2013/ 4/10 | 『時節概論』の第三章の第三節の第二項を掲載 |
2015/ 4/11 | 『のの』を追記 |
2015/ 6/26 | 『時節概論』の第三章の第三節の第二項を分離 |
2015/ 7/ 5 | 題名を『天地の祖神』から『国常立尊』に変更 |
2015/ 7/ 5 | 章/節/項を廃止 |
2015/ 7/ 5 | PDF最終稿を掲載 |
2015/ 7/ 5 | 本文をPDF最終稿と同内容のものに差し替え |
艮金神とは国常立尊でござるぞ
地の元の天地の元の元の元のぞ
始めの始め 終りの終りぞ
弥栄の弥栄ぞ
礎ぞ
『扶桑の巻』 第八帖
国常立尊 | 2013/ 4/10 | |
典拠 | 2013/ 4/10 | |
音訓 | 2013/ 4/10 | |
大本神話 | 2013/ 4/10 | |
のの | 2015/ 4/11 | |
親神 | 2013/ 4/10 | |
土 | 2013/ 4/10 | |
天之日津久神 | 2013/ 4/10 | |
別天神 / 数霊 | 2013/ 4/10 | |
竜体 | 2013/ 4/10 | |
日本列島 | 2013/ 4/10 | |
六合 | 2013/ 4/10 | |
皇位 | 2013/ 4/10 | |
祟り神 | 2013/ 4/10 | |
北 | 2013/ 4/10 | |
艮の金神 | 2013/ 4/10 | |
金神 | 2013/ 4/10 | |
方位学 | 2013/ 4/10 | |
節分 | 2013/ 4/10 | |
豆撒き | 2013/ 4/10 | |
梅 | 2013/ 4/10 | |
三千年 | 2013/ 4/10 | |
閻魔 | 2013/ 4/10 | |
素盞鳴神 | 2013/ 4/10 |
2013/ 4/10 | 『時節概論』の第三章の第三節の第二項を掲載 |
2015/ 4/11 | 『のの』を追記 |
2015/ 6/26 | 『時節概論』の第三章の第三節の第二項を分離 |
2015/ 7/ 5 | 題名を『天地の祖神』から『国常立尊』に変更 |
2015/ 7/ 5 | 章/節/項を廃止 |
2015/ 7/ 5 | PDF最終稿を掲載 |
2015/ 7/ 5 | 本文をPDF最終稿と同内容のものに差し替え |
大本系統の神示は【国常立尊】を最重要の神として扱っており、日月神示では“天地の元の元の元の神”とすら呼ばれます。
「救ひの手は東よりさしのべられると知らしてあろが、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよく判りて下されよ。今の方向では東北から救ひの手がさしのべられるのぢゃ、ウシトラとは東北であるぞ、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地の元の、天地の元の元の元の神ぞ、始めの始め、終りの終りぞ、弥栄の弥栄ぞ、イシヅヱぞ」 『扶桑の巻』 第八帖 [857]
とにかく内容が多岐に渡る神霊なので、下記の項目に分けて国常立神を考察して行きます。典拠、音訓、大本神話、のの、親神、土、天之日津久神、別天神/数霊、竜体、日本列島、六合、皇位、祟り神、北、艮の金神、金神、方位学、節分、豆撒き、梅、三千年、閻魔、素盞鳴神。
なお、以後は大本神諭を引用する場合が多くなりますが、中には日月神示との相違もあるので、その際は両者を混同しないように注意して下さい。
国常立神の存在を示す最も古い【典拠】は、日本で最も古い文献たる“記紀”であり、古事記では六番目、日本書紀では一番目に世界に現れたと伝えられています。特に、日本書記では天地の開闢の件の本文と六つの異伝の全てに登場している唯一の存在であり、日本書紀の正史としての地位と共に永く重要視されていた神霊です。
例えば、鎌倉時代から勢力を伸長させ始めた“伊勢神道”では、伊勢神宮の外宮の祭神である豊受大神を天之御中主神や国常立神と同一神として最高神に位置付けていました。その関係で、外宮で最も高い場所に在る“多賀宮”には国常立神が祀られているという俗説が有ります。
しかし、国常立神は記紀に名称以外の記載が無いので、どのような用を司るのかは御神名の言霊的な意味から推測されるに留まっています。基本的には「地が永久に立ち続ける」という意味の“大地の存立”に関わる神霊と考えられますが、国の範囲を世界にまで拡大して“天地の祖神”とする説もあります。
国常立神の伝統的な【音訓】を説明するために、まずは表記の方から取り上げます。国常立神は古事記では「國之常立~」、日本書紀では「國常立尊」と記されています。神社の御神名は日本書紀に準拠していることが多いので、国之常立神よりは国常立尊の方が通りが良いです。
古事記の表記は「クニノトコタチノカミ」と訓みます。日本書紀の表記は「クニノトコタチノミコト」及び「クニトコタチノミコト」と訓む場合の両方があります。現在は古事記風の前者の訓み方が多くなっていますが、大本系統では後者の訓み方が主流です。
日月神示では創世神話の一箇所のみが「クニノトコタチ」と書かれており、他は全て「クニトコタチ」です。尊称はカミ、ミコト、オオカミの間で一定しません。呼び方の違いに何らかの原則があるのかは不明ですが、名称の先頭に“大”が付く場合については大本神諭に説明があります。
「天にありては大国常立尊と申すぞよ。地を守護いたす時は国常立命であるぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治四十三年 旧四月十五日
ただ、日月神示でも大本神示でも、この内容に基づいて名称が使い分けられているようには見えないので、参考にはならないかもしれません。
国常立神は大本教で出口直に神懸かって大本神諭を書かせた神霊と言われており、【大本神話】の中心的な地位を占めています。大本神示には記紀に見られない独自の神話が幾つも展開されていて、特に国常立神が“大地の修理固成”で活躍したことを強調しています。それ故、国常立神は大本系統で“地の御先祖様”や“国祖”と呼ばれます。そこで、こういった内容が判り易いものを大本神諭から抜粋してみます。
「艮の金神がこの世の泥海をかためしめ、もとの荒神さまもおん骨おりででけた世界なれど、ほかの身魂は、一から十までのことは、ごぞんじはないぞよ。二どめの世を立替えて、天下泰平に三千世界をおさめるのは、やはり元をこしらえた艮の金神でないと、万劫末代は続かんから、お三体の大神さまのご命令をいただいて、世の立替えをいたして世をおさめるぞよ」 『大本神諭/第二集』 明治三十四年 旧一月八日
「この世界は、もとは総体、泥海でありたのを固めしめたのは、もとは艮の金神であるぞよ。ながくかかりて、世界をこしらえたのは、大神さまと、もとの地を固めたのは、この世の金神、金神のかしらであるぞよ。天はお三体の大神さま、地は艮の金神であるぞよ。天にましますのが大神さま、地をかまうのが金神とさだまりて、大神さまからおんゆるしをいただきて、おもてで艮の金神がかまうあいだは、世界がおだやかで、大地をだいじにうやもうて、天と地とのご恩ということが分かりておりたので、よい作りがとれたぞよ」 『大本神諭/第三集』 明治三十六年 旧十月十八日
「元の国常立之尊が撞の大神様からの御命令を戴だきて、斯の地球の泥海を固め締めたのであるが、地球の元を艮め締て造り上げた生神が、蔭から何彼の守護をいたして居るのが、今の神様にも守護神にも判るまいがな」 『大本神諭/神霊界』 明治四十年 旧十月十六日
「世界中の御土を固めしめた地の先祖が大国常立尊で在るぞよ」 『大本神諭/神霊界』 大正元年 旧三月八日
「てんのごせんぞさまが、みろくさま、つきのおほかみさまであるぞよ。ちのせかいのせんぞがおほくにとこたちのみことであるぞよ。てんとちとのこのよをこしらへた、てんのみろくさまがこのよのはじまりのごせんぞさまであるぞよ。みろくさまのごめいれいをいただいて、ちのせんぞがせかいのどろうみをかためしめたのであるぞよ」 『大本神諭/神霊界』 大正五年 旧五月十七日
上記の内容は日月神示にも受け継がれています。
「この神は世界中 何処へでも届く鼻もってゐるのざぞ、この世つくりたこの神ざ、この世にわからんこと一つもないのざぞ」 『磐戸の巻』 第十一帖 [247]
「世界一平に泥の海であったのを、つくりかためたのは国常立尊であるぞ」 『キの巻』 第九帖 [266]
「月の大神様が水の御守護、日の大神様が火の御守護、お土つくり固めたのは、大国常立の大神様」 『風の巻』 第十二帖 [363]
「次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、地の世界は大国常立の大神様 御先祖様なり、天の御先祖様 此の世の始まりなり」 『梅の巻』 第十七帖 [444]
「この世をつくった太神の神示ぞ、一分一厘違わんことばかり、後になって気がついても、その時ではおそいおそい、この神は現在も尚、太古を生み、中世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのぞ、この道理 判りて下されよ」 『星座の巻』 第七帖 [890]
そして、大本系統の神話によれば、修理固成に一区切りが付いた初期の段階では、地の世界は国常立神による統治で見事に治まって居たそうです。しかし、国常立神は余りにも厳格だったので他の神々に嫌われて追放されました。この辺りの経緯は大本神諭で「我で失敗した」や「力が有り過ぎた」と書かれています。
「艮の金神も善の道一方ではあれども、たとえ善にもせよ、我を出してがんばりて押し込められたのを、発根から悪かりたと改心いたしたので、天の祖神さまも お歓びあそばして、むかしからの一切のことをおゆるしになりて、そのうえに三千世界の守護を任命られるようになりたのであるぞよ。人民もおなじこと、がんばると善のことでも、かえって成就いたさんから、艮の金神をよいかがみにいたして、一人坊師にならんように心得んと、なにほど力のある人民でも、相手にいたしてくれるものがなかりたら、なに一つ成就いたさんぞよ」 『大本神諭/第一集』 明治三十二年 旧九月十九日
「此 艮の金神は昔の神世には余り力が過ぎて我がひどすぎて、天地の云ひつけも聞かず、又 万の神様の云ひなさる事も聞かずして、艮へ押込まれて居りて、蔭から世界をかまうて居りたぞよ」 『大本神諭/大本年表』 明治三十三年十二月十日
「艮の金神もあまり我が強すぎたので、天からのおん指図で、悪神がもくろみて艮へ押し込みて、もうこの世へは出さぬつもりでありたなれど、心は善の神であるから、たたきつぶされてもこたえん この方の精神、変性男子がこんどあらわれたら、押し込みなされた神さまも改心ができよう。艮の金神 悪く言われて悪神になりて、国をつぶさんために化けておりたぞよ」 『大本神諭/第二集』 明治三十三年 旧十二月三日
「大国常立尊は余り力が強すぎたので、斯んな猛烈き神を斯世の大将に仕て貰ふたら、外の神は一柱も能う勤めむと、神々の心が一致して、天のミロクの大神様へ御願い在りたゆへ、夫れなれば一柱と多神とは代えられんと仰せありて、艮へ押込よとの御命令が下り、八百万の神に艮へ追退られて、艮能金神と名を付けられ、独神と成りて、日の本の大神が仏事の守護致して、茲までは来たなれど、何彼の時節が廻りて来て、仏事の世の終が末法の世と申して、未だ万年も続くので在りたのを、世を縮めて、艮の金神の世と致して、結構な神代に捻ぢ直すので在るぞよ」 『大本神諭/神霊界』 大正六年 旧九月三十日
日月神示にも同じ内容が書かれています。
「此の方は力あり過ぎて失敗った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本ぞ。世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念い様なれど我出すなよ」 『日の出の巻』 第二十帖 [233]
「天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ」 『雨の巻』 第二帖 [336]
「我はぢっと奥に鎮めて表面には気も出されんぞ、我の無い様な事では、我で失敗た此の方の御用 出来ないのざぞ」 『雨の巻』 第十四帖 [348]
「こんなになったのも この方等が我が強過ぎたからであるぞ。我出すなと申してあろう。この度の岩戸開きに使ふ身魂は、我の強い者ばかりが、めぐりだけのこと償って、償ふことぞ。天地かもう神でも我出せんことであるぞ。神々様も懺悔して御座るぞ。まして人民」 『黄金の巻』 第二十五帖 [536]
余り良い譬えではないかもしれませんが、かつての国常立神には“抑圧的な上司”や“目の上のたんこぶ”のような側面があったのでしょう。それで、もっと自由にやりたいと望んだ下々の神々が国常立神を追放して国祖としての功績が隠され、後に“艮の金神”という悪神として認識されたとのことです。
ただし、かつての国常立神に行き過ぎた側面はあったにせよ、邪心に基づいて行動していたわけではなく、基本的には“冤罪”です。そして、この神霊に着せられた汚名を晴らすことは、立替え立直しや岩戸開きの遂行に繋がるので、大本系統では国常立神を世に出すための活動が重視されます。
日月神示にも国常立神が世に出る必要性や、立替え立直しで活躍することが書かれています。
