくの神

と自動書記した。後で聞いたのであるが岡本氏は、サニワ的常識の上からみて「これは下級霊が高級神霊の名をかたつてゐるに相違ない“天のひつく”なる神名は聞いた事がない、おそらく「あまつひつき」なる語を暗示して高級神霊に見せかけようとしたものだろう、一つ化の皮をひんむいてやろう」と考へ左の如き意味の質問を発した。

 「あなたは現実世界では何処に鎮まつて居られますか」
 「御名前は文献の中に出て居りますか」
 「何と云ふ大神様に属して居られますか」
 「どう云ふ御用件で、おいで下さいましたか」

 しかし、それに対しては何等の反応もない、少し変だと考へたサニワは高井、五十嵐両氏の態度を見たが下級霊らしい現れはなく、かなり澄んでゐたそうである。

 この実験会の目的は、神の内容をサニワするのではなく前記の如く霊現交流を目的としたものであるから、根掘り葉掘り問ひつめる必要もなく一先づ打切り、次に又二人の立会者を霊媒とし実験に入つたが、霊動状態に多少の変化を見るのみで「アメノヒツクノカミ」なる御神名以外の何ものをも得られなかつたが、立会者の中の主なる人々は「神かかり現象」を自ら体験したわけである。

   体験者の正直な感想

 さて当日霊媒として実験した人々の正直な感想を聞いて見ると大体左の如きものである。

 「どうも少し変で狐にでも化かされたような気持ではあつたが、確かに何ものか、眼に見えぬ力が加つた」
 「兎に角、自分の意志以外の意志が加つた事だけは事実である」
 「相手が強い力でチボクを押したり引いたりするから自分はそれにまかせたまでであるが、おかしい事はおかしい」
 「サニワが変なことを云つてゐたが何か魔術にかかつたような気がした、しかし自分自身はハツキリしてゐた」
 「天のひつくの神とは何神だろうか」
 「如何なる理由で実験会に出て来たのだろうか」
 「果して天のひつく神なるものがあるのかどうか」

等々であつたが、岡本氏は

 「そんな神はないと思ふ、よしあつたにしても下級神霊であつてとりあげるに足りない、下級霊は兎や角えらそうな名乗りをあげるものだ、この実験会としては一応満足すべき結果を得たのだから今更そんな神をさがす必要はないと思ふ、変にこぢれて悪かみがかかり的なものをつくつてはならない」と語つてゐた。

   天之日津久神の出現

 ところが一部の人々はおかしい程熱心になり神名辞典や色々な古文書をひねくり廻して「天のひつくの神」を調べたが一向に見あたらない。

 こんなさわぎが幾日かつづいた、或日前記森崎鉄男氏が偶然の機会から「あめのひつくのかみ」を発見した。森崎氏の話によると「平凡社発行の百科辞典を何かのことで調べてゐる内にマ行のマの中に麻賀多神社なる項目があり(千葉県印旛郡公津村台方──現在成田市台方)その麻賀多神社の末社に天之日津久神社あり──と云ふのを発見した」と云ふのである。

 さわぎはかなり大きくなつて協翼会の人々の中には相当のぼせ上つたものもあつたらしい。

   竹隣先生の酒談義

 岡本氏は「霊界からの感応は多くの場合その時の霊媒の心の内質に相応した──つまり同一波調の霊の感応があるのであつて、普通の場合高級神霊の感応は絶対にない」と信じてゐたため、このさわぎの渦には巻込まれないで毎日千駄ケ谷八幡宮に奉仕してゐた。所が五月末のある日飄然とその社務所を訪れたのが竹隣高田集蔵氏である。この時の事情は岡本氏が記録してゐるのでそのまゝを此処に御紹介しよう。

 「その時どんな話からそうなつたのか忘れたが高田先生が「どうだ岡本さん、お酒をのます所へ案内しようか」とのお話、酒に餓えてゐた私は目の色をかへたらしく「え、お酒ですつて?お伴しましよう、お酒と聞いたら唐へでも、天笠へでも──」と云ふ意味のことを叫んだ(?)ように記憶してゐる。高田先生は私の先輩であり、尊敬する人であつたから常に総て受け身であつたがその時に限り非常に積極的となり、その場でハガキを出し、嫌応なしに“酒をのますといふ千葉の家”へ連絡をとつて頂いた程である。酒をのましてくれる家と云ふのは印旛沼のほとりの一寒村であるが、其処に今宗吾と云われる仁が居つてうまいドブロクをのましてくれるとの事であつた。」

   酒はおあづけとなる

 高田先生と相談の結果、六月の十日朝に上野駅で待ち合せて出発することになり、同日は八幡様の方は休日をもらひ、用意万端とゝのえ「明日はのめる」とよろこびつゝ寝に就こうとした九日の夜、高田先生がひよつこりと現われ「残念だろうが明日の千葉行は延期ぢやよ、酒はおあづけ、先方で無くなつたそうだから一カ月程待てとの事だよハツハツヽヽお互に改心が足らんのぢやろう」と云つた調子、がつかりして返事も出来ない。

 しかし、その時電光のように胸中にキラメクものがあつた。それは“天之日津久神社と酒をのますと云ふ家と同じ土地ではなかろうか”と云ふ事である。調べてみると予感通り同じ村である。

 八幡様は休み、前日申告までして切符は求めて居りお弁当もつくつてゐる、どうしてもこれは予定の村まで行けと云ふ事であろう、考へてみると、自分が司会した心霊実験会に出た天之日津久の神様に対し、御礼を申上げない乍りか悪しざまに云つた自分を深く後悔した、何と云ふ罰あたりであつたろうか。

   昭和十九年六月十日

 偶然だ、偶然であろう、しかし私にとつてはもはや偶然ではない、高田先生は心霊実験のことは全然知らない、私も酒の家と日津久神社を同時に考へたことはない。何か宿命的な神意といふ風なものが働いてゐるような気持がする。

 よし明日は行こう、おまゐりしよう、天之日津久の神が、よしどんな神様であろうと、どんな事になろうと心からなる御礼を申上げ、御無礼をわびねばならない。それ位のことが何故に判らなかつたのであろうか、人間同志の場合でさへ知らぬ人から「今日は」と挨拶されて黙つてゐないではないか──何とも申訳のないことをした、自分があまりにも囚われた考へ方をし頑固であつたから、私の弱点たるお酒によつてつり出されたのかも知れぬ、私は従来、こうした出来事を「神様がさしたのだ」とか「さう云ふ因縁になつてゐたのだ」と云ふ風に考へることを極端な程さけて来たのであるが、この時ばかりは一言もなく頭を下げた。

 昭和十九年六月十日──

 たづねてやつと麻賀多神社へお参りしその末社として祀られてゐる天之日津久神社の前に立つた。荒木でつくつた三尺四方位な極めておそまつな宮であり、相当に古びてゐる。

 万感交々多く語るべからず──と云ふ古い言葉があるが、その時の私の気持がそれであつた。

   厄介な自動書記現象

 麻賀多神社は延喜式にも出て居るかなり古い神社で神苑内には千数百年の寿を保つてゐる関東一の大杉もある神さびた一宮である。

 私は天之日津久神社の前に額つきつづけた、のりとを奏上し、お礼を申上げ、おわびを心からくりかへしたことは確かであるがその総ての行動は無我無中と云つた方が真実に近いと思ふ、はたから見てゐたなら恐らく狂人であつたろう。

 一応、感激の嵐はすぎてホツト一息した、少し空腹を覚えてゐたので社務所(神官のゐない)の入口に腰をおろして弁当をひらきかけた、所が松風とも霊耳ともつかぬ「フーフー………」と云ふような響が全身に聞えて来たかと思ふ間もなく私の前額部から強い電流に似たものを感じた、右腕は焼火鉢を突込まれた程の痛さである。

 「自動書記だナ」と直感した。長い間こうした現象から遠ざかつてゐる私ではあつたが直ちに感じ得られたので矢立と紙を出した。(私は半面画家であるためいつも持つてゐた)次の瞬間、私の意志を無視して筆は紙の上に得体も知れぬ文字様なものを、のべつに書きなぐつた──厄介極まる自動書記現象である。

   得体の知れぬ文字?

