2013/ 3/13 | 第三章の序項と第一節を第六章の第一節と第二節に変更 |
2013/ 1/11 | 第三章の第五節の第一項を掲載 |
2012/ 9/ 7 | 第三章の第五節の序項を掲載 |
ミロク様とはマコトの天照皇大神様のことでござるぞ
『光の巻』 第五帖
第六章 ミロクの仕組 | ||||
6-1 | 神の位 / 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命 | 2012/ 9/ 7 | ||
6-2 | 神の型 / 三韓征伐 | 2013/ 1/11 |
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日月神示において、最高神あるいは救世神としての“神の名が冠された仕組”が【ミロクの仕組】です。これは「五六七の仕組」と表記される場合が多いです。名称からも判るように、この仕組は“ミロクの世”や“ミロクの大神”との関係があると推測されています。
そして、ミロクの仕組を考える上での鍵になっていると思われるのが、大本系統でミロクの大神と称されている【撞賢木厳之御魂天疎向津媛命】なのです。
天子様の年齢で旧九月八日が「ミロクの世」と呼ばれていることからも判るように、旧九月八日の仕組の開始はミロクの世の始まりを意味しています。この辺りの背景は前節までに述べた通りです。
そして、ここまでは“日月の大神”としての側面を主体に取り上げて来ましたが、本節では“撞の大神”としての側面を取り上げることによって、旧九月八日の仕組の開始とミロクの世の始まりが同一視されているもう一つの理由を考察したいと思います。
なお、本節ではミロクの世を「旧九月八日」や「正念場」や「神経綸九」という意味で使う場合が多く、他にも、ミロクは“日月”ではなく“撞”の意味である場合が多いことにも御注意ください。
◆
前節の最後でも触れましたが、旧九月八日の仕組の個々の内容には明確な相関関係があり、互いに連動しています。別の言い方をするなら「芋蔓式になっている」と表現できるかもしれません。そして、ミロクの仕組は旧九月八日の仕組との関係が深く、「旧九月八日の仕組はミロクの仕組によって始まる」という側面が見え隠れしています。
これは仮説の域を出るものではありませんが、ミロクの仕組には旧九月八日の仕組という連鎖反応を引き起こすための起爆剤的な側面があるらしいのです。また、“開始や終了の合図”を伝えるための“釦”の役割を併せ持っているようにも見えます。
この辺りのことを本節で論じてみますが、その前に、ミロクの仕組を考察する上での基本的な考え方を述べたいと思います。これは、日月神示にはミロクの仕組の内容に関する直接的な言及が全く無いので、考察の前に簡単な方向性を提示した方が判り易いと思われるからです。
前提となる方向性は「何故、ミロクの世と呼ぶのか?」という問い掛けから導出しました。この問いには複数の回答が成り立ちますが「ミロクの大神の時代になるからミロクの世と呼ぶのであろう」という答えを最も有力視しました。恐らく、ミロクの世の到来とはミロクの大神が世に出ることなのでしょう。そして、それを人間側から手伝う類の行動は、普通に考れば“ミロクの仕組”と呼ばれる可能性が高いはずです。少なくとも、仕組の一端を担える程度には似通った性質を備えていると思われます。このように考えた結果、
「ミロクの仕組を知りたければ、ミロクの大神の姿を明らかにすれば良い」
という結論に行き着きました。これが本節でミロクの仕組を考察する上での基本的な考え方です。
◆
しかし、前々節の『ミロクの概略』や『ミロクの構図』でも考察したように、狭義の意味と広義の意味でのミロクの大神は必ずしも一致していません。故に「どの等級のミロクなのか」という点については個々の文脈で判断する必要が出て来ます。“救世神”に階級を設けるのは不適切に感じられるかもしれませんが、この辺りの考え方については天之日津久神様による認識を示した方が判り易いと思います。
「手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ」 『天つ巻』 第三十帖 [137]
当たり前の話ですが、中枢は末端に命令を下せますが、末端は中枢に命令を下すことはできません。中枢も末端も「全体を形成する一部分である」という意味では同じでも、決して同格ではないのです。