「今度の戦はととの大戦ぞ。神様にも分らん仕組が世の元の神がなされてゐるのざから、下の神々様にも分らんぞ。何が何だか誰も分らんやうになりて、どちらも丸潰れと云ふ所になりた折、大神のみことによりて この方らが神徳出して、九分九厘という所で、神の力が何んなにえらいものかと云ふこと知らして、悪のかみも改心せなならんやうに仕組みてあるから、神の国は神の力で世界の親国になるのぞ」 『下つ巻』 第九帖 [51]
「国土のまことの神を無いものにしてゐるから世が治まらんのざぞ」 『日の出の巻』 第十三帖 [226]
「この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、この世治まらんのざぞ」 『磐戸の巻』 第十三帖 [249]
「カミの大事の肝腎の所が違ふた事になりてゐるから、其の肝腎要の所 元に戻さな何程人間が、いくら学や智でやりてもドウにもならんぞ、元の先祖の神でないと、此処と云ふ所 出来んぞ、神の国の元の因のキのミタマを入れて練り直さな出来んのざぞ、肝腎がひっくり返りてゐるぞ」 『キの巻』 第四帖 [261]
「天の御三体の大神様と ちのおつちの先祖様でないと今度の根本のお建替出来んのざぞ」 『雨の巻』 第四帖 [338]
「天の神も地の神もなきものにいたして、好き勝手な世に致して、偽者の天の神、地の神つくりてわれがよけらよいと申して、我よしの世にしてしまふてゐた事 少しは判って来たであらうがな。愈々のまことの先祖の、世の元からの生神、生き通しの神々様、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神ぞ、スクリと現れなさりて、生き通しの荒神様 引連れて御活動に移ったのであるから、もう ちともまたれん事になったぞ」 『風の巻』 第七帖 [358]
「今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユツタ神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ」 『光の巻』 第六帖 [402]
「世に出てゐる守護神のする事 知れてゐるぞ。元の生神様 御一方 御力出しなされたら手も足も出んことになるのぢゃ、神力と学力とのいよいよの力くらべぢゃ、元の生神様の御息吹き どんなにお力あるものか、今度は目にもの見せねばならんことになったぞ」 『梅の巻』 第十二帖 [439]
「愈々天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ、王の王の神で末代治める基つくるぞ」 『梅の巻』 第二十二帖 [449]
「日の神ばかりでは世は持ちては行かれんなり、月の神ばかりでもならず、そこで月の神、日の神が御一体となりなされて「ミロク」様となりなされるなり、日月の神と現はれなさるなり。「みろく」様が日月の大神様なり、日月の大神様が「みろく」の大神様なり、千の御先祖様 九二の御先祖様と御一体となりなされて大日月の大神様と現はれなさるなり」 『青葉の巻』 第十七帖 [486]
「心の洗濯 早ういたして太日月地太神様に、殊に育ての、生みの親さま国常立の大神様におわびいたさねば自分でいくら頑張つてもやりそこないぢや、われがと思ふてゐるなれど 皆 此方がかげからさしてゐるのに気つかんのか」 『春の巻』 第五十八帖 [715]
「竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の神殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり」 『紫金の巻』 第十二帖 [991]
以上の内容は日月神示のみならず、大本教から派生した集団には大なり小なり受け継がれています。
立替えの総指揮を執ることからも判るように、国常立神は大本系統で最高神に近い扱いであり、その姿は日月神示で【のの】と表現されます。
「大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、ののの光りクッキリ現はさなならんと仰せあるぞ」 『磐戸の巻』 第十三帖 [249]
「元の元の元の神は何も彼も終ってゐるのであるぞ。終なく始なく弥栄えてゐるのぞ」 『黄金の巻』 第一帖 [512]
「がよろこびであるぞ。もよろこびであるぞ。よろこびにも三つあるぞ。は表、は裏、表裏合せてぞ。は神であるぞ。神であるなれど現れの神であり、現れのよろこびであるぞ。のもとがであるぞ。キであるぞ。元の元の太元の神であるぞ」 『春の巻』 第四帖 [661]
「あめのみなかぬしのかみのそのまへに、あめゆづる日あめのさぎりのみこと。くにゆづる月、地のさぎりのみことあるぞ。ののであるぞ。その前にあることわするるなよ」 『月光の巻』 第四帖 [791]
「ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地の元の、天地の元の元の元の神ぞ、始めの始め、終りの終りぞ、弥栄の弥栄ぞ、イシヅヱぞ」 『扶桑の巻』 第八帖 [857]
「判らんことがいよいよ判らんことになったであろうが、元の元の元の神の申すことよく聞きわけなされよ、神の学でなければ今度の岩戸はひらけんぞ」 『星座の巻』 第四帖 [887]
「根本の元の元の元の神は〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ」 『至恩の巻』 第七帖 [954]
「八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ」 『至恩の巻』 第十四帖 [961]
また、国常立神は元の元の元の神であるが故に“始まり”と“終わり”の両方を司るらしく、同様の見解は大本神諭にも見られます。
「艮の金神 世の元で、世の終で、今度が金輪際で世を立替て、神代の元に成るのじゃぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十三年閏八月四日
同様に、始まりと終わりを司るとは「全てを司る」という意味でもあります。
「大日月地大神としての この神は一柱であるが、働きはいくらでもあるぞ、その働きがもろの神様ぢや、無限であるぞ、この神一柱であるが無限柱ぞ。総てが神であるぞ、一神ぢや、多神ぢや、汎神ぢや、総てが神ぢや、喜びぢやぞ。始めから全体を掴もうとしても、それは無理と申すもの、この神の手でもよい足でもよい、何処でもよいから、掴める所からつかんで、ついて御座れよ。だん判つてくるぞ、全体つかむには、この神と同じにならねばならん、その人民々々のつかめるところから掴んで参れよ、この神 抱き参らせてやるぞ」 『春の巻』 第二十一帖 [678]
「宇宙の総ては この神の現れであり、一面であるから、その何処つかんで拝んでもよいのである。その何処つかんで、すがってもよいのであるぞ。水の流れも宗教ぞと申してあらう。総てに神の息、通ふているぞ」 『春の巻』 第二十二帖 [679]
こういった点が直接的に関係しているのか どうかは判りませんが、『霊界物語』や出口王仁三郎の言説には、国常立神を“天之御中主神”や“天照皇大神”と一体視するものが見られます。
「最上天界すなはち高天原には、宇宙の造物主なる大国常立大神が、天地万有一切の総統権を具足して神臨したまふのであります。そして、大国常立大神の一の御名を、天之御中主大神と称へ奉り、無限絶対の神格を持し、霊力体の大原霊と現はれたまふのであります。この大神の御神徳の、完全に発揮されたのを天照皇大御神と称へ奉るのであります」 『霊界物語』 第四十七巻 総説
大本系統での三神は「全体や中心を司る」とされる場合が多いので、「祖に近い性質を持つ」という意味では似通った存在なのかもしれません。
大本系統の神示では国常立神を【親神】として説く場合が多く、明確に“万物の生み主”に位置付けています。日月神示では次の通りです。
「心の洗濯 早ういたして太日月地太神様に、殊に育ての、生みの親さま国常立の大神様におわびいたさねば、自分でいくら頑張っても やりそこないぢゃ。われがわれがと思ふてゐるなれど、皆このほうがかげからさしてゐるのに気づかんのか。おわびせよ。と申せば、そんな悪いことした覚えないと申すが、何処迄くもったのぢゃ」 『春の巻』 第五十八帖 [715]
「三千世界の宝はみなウシトラのコンジンさまのつくられたものぢや、生んだもんぢや、生んだ者が自由に致すのぢや。宝ほしければ、そのウシトラの親の云ふこと聞いて、早う改心 結構なり」 『秋の巻』 第九帖 [750]
この他に少しだけ注意を要する記述が日月神示にあります。
「世界一平に泥の海であったのを、つくりかためたのは国常立尊であるぞ、親様を泥の海にお住まひ申さすはもったいないぞ、それで天におのぼりなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、この神々様、御手伝ひで この世のかため致したのであるぞ、元からの竜体持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ、世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、何も知らずに上に登りて、神を見おろしてゐる様で、何で この世が治まるものぞ。天と地の御恩といふことが神の国の守護神に判りて居らんから難儀なことが、愈々どうにもならん事になるのぞ」 『キの巻』 第九帖 [266]
上の記述では「親様」が地の御先祖である国常立神を指すように見えますが、大本神諭と比較すると、どうやら“天の御先祖様”の方らしいです。
「大神さまは、もとは泥海のなかのお住まいでありたのざ。世界いったいらに泥海でありたのを、地をかためたのは艮の金神。親神さまを泥海のなかのお住まいでは、お気のどくであるから、天へおあがりあそばしなさる実地をこしらえたのは、艮の金神であるぞよ。岩の神どの、荒れの神どの、雨の神どの、風の神どの、地震の神どの、この神さまのお手伝いで、世界泥海のおりのあら神でなくば、世界かためるというようなことは、ひととおりの身魂では、でけはいたさんぞよ。お三体の大神は、天へあがりますなり、地をかためてこしらえた世界、われに苦労をいたさんと、なにもわかりはいたさんゆえ、この方こういう世のもちかたでないと、世はもてんと申してがんばりたら、そのやりかたでは、ようつとめんともくろみて、大勢と一人とは代えられんと、大神さまのご命令で、この方を、艮へ押込めなされたのでありたが、この方が申した世がまいりたぞよ」 『大本神諭/第三集』 明治三十六年 旧九月二十五日
ここでは天の御先祖が天に上がる下拵えをしたのが国常立神であることが語られています。御三体の大神が天の御先祖になる素地を整えた点から、国常立神には地の親だけではなく“天地の親”としての側面もあることが窺えます。
他にも、国常立神や艮の金神の名を使わずに同じことを語った記述も見られます。
「人民は お土でこねて、神の息入れてつくったものであるから、もう、どうにも人間の力では出来ん様になったら お地に呼びかけよ、お地にまつろへよ、お地は親であるから親の懐に帰りて来いよ、嬉し嬉しの元のキよみがへるぞ」 『光の巻』 第五帖 [401]
「何によらず不足ありたら、神の前に来て不足申して心からりと晴らされよ、どんな事でも聞くだけは聞いてやるぞ、不足あると曇り出るぞ、曇り出るとミタマ曇るから、ミタマ苦しくなりて天地曇るから遠慮いらん、この方に不足申せよ、この方 親であるから、不足一応は聞いてやるぞ」 『光の巻』 第八帖 [404]
「大地の神の声 誰も知るまいがな、だまって静かにまつりて清めて、育ててゐるのざぞ、何もかも大地にかへるのざぞ、親のふところに返るのざぞ」 『青葉の巻』 第九帖 [478]
こういった背景もあって、日月神示や大本神諭は親が子を諭すように語られており、“父性的な側面”が強く感じられる内容になっています。
大本系統で国常立神を親神とする見解は【土】に対する認識が背景になっています。前出の引用の中でも「人間は土からつくった」と書かれていましたが、同じ内容の記述は他にもあります。
「御土は神の肉体ぞ。臣民の肉体も お土から出来てゐるのぞ、この事 分りたら、お土の尊いことよく分るであろがな」 『富士の巻』 第十二帖 [92]
「土から草木 生れるぞ、草木から動物、虫けら生れるぞ」 『天つ巻』 第二十八帖 [135]
「お土 拝めよ。お土から何もかも生れるのぞ」 『日月の巻』 第十二帖 [185]
「人間は土でつくって、神の気 入れてつくったのざと申してあらうがな。天地の御恩 忘れるでないぞ、神の子ぞ」 『白銀の巻』 第二帖 [613]
「人民は土でつくったと申せば、総てを土でこねてつくり上げたものと思ふから、神と人民とに分れて他人行儀になるのぞ。神のよろこびで土をつくり、それを肉体のカタとし、神の歓喜を魂としてそれにうつして、神の中に人民をイキさしてゐるのであるぞ。取り違ひせんように致しくれよ。親と子と申してあろう。木の股や土から生れたのではマコトの親子ではないぞ」 『秋の巻』 第二帖 [743]
ここでは人間を始めとする色々な生物が土から生まれたことが伝えられています。この点に関しては非常に独特な“土の饅頭”という表現が見られます。
「火と水と組み組みて地が出来たのであるぞ、地の饅頭の上に初めに生えたのがマツであったぞ」 『松の巻』 第十六帖 [307]
