2009/ 3/22 | 前編の追記の前半を掲載 |
2009/ 3/31 | 前編の追記の後半を掲載 |
2023/ 1/31 | 『時節概論』の前編の付記を分離して『時節付記』と題して掲載 |
2023/ 1/31 | 「追記」の呼び名を「付記」に変更 |
慌てて動くでないぞ
時節が何もかも返報返しするぞ
時の神様 有難いと申してあろがな
『日月の巻』 第十六帖
付記1 神経綸八の解釈の正否 | 2009/3/22 |
2009/ 3/22 | 前編の追記の前半を掲載 |
2009/ 3/31 | 前編の追記の後半を掲載 |
2023/ 1/31 | 『時節概論』の前編の付記を分離して『時節付記』と題して掲載 |
2023/ 1/31 | 「追記」の呼び名を「付記」に変更 |
前編を書いた後に状況が変化したので、付記を一つ書き加えます。
日月神示の予言の内、神経綸の八の段階については第二章で具体的な日付を含めて考察しました。現在はそこで挙げた日付を半年近く経過し、解釈の正否の大方を判別できるようになったと言えます。こういった“予言と現実の答え合わせ”が付記の内容であり【神経綸八の解釈の正否】です。
結論としては「結果が当たって原因が外れる」という格好になりました。
まずは当たった部分を述べます。
神経綸八の始まりの年を2008年と仮定し、そこから始まる出来事を“世界的な金融危機”と解釈したことは当たったと言って良いと思います。この付記を書いている2009年3月の時点では、世界の国々、特に震源地であるアメリカ合衆国が金融危機を克服できるかどうかは判っていません。ただ、日月神示は共産主義の崩壊と共に自由主義の崩壊も予言していることから考えると、克服できない可能性の方が高いと思われます。その場合は神経綸八の期間を“世界恐慌”と解釈したことも当たったと言えます。
次に当たったか外れたかの判別が難しい部分を述べます。
今回の金融危機の直接的な引金になったのは、2008年9月15日に起きた“リーマンショック”でした。サブプライムローン問題の顕在化による金融不安は2007年頃から囁かれていたものの、最終的にはアメリカの大手投資銀行であったリーマンブラザーズの破綻が、泡を破裂させる針になりました。この日を境に世界中の空気が一挙に変わり、「世界同時不況」や「百年に一度の経済危機」や「恐慌」といった言葉が、濁流の如く社会に溢れ出たのは記憶に新しいところです。
そして、この概論では金融危機の始まりを2008年の8月と解釈していました。これを神経綸には少なからず遅し早しがあることを考慮に入れて、約一ヶ月のズレを許容範囲内とするなら当たったと言えますし、許容範囲外とするなら外れたと言えます。
次に外れた部分を述べます。
世界恐慌に発展するであろう金融危機が「東京大震災を発端として起きる」という解釈と、それが起きる日付が“2008年8月17日”という解釈は外れました。これは解釈を間違ったのか、単に遅れているだけなのか、それとも大難が小難に変わったのかは、現時点では正確には判りません。しかし、既に世界恐慌に突入したとも言える現在となっては、発端の方が後に起きるとは考えにくいので、解釈を間違った可能性の方が高くなっています。
そして、第二章で述べた解釈が間違っていたのであれば、日月神示の中の「八月ぐらぐら」という記述は「既存の文明の枠組が揺らぐ」という主旨の言葉であって、地震の擬音ではなかったことになります。日本語でも衝撃的な出来事を「激震が走る」という風に震災に準えて表現しますが、そちらの意味だったのかもしれません。その場合は解釈を間違えてしまって申し訳ありませんでした。
◆
現時点で判別できる神経綸八の解釈の正否は以上ですが、現在の世界情勢を心配している人も多いと思いますので、金融危機の神経綸上の意味と、その後の展開についても簡単に補足しておきます。
結論から言えば金融危機は予定通りの出来事なので心配する必要はありません。天之日津久神様は六十年以上も前から、ミロクの世の直前が“金で潰す時代”であることを明言していました。そして、日月神示では世界恐慌の期間である“八月の世界”を特に重視していません。神示を読めば一目瞭然ですが、真に警鐘が鳴らされているのは“恐慌の後の戦争”と“岩戸開き”です。金融危機は日本の神々にとっても外国の神々にとっても、手段であって目的ではないのです。
第二章でも述べましたが、日月神示では「金融危機は悪神が意図的に引き起こす」と説かれています。その最終的な目的は悪神が日本を末代の住処とすることであって、「世界恐慌は日本盗りへの布石に過ぎない」とのことです。恐らく、外国を“景気対策としての戦争”に追い込むことが、悪神が世界を金で潰す理由だと思われます。そして、その企みを見抜いている日本の神々が、悪神の行動すら利用してミロクの世を実現するのが神経綸の既定路線です。