 こうした現象は洋の東西を問わず到る処に起る現象であつて決して珍らしいものではない。しかし従来私の体験する神かかり現象は私自身が中止しようと思へば中止出来たものであるが、今度ばかりは私の自由にならない。中止しようとすれば腕に激痛を覚える、堪え得ぬ苦しさである。有名なレナルド夫人(英)は「霊感の弱い時は自分の意志で自由になるが、強く深くなると霊媒自身どうしてゐるか判らなくなる時もある」と云ふ意味のことを述べてゐるが大体そんな状態であつた。

 それは兎も角、私自身としてはたまつたものではない、止むなく其処で障子紙二枚に変な文字か記号か判らぬような自動書記をつくり上げさせられた。

 見れば見る程怪しげなものである(凸版参照)どうみても正気の沙汰ではない、頭もなく尻もない紙一杯に書き散らされた妙なものである。しかし何処かに心をうつ霊気を発してゐるようにも思へるので一応おみやげ?として持ちかへることゝした。

   ×   ×

 ──岡本氏の記録は以上の如くであるが、これが後年世界経論の指導書となつた「日月神示」の第一帖第二帖である。(元田亭陽)」 『予言と霊界』 昭和三十年二月号/第112号 明らかな誤字、脱字、衍字であっても訂正せずに引用しました。それと「(凸版参照)」とは引用元の文章の脇に掲載された『上つ巻』第一帖の写しを指します)

 当初の天明氏は降りた()()を軽く考えていたそうですが、周囲の人間の方が騒ぐので、徐々に本気で信じるようになったとのことです。以後十八年に渡って自動書記が続きました。

 第一巻の上つ巻から第三十巻の冬の巻までと五十黙示は、(とう)(しゃ)版が資料として遺っているので、確実に自動書記による原書が存在します。ただし、原書が絵である第十七巻の地震の巻の訳文は、霊感や(れい)()によるものという説が強く、文章的な原書は存在しないと思われます。

 信奉者の悩み事相談のような側面がある月日霊示は、初出の資料の時点で訳文のみであることから、原書自体が無かった可能性が考えられます。もしくは、()()ではなく(れい)()なので、原書を謄写する必要性を認めなかったのかもしれません。

 昭和四十年の天明画集には、掲載した五十黙示の原書に所蔵者の名が併記されているので、原書を部分的に譲渡した例もあったようです。天明氏が自分の書や絵を、お守り代わりに親しい人に贈る習慣があったことは、実際に貰った人からも話を聞いています。

 現在の日月神示の原書は所在が不明になっており、現存するのかどうかも判りません。

 生前の岡本三典女史に原書の所在を尋ねた際は、話が二転三転して要領を得ず、仕方なく三典女史に近しかった何人かに事情を聞いてみたのですが、保管、譲渡、売却、盗難、紛失、焼却など、色々と情報が錯綜しており、結局は何も判らず終いでした。

 現時点で確認できる原書は、各地で開かれた岡本天明展で販売されていた僅かな複製(コピー)だけであり、それらが日月神示の解説本などに転載されています。

 原書が所在不明であることや、精度が高い原文資料と訳文資料の稀少化により、現行の日月神示の訳文の不備を完全には訂正できないのが現状です。そのため、日月神示の全文訳は新規に発表される度に、少しづつ()()が大きくなっています。

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原文

【 原文T 】


 五十八人分だけ製作され、直筆(オリジナル)を含めた合計が五十九です。神前に奉納した際に十人分が霊化し、残りが因縁の身魂に与えられました。

「神示は(とう)(しゃ)よいぞ、初めは五十八、次は三百四十三ぞ、よいな」 『天つ巻』 第十二帖 [119]

「次の五の巻の謄写は四十九でよいぞ、十は神よきに使ふぞ、前のも十はよきに使ふたぞ、判りたか、皆に分けるぞよ」 『光の巻』 第一帖 [397]

 第一仮訳と第二仮訳では未収録ですが、昭和二十一年八月二十八日のマツリの巻の第十七帖で、謄写した()()を受け取るべき人間の名前が全て出たので、その時点で製作は完了していたはずです。昭和十九年から二十一年の間に製作されたので、仮に昭和二十年版とします。

 各巻の表紙には「五十八冊の内の第  輯」と記され、空白の部分に一から五十八の通し番号が書き込まれています。表紙には「アメノヒツクノカミ」及び「秘」の朱印が押されていました。

 これについては岡本三典女史による言及があります。

「   天明との出会い

 ある時 兄から、自分は忙しいので代わりに行って、「神示」なるものを頂いてくるようにと言われ、私は初めて天明先生宅を訪れることとなりました。

 小田急の「玉川学園前」で下車して少し歩くと、山の方から坂道を、芸術家らしい(はん)(ぱく)の初老の人が下りてきます。ははあ、この人ではないかと思いつつ、道をたずねました。「ああ、こちらですよ」と、スタスタ先に立って歩いて行きます。黙ってついて行くと、家に入って座ってから、「私です」とのことで、やはり御本人だったのです。

 イキナリ、「神様の研究なんてお止めになった方が良いですよ」と言われました。兄の使いだと申し上げると、鳩豆の様になっている私を気の毒そうに見ながら、「困った。神示は、本当は御本人にしか御渡ししないことになっているのですが」と、(しばら)く考えておられました。結局、「特別に」と、二十六番と書かれたガリ版刷りの御本を渡されました。

 それ迄は、神示がバラバラに出た分だけを写し合っていたのですが、(ようやく)く神の許しがあって、基本十二巻迄を五十組だけ(とう)(しゃ)印刷出来ることになり、全国から訪れる因縁のミタマにかぎって、それを秘密裡に預けることになったのでした。当時 東大生の石本笙さんという秀才が、天明先生の小さな家に内弟子のように住み込んでいて、きれいに一字も間違えずに、原紙に神示を書いて刷られたのです。このうち十番迄は、御神前に御供えしておいたところ、霊化して消えてしまったといいます。それで、天明本人の分は十一番目のものでした。日本全国から、自然にいろんな人が訪ねてくると、審神(さにわ)し乍ら渡されるのです。私の頂いた分は、その二十六番目というわけでした。

 この時が、天明と私との初めての運命の出会いであり、この数も大切な数でした」 『日月神示はなぜ岡本天明に降りたか』 第二部 来歴篇 74頁

 神の命令で作り、神に捧げて認められ、神の持ち物になった後に、改めて名指しで下賜された因縁の身魂の(あかし)なので、他の資料や史料とは性質が異なります。ただし、年代的に考えて本来の所有者達は死去したはずなので、現存していても特殊な性質は失効したと言えます。