「土のまんぢうと申してあろう、土が食べられると申してあろう、土から人民を生んだと申してあろう、ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、土に生きよと申してあろう、土は血であるぞ」 『星座の巻』 第十七帖 [900]
恐らく、土の饅頭とは“生命の苗床”的な意味だと思われ、世界中の神話に類型が見られる“大地母神”の姿を想起させます。なお、苗床は単に床とも言いますが、案外と国常立神には国床立神としての意味があるのかもしれず、日本書紀にも国底立尊の別名が伝わっています。また、苗床が種苗に栄養を与えて育てることに掛ける形で、食べ物である饅頭の表現が使われた可能性があります。
それと、上の帖の中で全身に栄養を運ぶ“血”が土に見立てられているのも、似たような意味だと考えられます。そのためなのか、土は火や日よりも“水”や“月”に近いことが述べられています。
「左は火ぞ、右は水ざぞ、の神との神ぞ、日の神と月の神ざぞ、日の神許り拝んで月の神忘れてはならんぞ、人に直接恵み下さるのはの神、月神ぞ、ぢゃと申して日の神 疎かにするでないぞ、水は身を護る神さぞ、火は魂護る神ざぞ、火と水とで組み組みて人ぞ、身は水で出来てゐるぞ、火の魂 入れてあるのざぞ、国土も同様ぞ」 『日の出の巻』 第二十二帖 [235]
「臣民 生れおちたらウブの御水を火で暖めてウブ湯をあびせてもらふであろが、其の御水は お土から頂くのざぞ、たき火ともしは皆 日の大神様から頂くのざぞ、御水と御火と御土で この世の生きあるもの生きてゐるのざぞ、そんなこと位 誰でも知ってゐると申すであろが、其の御恩と云ふ事 知るまいがな」 『キの巻』 第九帖 [266]
火は直接的には食べられませんが、水はそのまま食べられます。これに関係しているのか どうかは判りませんが、日月神示には「土が食べられる」と書いてあり、食べ物としての“神の土”や“神の米”についての記述があります。
「大庭の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ」 『上つ巻』 第五帖 [5]
「神の土 出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ」 『下つ巻』 第十八帖 [60]
「神の土 出ると申してありたが、土は五色の土ぞ、それぞれに国々、ところどころから出るのぞ。白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ、薬のお土もあれば喰べられる お土もあるぞ、神に供へてから頂くのぞ、何事も神からぞ」 『下つ巻』 第二十九帖 [71]
「神土は白は、「し」のつく、黄は「き」のつく、青赤は「あ」のつく、黒は「く」のつく山々里々から出て来るぞ、よく探して見よ、三尺下の土なればよいぞ、いくらでも要るだけは出てくるぞ」 『富士の巻』 第十一帖 [91]
「神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。何でも肉体となるのざぞ。なるようにせんからならんのざぞ」 『夜明けの巻』 第二帖 [322]
「御神土 皆に分けとらせよ」 『光の巻』 第二帖 [398]
これらは特定の場所に出現する米の形をした土のことです。通常は“御土米”と呼ばれ、大本教でも研究の対象になっていました。
余談になりますが、岡本天明氏は昭和十九年に鳩森八幡で神主をしていた時に、第一巻『上つ巻』第五帖の記述に従って敷地内の富士塚を探してみると、御土米が出ていたそうです。
他には、霊的な滋養として「足から大地の気を頂く」という主旨の記述があります。
「臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足 地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみな お土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足から お土の息がはいるのざぞ、臍の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒 切り、社に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒 切れぬうちは、いつも お土の上を踏まして頂けよ、それほど大切な お土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足で お土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざから あり難い仕組ざから喜んで お土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ」 『天つ巻』 第二十九帖 [136]
「滝に打たれ断食する様な行は幽界の行ぞ。神の国のお土踏み、神国の光いきして、神国から生れる食物頂きて、神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬのざぞ」 『日月の巻』 第三帖 [176]
「昼は大地に祈れよ、黙祷せよ。時に依り所によりて、暫し黙祷せよ、お土の息 頂けよ、出来れば、はだしになって お土の上に立ちて目をつむりて足にて呼吸せよ、一回、二回、三回せよ」 『空の巻』 第十三帖 [468]
「大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ」 『扶桑の巻』 第十五帖 [864]
上の内容は、日本列島が国常立神の御神体であることを背景としているようです。裸足で大地に立つのは「国常立神と直に触れ合う」といった意味があるのかもしれません。また、足を臍の緒に見立てているのは、大地の“母体”としての性質を暗示しています。
ここまでの内容から見えるように、国常立神の肉体とされる土は色々なものを繋げながら生み育てていますが、逆に「全ては土に還る」という記述もあります。
「いづくも土にかへると申してあろうが、東京も元の土に一ときはかえるから、その積りでゐてくれよ。神の申したこと違はんぞ。東京は元の土に一時はかへるぞ、その積りで用意してくれよ」 『上つ巻』 第十一帖 [11]
「神は千に返るぞ、九二つちつくること何んなに難儀な事か人民には判るまいなれど、今度さらつの世にするには人民も その型の型の型位の難儀せなならんのざぞ。それでよう堪れん臣民 沢山にあるのざぞ、元の神の思ひの何万分の一かの思ひせんならんのざぞ」 『雨の巻』 第七帖 [341]
「つ千に返ると申してあろがな、早う気付いた臣民人民 楽になるぞ」 『雨の巻』 第十六帖 [350]
「岩戸開けたり野も山も、草のかき葉もことやめて、大御光により集ふ、楽しき御代とあけにけり、都も鄙もおしなべて、枯れし草木に花咲きぬ、今日まで咲きし草や木は、一時にどっと枯れはてて、つちにかへるよすがしさよ、ただ御光の輝きて、生きの生命の尊さよ、やがては人のくにつちに、うつらん時の楽しさよ」 『風の巻』 第四帖 [355]
「大地の神の声 誰も知るまいがな、だまって静かにまつりて清めて、育ててゐるのざぞ、何もかも大地にかへるのざぞ、親のふところに返るのざぞ」 『青葉の巻』 第九帖 [478]
それ故、日月神示は殊更に土を尊んでおり、「土にまつろえ」という主旨の記述は他にもたくさんあることを付記して置きます。
日月神示は大本神諭の直系の続編と言われるだけあって、大本神話の内容を色濃く受け継いでいます。そのため、神示で使われる「此の方」という一人称は、基本的に国常立神のことを意味します。ただし、各帖の署名は基本的に【天之日津久神】であり、単に“日月神”と記される場合もあります。また、神名の本来の意味を“天之日嗣神”とする説も根強いです。
この神霊は国常立神が大地の修理固成を行ったことを背景にして、自らを“此の世を創った神”と語っています。同様の記述は幾つもありますが、ここでは“ひつきの神”の言葉が入ったものだけを引用します。
「改心してキレイに掃除出来たら、千里先にゐても、ひつきの神とたのめば何んなことでもさしてやるぞ、この神は世界中 何処へでも届く鼻もってゐるのざぞ、この世つくりた この神ざ、この世にわからんこと一つもないのざぞ」 『磐戸の巻』 第十一帖 [247]
天之日津久神や日月神の名は一般的には馴染みがないので出自を疑われることもありますが、実体は記紀に登場する日本古来の神々です。そして、天之日津久神という御神名は“根元的な神々の総称”です。
「天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民の お役所のやうなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ」 『天つ巻』 第二十六帖 [133]
譬えるなら、日月神示は個々の記者による記事をまとめた雑誌であり、国常立神は主筆と編集長を兼任しています。そして、編集長である国常立神の意向は雑誌の隅々にまで反映されているので、日月神示は基本的に国常立神の言葉になります。それ故、天之日津久神という“複数の神霊が共用する筆名”で書かれたものは、実質的に“国常立神の直言”として認識されるのです。
この点について少しだけ補足すると、大本神諭も国常立神だけが書いたわけではなく、竜宮の乙姫による筆先も有るのですが、その意味が判り易いのは次の記述でしょうか。
「このなおは、艮の金神の取次であれども、よろずの神さまが、おうつりがあるぞよ」 『大本神諭/第一集』 明治二十九年 旧十一月二十五日
複数の神霊が一柱の存在として振る舞うのは天啓の共通点なのかもしれません。そういった内実を明かす記述は日月神示にも見られます。
「大日月地大神としての この神は一柱であるが、働きはいくらでもあるぞ、その働きの名がもろもろの神様ぢゃ、無限であるぞ、この神一柱であるが無限柱ぞ」 『春の巻』 第二十一帖 [678]
「何神様とハッキリ目標つけて拝めよ。只ぼんやり神様と云っただけではならん。大神は一柱であるが、あらわれの神は無限であるぞ。根本の、太日月地大神さまと念じ、その時その所に応じて、特に何々の神様とお願ひ申せよ」 『夏の巻』 第四帖 [721]
余談ですが「神霊からの啓示は高度になるほど一人称が複数形になる」という説があります。これは神霊の位階が高まると“自他一体の境地”も強まるからだそうです。そして、非常に高度な三千世界論が展開された日月神示の『地震の巻』が「われわれの一切は生まれつつある」から始まることは、天之日津久神様の境地を推し量る一つの材料になり得るかもしれません。
古事記では五柱の【別天神】に次いで六番目に化生した国常立神ですが、日本書紀では一番目に化生しました。この二つの伝承の齟齬については日月神示の中に一つの示唆を与える記述があり、【数霊】との関連も暗示されています。
「一はいくら集めても一であるぞ、判らんものいくら集めても判らん道理、二は二、三は三であるぞ、一を二つ集めても二にはならんぞ、人民 大変な取違いを致して居るぞと申してあろうがな、〇がもとぢゃ、一がもとぢゃ、結びぢゃ、弥栄ぢゃ、よく心得なされよ。世の元、〇の始めから一と現われるまでは〇を十回も百回も千回も万回も、くりかへしたのであるぞ、その時は、それはそれはでありたぞ、火と水のドロドロであったぞ、その中に五色五頭の竜神が御ハタラキなされて、つくり固めなされたのぢゃ、今の人民は竜神と申せば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、マコトのことを知らせねばならん時ざから、ことわけて申してゐるのぞ。竜神とは神であるぞ、五色の竜神とは国常立尊の御現われの一であるぞ」 『扶桑の巻』 第二帖 [851]
ここでは別天神が“国常立神の現れの一つ”に位置付けられています。また「〇が元で結び」とも書かれており、これに関連すると思われるのが次の記述です。
「アメのひつ九のか三とはアメの一二の神で御座るぞ、アメのの神で御座るぞ、元神で御座るぞ、ムの神ぞ、ウの神ぞ」 『雨の巻』 第七帖 [341]
詳細は省きますが、日月神示では「五柱の別天神は十柱の対偶神として現れる」と書かれています。この場合、五を十に転じさせる二つの用は国常立神と豊雲野神が司ることになります。
また、日月神示は“天之御中主神の前なる存在”であり、数霊の〇に相当する“あめつち御中ムしの神”と“あめつち御中ウしの神”について語っていますが、別天神と対偶神が対応的な関係にあるなら、両者を繋ぐ国常立神と豊雲野神もムの神とウの神に対応している可能性が高いです。それが「〇が元で結び」の背景の一つなのでしょう。
こういった日月神示の数霊論から考えると、国常立神に関する記紀の齟齬は“視点の違い”程度のものであり、必ずしも矛盾するようなものではないと思われます。
ちなみに、岡本天明氏は「〇の中に五がある」と語っていますが、これを五柱の別天神と国常立神の関係に当て嵌めると、六は“実質的な一”なのかもしれません。
他にも、古事記と日本書紀での“国常立神の数”である六と一には、数理的な意味が内包される可能性があります。それと言うのも、六は一番目の“完全数”なのです。完全数とは「約数の和が元の数と等しい」という性質を備えた数のことです。六の約数は六自身を除けば一と二と三の三つであり、「6=1+2+3」になります。こういった特質が、国常立神が元の元の元の神であることや“一二三”に通じていることが考えられます。