それと、これは後編で論じる内容なのですが、外国が日本を盗ろうとする行動自体が“雛型”となるように仕組まれており、外国が日本に攻め込むから岩戸が開くのか、岩戸が開くから外国が日本に攻め込むのか判らない側面があります。これらは前後の順序が判別できない“鶏と卵の関係”になっています。こういった関係性を持つものは神経綸に幾つか見受けられ、2016年のミロクの世の到来の他にも、2012年の天子様の践祚などが同様の関係だと思われます。
このように、悪神の計画は完全に正神の計画の一部として組み込まれています。日月神示を読むと、世界を金で潰して日本を盗ろうとする外国の神々と、それを見抜きながらも一時的にであれ許す日本の神々と、どちらが本当の黒幕なのか判らなくなるくらいです。結局の所、悪神が何をしても全ては大神様の掌の上での出来事に過ぎません。ですから、悪神が起こす恐慌も戦争も過度に心配する必要はないのです。
◆
また、日月神示には戦争や天災を筆頭に過酷な未来が予言されていますが、“大難が小難に変わる可能性”も充分にあります。
「神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分らんか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分らんか、ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪のみたまぞ、そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。臣民は神に、悪い事は小さくしてくれと毎日お願ひするのが務めぞ」 『天つ巻』 第二十四帖 [131]
「仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ。神も泥海は真っ平ぞ」 『地つ巻』 第三十二帖 [169]
「神が大難を小難にして神々様 御活動になってゐること眼に見せてもわからんか」 『日月の巻』 第二十七帖 [200]
「富士、火 吐かぬよう おろがみてくれよ、大難小難にまつりかへるよう おろがみてくれよ」 『水の巻』 第十五帖 [289]
「大難小難にまつりかへて下されとお願ひするのざぞ」 『夜明けの巻』 第九帖 [329]
「大難小難にと役員も祈れよ。口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らなならんぞ」 『夜明けの巻』 第十三帖 [333]
「大難小難にと祈れと申してくどう知らしてあろがな、如何様にでも受け入れて よきようにしてやるよう仕組てある神の心 判らんか、天災待つは悪の心、邪と知らしてあるが まだ判らんのか」 『雨の巻』 第八帖 [342]
「神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、やらねばならん、戦は碁、将棋くらいの戦ですむのぢゃ」 『青葉の巻』 第十六帖 [485]
「神は嘘つきぢゃと人民申しても、悪い予言は嘘にしたいので日夜の苦労、こらえられるだけこらえてゐるのである」 『月光の巻』 第七帖 [794]
これらの記述からも判るように、大神様も人間が苦しむのを望んでいらっしゃるわけではありません。悪い未来を変えるために昼夜を問わず御活動なされ、人間も同じように励むことを望んでおいでです。未来は完全には決まっていないのです。
ただし、大筋の流れは決まっています。そのことを証明するかのように、日月神示の予言通り2008年に金融危機が起きました。阪神淡路大震災も他の時節の節目との関連性を考慮した日付に起きています。何よりも、ミロクの世の王の誕生日には一日の遅し早しもありません。こういった事例から窺い知れるように、神経綸は当初からの予定に沿って順調に進んでいます。
そして、世界が日月神示の指し示す通りに進んでいるのであれば、それは喜びに満ち溢れた光り輝く未来が約束されていることを意味しています。何故なら、天之日津久神様は“三千世界の物語の最後”を、誰もが笑って喜ぶ“幸福な結末”で締め括ることを力強く宣言しているのですから。それ故、現在の世界情勢がどのように見えようとも、神を信じる人間は、次のような伝言を自他に発しながら日々の務めを果たすのが“最も正確な現状認識”と言えましょう。
「大丈夫、心配ないよ」
「オロシヤの悪神の仕組 人民には一人も判ってゐないのざぞ。神にはよう判っての今度の仕組であるから仕上げ見て下されよ、此の方に任せておきなされ、一切 心配なく此の方の申すようにしておりて見なされ、大舟に乗って居なされ、光の岸に見事つけて喜ばしてやるぞ」 『雨の巻』 第十帖 [344]