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【 原文U 】 ひつく神書研究資料


 岡本天明氏が自ら原書を謄写して翻訳したので、表紙に「岡本天明 草稿」の記載があります。原書の改行、改頁、余白、書体、文字の大きさ、水の巻の神代文字による一二三祝詞、マツリの巻の特殊な署名、天明氏による推敲、注意書き、記号の訓み方などの情報が載っています。

 これ以前の原文や訳文は全文ではなく、精度も低かったので、『ひつく神書研究資料』が日月神示の資料の実質的な起源(オリジン)になります。この資料を研究者に送って意見を募った上で発表された訳文が第一仮訳です。

 参考として、昭和二十三年の「神示全訳草稿申込書」の宣伝を転載します。

「   神示全訳のお知らせ

 神示二十三巻全訳の草稿を謄写刷りとして熱心な研究家にお贈りする準備が出来ました。これは別掲の如く原本と訳文とよりなるものですが未だ完訳とは申されません。正しく云へば一の試訳の草稿であります。この草稿を御参考に、原本によって御研究を願ひ、それを綜合して一般に発表したい念願で御座います。各位の御支援を切にお願ひする次第であります。 岡本天明

 理由1 従来の訳は私が短時間の間に仮訳したもので一般に発表するには余りにも申しわけないものであります。

 理由2 従来の原文は字及び行の配置を無視して写したものであり、且つ相当に間違ひのあることを発見いたしました。

 理由3 昭和二十二年後の研究者には訳本さへ入手不可能の状態であります。

 現世界相は御承知の通りであり、この神示は全人類に下されたものでありますから一刻も早く且つ正しく伝へねばなりません。この神示が如何に重要なものであるかと云ふことは有縁の各位に対し申し上げる迄もない事であります。大にしては三千世界、全人類の為、小にしては一身一家一村の為、この企てに御協力下さらん事を切望いたします。

   内規

  七月 十九、廿、廿一、廿二、廿三巻 (五巻)

  八月 十三、十四、十五、十六、十八巻 (五巻)

  九月 一、二、三、四、五巻 (五巻)

  十月 六、七、八、九、十巻 (五巻)

  十一月 十一、十二、十七巻(地震) (三巻)

 右の予定で出版いたします。〔後略〕 「神示全訳草稿申込書」付属

 うへつ巻の後書きに「熱心なる研究者へ送る資料で百部ほど印刷する」とあるので、各集の部数は百前後だったと思われます。

 当時の機関誌の別冊の位置付けであり、当月の機関誌を兼ねる場合もあったことや、研究者のための資料として製作された経緯から、機関誌の販売図書の目録には載っていません。

 各集の内訳は以下の通りです。

第一集うへつ巻 / しもつ巻
第二集ふじの巻 / あまつ巻
第三集くにつ巻 / ひつくの巻
第四集ひのでの巻 / いわとの巻
第五集キの巻 / みずの巻 / まつの巻 / よあけの巻
第六集あめの巻
第七集かぜの巻 / いわの巻
第八集あれの巻 / ぢしんの巻 / ひかりの巻
第九集まつりの巻 / うめの巻
第十集そらの巻 / あほばの巻 / うみの巻
第十一集こがねの巻(上)
第十二集こがねの巻(下)
第十三集しろかねの巻 / くろかねの巻
第十四集春の巻(上)
第十五集春の巻(下)
第十六集夏の巻
第十七集秋の巻
第十八集冬の巻 天明氏による原文の訓み方が付属)

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【 原文V 】


 岡本天明氏が発行していた機関誌には原文が掲載されることがありました。ただし、機関誌の全号の入手は既に難しくなっており、掲載された原文の分量や精度などの細かい情報は確認が取れません。

 一つの巻の全ての内容を対訳で掲載するようになったのは『ひつく神書研究資料』の製作後なので、これが底本である場合が多かったはずです。

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【 原文W 】


 当時の機関誌によると、最初は第一巻から第三十巻までを収録する予定だったそうです。出来上がった巻から前金を納めた予約者に順次配布されました。もしかすると、昭和三十六年に五十黙示が降り始めたので、区切りの良い第十二巻の時点で打ち切ったのかもしれません。

 底本は不明ですが、時系列的に考えて『ひつく神書研究資料』である可能性が高いです。

 機関誌の販売目録では「神示(原文)」と表記する場合が多かったようです。

 余談ですが、至恩郷からは第二十四巻と第二十五巻と第二十六巻の対訳本も刊行されていました。これは因縁の身魂の一人である(かざ)()(けい)(さく)氏が仮訳して謄写したものです。

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【 原文X 】 五十黙示録


 岡本天明氏による原書の謄写と訳文です。実質的に『ひつく神書研究資料』の続編ですが、研究者の意見を募ることはしなかったので、この資料の訳文が第一仮訳になりました。

 当初は非売品で入手に審査が必要だったことが機関誌で確認できますが、昭和四十年の十二月から約半年間だけ販売された形跡が認められます。

 正誤表が存在するのですが、昭和四十七年に正誤表を適用しない五十黙示が外部で製作され、それを底本にして第二仮訳が製作されたことから、幾つかの内容が現在も未訂正のままになっています。

 昭和三十七年の一月から配布が開始されたので、便宜的に昭和三十七年版としますが、製作自体は前年に終わっていたはずなので、昭和三十六年版と呼んでも問題はありません。

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【 原典 】 原典日月神示 (新日本研究所)


 後書きによると、岡本三典女史が編者の(おもい)(かね)(こう)(しゅう)氏に製作を要請したとのことです。第一仮訳や第二仮訳では未収録の因縁の身魂の名前なども掲載されています。

 振り仮名を訳文と見るなら一種の対訳形式と言えるかもしれません。この振り仮名は三典女史と思金氏が相談しながら付けたものであり、岡本天明氏が校閲した第一仮訳とは微妙な違いがあります。特に荒の巻の訓み方は完全に別物です。

 本文の終わりの「昭和二十三年七月十三日 天明書く写しなり」という文言から、『ひつく神書研究資料』が底本のようです。ただし、一部には原文Wを参考にしたと思われる表記が見受けられます。底本と比較すると少なからぬ誤植や脱字が確認できます。

 平成二十三年に一般販売された『完訳 日月神示』の底本の一つになりました。

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第一仮訳

【 最初期訳 】


 最初期の試験運用的な位置付けにある訳文であり、全文を平仮名で記す形式は『ひつく神書研究資料』の第一集から第十集までと、昭和二十八年の基本訳に受け継がれました。

 当初の岡本天明氏は降りた()()を真剣に受け止めておらず、周囲の人間の方が熱心に翻訳していたそうです。そのため、この訳文の精度は高くなかったと聞き及んでいます。

 製作期間が昭和十九年から二十一年に跨がっていたかもしれないので、仮に昭和二十年版と呼びます。

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【 天明居仮訳 】


 最初期の平仮名訳に漢字を当てた訳文です。こちらも試験運用的な位置付けの訳文であり、急いで製作されたことから非常に限定的な翻訳です。表紙には「天明居仮訳」と書かれています。