これ以外にも、日月神示には“国常立神と数霊”について触れた記述があります。
「百は九十九によって用き、五十は四十九によって、二十は十九によって用くのであるぞ、この場合、百も五十も二十も、天であり、始めであるぞ、用きは地の現れ方であるぞ、フトマニとは二十の珠であり、十九は常立であるぞ、根本の宮は二十年毎に新しく致さねばならん、十九年過ぎて二十年目であるぞ。地上的考へ方で二十年を一まわりと考へてゐるが、十九年で一廻りするのであるぞ、いろは(母)の姿見よ」 『碧玉の巻』 第十九帖 [883]
この内容は伊勢神宮の式年遷宮が二十年毎に行われることを前提にしたものです。そして、二十は活用する際に十九として認識されるらしく、それを十九立、つまり国常立神に見立てています。一応、十九である国常立神は二十と一体的な関係にあると見ても良いのでしょう。
なお、上の引用の詳細な内容は、岡本天明氏が『古事記数霊解序説』の第九章で解説しています。
前出の日月神示からの引用では、別天神や国常立神は【竜体】を備えた竜神として描かれており、“神”という描写も見られます。竜は架空の生物で多くの動物の身体的な特徴を併せ持つとされ、胴体は“蛇体”と伝わっているのですが、大本神諭にも その伝承を追認する記述があります。
「昔の初まりの神様、皆 長物の御姿にたざど。此 艮の金神は 又 違ふぞよ。けれども何にでもなるぞよ」 『大本神諭/大本年表』 明治三十三年八月二日
「もとの正真の神は、ながもののおすがた。世界をこしらえてから、人民をこしらえたのであるぞよ」 『大本神諭/第三集』 明治三十六年 旧九月二十五日
日月神示にも同様の記述が見られます。
「世こしらへてから臣民の種うゑて、臣民作ったのであるぞ。世、こしらへた神々様は「ながもの」の御姿ぞ、今に生き通しぞ」 『マツリの巻』 第四帖 [408]
長物は「細く長い」という意味で“蛇体の隠語”として使われています。また、日月神示では長物の姿を“生き通し”と表現する場合があります。
「この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ」 『天つ巻』 第四帖 [111]
「昔から生き通しの活神様のすることぞ、泥の海にする位 朝飯前のことざが、それでは臣民が可哀そうなから天の大神様に この方が詑びして一日一日と延ばしてゐるのざぞ」 『天つ巻』 第十七帖 [124]
「世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時から この世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七の世が来るのざぞ」 『地つ巻』 第七帖 [144]
「十柱の神様 奥山に祀りてくれよ、九柱でよいぞ、何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方 合はして十柱となるのざぞ」 『日の出の巻』 第十五帖 [228]
「今度の経綸は世の元の生き通しの神でないと間に合はんのざぞ」 『日の出の巻』 第二十帖 [233]
「生味の生き通しの神が、生味を見せてやらねばならんことに、何れはなるのざが、生神の生味ははげしいから、今の内に綺麗に洗濯しておけと申すのざ」 『磐戸の巻』 第十四帖 [250]
「雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神様に祈りなされよ、世の元からの生き通しの生神様 拝がみなされよ」 『雨の巻』 第十帖 [344]
「愈々のまことの先祖の、世の元からの生神、生き通しの神々様、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神ぞ、スクリと現れなさりて、生き通しの荒神様 引連れて御活動に移ったのであるから、もうちともまたれん事になったぞ」 『風の巻』 第七帖 [358]
他にも、生き通しは「生神」及び「活神」や「元の肉体」などの言葉で言及されていますが、世の元からの神々は現在も竜体を保持しているそうです。
なお、日月神示が説くように人間が宇宙や神の雛型ならば、根元的な神々が蛇体であることには疑問が感じられるかもしれません。これに対する答えは特に見当たりませんが、『霊界物語』の第一巻の第二十章には竜神が後に人間の姿を備えたことが書かれています。また、それと似た内容は、以下に引用する日月神示の“竜神”の記述の中にも見られます。
「蛇が岳は昔から神が隠してをりた大切の山ざから、人の登らぬ様にして、竜神となりて護りてくれた神々様にもお礼申すぞ」 『下つ巻』 第一帖 [43]
「世界一平に泥の海であったのを、つくりかためたのは国常立尊であるぞ、親様を泥の海にお住まひ申さすはもったいないぞ、それで天におのぼりなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、この神々様、御手伝ひで この世のかため致したのであるぞ、元からの竜体 持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ」 『キの巻』 第九帖 [266]
「道は神にも曲げられん、竜神は悪神ぢゃと云ふ時来るぞ」 『梅の巻』 第二十二帖 [449]
「竜神と申してゐるが竜神にも二通りあるぞ。地からの竜神は進化して行くのであるぞ。進化をうそざと思ふは神様迷信ぞ。天からの竜神は退化して行くのであるぞ。この二つの竜神が結ばれて人間となるのであるぞ。人間は土でつくって、神の気 入れてつくったのざと申してあらうがな。天地の御恩 忘れるでないぞ、神の子ぞ」 『白銀の巻』 第二帖 [613]
「竜体をもつ霊は神界にも幽界にもあるぞ、竜体であるからと申して神界に属すると早がってんならん」 『竜音の巻』 第八帖 [916]
「この神示は、神と竜神と天人天使と人民たちに与へてあるのぢゃ」 『極めの巻』 第十八帖 [945]
そして、竜体を考える際に参考になるのは、日月神示が竜神を“神”と表現している点です。の記号の意味については次の記述が判り易いと思います。
「 『地震の巻』 第一帖 [378]
存在は千変万化する形に於て、絶えず弥栄する。それはであり、なるが故である。は大歓喜の本体であり、はその用である。 」
大本系統では霊と力と体の三元論を説いていますが、霊であると体であるをにするための“力の用”を表す記号がであるようです。そのため、回転運動や「掻き混ぜて一つにする」という動作を象徴化したの記号は、主に“活動”や“変化”や“進展”などの動きに関わる内容に使われます。
こういった背景から「形状的な意味での姿が無いことを架空の生物である竜に掛けて表現している」と言えるかもしれません。もっとも、単に蛇体がトグロを巻いた姿をで表現しただけかもしれず、この辺りのことについては断定するだけの材料がありません。
それと、大本神諭には“簾”を意味する“御簾”の記述が見られ、これもに関連している可能性が少しだけあります。
「此 大本は月の形の御簾の内、日に日に変る経綸が致してあるぞよ。大本の経綸は引掛戻しであるから、余りトントン拍子に行きよると、又た後へ戻すから、其 覚悟で居らんと辛うて堪れんから、茲を貫ぬく身魂でないと、三千年余りての経綸の御用には使はんぞよ」 『大本神諭/神霊界』大正五年 旧二月三日
同じ意味合いの記述が日月神示にも見受けられます。
「今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ。その時その所によりて、どんなにも変化るのが神の魂ぞ。馬鹿正直ならんと申してあろ」 『日月の巻』 第三十一帖 [204]
「時に応じて どうにでも変化られるのが まことの神の集団ざぞ」 『雨の巻』 第十三帖 [347]
簾を横から覗けば、巻き取った際はに見え、広げた際は、つまり長物に見えなくもありません。こういった形状的な側面や、状況に応じて色々な形態を取って対応できることや、多くの相貌を有することなどを、御簾、月、竜、変化に掛けてあると言えそうです。
また、竜体とは少し違いますが、“国常立神の相貌”に関する記述が『伊都能売神諭』にあります。
「大国常立之尊の元の誠の姿は頭に八本角の生えた鬼神の姿で、皆の神々が余り恐ろしいと申して寄り附かぬやうに致した位いの姿で在るから、今の人民に元の真の姿を見せたら、震い上りて眼を廻すぞよ」 『伊都能売神諭』 大正八年二月十八日
これと似た内容の記述は日月神示にもあり、国常立神は“鬼の形相”と言うか、相当の“強面”であるらしいです。
「この神のまことの姿 見せてやる積りでありたが、人に見せると、びっくりして気を失ふもしれんから、石にほらせて見せておいたのに まだ気づかんから木の型をやったであろうがな、それが神の或る活動の時の姿であるぞ」 『下つ巻』 第三帖 [45]
以上が竜体から見えて来る国常立神の姿なのですが、もう一つだけ触れると、“体色”に関しても日月神示に書かれています。
「身体中、黄金に光ってゐるのが国常立大神の、ある活動の時の御姿ぞ、白金は豊雲野大神であるぞ」 『星座の巻』 第四帖 [887]
この記述は『霊界物語』の第一巻の第二十章と第二十一章の内容を踏襲しています。そこでは国常立神が“黄金の竜神”として描写され、その身体が“日本列島”になったそうです。実際、大本系統での主張は抜きにしても、北東と南西に長く伸びた日本列島を“竜体”と見る人は少なくありません。
他にも竜体に関わる内容として、日月神示には“蛇行”のことらしき記述があるのですが、これは“道”や“善悪観”の話になるので割愛します。
大本系統の神示では国常立神と【日本列島】の特別な関係についても詳細に説明しています。具体的には「日本列島は国常立神の肉体である」と述べられており、この説を肯定する記述は日月神示にもあります。
「日本の国は この方の肉体であるぞ。国土おろがめと申してあらうがな」 『地つ巻』 第三十五帖 [172]
「日本の国は此の方の肉体と申してあろがな、何んな宝もかくしてあるのざぞ、神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ」 『日の出の巻』 第八帖 [221]
「国常立大神の この世の肉体の影が日本列島であるぞ」 『星座の巻』 第四帖 [887]
「ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、土に生きよと申してあろう」 『星座の巻』 第十七帖 [900]
内容的に似た記述は他にも見られます。
「神の身体から息 出来ぬ様にしてゐるが、今に元のままにせなならんことになるぞ」 『上つ巻』 第二十一帖 [21]
「お土 踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足から お土の息がはいるのざぞ、 『天つ巻』 第二十九帖 [136]
それほど大切なお土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ」
これは近代文明がアスファルトやコンクリートで地表を覆って自然の循環が阻害されていることを、皮膚呼吸に譬える形で「大地が呼吸できない」と書いてあるのでしょう。地面を舗装するのは生活のために或る程度は止むを得ないと思いますが、特定の地域は限度を超えており、天之日津久神様が都会を良く言わない理由の一つになっています。
次に、日本の国土が国常立神の御神体であることを前提にした記述を引用してみます。
「御土は神の肉体ぞ」 『富士の巻』 第十二帖 [92]
「の国は神の国、神の肉体ぞ、汚してはならんとこぞ」 『天つ巻』 第一帖 [108]
「神の国は生きてゐるのざぞ、国土おろがめよ、神の肉体ぞ。神のたまぞ」 『日月の巻』 第二十七帖 [200]
「神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。何でも肉体となるのざぞ。なるようにせんからならんのざぞ。それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ」 『夜明けの巻』 第二帖 [322]
他には、日本列島と世界の大陸との対応関係を強調した記述があります。
「日本の国は世界の雛形であるぞ、雛形でないところは真の神の国でないから、よほど気つけて居りてくれよ、 『地つ巻』 第十七帖 [154]
今は日本の国となりて居りても、神の元の国でないところもあるのざから、雛型見てよく腹に入れておいて下されよ」「日本が変って世界となったのぢゃ」 『春の巻』 第十四帖 [671]
「新しきカタは この中からぞ。日本からぞ。日本よくならねば世界はよくならん」 『春の巻』 第四十二帖 [699]
「日本は日本、世界は世界、日本は世界のカタ国、おのづから相違あるぞ」 『極めの巻』 第一帖 [928]
これは日本列島が世界の大陸の“縮図”であることを伝えており、大本系統の“雛型の概念”や国常立神の“天地の祖神”としての側面に深く関わっています。
ただし、大本系統では日本が“霊的中枢”として特別視されてはいるものの、国常立神が外国を排斥しているわけではないことが、以下の記述から読み取れます。