また、この場合は双方を含む全体が広義の意味での本体であり、中枢が狭義の意味での本体になります。これを「外郭を分離する」という形で、少しづつ広義の意味を狭義に定義し直して行き、もう削ぎ落とせない最終段階まで残り続けた存在が、最も序列が高いと言えます。つまり、全体の性質を決定する権能を有する中枢としての存在、即ち“頭”です。
その上で、“ミロクの中枢”として神経綸の中心軸に居ると推測されるのは以下の五柱の神様です。これは予言の大半が、この神々の物語として描写されていることからも推し量れます。
一、一柱だけでもミロクと明言されている“天照大神” |
一、天照大神と共に天の御先祖とされている“伊邪那岐神”と“伊邪那美神” |
一、天の御先祖と一体になって立替え立直しの総指揮を執るとされている“国常立神” |
一、国常立神と同一神的に説かれ救世神とされている“素盞鳴神” |
また、人体の頭が一つであるように最後の一柱まで絞り込む場合は、天照大神が“最高位”になると思われます。恐らくは この点が関係しているのでしょうが、立替え立直しにおけるミロクの仕組の具体的な内容は、天照大神の別名でもある“ミロクの大神の正式な御神名”を鍵言葉として読み解くことができます。
「何故、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命がミロクの大神なのか?」
この疑問に対する答えは、古の昔から日本に伝わる“神と天皇の物語”の中にあります。
ミロクの仕組には“核となる物語”があります。そして、その物語は旧九月八日の仕組から逆算する形で考えなければ、神経綸との関連性に気付けないようになっています。これは「ミロクの仕組が発動した結果となる事象が旧九月八日の仕組である」と言い得る側面があるからです。それが【神の型】とでも称すべき【三韓征伐】の物語です。
そして、三韓征伐は皇典で“撞の大神”が登場する唯一の物語であり、中でも日本書紀にのみ正式な御名が伝えられています。そこで“撞の大神の物語”の概略を記しますが、以下は大本系統の神示との関連性やミロクの仕組の骨子を判り易くするために細部を省略していますので、詳細は記紀を御覧ください。
或る時、第十四代“仲哀天皇”は反抗的な勢力を討伐するために軍を率いて出発し、その途上で后たる“神功皇后”が神懸かりました。その神様から「今向かっている国よりも富んだ国を授けよう」との託宣が下り、海を越えた先に在る国を与えられることが約束されました。
しかし、仲哀天皇は神功皇后に懸かった神様を信じ切れませんでした。そのため、神様から「国は汝ではなく汝の御子のものとする」と告げられてしまい、その時に神功皇后が身籠もっていた“応神天皇”に新しき国が与えられることに決まりました。そして、時を置かずして仲哀天皇は亡くなってしまいました。
仲哀天皇の突然の崩御は神意に背いたからだと思った神功皇后は、全てを神の意に従うことに決めました。そこで改めて伺いを立てると、神様は“撞賢木厳之御魂天疎向津媛命”と名乗られ、天照大神の荒魂であることが判りました。
その後、身を清めたり神々を祀るなどして準備に励んだ神功皇后は臨月を迎えました。応神天皇が生まれつつある状態でしたが、神功皇后は石を抱いて陣痛を堪えながら、神様の指図通りに海を渡るために船出しました。
軍を進めると多くの魚が大挙して船を運び、ちょうど良い風や波が起こり、船は舵や梶さえ使わぬまま新羅の国に着きました。軍勢を載せた波は国の半ばにまで及び、人智を超えた不思議な出来事を目にした新羅の国の王は戦わずして降伏し、「末代お仕えします」と言って日本と天皇への永久の帰順を誓いました。それを知った高麗の国と百済の国も降伏し、三韓は日本になりました。
そして、帰国して すぐに応神天皇が生まれ、日本は益々富み栄えました。
三韓征伐は大体このような話です。これでミロクの仕組の予備知識として旧九月八日の仕組の解説が必要であった理由を御理解いただけたと思います。
三千世界の立替え立直しは“神功皇后の三韓征伐”を雛型として計画されています。
それは撞賢木厳之御魂天疎向津媛命の時代になることに他なりません。
つまり、旧九月八日からの伊邪那岐神と伊邪那美神、日本と外国、神と人、正神と悪神などの結びを意味する“日月の仕組”の実現には、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命が直接的な御力を発揮するらしいのです。故に、ミロクを実現する神として撞の大神がミロクの大神に位置付けられていると推測されます。