 2013年に出版された『富士は爆発するぞ! 日月神示が語る今この時』に、第一巻の上つ巻が掲載されました。

 この訳文と最初期の平仮名訳の製作により、翻訳作業の問題点が洗い出されたと言えます。その上で、改めて全文を最初から翻訳するために作られた資料が、昭和二十三年の『ひつく神書研究資料』です。

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神示


 『ひつく神書研究資料』の訳文を(もと)に製作されました。後年の『日月地聖典(下篇)』や第二仮訳よりも原文に忠実な翻訳です。ただし、当時の役員への個別的な指示などは未収録です。正誤表があります。

 正式名は『神示』ですが、昭和二十七年版と区別するために、黒本や黒表紙神示の通称で呼ばれていました。

 奥付によると初版は二千部です。

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神示


 『ひつく神書研究資料』の訳文を基に製作されました。後年の『日月地聖典(下篇)』や第二仮訳よりも原文に忠実な翻訳です。正誤表があります。

 正式名は『神示』ですが、昭和二十六年版と区別するために、赤本や赤表紙神示の通称で呼ばれていました。四季の巻と呼ばれることもあったようです。

 ()()が降りた当初は翻訳作業が手探り状態であり、或る程度の手法が確立した段階で降りた第二十四巻から第三十巻の方が、第一巻から第二十三巻よりも早く全文訳が出版されました。

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【 基本訳 】


 草稿である『ひつく神書研究資料』を送った研究者の意見を聞いた上で、岡本天明氏が自ら書き上げました。ただし、札に書いた御神名や因縁の身魂の名前などは未収録です。最も純粋な意味での岡本天明訳と言えます。翌二十九年に作られた正誤表があります。

 第一巻から第二十三巻に散在する極めて難解な十八箇所の翻訳をまとめた補巻が付属しており、第六巻である日月の巻が上下巻なので全二十五冊になります。

 漢字かな交じり訳を作る際の基点とするために全文が平仮名です。濁音も使われておらず、無理に翻訳しない方が良いと判断された記号も そのままになっています。原書の象形文字的な記号を かなり忠実に模写しているようです。

 第十六巻の荒の巻は漢字かな交じり訳ですが、各巻の末尾にある天明氏の奥付が唯一無いので別人の翻訳かもしれません。『ひつく神書研究資料』では荒の巻の難解な部分は翻訳されていないので、研究者の意見で有力そうなものを採用したように見えますが、正確な所は不明です。

 当初は「天之日津久大神神示」の名で販売されましたが、正式名ではなかったのか、それとも他の訳文との区別が付かなくなったのか、後年の販売目録では名称が一定していません。基本訳や基本かな訳の通称で呼ばれる場合が多かったようです。

 表紙代わりの(ちつ)にくるまれています。帙には「天之日津久大神神示」の字が有るものと無いものが確認できました。

 二つ折りの袋()じ製本なので、(ページ)ではなく(ちょう)で枚数を数えます。

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日月神示


 岡本天明氏が岐阜県に居留していた時代に製作されました。日月神示の第一仮訳と言えば通常は この本を指します。以後の大半の訳文の底本です。

 基本訳から作られていますが、完全に同じ翻訳というわけではありません。奥付によると校閲が天明氏で訳者が因縁の身魂の菅原信雄氏と林松治氏なので、他の人の意見も聞き入れたのでしょう。そのことから、研究者のための『ひつく神書研究資料』も間接的な底本になっているはずです。

 機関誌を見ると、後年の一時期に「日月地聖典」と呼ばれていた模様です。

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地震の巻


 岡本天明氏が自ら書いた地震の巻の訳文です。研究者に送られた非売品であり、『ひつく神書研究資料』の系譜に連なります。

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地震の巻


 前年に研究者に送った地震の巻の訳文を、天明氏が新規に書き写して販売されました。昭和三十年版との相違点は写し間違いなのか修正なのか判別が難しい側面があります。前年の版は研究者の意見を募るための草稿なので、昭和三十一年版が地震の巻の完成稿かもしれません。

 奥付によると初版は百五十部です。

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月日霊示


 岡本天明氏に昭和三十年十二月から降りた霊示です。巻名は山の巻ですが、月日霊示が全一巻で終わったので「山の巻=月日霊示」になります。

 前書きで資料と明言されているので『ひつく神書研究資料』に連なる系譜です。ただし、訳文のみであることから、月日霊示の原文資料は製作されなかった可能性が高いです。

 月日霊示は昭和三十一年の機関誌の特別号として三ヶ月連続で刊行されたので三冊あり、後に一つにまとめて販売されました。中身に違いは無いはずですが、確認は取れていません。

 内容の多くは「人間の悩み事への返答」なので「そなた」で始まる文章が多いです。その辺りの話は前書きと第一帖に詳しく書かれています。

「神示の中に“小さいことはそれそれの神が知らすから何でもきけよ”とか“さにわできけよ”等々のお示しがあります。この場合 誤り易いのは「サニワできけよ」のサニワであって、これはサニワ(審神)してきけよとのお示しであって、たとえ神のお言葉であっても一應は、時、所、位によって審神(サニワ)してきくべきであります。日月神示は三十巻で一應終って居り、卅一巻からは「月日霊示」として、引つづいて発現することとなりましたが、この度は主として「月日天使」の集団にあるエンゼルたちのお言葉であります。この霊示は多くの人々からお願になったことに付ての御指示を中心として出されたもので、多くの人々に共通した問題がとりあげられるとのことであります。この霊示は昭和卅年十二月廿五日から開始されて居りますが一般に発表する場合は、この中から適当によりわけよとのことですが此処では“資料”としてその侭をお伝えします。(大奥山 至恩郷にて 天明)」 『月日霊示』 前かき

「この巻からは神示ではない、霊示として区別せよ、当分の間は、世界の何処から、何人が、どんなことたづねても一應はとりあげるから遠慮なくたづねてよいぞ、人民にはじをかかすようなことはせぬから安心して、はだかになってきくがよい。よこしま心できくとよこしまの神が出るぞ。道理をよく心得ねばならない」 『月日霊示』 第一帖

 後年、月日霊示は月光の巻に改題されましたが、第一帖に「神示ではない、霊示として区別せよ」とあることから、()()の本流ではないようです。これが、第二仮訳で月光の巻が補巻の扱いになった背景だと思われます。

 月光の巻の名称は天明氏が存命中の機関誌で既に使われているので、改題と内容の変更は天明氏が行ったようです。参考として月日霊示と月光の巻の対応関係を記します。

 月日霊示月光の巻
 前かき(無し)
(不明)(無し)第一帖
第二帖
第三帖
第四帖
第五帖
第六帖
昭和三十年十二月二十五日第一帖/第二帖第七帖
第三帖第七帖/第八帖/第九帖
第四帖第十帖/第十一帖/第十二帖
第五帖第十三帖
第六帖第十四帖/第十五帖
第七帖第十六帖/第十七帖
第八帖第十八帖
第九帖第十九帖/第二十帖/第二十一帖
第十帖第二十二帖/第二十三帖/第二十四帖
昭和三十年十二月三十一日第十一帖第二十五帖/第二十六帖
第十二帖第二十七帖/第二十八帖/第二十九帖
昭和三十一年一月三日第十三帖第三十帖/第三十一帖
第十四帖第三十二帖/第三十三帖/第三十四帖
第十五帖第三十五帖/第三十六帖/第三十七帖
昭和三十一年二月一日第十六帖第三十八帖
昭和三十一年二月十日第十七帖第三十九帖/第四十帖/第四十一帖
第十八帖第四十二帖/第四十三帖
第十九帖第四十四帖/第四十五帖
昭和三十一年二月十八日第二十帖第四十六帖/第四十七帖
第二十一帖第四十八帖
第二十二帖第四十九帖
第二十三帖第五十帖
第二十四帖第五十一帖
第二十五帖/第二十六帖第五十二帖
第二十七帖第五十三帖
第二十八帖/第二十九帖/第三十帖第五十四帖
三月三日(無し)第五十五帖
第五十六帖
第五十七帖
第五十八帖
第五十九帖
第六十帖
第六十一帖
第六十二帖