「外国人も神の子ざから外国人も助けなならんと申してあらうがな」 『上つ巻』 第三十二帖 [32]
「この神は日本人のみの神でないぞ」 『下つ巻』 第十二帖 [54]
「世界中の臣民は皆この方の臣民であるから、殊に可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあっても神の子ざから、神疑はぬ様になされよ、 『富士の巻』 第二十五帖 [105]
この方 世界の神ぞと申してあろがな」「神の目には外国もやまともないのざぞ。みなが神の国ぞ」 『地つ巻』 第十五帖 [152]
「外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのが この方の願ひと申してあらうがな」 『地つ巻』 第三十五帖 [172]
「日本ばかりが可愛いのではないぞ、世界の臣民 皆わが子ぞ。わけへだてないのざぞ」 『日月の巻』 第二十七帖 [200]
「日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、神にはエコがないのぞ」 『磐戸の巻』 第十一帖 [247]
「の国 真中に神国になると申してあろがな、日本も外国も神の目からは無いのざと申してあろうが、神の国あるのみざぞ、判りたか」 『雨の巻』 第三帖 [337]
「一家揃って皆 改心して手引き合ってやれよ、外国人も日本人もないのざぞ、外国々々と隔て心 悪ぢゃぞ」 『雨の巻』 第十五帖 [349]
「メリカ、キリスも、オロシヤも、世界一つに丸めて一つの王で治めるのぢゃぞ、外国人も神の目からはないのざぞ」 『光の巻』 第七帖 [403]
「臣民ばかりでは出来ん、三千世界の大洗濯、誰一人 落したうもない神心、皆 揃ふておかげやりたや、喜ぶ顔 見たや、遠い近いの区別なし、皆々我が子ぢゃ、可愛い子ぢゃ、早う親の心 汲みとれよ」 『マツリの巻』 第四帖 [408]
「神の目からは世界の人民、皆わが子であるぞ。世界中 皆この神の肉体ぞ」 『極めの巻』 第七帖 [934]
国常立神の国には“世界”という意味も含まれるのですから、外国や外国人を排さないのは、或る意味で当然と言えます。
日本語では東西南北の四方に天地や上下の二方を加えて【六合】と呼ぶ場合があります。また“くに”は大地や郷里や国家の他に“世界全体”の意味を併せ持つので、古くから六合はクニとも訓みます。その上で、日月神示では六合と国常立神の関係が示唆されています。
「クニトコタチがクニヒロタチとなるぞ、クニは黄であるぞ、真中であるぞ、天は青であるぞ、黄と青と和合してみどり、赤と和して橙となり、青と赤と和して紫となる、天上天下地下となり六色となり六変となり六合となるのぢゃ、更に七となり八となり白黒を加へて十となる仕組」 『紫金の巻』 第十一帖 [990]
出口王仁三郎は大本神示で「クニヒロタチ」に「六合大立」の漢字を当てていますが、これはクニの世界全体としての意味や、「立替え立直しにおいて国常立神の権能が六合大にまで拡大する」といった意味が込められているのでしょう。
「大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、ののの光りクッキリ現はさなならんと仰せあるぞ」 『磐戸の巻』 第十三帖 [249]
「竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の神殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり」 『紫金の巻』 第十二帖 [991]
ここからは国常立神の名に非常に広範な意味があることが窺えます。国常立神は基本的に大地の神ですが、権能が大地だけに限定されているわけではないのです。
世界を意味する国常立神の名は、日本の皇統に関係している可能性があります。それと言うのも、日本語のクニには古くから【皇位】を指す意味があり、「クニ/トコ/タチ」は「皇位は/永久に/立ち続ける」と解釈することが可能だからです。このような見解は出口王仁三郎が『朝嵐』の中で述べています。
「国常立尊の意義は地の上を永遠無窮に知らす事なり」 『朝嵐』 735
「国といふは世界各国の名称なり日の本のみの国にはあらず」 『朝嵐』 736
「常立は万世一系天壤無窮の皇国天位の不動をいふなり」 『朝嵐』 737
「命とは天照大神の神勅にして地上の主たれと詔らせる神言」 『朝嵐』 738
「御皇威の八紘一宇の経綸の潜伏時代を退隠といふなり」 『朝嵐』 741
「歴代の我大君は三千年を隠忍されしを押込まれしといふ」 『朝嵐』 742
「我国の皇道世界の実現を弥勒成就と宣言せしかな」 『朝嵐』 756
「本来の日本固有の精神になるを昔に返へすと言ふなり」 『朝嵐』 758
「大地上の主師親三徳具有し給ふ神は日の御子に大坐しますなり」 『朝嵐』 760
また、神示が降りた当初から指摘されているように“天之日津久”という御神名は、古来から皇位皇統を意味する言葉である“天津日嗣”を連想させる名称です。それもあってか日月神示は天子様への言及が突出して多く、中には“皇位の永遠性”を明言した記述も見られます。
「天津日嗣の御位は幾千代かけて変らんぞ」 『梅の巻』 第二十一帖 [448]
大本神諭には更に明快な記述があります。
「今度は二度目の天の岩戸を開くと申せば、日本の天皇陛下でも、お変り遊ばす様に思うものもあらうが、ナカ、其んなことは、神は為さんぞよ。天津日継の御位は、幾千代までも、天照大神様の御血統故、ます栄えますやうに、艮の金神が、世界の事を知らして、日本人に日本の行為を致さして、神の国 建てる日の本のみかどの光を、三千世界へ告げ知らし、外国から攻めて来て、サア敵はんといふ所で、神が誠の者を集めて、日本の国を護り、大君の光を世界へ照らして、世界中一つに致して、日本の天皇様に服従はすやうに致すために、艮の金神が、三千年の昔から苦労致した初まりであるから、此の事が腹へ這入らんと、真実のお蔭は無いぞよ。 『大本神諭/神霊界』 明治三十四年 旧七月十五日
明治二十五年からの筆先を、能く腹へ入れてみよ。此の神は日本の大将に何事も知らして、蔭から護ると申してあらうがな。日之出の神の苦労と、出口の苦労を、基礎に致すと書いてあらうがな。日本魂を研き上げて、天子様へ一つの忠義を立てさして、末代 名を残す綾部の大本であるぞよ」
そして、日本は“天皇による統治”という国体が一度も変わったことがない“世界最古の国家”なのですが、「国土としての日本と国家としての日本を万世に渡って守護し続ける存在」たるが故に、紛れもなく、
国常立神は“日本の守護神”なのでしょう。
以上のような、天地の元神、大地の先祖、日本の守護者などの複合的な側面が、大本系統の神示が伝えたい“国常立神の真の姿”と言えます。
しかし、既に述べたように国常立神は下々の神々によって追放され、本来の姿は隠されました。そして、単に追放されるに留まらず【祟り神】の汚名を着せられ、眷属神と共に不当に貶められたとのことです。この内容は日月神示で次のように語られています。
「国土の神 大切申せとくどう知らしてあろがな、今迄の臣民人民、地の御先祖の神おろそかにしてゐるぞと申して知らしてあらう」 『雨の巻』 第七帖 [341]
「今迄は大地の先祖の大神様の血統を落して了ふて途中からの代りの神でありたから、まぜこぜしたから世が乱れに乱れて了ふたのぢゃぞ、知らしてあらうがな、よくなっとくしてくれよ、人民 皆その通りになってゐるのぢゃ」 『青葉の巻』 第十五帖 [484]
「今迄は天の神ばかり尊んで上ばかり見て居たから、今度は地は地の神の世と致すのぢゃ、天の神は地では お手伝ひざと申してあろが、下見て暮せ」 『青葉の巻』 第十九帖 [488]
「この方 悪神、祟神と人民に云はれてトコトン落されてゐた神であるぞ、云はれるには云はれるだけの事もあるのぢゃ、此の方さへ改心いたしたのであるぞ、改心のおかげで此の度の御用の立役者となったのぢゃぞ、 『海の巻』 第十帖 [502]
大事な御先祖様の血統を皆 世に落して了ふて無きものにして了ふて、途中からの代へ身魂を、渡りて来た身魂を、まぜこぜの世と致して、今の有様は何事ぞ」「悪 抱き参らす為には我が子にまで天のトガをおはせ、善の地の先祖まで押し込めねば一応 抱く事出来んのであるぞ、ここの秘密 知るものは天の御先祖様と地の御先祖様より他には無いのであるぞ」 『海の巻』 第十八帖 [510]
「落ちてゐた神々様、元へお帰りなさらねば、この世は治まらんのであるぞ」 『黄金の巻』 第九十四帖 [605]
「よくこの神をだましてくれたぞ、この神がだまされたればこそ、太神の目的なってくるのぢゃ。細工はりゅうりゅう仕上げ見て下されよ」 『月光の巻』 第七帖 [794]
「国常立神も素盞鳴命も大国主命も、すべて地にゆかりのある神々は皆、九と十の世界に居られて、時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は地の神が治らすのぞと知らしてあろうが、天運 正にめぐり来て、千引の岩戸はひらかれて、これら地にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ」 『至恩の巻』 第十帖 [957]
ただし、上にある「言われるだけの理由はあった」という内容を追認する形の記述もあります。
「この方この世のあく神とも現はれるぞ、 『磐戸の巻』 第四帖 [240]
」「この神はよき臣民にはよく見え、悪き臣民には悪く見へるのざぞ、鬼門の金神とも見へるのざぞ」 『磐戸の巻』 第十七帖 [253]
「この神は従ふ者にはおだやかざが、さからふ者には鬼となるのざぞ」 『キの巻』 第五帖 [262]
「此の方 悪神とも見えると申してあらうがな」 『岩の巻』 第七帖 [372]
大本神諭にも似た意味合いの記述が見られます。
「此神 此世に祟り神 悪神と世界の者に云はれた神であれども、悪神ではなかりた神であれども、余り悔しさにちつとは祟りたのでありたぞよ。金光殿のおかげによりて世に出して貰うた故に一旦は世の切替に致して三千世界を良く致すぞよ」 『大本神諭/大本年表』 明治三十年十月三十一日
ですが、国常立神に多少の行き過ぎはあったにせよ、極めて尊い正神であることは間違いありません。そのため、国常立神に着せられた濡れ衣を晴らすのが、大本系統の活動の極めて重要な題目になっています。
大本神話では国常立神が北東の方角に押し込められたとされており、一説では日本列島が地球の北東だそうです。しかし【北】に封じたとする記述もあり、国常立神が押し込められた位置は必ずしも地上的な方角とは言えない可能性があります。この点を論じるために、まずは大本神諭の該当箇所から引用します。
「今までは北をわるいと申したが、北がよくなるぞよ。きもんの金神を北へおしこみて、北をわるいと申したが、北がこの世の初まりであるぞよ」 『大本神諭/第一集』 明治三十一年 旧七月五日
「今迄は世の本の神を、北へ北へ押籠ておいて、北を悪いと世界の人民が申して居りたが、北は根の国、元の国であるから、北が一番に善くなるぞよ。力の有る世の本の真正の水火神は、今迄は北の極に落されて、神の光を隠して居りたから、此世は全部暗黒でありたから、世界の人民の思ふ事は、一つも成就いたさなんだので在るぞよ。是に気の付く神も、人民も、守護神も無りたぞよ。人民は北が光ると申して、不思議がりて、種々と学や智恵で考へて居りたが、誠の神々が一処に集りて、神力の光りを現はして居ると申す事を知らなんだぞよ。 『大本神諭/神霊界』 明治三十二年
今度は北から艮の金神が現はれて、世界を水晶の世にいたして、 昔の神代に立替る時節がきたぞよ。北が此世の始りであるぞよ。神の誠の光りは北に在るぞよ。北が結構に是からは成るぞよ」「今迄は北を悪るいと申したが、世の立替を致して、斯世は北が初りで在るから、北が一番良くなるぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十三年 閏八月四日
「太古の神を北へ押込めて置いて、北を悪いと申したが、北が此世の太初りじやぞよ。世を立替て、北を一番良く致すぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十三年 旧十二月十一日
「世界のもとは北がはじまり」 『大本神諭/第三集』 明治三十六年 旧十月十八日
ここでは国常立神が押し込められたのは、北東ではなく北だと語られています。次に、日月神示の“北”の記述を幾つか抜粋します。
「北おがめよ、北 光るぞ、北よくなるぞ」 『天つ巻』 第二十七帖 [134]
「北がよくなる、北が光るぞ、北が一番によくなると申してあること段々に判りて来るのざぞ」 『岩の巻』 第十帖 [375]
「北は この世の始めなり」 『黄金の巻』 第六十帖 [571]
同時に、日月神示では“北の霊的な意味”が明かされています。
「霊界人は、その向いている方向が北である。しかし、地上人の云う北ではなく、中心と云う意味である」 『地震の巻』 第六帖 [383]
「霊界では光のさす方が北ぢゃ、その他の東西南北は皆 南ぢゃ、北が元ぢゃ、北よくなるぞと申してあろうがな」 『五葉の巻』 第二帖 [965]
このことの意味を、日月神示は常に北を向く“磁石”に譬えて説明しています。