ミロクの世の始まりとは“撞の大神の物語が始まる日”なのでしょう。
これが、旧九月八日がミロクの世の始まりと同一視されている“もう一つの理由”になっていると考えられます。だからこそ、撞の物語を雛型として拡大されたものが旧九月八日の仕組、即ち日の大神と月の大神が一体になる日月の仕組でもあると思われるのです。
こういった点から、ミロクの仕組と旧九月八日の仕組が切り離せない関係にあることが垣間見えます。また、大本系統で三位一体とされる“天の御先祖様”の関係性は、立替え立直しの計画に“中核”として組み込まれているとも言えそうです。
◆
以上がミロクの仕組に対する考察の結論であり出発点です。そこで、次項からは神功皇后による三韓征伐と神経綸の対応関係を中心に考察を深めて行きますが、その前にミロクの仕組を考察する上での“問題点”と“危険性”について述べさせて頂きます。
まずは“問題点”についてですが、次項から展開するミロクの仕組への考察は唯一無二の解釈ではありません。同時に、読む人によっては「論理の飛躍に見える」という問題点があります。
一例を挙げれば、三韓征伐では「日本が攻め込む」であるのに対し、神経綸では「日本が攻め込まれる」です。この点を重視するなら「三韓征伐は立替え立直しの雛型ではない」という結論を下せます。
逆に「攻め込む」と「攻め込まれる」は表層的な相違点に過ぎず、重要なのは「本格的に交わり合う」や「和合し始める」という点にあるという見地に立てば、「三韓征伐は立替え立直しの雛型である」と結論しても問題は無いでしょう。
このような正反対の結論が共に成立し得るのは、「何を本質と見做すか」という考察の前提となる認識によって正しい結論が変わってしまうためです。包括的な視点に寄り過ぎれば いかなる仮説も成り立つでしょうし、微細的な視点に寄り過ぎれば いかなる仮説も成り立たなくなるでしょう。そして、前提となる認識や見地は各人各様であり、無理に統一できるような性質のものではありません。
本節でのミロクの仕組への考察が、適切な視点と適正な平衡を保った上での解釈であるかどうかは、各人の判断に委ねたいと思います。
次に“危険性”についてですが、先に述べたように日月神示ではミロクの仕組の具体的な内容に全く言及がありません。少なくとも判るようには書かれていないのです。
参考として“ミロクの仕組”について書かれた部分を引用してみます。
「一二三の仕組が済みたら三四五の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒の仕組のことぞ」 『富士の巻』 第四帖 [84]
「一二三は神食。三四五は人食、五六七は動物食、七八九は草食ぞ、九十は元に、一二三の次の食、神国弥栄ぞよ。人、三四五食に病ないぞ」 『富士の巻』 第十五帖 [95]
「一二三の裏に〇一二、三四五の裏に二三四、五六七の裏に四五六の御用あるぞ。五六七すんだら七八九ぞ、七八九の裏には六七八あるぞ、八九十の御用もあるぞ。だんだんに知らすから、これまでの神示よく心に入れて、ジッとして置いてくれよ」 『天つ巻』 第十帖 [117]
「九歳は神界の紀の年ぞ、神始めの年と申せよ。一二三、三四五、五六七ぞ、五の歳は子の歳ざぞよ」 『日の出の巻』 第二帖 [215]
「悪く云はれるのが結構ぞ。何と云はれても びくつくやうな仕組してないぞ。天晴れ、三千世界のみろくの仕組、天晴れぞ」 『黄金の巻』 第六十九帖 [580]
判らないものを判らないままに論じる行為は、読み手を混乱させたり見当違いの方向へ向かわせる危険性があります。そこで「判らないものを論じる危険を冒すのは何故か?」という点についても補足します。これは時節概論の基本的な見地に通じる話です。
次項からのミロクの仕組の考察は、基本的に「誰かが正解に辿り着けば良い」という観点から書かれています。これは「絶対に正しい解釈である必要はない」とも言い換えられます。無論、正しい解釈であるのに越したことはないのですが、一つの論考が全てを正しく解釈するのは現実的には難しいでしょう。
これは発想に関する話なのですが、発想には純粋な意味での“発想”と“発想を生み出すための発想”があります。このことからも判るように、たとえ正しい解釈でなかったとしても、誰かが正しい解釈に辿り着くための“叩き台”に成り得る可能性があるのです。
そういった可能性があるために、敢えて判らないものを論じる危険を冒していることを御理解ください。
次項からの考察は、以上の内容を充分に踏まえた上で読んで下さるように お願い致します。