 月光の巻の第一帖から第六帖の書記年月日は不明です。第五十五帖から第六十二帖の書記年も不明ですが、直前の帖との日付の連続性から昭和三十一年だと思われます。『日月地聖典(下篇)』や第二仮訳の月光の巻の書記年は誤植です。

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五十黙示録


 原文Xと同一の資料です。

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日月地聖典 (下篇)


 岡本天明氏が死去した年に販売されました。書名の下篇は昭和二十九年版を上篇に見立てて付けられたものであり、「日月地聖典(上篇)」という名の本が存在するわけではありません。第二仮訳では補巻の扱いの月光の巻が第三十一巻に数えられています。

 昭和三十八年の機関誌によると、元々は「日月地聖典(全訳)」と題して全三十九巻を上下巻で製作する予定だったとのことですが、天明氏の死去を契機に規模が縮小された模様です。昭和四十二年にも再版されています。

 天明氏の死後に販売されたので、余人による改変が行われた可能性が無いとは言えませんが、出版の準備が存命中から進められていたことや、死去から間を置かずに販売されたことから、改変の可能性は低いのではないでしょうか。そのため、第一仮訳に区分しても良いと思われます。

 『ひつく神書研究資料』や昭和二十六/二十七年版と比較すると、幾つかの文章が削られたり、原文に無い文章が追加されるなどの書き換えがあります。印象としては、五十黙示で新たに判明した九十やの内容に合わせた変更が多いように見えます。

 五十黙示の後書きによると、天明氏は第二十四巻から第三十巻を枝葉と認識しているので、原文に忠実であることよりも、新しく判った内容を伝えることを優先したのかもしれません。

 変更された内容の一部は五十黙示との親和性が高まっていることから、天明氏が神霊の許可や指示を受けていた可能性があるので、書き換えの是非を問うことは難しいです。

 上述の理由により、第二十四巻から第三十巻の第一仮訳を精読したい場合は、昭和二十六/二十七年版と『日月地聖典(下篇)』を照合する必要があります。

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第一仮訳の派生資料

五十黙示録 〔私家本〕


 昭和三十七年版の五十黙示を底本として製作されました。私家本なので流通していません。謄写と発行は『日月地聖典(下篇)』の奥付に名を連ねる鹿島釼吉氏です。

 第一仮訳と第二仮訳では不明な紫金の巻の書記日が記されています。鹿島氏は至恩郷の理事を務めた一人なので、当時は独自に調べることができたのでしょう。

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日月神示 (天地の会)


 正誤表を適用した昭和二十九年版を底本として製作されました。改行や改頁の位置なども底本に合わせてあるので、編集ミスが無い限りは昭和二十九年版と同一の内容と言えます。

 出版した(あめ)(つち)の会は昭和二十九年版の訳者の一人である林松治氏が主宰していた団体です。

 奥付には再版と書かれており、天地の会による初版があったのかもしれませんが、確認は取れませんでした。同じ内容の昭和四十五年版が存在するので それが初版とも考えられますが、昭和二十九年版を初版に見立てた可能性もあります。昭和五十三年にも刷られています。

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五十黙示録 (天地の会/賀陽会)


 昭和三十七年版の五十黙示が底本ですが、正誤表を適用せずに製作されたので、幾つかの内容が未訂正のままです。第二仮訳の五十黙示の底本であることが確認できました。そのため、未訂正の部分の誤解が現在も続いています。

 内容が同一で発行者が賀陽会の五十黙示も存在します。両者は協力団体の関係だったらしく、天地の会の出版物の多くは賀陽会の名義でも販売されていた模様です。

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地震の巻 (天地の会)


 研究者に送られた昭和三十年版の地震の巻を底本として製作されました。読点が千箇所ほど追加されています。第二仮訳の地震の巻の底本の底本です。

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【 地震の巻 】 (新日本研究所)


 新日本研究所が出版した『霊界研究論集』に収録されています。天地の会による昭和五十年版の地震の巻が底本ですが、比較すると誤植や欠落が幾つか見られます。この不備は第二仮訳の地震の巻に そのまま受け継がれました。

 参考として、同書に記された収録の経緯を引用します。

〔前略〕 上述の四つだけでは、頁数が少ないので、他に何かないかしらと考えていたとき、『原典日月神示』の「地震の巻」の天明訳が、岐阜の林松治氏のご努力で出版されていることを思い出し、林氏に、事情を話したところ、心よく転載をご承諾下さいましたので、「地震の巻」の訳文も追加した次第です」 「霊界研究論集の出版にあたって」

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日月神示 (世界文学資料館)


 至恩郷は京都に有力な支援者が居て、その関係筋から出版されました。第一部と第二部の二冊組であり、第二部には因縁の身魂の一人である佐藤明司氏に降りた「おおいつきくにのおおみち」の全三巻も収録されています。

 底本は以下の通りであることが確認できました。

第一巻〜第二十三巻昭和二十九年版 『日月神示』
地震の巻昭和三十年版 『地震の巻』
第二十四巻〜第三十巻/月光の巻昭和三十八年版 『日月地聖典(下篇)』
五十黙示昭和四十七年版 『五十黙示録』 (天地の会/賀陽会)

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日月神示 (日月神示刊行会)


 昭和五十年代に第二仮訳が主流になったことに対し、再び第一仮訳を提供する目的で出版されました。多少の誤植はあるものの昭和二十九年版に準じています。地震の巻の訳文は未収録です。

 第二仮訳の制作者である岡本三典女史にとっては愉快なことではなかったらしく、出版までに紆余曲折があったそうです。最終的には許可を得て一千部が販売されました。

 巻末に通し番号があります。

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第二仮訳

日月地


 表紙に「ひつく示(第二訳)」と書かれていますが、天明氏や三典女史が関与したのかは不明であり、続巻もありません。製作の責任者は因縁の身魂の一人である()(とう)()寿(とし)氏です。

 奥付によると非売品とのことですが、機関誌の販売図書の目録に載っているので、実際には販売されていた模様です。

 第一仮訳で「神」の字を当てることが多い「」を原文通りに記載しています。この表記の仕方は後年に風間奎作氏が「おおいつきくにのおおみち」の私家本で採用し、そこから中矢伸一氏の『完訳 日月神示』に受け継がれました。

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【 第二仮訳 】


 岡本天明氏の奥方である(おか)(もと)()(のり)女史による翻訳であり、これが第二仮訳と呼ばれます。昭和五十年代から現在までの全文訳の主流です。ただし、地震の巻の訳文だけは収録されていません。四冊に分けて刊行されたので四巻本の通称があります。