「神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。何でも肉体となるのざぞ。なるようにせんからならんのざぞ。それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真中の国であるからぞ、何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。神の昔の世は、そうなってゐたのざぞ。磁石も神の国に向く様になるぞ。北よくなるぞ。神の国おろがむ様になるのざぞ。どこからでもおろがめるのざぞ。おのづから頭さがるのざぞ」 『夜明けの巻』 第二帖 [322]
「統一と云ふことは赤とか白とか一色にすることではないぞ。赤もあれば黄もあり青もあるぞ。それぞれのものは皆それぞれであって一点のでくくる所に統一あるぞ。くくると申してしばるのでないぞ。磁石が北に向くよう、総て一点に向かうことであるぞ。これを公平と申し、平等と申すのぢゃ。悪平等は悪平等。一色であってはならんのう」 『秋の巻』 第十六帖 [757]
これらの内容から考えると、国常立神が押し込められた艮の方角は“中心”や“基点”などの意味を併せ持つようです。同時に北である中心は、世界の大陸の縮図であり霊的な中枢でもある“日本”を指す意味が濃厚と言えます。
以上のように、大本系統の神示における北東や北は“方角的な意味”と“霊的な意味”を持ち、どちらの意味かは文脈で判断する必要があります。
大本系統の神示には国常立神の別名として【艮の金神】の名が頻繁に登場します。これは国常立神が押し込められた方角が丑寅であったことに由来しています。艮は方位学では鬼が出入りする方角として“鬼門”と呼ばれており、鬼門の金神は「無礼があれば七人を殺す」と言われる“最凶最悪の祟り神”です。
そして、大本神諭には国常立神が艮の金神と呼ばれるようになった経緯が書かれています。
「このよがくるのはしりておるから、うしとらのこんじんがはばりたのでありたが、そのおりはこんなあくがみを、このよにだしてしゆごいたしたら、よろづのかみはしゆごはせんと、もくろみなされて、それではおほぜいとひとりとはかへられんとおほがみさまからのおんさしづでおしこまれて、うしとらきもんのこんじんはあくがみざ、おにがみざ、たたりがみざと、みなにゆはれて、うしとらにおしこめて、もうこのよにはださんつもりで、おゆわいにもちをつき、いろとたとえなされて、やれらくとみなのかみが、みのおんよろこびのおゆはいで、まんごまつだいつづかすつもりでありたなれど、あくのやりかたでは、まんごまつだいはつづかんのざぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十五年 旧十二月三十日
「艮の金神というのは、艮へ押し込められてからの名であるぞよ。もとは大神さまから直々にいただいた国常立尊が元の名であるぞよ」 『大本神諭/第四集』 明治三十八年 旧一月十四日
「もとの国常立尊は、世に落とされてから艮の金神と申して、鬼門の金神、悪神と世界の人民に言われたもとの生神であるのに、たれ一人知りた人民はなかりたぞよ」 『大本神諭/第四集』 明治三十九年 旧八月十九日
「国常立尊が艮へ押籠られて居りたから、丑寅の金神と名を変へられたので在るぞよ」 『大本神諭/神霊界』 大正四年 旧四月六日
艮の金神の名は日月神示にも度々登場しています。
「ウシトラコンジン様、何事も聞き下さるぞ、誠もってお願ひせよ、聞かん事は聞かんぞ、聞かれる事は聞いてやるぞ。神、仏、キリスト、ことごとく人民の世話もしてやるぞ」 『空の巻』 第九帖 [464]
「サニワの神は艮の金神様なり」 『黄金の巻』 第四十八帖 [559]
「ウシトラコンジン様と拝めよ。どんなことでも叶へてやるぞ。拝むには、拝む心、先づ生まねばならん。われよしでは拝めんコンジンさまざぞ」 『黄金の巻』 第九十六帖 [607]
「三千世界の宝はみなウシトラのコンジンさまのつくられたものぢや、生んだもんぢや、生んだ者が自由に致すのぢや。宝ほしければ、そのウシトラの親の云ふこと聞いて、早う改心結構なり」 『秋の巻』 第九帖 [750]
「ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ」 『扶桑の巻』 第八帖 [857]
「日本が秘の本の国、艮のかための国、出づる国、国常立大神がウシトラの扉をあけて出づる国と言うことが判りて来んと、今度の岩戸ひらきは判らんぞ、こんなことを申せば、今のエライ人々は、古くさい迷信ぢゃと鼻にもかけないなれど、国常立命がウシトラからお出ましになることが岩戸ひらきぞ、今の学では判らんことばかり」 『極めの巻』 第四帖 [931]
「光は中からぢゃ、岩戸は中からひらかれるのぢゃ、ウシトラがひらかれてウシトラコンジンがお出ましぞ、もうよこしまのものの住む一寸の土地もなくなったのぞ」 『紫金の巻』 第八帖 [987]
なお、祟り神とされていた艮の金神を、天地の親神であり悪神ではないと最初に主張したのは、大本神諭が霊的な源流の一つに挙げている岡山県の“金光教”です。出口直も一時期だけ金光教の傘下に入って活動していた経緯があります。
大本系統の神示では国常立神が艮の金神という別名で呼ばれますが、そこに使われている【金神】という言葉は多義的な意味を有しているので、少しだけ補足してみます。
金神の呼び名は支那から渡って来た陰陽道や五行思想から来ており、“金気の精を司る凶神”と言われます。また、艮の金神の眷属も広義の意味では金神と呼ばれるので、次に引用する日月神示の記述では区別のために、金神の頭を“大金神”と呼んでいます。
「いよがイヨとなるぞ、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、乙姫殿、大金神様」 『春の巻』 第五十四帖 [711]
このため、艮や坤が付かない金神が どの神霊を指すのかは、個々の文脈で判断する必要があります。その上で、別の箇所では金神が“大地の神々の総称”の意味を併せ持つ書き方になっています。
「八百八光の金神殿、愈々にかかりなされたぞ。出雲の大神様 此の世かまひなさる大神様なり、其の処得ないもの、人民ばかりでないぞ、三千世界の迷ふミタマに所得さして嬉し嬉しにまつりてやれよ」 『マツリの巻』 第五帖 [409]
「竜宮の乙姫様が神力 天晴れぞ、金神殿お手伝ひ。外国では日の出の神様」 『マツリの巻』 第十九帖 [423]
同じ記述は大本神諭にもあります。
「八百八光の金神どの、出雲の大社様は、日本をおかまいなさる金神、かねの神、龍宮能音霊女さまも御出で遊ばすぞよ。今迄 霊魂を落して在りたが、世の変り目に神の御役に立てるぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十六年 旧一月三日
数多の金神を意味する「八百八光の金神」が“出雲”と一緒に語られていることから、金神には非常に広い意味での“国神”の意味があるのかもしれません。その理由は、古来より知られるように出雲地方が国神の本拠地だからです。
他にも、金神は“金の神”を指す場合があります。
「土の金神様を金の神様と申せよ」 『空の巻』 第十一帖 [466]
「竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の神殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり」 『紫金の巻』 第十二帖 [991]
大本系統での金の神とは“金勝要神”であり、“縁”を司ります。
ちなみに、上の引用の中の「暗剣殿」という呼び方は方位学の“暗剣殺”を由来としており、大本神諭にも一箇所だけ言及があります。
「天の御先祖様は日の大神様なり、天照皇大神宮殿、地の世界の先祖が大国常立尊、龍宮の乙姫殿、日出の火水を御使い成されて、夫婦揃ふて、天地の大神の片腕に成りなされての、御活動であるぞよ。岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の大神殿、金神殿の行状の、何も揃ふて出来る御方、選り抜いて使ふぞよ。金神の中でも放縦不規なのは使はんぞよ」 『大本神諭/神霊界』 大正四年 旧八月二十八日
暗剣殺は鬼門と似通った意味で使われますが、具体的な方角は細かく変動します。暗剣殿と呼ばれる存在が如何なる神霊を指すのかは、神示に記載が無いので判りません。もしかすると持ち回りである可能性も考えられます。
ただ、日月神示の第十巻『水の巻』第十帖と五十黙示の補巻『紫金の巻』第十二帖の“十柱の神”が対応していると仮定するなら、暗剣殿とは“木之花咲耶姫神”を指す可能性があります。何故なら、大本神諭では国常立神と稚日女君神が一心同体の存在のように説かれているので、十柱の対応関係で残るのが暗剣殿と木之花咲耶姫神だけだからです。
古代の日本人は特定の方角や日時を悪いと感じることは無かったそうですが、【方位学】などの外国から渡って来た学問に侵される形で吉凶が決められて行きました。この点は大本神諭に言及があります。
「今までは北をわるいと申したが、北がよくなるぞよ。きもんの金神を北へおしこみて、北をわるいと申したが、北がこの世の初まりであるぞよ。お照らしのあるかぎり、世界にわるき所はないはずであれども、ぶつが栄えて、神力がうすくなりておりたから、あやまりておりたぞよ」 『大本神諭/第一集』 明治三十一年 旧七月五日
そして、最終的に「日本の守護神である国常立神が鎮座する艮の方角が大凶にされてしまった」というのが大本系統での主張です。
こういった外国思想に基づく“艮の金神の封じ込め”には幾つかの代表的な例があります。例えば、京都の御所の北東に延暦寺が建てられたのは、天皇や京や日本の国を艮の金神から守護するという方位学の思想に基づいていますし、現在の皇居である江戸城の北東に寛永寺が建てられたのも同じ理由からです。他にも、鬼門の方角を忌む風習は日本の各地に根付いています。
しかし、大本系統の神示で語られるように、艮の金神こと国常立神が日本や天皇の守護神であるなら、これまでの日本人は神の心とは全く逆の行為をして来たことになります。そのため、神示では“外国の学問”に対して極めて否定的な見解が繰り返されています。
大本系統の神示で語られる国常立神の押し込めの例には、方位的なものだけではなく、時期的なものも含まれます。それが【節分】です。日月神示では次の記述が判り易いです。
「悪の衣 着せられて節分に押し込められし神々様 御出でましぞ。此の節分からは愈々神の規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦は無いのざぞ」 『日の出の巻』 第十六帖 [229]
節分は二十四節気の四季の節目の前日のことですが、現在は“立春の前日”を指す場合が殆どです。この日は旧暦での一年の最後の日であり、大本系統での節分は主に“世の変わり目”の意味で使われます。これについては「国常立神が押し込められたから時代が変わった」と見ることもできます。
そのためなのか、国常立神が再び世に出るのも節分であるらしく、日月神示には節分からの礼拝の仕方や節分に奉る歌への言及が多いです。ちなみに、節分の歌として書かれたのは第二十四巻『黄金の巻』第四十四帖と第二十七巻『春の巻』第三帖ですが、前者は最初と最後の部分が昭和三十八年版と第二仮訳で削除されているので、節分の歌であることが判らなくなっています。
他にも、節分に関しては大本神諭に少しだけ詳しい記述があります。
「元の国常立尊を節分の夜に、御邪魔になると云ふて押込めなされたが、何彼の時節が参りて来て、押込められて居りた元の生神が世に上りて、世の立替を致さん事には、 『大本神諭/神霊界』 明治四十年 旧十月十六日
節分の夜に押込められた元の国常立之尊が、二度目の世の立替は、外の世に出て居れる方の神では出来ん大望な事であるから、 節分の夜に押込められた国常立之尊が、○○節分の夜に表に成るから、節分の夜は世界中が○くから、其 用意を致して居りて下されよ」
上の記述によると、正確には“節分の夜”に国常立神が押し込められ、同様に節分の夜に表に出るそうです。大本系統での節分は実質的に旧暦の元旦を指しており、出口直に大本神諭の伝達が始まったのが、明治二十五年の旧正月である“立春”であったことの霊的な背景になっています。
余談になりますが、大本教が立教した京都府の綾部の近郊には“元伊勢”の一つである皇大神社があり、出口直らによる明治三十四年の水の御用の舞台にもなりました。皇大神社の境内には「龍灯の杉」と呼ばれる「節分の深夜に龍が灯りを献ずる」という言い伝えを持つ御神木があるので、国常立神の節分の逸話には地域性のようなものも関係するのかもしれません。
大本系統では国常立神が節分に押し込められた経緯から、【豆撒き】の風習に独自の見解を持ちます。簡単に言うと「節分の豆撒きで追い払われる鬼は国常立神である」と説いています。これについては大本神諭に詳しい説明があります。