 各巻の表題(タイトル)は「()()()聖典」ですが、四冊を納める(はこ)には「日月神示(全)」とあり、どちらを正式名称にしたかったのか今一つ判りません。表紙に「一二神示」や「一二三」と書かれた版も見られます。

 函や装丁や表題(タイトル)が微妙に異なる版の存在から、何回かに分けて刷られたことが判りますが、奥付には反映されていません。そのため、初版しか存在しないはずです。

 奥付によると出版年は次の通りです。

昭和五十三年日月聖典(上巻)第一巻〜第十二巻
昭和五十二年日月聖典(中巻)第十三巻〜第二十三巻
昭和五十一年日月聖典(下巻)第二十四巻〜第三十巻
昭和五十四年五十黙示録五十黙示/月光の巻

 上巻と中巻の底本は昭和二十九年の『日月神示』です。模写だった地震の巻の原文は写真に変更されました。荒の巻は新規の翻訳です。

 下巻の底本は昭和三十八年の『日月地聖典(下篇)』ですが、一部に『ひつく神書研究資料』の原文を訳した文章が追記されています。これは第一仮訳で未収録だった部分です。

 五十黙示の底本は賀陽会が出版した昭和四十七年の『五十黙示録』であることが確認できました。付録の月光の巻の底本は昭和三十八年の『日月地聖典(下篇)』ですが、扱いは第三十一巻から補巻に変更されています。

 第一仮訳と比較すると、当時の三典女史が傾倒していた思想に基づく特殊な当て字、信仰心に関する表現の置き換え、霊界の記述の削除、荒の巻の翻訳の全面的な見直しなどが行われています。改変部分の多くは第二十四巻から第三十巻です。

 岡本天明氏の第一仮訳に色々と手を加えたので、古参の信奉者ほど第二仮訳に否定的になる傾向が見られます。再三に渡る「天明先生の訳に戻して欲しい」という要望を三典女史が拒絶し続けたため、そこから生まれた(あつ)(れき)は晩年に至っても解消されなかったと聞き及んでいます。

 平成時代に日月神示を知った人の中には、全文訳に第一仮訳と第二仮訳という違いがあることを知らず、第二仮訳を岡本天明訳と誤認している人が居るようです。

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一二三 (スペース・プレゼンツ)


 発行所は至恩郷ではありませんが、昭和五十年代の四巻本の再版であり内容は同一です。構成も同じなので四冊組です。

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改訂版 ひふみ神示 (コスモ・テン・パブリケーション)


 昭和五十年代の四巻本を拡大複写(コピー)したものですが、荒の巻は岡本三典女史が平成時代に入ってから翻訳したものに差し替えられています。上下巻なので二巻本の通称があります。

 四巻本と最も異なる点は第十七巻の訳文の追加です。これが地震の巻の第二仮訳に相当しますが、底本を()()的に変更した部分は無く、編集上のミスがあるだけです。誤植や欠落の部分が同じなので、第二仮訳の地震の巻の底本は『霊界研究論集』です。

 出版当時が世紀末ブームであったこと、中矢伸一氏が解説本を刊行し始めていたこと、販路が一般の書店に拡張したことなどから、非常に売れたそうです。

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新版 ひふみ神示 (コスモ・ビジョン)


 平成三年に出版された二巻本を一冊にまとめたものであり、内容は同一です。現在も一般の書店で簡単に入手することができ、一巻本の通称で呼ばれます。

 『改訂版ひふみ神示』を出版したコスモ・テン・パブリケーションから業務を引き継いだ会社は、名称が何度か変わっており、コスモ・ビジョンに落ち着くまでの間に、カバーの出版社の名義がコスモ・テン、テン・ブックス、太陽出版などで販売された『新版ひふみ神示』があるようです。

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第二仮訳の派生資料

太神の布告 (コスモ・テン・パブリケーション)


 全文訳ではなく要約(ダイジェスト)版として出版されました。読み易くするために、主要な項目(テーマ)ごとに分類と整理が行われています。

 日月神示や岡本天明の関連書籍の中で初めて一般の書店の本棚に並んだので、多くの人の目に止まりました。その内の一人が中矢伸一氏であり、この本で日月神示を本格的に知って、出版を企画した人物に会いに行き、四巻本を譲り受け、平成三年に自身初の解説本を書き上げたそうです。

 この要約(ダイジェスト)版が売れたことが平成三年の『改訂版ひふみ神示』の出版に繋がったようです。結果的に全文訳、中矢氏の解説本、世紀末ブームなどが相乗効果を生んで、1990年代に日月神示の名が広まりました。

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ひふみ新世紀 (コスモ・ビジョン)


 平成元年に出版された『太神の布告』を改題したものです。内容は殆ど同じですが、少しだけ掲載量が増えています。

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ひふみ神示データベース (ひふみ神示への道)


 本ではなくパソコン上で処理する情報(データ)です。付属の注意書きによれば平成三年の『改訂版ひふみ神示』が底本ですが、地震の巻だけは『霊界研究論集』だそうです。

 (がい)()としての処理方法を採用することよって、パソコン上で日月神示の特殊な記号を普通の文字と同様に扱えるようにした、という特徴があります。

 平成十五年に配布(ダウンロード)が中止になり、翌年にサイトは閉鎖されました。

 1990年代後半のインターネットの普及に伴い、日月神示を断片的に掲載し始めていたウェブサイトは幾つか在ったのですが、全文のデータ化と配布は「ひふみ神示への道」という個人サイトが最初に行いました。このデータの流用と改変が繰り返された結果が、現在のインターネット上の全文掲載サイト群です。ただし、将来的には新規に資料をテキストデータ化して掲載するサイトが出て来るかもしれません。

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完訳 日月神示 (ヒカルランド)


 1990年代に日月神示の名を広めた中矢伸一氏が校訂した全文訳です。平成二十年に上巻、平成二十一年に下巻が、中矢氏が主宰する日本弥栄の会の会員限定で(はん)()されました。平成二十三年にヒカルランドから改めて出版されたので、現在は一般の書店で購入できます。

 前文によると底本は『原典日月神示』、昭和五十年代の四巻本、『改訂版ひふみ神示』とのことです。底本に第一仮訳が無いので、系統的には第二仮訳の派生資料に分類されます。

 それまでの訳文では「神」の字を当てていた「」を原文通りに表記したり、既存の資料では未掲載だった補帖や因縁の身魂の名を掲載するなどの特徴があります。

 2015年現在の時点では、書店で購入できる全文訳は『新版ひふみ神示』と『完訳 日月神示』です。どちらの方が多く売れたのかは判りませんが、今後の全文訳の主流は『完訳 日月神示』に移る可能性が高いです。

 これは、著名な経営コンサルタントであり精神世界(スピリチュアリズム)の分野で熱心なファンを多く持つ船井幸雄氏が、2008年頃から積極的に日月神示と中矢氏を紹介し始めたことが大きいです。そこから、世紀末ブームの終息と共に下火になった日月神示への関心が、マヤの暦、フォトンベルト、アセンションなどと一緒に再燃し、中矢氏の著作の販売部数を押し上げたそうです。

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岡本天明の著作

俳画講義


 岡本天明氏が昭和十四年に設立した「日本俳画院」から、同年か前年に出版されました。

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ことたまの話


 正確な出版年は不明ですが、機関誌『予言と霊界』の昭和二十八年一月号で、天明氏が『俳画講義』と『ことたまの話』の買取告知を載せたことから、二つの本は近い時期に出版されたのではないでしょうか。

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すめら歌年鑑


 岡本天明氏が復興運動をしていた「すめら歌(かた歌)」の歌集です。昭和十七年の第一(しゅう)と昭和十八年の第二輯の二冊があります。

 賛同者の歌を集めたものであり、天明氏は編者の一人です。

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たたかへるくに


 天明氏個人の歌集であり「岡本天明 第一かた歌集」と題されています。奥付によると百部限定の非売品とのことですが、後年に何度か再版がありました。

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富士は晴れたり


 岡本天明氏の二つ目の歌集です。

 2016年販売の『謎解き版「完訳」日月神示「基本十二巻」全解説「その三」』に収録されました。

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すめら歌雑話


 機関誌『なると』の昭和二十四年三月号で出版が確認できました。

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霊界交流秘伝


 内容は降霊実験の方法の詳細です。機関誌『なると』の昭和二十四年四月号が『霊界交流秘伝』の特集号になっており、後に単品で出版されています。

 昭和五十一年の『霊界研究論集』に収録されました。

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白紙の手紙


 表紙に「病む人々におくる」とあり、病気との向き合い方が語られています。

 昭和五十一年の『霊界研究論集』に収録されました。

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天使との対話


 岡本天明氏が霊界を探訪した際の霊人との対話の収録です。機関誌『なると』の昭和二十四年三月号によると、同時期に刊行していた機関誌『霊界研究』に連載中のものを冊子にしたようです。

 第一篇『天人の結婚生活』と第二篇『死の前後』で構成されています。前書きによると、その時点で天明氏は千六百回近くの霊界行があり、古い記憶の断片を繋ぎ合わせて『天使との対話』を書いたそうです。

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審神者秘伝


 降霊実験の際の審神(さにわ)の方法が詳しく書かれています。

 昭和五十一年の『霊界研究論集』に収録されました。

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神は約束を果し給ひぬ


 機関誌『窓』の昭和二十五年十二月号に全文が載りました。後年の機関誌『新しき太陽』の昭和三十七年二月号に再版の予定が掲載されたことから考えると、単品での出版もあったのでしょう。正確な出版年は判りませんでした。

 内容は「ひかり教会の在り方」を詳述したものであり、平成八年の『日月神示は なぜ岡本天明に降りたか』にも収録されています。

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新しき霊界の創造


 機関誌『窓』の昭和二十八年三月号に宣伝が載っているので、それより前に出版されたはずです。内容は霊と肉体の関係を軸にした人間の在り方についてです。

 昭和五十一年の『霊界研究論集』に収録されました。

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立体生活とは?


 機関誌『予言と霊界』の昭和二十八年五月号などで出版が確認できました。

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日本列島に世界政府を樹立せよ


 「日本は世界の縮図である」という(ひな)(がた)理論を中心に、日本人の使命について論じています。出版は昭和二十八年九月ですが、脱稿は昭和二十五年一月とのことです。

 昭和三十八年の『日月地聖典(下篇)』に収録されました。

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水穂伝


 江戸時代の言霊学者である山口志道の著作を、天明氏が現代語に翻訳したものです。日月神示や大本系統で多用されるの記号は『水穂伝(みづほのつたえ)』を源流とします。

 前文によると脱稿は昭和十七年十二月下旬ですが、実際に出版されたのは昭和二十九年のはずです。

 後年に東京の南風会から再版されました。

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霊現交流と審神者秘伝


 機関誌『予言と霊界』の昭和二十八年一月号から始まった同名の連載を冊子にまとめたものです。執筆者の名義は「世界生活集団同人編」であり、岡本天明氏は監修的な立場だったようです。ただ、昭和二十四年の『霊界交流秘伝』と昭和二十五年の『審神者秘伝』を下敷きにしたものなので、機関誌では天明氏の著作として扱われています。

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死者と語る


 機関誌『予言と霊界』の昭和二十九年十二月号に出版の告知が載っています。機関誌『新しき太陽』の昭和三十七年二月号の再版予定でも確認が取れました。

 宣伝によると、複数の誌上で語られた降霊実験の内容をまとめたものだそうです。

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天使との対話


 昭和二十八年に岡本天明氏が体験した霊界(だい)(あん)(ぎゃ)の記録です。機関誌『窓』の昭和二十九年七月号から始まった連載をまとめたものです。

 この本の出版により、昭和二十四年の『天使との対話』が改題されて『天人の結婚』になりました。

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新しき太陽


 創刊号には「岡本天明 責任編集」と(めい)打たれており、天明氏の個人誌として、著作と機関誌の中間的な位置付けになっています。

 昭和三十二年二月の第一集から同年九月の第六集までは刊行が確認できました。名称を受け継いだ機関誌が同年十一月に発刊されたので、全六集か全七集のはずです。

 余談ですが、機関誌『三千世界』の昭和二十九年一月一日号に、『奥山』という天明氏の個人誌が不定期で刊行されていることが書かれており、こういった形態の刊行物は他にもあったと思われます。

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古事記数霊解序説


 昭和三十五年に第一版が三冊組で刷られ、昭和三十七年に加筆修正した第二版が出版されました。第三版の構想もあったそうですが、その前に天明氏が死去したので第二版が最終稿です。

 岡本天明の著作と言えば真っ先に この本の名が挙がります。

 昭和四十七年に新日本研究所から第二版が新規に出版されました。

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日本民族とユダヤ民族


 岡本天明氏が日本人とユダヤ人の共通点などについて言及した冊子です。ユダヤ人に宛てた手紙という形で書かれています。

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ユダヤの神宝は日本にかくされてゐる


 岡本天明氏によるユダヤ論です。

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伊勢大神宮御遷座と常立の数霊考


 機関誌『新しき太陽』の販売目録や、『古事記数霊解序説』で出版が確認できました。

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日本通信 / 日本道と数霊 / 皇学序説


 機関誌『新しき太陽』の宣伝によると、日本の神典を数霊的に解明したものとのことです。昭和三十六年の春から月刊で一年程度の刊行を予定していたそうですが、上手く続かなかったらしく、後に一部を抜粋した『日本道と数霊』や、合本した『皇学序説』が出版されました。

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八つの面をもつ自動書記


 昭和三十六年九月から不定期で刊行された機関誌『大奥山』の中に同名の連載が見受けられるので、それをまとめたものだと思われます。

 機関誌『新しき太陽』の昭和三十七年二月号に再版準備中と書かれているので、出版は昭和三十六年だったと考えられます。

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天明画集


 岡本天明氏のクレパス画、水墨画、(ぼく)(しょう)が十点づつ収録されています。

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霊界研究論集


 岡本三典女史の協力により、新日本研究所から出版されました。収録内容は、霊界交流秘伝、審神者秘伝、新しき霊界の創造、白紙の手紙、地震の巻、かた歌です。

 地震の巻以外は平成八年の『日月神示は なぜ岡本天明に降りたか』に再録されました。

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岡本天明画集 (第二集)