「外国の教に従うて悪の世になりて、神はこの世になきものざ、神は信じんでもよいものと神をかたずけて、この世がさっぱりのぼりてしもうて、一寸も先へはいけんようになりておるが、この世がくるのはわかりておるから、艮の金神ががんばりたのでありたぞよ。あまり我がつよいから、こんな神を世に出しておいたら、他の神々がどうもならんと目論みなされて、この方を艮へ押し込みなされたのであるぞよ。煎豆が生えたら出してあげると申して、三千年あまりておしこめられておりたなれど、この神を世に出すことはせんつもりで、たたきつぶして、はらわたは正月の雑煮にいたし、骨は二十日の骨正月に焼いて食われ、身体の筋は盆に素麺にたとえて、ゆでて食われたぞよ。そうしられてもこたえんこの方、化けて世界を守護いたしておりたぞよ。悪神、祟り神と世界の人民に言われて、悪にみせて善ばかりを守護いたしておりたのが、分かりてきて元のおん役、三千世界をかまう世がまいりたのざ。なんぼ悪に見えても、善の誠をつくしておりたことが分かるぞよ」 『大本神諭/第二集』 明治三十五年 旧九月二日
ここでは国常立神を艮へ押し込めた勢力が「煎り豆が生えたら出してやる」と言ったことが明かされています。これは実質的に「永久に出さない」という宣言です。
その背景を説明すると、節分では火で炙った“煎り豆”が撒かれますが、煎り豆は植物としての生命活動は終了しています。そのため、通常は有り得ない奇跡的な出来事が起きることや、衰えていたものが盛り返すことを一般的に「煎り豆にも花が咲く」と表現します。この諺が“国常立神の退隠と復権の物語”を象徴する言葉として神示で使われているのです。
同様の表現は日月神示にも見られます。
「何事も時待ちてくれよ、炒豆にも花咲くのざぞ」 『地つ巻』 第二十五帖 [162]
「三千世界一度に晴れるのざぞ。世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。三千年の昔に返すぞ。煎り豆 花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ」 『松の巻』 第一帖 [292]
「煎り豆 花咲く目出度い時となってゐるのに何して御座るのぞ」 『松の巻』 第二十八帖 [319]
「時まてばいり豆にも花さくのであるぞ。水が逆に流れるのであるぞ。上下でんぐり返るのであるぞ」 『月光の巻』 第五十八帖 [845]
以上の背景から、大本教では「鬼は内、福は内」と言いながら生豆を撒く、非常に盛大な節分祭が行われるようになりました。
大本教では国常立神が押し込められていた苦しい期間を冬に譬える場合があります。そのため、立春を迎えてから他の花に先駆けて咲く【梅】は、国常立神の苦難と復権を象徴する花として扱われます。
「三ぜん世界一同に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治二十五年 旧元旦
「安逸な方は行り好いから、其 行り方は桜の花じや。是迄の世は花の世で、紫陽花の世で、実りの致さん世の持方であるから、国は永うは栄えん、悪の世で在りたぞよ。余程の苦労を致さねば、実りはいたさんぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十一年 旧十一月三十日
「世が変りて、梅と松との世に成るぞよ。梅は寒候に向へば花の準備致す、花の中では一番苦労が永がいなれど、節操 正しく良い実を結ぶなり、大本のハナは苦労の凝結で咲くので在るから、梅に譬へて在るぞよ。松は変らん昔から一すじの金甌無欠至霊心、此の心に日本の人民よ、皆が揃ふて成りて来んと、今度の日本と外国との戦ひは、彼我も人民では見当の取れん、大きな仕組が出来て居るから、外国の方が良いと思ふ様な、真政理解の無い日本の人民は、仕様無くば外国へ服順と云ふ者が八分も九分も有るが、今度の最後審判の瀬戸際で外国に服従ふた人民は、畜生道へ堕落て万劫末代モウ日本の神国へは帰る事は出来んぞよ。松も梅も皆 今度の事の譬へ、心で汲取なされ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十六年 閏五月二十三日
「梅は咲く、桜は枯れる、竹は倒れる、松が栄える世が参りたから、日本の人民 揃ふて外国よりも先に改心いたして下されよ。竹は倒れる桜は散る世がまゐりたぞよ。松と梅とは日本なり、竹は外国に譬へてあるなり、桜は仏に譬へてあるから、心で汲み取りて下され。松と梅の心で無いと、日本の国に居りての守護が出来ん事になるから、明治二十五年から気が注けてありたぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十六年 旧六月四日
これらの記述からも判るように、大本神諭では梅が殊更に尊ばれています。逆に、何かと比較されることが多い桜は一段下に見られていると言えます。また、教団を弾圧した官憲が桜を徽章にしていたこともあり、大本教では桜が嫌われる傾向があります。
しかし、日月神示には梅を持ち上げて桜を下に見る記述はありません。むしろ、桜を積極的に歌に詠んでいます。こういった違いの正確な理由は判りませんが、以下の記述が参考になるかもしれません。
「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気ぢゃ。今迄の教では この道 判らんぞ」 『マツリの巻』 第一帖 [405]
「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花」 『海の巻』 第一帖 [493]
日月神示は「平面的な対立軸を超えること」に主眼を置いているので、「一方だけではなく両方を取る」や「いずれも尊い」という観点から、梅も桜も尊んでいるように見えます。
大本系統では国常立神が押し込められて耐え忍んだ時代を、【三千年】の言葉で表現しています。ただし、三千年は「非常に長い期間」という意味であって実際の年月ではありません。この言葉は日月神示でも多用されており、最初に“国常立神が耐え忍んだ期間”としての記述を引用します。
「三千年 三千世界 乱れたる、罪やけがれを身において、此の世の裏に隠れしまま、此の世 構ひし大神の、 『日月の巻』 第二帖 [175]
」「神の仕組 愈々世に出るぞ、三千年の仕組 晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、桜花一二三と咲くぞ」 『キの巻』 第十四帖 [271]
「神の道 無理ないなれど、行は誰によらずせなならんぞ。この方さへ三千年の行したぞ、人民にはひと日も、ようせん行の三千年、相当のものざぞ」 『風の巻』 第八帖 [359]
「御光の輝く御代となりにけり、嬉し嬉しの岩戸明けたり。あなさやけ、三千年の夜は明けて、人、神となる秋は来にけり」 『空の巻』 第十四帖 [469]
「三千年の不二は晴れたり、岩戸あけたり」 『青葉の巻』 第四帖 [473]
「三千年 花咲くぞ」 『黄金の巻』 第二十八帖 [539]
「堪へに堪へし、三千年の、岩戸ひらけぬ」 『黄金の巻』 第四十四帖 [555]
「思ひ浮べば、天地の、始めの時に、大御祖神、九二十九立の、大神伊、三千年、またも三千年の、もまた三千年、浮きに瀬に、忍び堪えまし、波風の、その荒々し、渡津海の、塩の八百路の、八汐路の、汐の八穂合ひ、洗はれし、孤島の中の、籠らひし、籠り玉ひて、畏くも、この世かまひし、大神の、時めぐり来て、一筋の、光の御代と、出でませし、めでたき日にぞ、今日の日は」 『春の巻』 第三帖 [660]
次に、国常立神を押し込めていた三千年を“人間の間違い”と絡めた記述を引用します。
「今日までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教ぞ、この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、 『海の巻』 第五帖 [497]
」「神のと人民のと通じて居るならば、神のと人民のと同じようにしておかねばならんと申すのは、人間の誤りやすい、いつも間違ひ起すもとであるぞ。神のと人間のと同じようにしておくと思うて、三千年の誤りしでかしたのぢゃ」 『夏の巻』 第十六帖 [733]
「判りたと思ふて御座るなれど、神の経綸が智や学や、金銀つんで、チョットやソットで判る筈ないぞや。今迄の、三千年のやり方違ってゐたと心つくなれば、心付いて神示よむなれば、一切のことありやかとなるのぢゃ」 『秋の巻』 第二十四帖 [765]
次に、国常立神が治めていた時代に戻ることを意味する「三千年の昔に返す」の記述を引用します。
「三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ」 『キの巻』 第十帖 [267]
「世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。三千年の昔に返すぞ」 『松の巻』 第一帖 [292]
「三千年の昔に返すと申してあらうがな」 『岩の巻』 第二帖 [367]
次に、国常立神の退隠と復権の物語を背景とする「三千年で世が切り替わる」という記述を引用します。
「三千年で世一キリといたすのぢゃぞ」 『岩の巻』 第三帖 [368]
「仏には仏の世界はあれど、三千年でチョンぞと申してあらう」 『黄金の巻』 第五十帖 [561]
「神も世界も人民も何れも生長しつつあるのざと知らしてあらう。何時までも同じであってはならん道理ぢゃ。三千年一切りぢゃ。今迄の考へ方を変へよと申してあらう」 『秋の巻』 第四帖 [745]
次に、国常立神が押し込められていた三千年に渡る時代が終わるのは、色々な意味で“好機”であると説く記述を引用します。
「三千年に一度の時がめぐり来てゐるのであるぞ。為せば成る時が来てゐるのぢゃ。為さねば後悔ぞ。時すぎて種まいても、くたびれもうけ」 『月光の巻』 第五十帖 [837]
「世界は この世ばかりではないことを、よく得心して下されよ。我をすてて素直になされよ。三千年の秋が来てゐるのであるぞ」 『月光の巻』 第五十四帖 [841]
「三千年に一度と言ふ、又とない結構な時がめぐりて来てゐるのであるぞ、為せば成るぞ」 『扶桑の巻』 第十三帖 [862]
最後に、悪と呼ばれる勢力の時代が終わりを迎えることや、因縁のある身魂が世の変わり目に活躍できるのは、「国常立神が三千年に渡って調べ抜いたから」と述べられた記述を引用します。
「天に一柱 地に一柱 火にも焼けず水にも溺れぬ元の種隠しておいての今度の大建替ぞ、何んなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は隆々仕上げ見てくれよ、此の神はめったに間違いないぞ。三千年 地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間殿 心配せずに神の申す様 素直に致して下されよ」 『日の出の巻』 第二十帖 [233]
「三千年余りで身魂の改め致して因縁だけの事は否でも応でも致さすのであるから、今度の御用は此の神示読まいでは三千世界のことであるから、何処探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、何処探しても判りはせんのざぞ、人民の頭で幾ら考へても智しぼっても学ありても判らんのぢゃ。ちょこら判る様な仕組なら こんなに苦労致さんぞ、神々様さえ判らん仕組と知らしてあろが」 『雨の巻』 第十帖 [344]
以上のように、国常立神は三千年もの間、単に押し込められていただけではなく、世界を蔭から守護し、世の中が行き詰まった際の解決策まで用意していたそうです。子に押し込められても恨まずに助け船を出す準備をしていたことは、天地の親神と呼ばれるのに相応しいと言えるのではないでしょうか。
もしかすると、三千年に渡る物語には“親子の和解”といった側面があるのかもしれません。
大本系統の神示は、艮の金神として三千年も地に潜って調べていた話や、日本書紀の最初の神であることを背景にして、国常立神の或る重要な側面について言及しています。簡単に言うと、
国常立神は【閻魔】です。
一般的に思い描かれる閻魔の姿は“地獄の帝王”であり、死後の人間を裁く存在です。そして、閻魔大王が持つ閻魔帳には人間の生前の行為が全て記されており、嘘は一切通用しないと言われます。
そういった前提を踏まえた上で、日月神示の“閻魔”の記述を引用してみます。
「この方この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判の時 来てゐるのにキづかぬか、其の日 其の時さばかれてゐるのざぞ」 『磐戸の巻』 第四帖 [240]
日月神示の閻魔の記述は上の一箇所しかありませんが、閻魔帳を連想させる“帳面”については何箇所かで触れられています。
「神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面 間違ひないから、神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従ひてくれよ」 『上つ巻』 第二十一帖 [21]
「ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢してくれよ、その代り御用つとめてくれたら、末代 名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ」 『下つ巻』 第三十七帖 [79]
「神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ」 『地つ巻』 第三十五帖 [172]
「この神の申すことよく肚に入れて、もうかなはんと申す所こらへて、またかなはんと申す所こらへて愈々どうにもならんといふ所こらへて、頑張りて下されよ、神には何も彼もよくわかりて帳面に書きとめてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ」 『磐戸の巻』 第十九帖 [255]
「今度 神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから、近慾に目くれて折角のお恵みはづすでないぞ、神キつけておくぞ」 『雨の巻』 第九帖 [343]
「神がもの申す内に聞くものぢゃ、帳面切ったら申さんぞ」 『マツリの巻』 第十九帖 [423]
「十の仕事して八しか報酬ないことあるぞ、この場合二は神にあづけてあると思へよ、神の帳面あやまりなし、利子がついて返って来るぞ、まことのおかげはおそいと申してあろうがな」 『五葉の巻』 第六帖 [969]
そして、国常立神の“閻魔”としての側面は大本神諭の方が詳しいので、主要な記述を抜粋してみます。
「此の艮の金神は昔の始まりに此の世を建造た神で在るから、此の世界の事は何一つ知らん事の無い神ぢやに因つて此の世のエンマとも言はれたのぢやぞよ。夫れで世界の改めを致すのは、艮の金神で無いと神様は数知れぬ程 有るなれど、他の神様では何程 力が在りても出来ん大望な事で在るぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十三年 旧四月七日
「人の心を直す為、此の世のエンマが出て来たぞよ。エンマと申すのは、此の世の初発からの事、何も皆 知りてをるからの事で在るぞよ。此の神が全然 表面に現はれて守護あり出したら、今迄の守護神が化の皮を現はされて、大分 気の毒が出来るぞよ。世界の神を調査べて、夫れ御役を仰せ付けるから、守護神も人民も、今迄の事を申して威張りて居ると、薩張り慮見の違ふ事に成るぞよ。夫れが世の立替で在るぞよ。此の世を自由に致すには何一つ知らんと言ふ事が在りては出来んぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十四年 旧十一月九日
「世を立替て先の判る世に致すぞよ。前途はドウ云ふ事に成る、此の事はコウ言ふ事に変わると言ふ事は、先きが判りて居らねば、二度目の世の立替と云ふ様な、大望な事は出来んなれど、此の艮の金神は先きが見えて、この世のエンマとも言ふ、天地の守護を致す此の方で在るから、何な神の下にも成らんと申すのは、高い卑くいは兎も角、これまで落ちて蔭からの守護で、何事も控けて居りたなれど、表に成りて、此の世一切の守護は、此の方で無いと、モウ一寸も先きえ行く事が出来んやうに成りたから、一寸も行けん様に成るまで、化けて世界中の調査が致して在りたから、此の世に何一つ知らん事の無き様に修業が出来たから、モウ此の先きは此の方の行り方で無いと、此の世持つのは、何の神様でも行かんからじやぞよ。此の事の真相が判る守護神で無いと、誠の御用は出来んので在るぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十五年 旧六月二十日
「艮の金神は此の世のエンマで御座る。怖い斗りがエンマでは無いぞよ。昔からの事 此の世の事から、昔から霊魂の為て来た事から、世に出て居れた神サンの所作柄から、何も彼も世界中 隅々まで調査が致して在りての今度の二度目の世の立替、世界に何も皆 仕組が致して在るので在るから、始めたら何も一度に成るぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治三十六年 旧一月三十日
「今度はエンマがでゝ来て、もとからの身魂が、査べてありての、二度目の世の立替であるから、身魂の性来が良くあらためてあるので、動きの取れんことばかり。 『大本神諭/神霊界』 明治三十六年 旧十一月十九日
」「大国常立尊は、押込れて居りて、世界の事、向ふの国の事、何もよく査てある。日本の国の山の隅々までの事、何もよく査てあるぞよ。それでこの世のエンマと此方を申すのであるぞよ。怖いばかりがエンマでないぞよ。エンマと申すのは、天地の創造の事から、神界の起源の事から、仏事に成る事から、仏事が学で一旦は盛る事から、その学がこれ丈盛えた学の終る事から、末代の事、今度二度目の世の立替をして、その前途は人民では見当が取れんなれど、何も仕組がしてありて、爰までの事を忍耐りつめて、これ程 艱難を致して、向後の世は末代続かせねば成らんのである」 『大本神諭/神霊界』 大正五年 旧三月六日
「天の至仁至愛真神と、地の先祖の大国常立尊が、根本の事からの悪い企みは、帳面に付止めてある同様に、此世の初りの天地を拵らへた、世の本の末代その儘で居る生神であるから、此の世のエンマとも言はれたのであるぞよ。恐い斗りがエンマでは無いぞよ。此世の根本からの事は、何一つ知らんといふ事の無い神であるぞよ」 『大本神諭/神霊界』 大正六年 旧二月九日
ここで書かれているように、閻魔大王には“裁きを下す者”と“全てを知る者”の側面があります。事実関係や因果関係を正確に把握していなければ正しい裁定を下すことはできないでしょうから、二つの側面は表裏一体と言えます。
恐らく、日本書紀に“天地の最初の神”と伝えられ、大本系統の神示で“生き通し”とされる国常立神は、三千世界の因果や歴史の経緯を最も正確に把握する存在として、閻魔大王に適役なのでしょう。
その上で、日月神示には国常立神の“裁定者”の側面を前提にした記述が見られます。
「誠ない者 今に此の方 拝む事出来んことになるぞ、此の方に近よれんのは悪の守護神殿」 『梅の巻』 第二十二帖 [449]
「日の本の国を取らうとしても何とだましても、御先祖様には何も彼も世の元からの仕組して この事 判ってゐるのであるから、悪のやり方よ、早う善にまつろへよ、まつろへば悪も善の花 咲くのぢゃぞ」 『海の巻』 第九帖 [501]
「悪 抱き参らす為には我が子にまで天のトガをおはせ、善の地の先祖まで押し込めねば一応 抱く事出来んのであるぞ、ここの秘密 知るものは天の御先祖様と地の御先祖様より他には無いのであるぞ」 『海の巻』 第十八帖 [510]
「今迄は影の守護であったが岩戸ひらいて表の守護となり、裏表揃うた守護になりたら、まことの守護ぞ。悪も善も、もう隠れるところ無くなるぞ」 『黄金の巻』 第三十帖 [541]
「審神の神は艮の金神様なり」 『黄金の巻』 第四十八帖 [559]
「此の方が審判の廷に出たならば、世界は一人の王となるぞ。御出まし近うなったぞ」 『黄金の巻』 第七十七帖 [588]
「ウシトラがひらかれてウシトラコンジンがお出ましぞ、もうよこしまのものの住む一寸の土地もなくなったのぞ」 『紫金の巻』 第八帖 [987]
そして、これらの内容と似た意味の「閻魔である国常立神が押し込められていたから世が乱れた」という主旨の記述が大本神諭にあります。
「これまでの世は暗やみの世で、神に神力がなくなりておりたから、この世の人民がどんなことをいたしても、罰もあたらず、利やくもなきことに、さっぱり世が乱れておりたぞよ」 『大本神諭/第三集』 明治三十六年 旧一月十四日
「打き潰して食て了ふたと申して、皆の神々が御祝を成されて、ヤレ最う安心じやと御歓こび、此の世には恐い神は無いと、元の神の世の持方を全部 更えて了ふて、露国の国魂の八頭八尾大蛇の仕組通りに、トン拍子に、学と仏とで日本の国を自由自在に致して来て、今の日本の上下の状態、ドコにも神国の光と云ふものは表はれては居らんぞよ」 『大本神諭/神霊界』 明治四十年 旧十月十六日
「天には御三体の大神様の御守護は在るなれど、地の世界に大神が無いやうに成りて居りたから、地の上には厳格神が無い故に、日本の国へは渡りて来られん筈に極りてありた、外国の体主霊従本意極悪神が、斯世を固め〆ん内の泥海の中に居る折からの、露国の悪の先祖の計画であるぞよ。元からの計画は天に坐ます大神様は能く御存知であるなり、地の根本を固めた国常立尊も能く知り抜いて居りたなれど、其外には何も御存知の無い神斗りであるぞよ。斯の世に恐い大神が世に落ちて居りた故に、今まで世に出て居れた神々様の、放縦な行り方で政事を致されて、後も前も構はずに其時良かれで、仕放題の世の持方で、薩張り世は暗黒と成りて了ふて、日本の国に神の威勢が無きやうに成りたから、極悪神の思はく通りの時節と成りたから、 『大本神諭/神霊界』 明治四十三年 旧四月十八日
」
ここに書かれている通り、大本系統の神示が主張する“強い者勝ち”や“我善し”になって世が乱れたのは、国常立神という閻魔大王が押し込められていたことに原因の一端があるようです。
また、閻魔による審判には「基点を示す」や「神の心を伝える」などの側面も内包されているらしく、そういった一種の“光”が無くなったことも、世の中が乱れた理由の一つなのでしょう。そして、閻魔である国常立神の復権により“無明の時代”が終わりつつあるのです。
全てを知り、裁きを下し、世を鎮める閻魔大王は、悪行を積み重ねる者にとっては極めて“恐ろしい存在”ですが、善行を積み上げる者にとっては この上もなく“頼もしい存在”なのです。
日月神示には国常立神と【素盞鳴神】との関係を連想させる独自の記述があります。
「素盞鳴の大神様も篤く祀りてくれよ、此の神様には毎夜毎日 御詑びせなならんのざぞ、此の世の罪穢負はれて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、地の御神様、土の神様ぞ、祓ひ清めの御神様ぞ」 『日の出の巻』 第九帖 [222]
「スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。間違ひの神々様、この世の罪けがれを、この神様にきせて、無理やりに北に押込めなされたのざぞ。それで この地の上を極悪神が われの好き候に持ちあらしたのざ」 『岩の巻』 第一帖 [366]
「はらひ清めの神が素盞鳴の神様なり。サニワの神は艮の金神様なり。それぞれに お願ひしてから、それぞれのこと行ぜよ」 『黄金の巻』 第四十八帖 [559]
「手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追ひやられたのであるが、マコトはマコトぢゃ、時めぐりきて、我がとれたので、光がさしそめたのぢゃ、岩戸がひらけたのぢゃ」 『扶桑の巻』 第六帖 [855]
「土のまんぢうと申してあろう、土が食べられると申してあろう、土から人民を生んだと申してあろう、ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、土に生きよと申してあろう、土は血であるぞ、素盞鳴命様であるぞ、その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、それが地変であるぞ」 『星座の巻』 第十七帖 [900]
「霊の発動をとめて、静かにする法は「国常立大神 守り給へ幸はへ給へ」と三回くり返すこと。又「素盞鳴大神 守り給へ幸はへ給へ」と三回くり返すこと、又は「太日月地大神 守り給へ幸はへ給へ」と三回くり返すこと」 『竜音の巻』 第十九帖 [927]
一見して判るように、日月神示の説く素盞鳴神の姿は国常立神と酷似しています。その上で、両神の関係を更に明確に告げる記述があります。
「大国常立神が大素盞鳴神様なり」 『黄金の巻』 第三十四帖 [545]
他にも、二柱の神には“の神”としての共通点があるそうです。
「右に行かんとする者と左りに行かんとするものと結ぶのがの神様ぞ、の神様とは素盞鳴の大神様ざぞ、この御用によりて生命あれるのぞ、力 生れるのぞ、がまつりであるぞ、神国の祀りであるぞ、神は その全き姿ぞ、神の姿ぞ」 『日の出の巻』 第五帖 [218]
「 『扶桑の巻』 第二帖 [851]
その中に五色五頭の竜神(二ん)が御ハタラキなされて、つくり固めなされたのぢゃ、今の人民は竜神(二ん)と申せば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、マコトのことを知らせねばならん時ざから、ことわけて申してゐるのぞ。竜神(二ん)とは神であるぞ、五色の竜神とは国常立尊の御現われの一であるぞ」
恐らく、両神には“大地の主宰神”のような形で一体的な側面があると思われます。そのため、日月神示では国常立神と同じくらい素盞鳴神への言及が多いです。
◆
以上が大本系統の神示が説く国常立神の姿ですが、最後に大本神話への外部からの視点で簡単な注意点を付記します。
最初に述べたように、国常立神は記紀に名称が載るのみであり、個別的な逸話は伝わっていません。それ故、大本神話の内容を流布することは、日本の神話や歴史を正統的な学問として学ぶ人々には“偽史運動”の類として受け止められます。否定的な人は蛇蝎の如く忌み嫌って「異端派の所業」と断じる場合があるので、他人との会話で国常立神を話題に挙げる際は注意して下さい。
そして、こういった大本系統の神示への否定的な見解も呑み込んだ上で国常立神様は“道”を示し、全ての人間が神の御旨の中に還ることを望んでいらっしゃいます。
「この方の道、悪きと思ふなら、出て御座れ、よきかわるきか、はっきりと得心ゆくまで見せてやるぞ」 『磐戸の巻』 第十五帖 [251]
そこにあるのは、天地の元の元の元の神としての“親心”なのです。
── 『 艮金神 』 完 ──