 三十二点の岡本天明氏の書画が収録されています。

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岡本天明画集


 至恩郷の解散直後に渋谷で開催された最後の岡本天明展で販売していました。判型が少し違うだけで内容は平成十年の画集と同じです。

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岡本天明画集 五十五枚の光跡


 岡本天明氏の書画がビデオ画集としてDVDに収録されています。

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日月神示は なぜ岡本天明に降りたか 〔岡本三典 著〕


 岡本三典女史の著作です。第四部に天明氏の遺稿が収録されています。

第一部神示降臨
第二部来歴篇
第三部至恩郷篇
第四部岡本天明遺稿篇
『霊界研究論集』抜粋
 霊界交流秘伝
 審神者秘伝
 白紙の手紙
お酒でつり出されたか
新しき霊界の創造
奥山の猫
神は約束を果たしたまいぬ
至恩郷の神殿と神業
御(五)在所岳考
『古事記数霊解序説』抜粋
天明かたうた抄
第五部思い出の人々
第六部論文篇
第七部附篇

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岡本天明伝 〔黒川柚月 著〕


 (くろ)(かわ)()(つき)氏の著作です。関係者に精力的に取材した上で、天明氏の言動を時代背景と一緒に解説しています。当時を知る関係者の大半が死去したので、今後、この本より詳細な伝記を書くのは極めて困難です。

プロローグ『日月神示』は“新しい時代”を開く!
第一章天の内流(直流)の啓示への準備としてあった出口王仁三郎との深い絆
第二章扶乩(フーチ)の修練、交友の広がり、生活の苦闘……啓示を受け取る“前夜”
第三章大本と決別して宮を開くに至る『日月神示』の始まり
第四章世界の立直しを図る「夜明けの御用」への怒濤の“終戦”前後の動向
第五章神示を降ろしながら「雛型神業」を演じさせられての「ひかり教会」の発展と終焉
第六章「天明九十六才七ヶ月ひらく」は幽界の中に……「至恩郷」と死の訪れ
補章『大本神諭』と『日月神示』から読み解く大震災と富士山爆発の預言
エピローグ「九つの花」に秘められた意味を解き明かす!







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岡本天明の機関誌

すめら歌


 岡本天明氏が結成した「すめら歌社」の機関誌です。昭和十六年七月に発刊しました。日月神示と直接的な関連はありません。

 『予言と霊界』の昭和二十八年一月号に掲載された天明氏の散文『すめら歌人よ いまいづこ』によると、その時点で『すめら歌』を休刊して約十年とのことであり、昭和十七年か十八年までは刊行が続いていたようです。

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代々木


 すめら歌の宣伝として第一集が昭和十七年九月に発行されました。当時の岡本天明氏が住んでいた土地が機関誌の名の由来です。

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 日月神示関連では最も古い機関誌らしいのですが、詳細は不明です。『新しき太陽』の154号で、岡本天明氏が機関誌の変遷を回顧した際に名が出て来ます。

「始め「道」と云ふ謄写版の不定期刊から出発して「三千世界」 「なると」 「窓」 「海」等を経て「予言と霊界」となり、今回「新しき太陽」と合流して「新しき太陽」としての本紙を月刊することとなった。〔後略〕 『新しき太陽』 昭和三十二年十一月二十五日号 編集後記

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霊界研究


 『なると』の昭和二十四年三月号によると、その時点で月刊誌として刊行されていたそうです。

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なると


 昭和二十三年九月に初号が発刊され、昭和二十五年二月の第十七号までは刊行が確認できました。後継誌の発行年月から考えると、昭和二十五年九月もしくは第二十四号の近辺が最終号のはずです。

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三千世界


 昭和二十四年四月に予告版が発刊され、同年六月号が第一集です。昭和二十九年五月の第三十集までは刊行が確認できます。同年八月に『予言と霊界』に合併されました。

 冊子ではなく一枚だけの新聞のような形態です。

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 昭和二十五年十月に初号が発刊され、昭和二十九年七月号までは刊行が確認できました。昭和二十八年からは『予言と霊界』と合本する場合が多く、昭和二十九年八月に正式に合併しました。

 刊行できない月が何度かあったらしく、通算の号数は不明です。

 それまでは断片的な掲載だった日月神示の原文と訳文が大量に載っています。これは底本としての使用に耐え得る資料が揃って来たことが大きいと思われます。

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かた歌


 『予言と霊界』の昭和二十九年八月一日号で名が確認できました。

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大奥山


 『予言と霊界』の昭和二十九年八月一日号で名が確認できました。『三千世界』の昭和二十九年一月一日号では『奥山』の名で宣伝されており、不定期刊の天明氏の個人誌とのことです。

 昭和三十六年に同名の機関誌が改めて発刊されました。

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 詳細は判りませんでした。『新しき太陽』の昭和三十二年十一月二十五日号の編集後記に名が見えるので、刊行されたことだけは確認できます。

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予言と霊界


 昭和二十七年十一月に初号が発刊され、昭和三十二年九月の153号が最終号です。昭和二十九年に機関誌の集約が行われたので、刊行数と通算数が合っていません。

「本紙は躍進の第一号に入る、従来の「三千世界」 「窓」 「予言と霊界」 「かた歌」 「大奥山」等の定期、不定期刊行物を綜合、集約し、且つ これら各々の発行部数総計の約十倍を発行し、広く天下におくることとした。〔後略〕 『予言と霊界』 昭和二十九年八月一日号 編集後記

 以前の機関誌を合算したので、刷新された『予言と霊界』の昭和二十九年八月一日号が第107号になりますが、実際に号数の記載が始まったのは第111号からです。

 初期の特集号である『富士は爆発する!』と『世界大戦の神示』と『水爆と38度線に関する(ひつく)神示』は、2013年に出版された『富士は爆発するぞ! 日月神示が語る今この時』に載りました。

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新世界


 奥付によると、昭和三十一年八月から大奥山弥栄会の会員にだけ(はん)()された模様です。何号まで続いたのかは判りません。

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新しき太陽


 通算の号数は『予言と霊界』を引き継いだので、昭和三十二年十一月二十五日の154号が初号です。機関誌としての名称は、直前に刊行された岡本天明責任編集の冊子から受け継がれました。

 昭和四十四年十二月の第292号が最終号です。

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大奥山


 昭和三十六年九月に発刊されました。不定期刊です。昭和二十九年より前にも同名の機関誌が刊行されています。

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至恩通信 〔岡本三典 主幹〕


 岡本三典女史が主幹になって製作されました。昭和四十五年九月に初号を発刊し、至恩郷の解散に合わせて刊行した平成十九年五月の258号が最終号です。

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岡本天明の主宰団体

 機関誌などで確認できた、岡本天明氏が結成に関わった団体の名称を列記します。実態的には同一組織の部署名くらいの違いしかなかったようです。


日本俳画院
すめら歌社
代々木会
天之日津久神奉賛会
大奥山 / 奥山
天明居
ひかり教会
神霊科学講究所
世界の民の会
かたうた社
おとひめ会
世界生活集団
太日月地精神会
立体芸術社
一二三会
至恩郷
大奥山弥栄会
新しき太陽社
日本通信社

 最後に、当時の事情を知る関係者達の死去と資料の散逸により、天明氏の著作、機関誌、主宰団体を完全には網羅できなかったことを付記します。

 また、日月神示の各版の解説は、収録分量や翻訳精度や流通規模が或る程度の水準を満たすものと、史料としての価値が認められるものに絞ったことを御了承ください。

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